第15話 北島幸の苦手科目は体育である(9)
「えー、と。えーと」
まるで浮気現場を目撃された男みたいに、オロオロしてしまう。
話しかけてきたのは、三島だった。
なんだこの最悪のタイミングは。
よりにもよって、なんでコウと一緒にいる時に?
何もやましい気持ちはないが、二人の空気は最悪だった。
だが、そんな空気をガラリと変えたのは、三島の突発的な行動だった。
「先生、こんなところで会えるなんて……もしかして、運命ですかあ!?」
そう言い放つと、三島はプールへダイブする。
「あ、あぶなっ!!」
飛び込みとかじゃなくて、普通に両手を広げてのダイブ。
横に逃げるのも危ない。
俺に向かってくるのだから、受け止めるしかない。
「うげっ!」
首にエルボーを喰らう。
わざとじゃないだろうけど、プロレス技を使うのは止めて欲しい。
「やっぱり、受け止めてくれましたね! 先生! 嬉しいっ!」
「ああ、そう……」
抱きついてくる三島は夢心地だが、攻撃を喰らっただけの俺はロマンチックの欠片も見いだせないシチュエーションだ。
「ゆ、由紀。ちょっとくっつきすぎじゃないですか?」
「ええー、そうかなー? いつもこのぐらいの距離感だからわかんなーい。ねえ、先生?」
「はあ?」
コウが俺のことを睨みつけてくる。
そこは三島だろ! なんで俺なんだよ!
「冗談、冗談だから! なっ、三島って本当に冗談好きなんだから! だから、離れようか!! 俺が殺される前にな!」
ええ、冗談じゃないのになー、とか言いながら離れようとしない三島を、俺は全力で引き剥がした。
やめて!
ほんとうに、三島さん!
コウの瞳がどんどん闇に染まっていっているから!
「それにしても、どうしたの? コウちゃん。ずいぶん、先生と仲良くなったみたいだね。最近、お兄ちゃんと離れていたのは作戦で、妹と意識されないように――」
「わああああああ――――――――っ!!」
コウが、三島の言葉を遮るように大声で叫びだす。
いきなりすぎて、耳を塞ぐぐらいだった。
「え、なに、なんの話?」
「なんでもないしっ!! それより、何その格好!? なんでビキニッ!?」
「えー? 似合ってないですかあ? せんせぇ」
「いや、とても、よく、似合っていると、思うけど……」
そう。
さっきから気になっていた。
コウは学校指定のスクール水着。
それはそれでいい。
胸がとても平らなコウにはとてもよく似合っている。
他に似合う水着がないぐらいに。
中学生らしくて微笑ましいな、ぐらいの感想だった。
もちろん可愛い、可愛いが、ただそれだけ。
でも、三島は違う。
大人が着用するような、黒いビキニをつけている。
普通の中学生ならば、背伸びしすぎて似合わないだろう。
だが、三島は似合う。似合いすぎている。
ふくよかな胸だけでなく、腰のくびれや細長い手足のせいで最早モデルさんだ。一般人なんかじゃないじゃないかってぐらいで、高校生にしか見えない。
え、あれ、芸能人、とか周りの人がざわつくぐらいの体型だ。
紐が超細いせいで、胸なんかこぼれそうだ。
ほんとうに、うちの妹と同じ年齢なのか。
一体何を食べたらこんなに格差がでてしまうのだろう。
かわいそうに。
「どうしたの? お兄ちゃん。何か言いたいことでもあるの?」
「いや、特に何も」
同情しながら胸を凝視してしまったせいで、妹様ブチ切れ案件です。
そっと、優しさで目を逸らしてあげる。
「この際、胸にある脂肪のことなんてどうでもいい! 私だっていつかはつくからね!」
「……それはない」
「何か言った!? お兄ちゃん!!」
「いや、特に何も」
「ここって由紀が練習で使っているところだよね? なのに、なんでこの初心者コースにいるの? しかも、そんな際どい水着まで着て!! 普通、競泳用でしょ!!」
「ええー? なんのことかなー? 今日はたまたまこっちの水着で遊びに来ただけだよー」
三島はそういうけど、明らかに浮いている。
周りでビキニ姿の人なんているわけがない。
スポーツクラブということで娯楽というより、運動のために来ている人たちばかり。
競泳水着を着ていて、わざわざビキニ姿に着替えたとしか思えない。
ダイブする前から、三島の髪の毛はびっしょりと濡れていた。
にもかかわらず、死角のないこのプールで、俺達は三島を見ていない。
それは、初心者コースにおらず、上級者コースでずっと泳いでいたからだろう。
上級者コースでビキニを着ていられるはずがない。
つまり、上級者コースでは競泳水着を着ていて、さっきまで泳いでいた。
そして俺達が注目されて騒がれている音を聴いて、俺達がいることを確認してわざわざ競泳用水着に着替えたということか?
どうして、わざわざそんな手間暇をかけたかという疑問もあるが、もう一つ、前提としておかしいことがある。
何故、二種類の水着を二つも持ってきていたのだろうかということ。
まさか、最初からこうなることが分かっていた?
口ぶりからして、三島がこの場所をオススメしたようだ。
コウならばこの場所に来ると判断し、そして俺を誘うように誘導した?
その黒ビキニは俺にわざわざ見せるために?
アピールするためのもの?
頭のいい三島なら、そこまで計算するなんて造作もない。
……なーんて、そんなわけないか。
国語の魅力の一つが、人間の心理を読み解くことだ。
国語の苦手な三島が、そこまで読み取れるのか?
俺の教えたことで、三島がそれだけ国語の力が身についたと思えば喜ばしいことだ。だが、三島は頭がいい。
勉強の成果をこんな無駄なところで発揮するわけがない。
うん、そうだ、そうだ。
きっとそうだ。
ビキニも、競泳水着を忘れた時のただの予備だろう。
そうに違いない。
俺は、そう思いこむことにした。
「三島、もしかして一人か?」
「うん。それがどうしたんですか、先生?」
「いや、それならいいんだ……。あのお母様がいないなら……」
あの人がいたらと思うとゾッとする。
あの人がいたら即喰われそうで怖い。
捕食される草食動物の気持ちだ。
「先生、やっぱり私のママと何かあった?」
「えっ、何も! 全然、何もなかったよ!」
なかったよね!
何も問題なかったよね!
自分に言い聞かせることしかできない!
「なんだか怪しいんだよねえ。この前の授業の時だって、異常なほど機嫌よかったんだよねえ。何があったか訊いても全然答えてくれないし。……やっぱり、ママと二人きりにするのはまずいかな……」
二人きりになるのはもう勘弁だな。
だけど、今度会う時は気まずいな。
三島の家庭教師している以上、絶対にあのお母さんにも会う訳だから避けようがない。
まさか家庭教師をサボる訳にもいかない。
学校はサボっても自分が困るだけだが、バイトは色んな人に迷惑がかかるからどうしようもないな。
覚悟を決めるしかない。
「……ねえ、何の話?」
底冷えするような声の発信源は、コウ。
どうやらさっきからのけ者にしていたことがお気に召さないらしい。
年相応にわがままで甘えてくるのは、兄としてそこまで嫌じゃない。
だけど、三島はそうじゃなかったらしい。
「ごめんねー。部外者のコウちゃんには分からない話して。それじゃあ、機嫌悪くなっちゃうもんねー」
口調は穏やかだが、煽ってますよね、これ。
火に油を注ぐようなこと言わないでくれないかな。
胃がキリキリ痛み出した。
「ぶ、部外者なのは、由紀の方じゃないの? 邪魔だからどこかに行ってくれない? もう十分お兄ちゃんと話して満足したでしょ?」
「ええ、でもコウちゃんに水泳教えてたんでしょ? だったらもう終わってるよね? だったら、私に貸してくれてもいいんじゃない? 別にデートっていうわけじゃないんだよね?」
「デ、デート!? デートじゃないしっ!!」
「うん、うん。そうだよね。デートじゃないよね。というか、デートなんかできるはずないもんね。だって、所詮、コウちゃんは先生の妹なんだから、邪魔しないでね。いい、コウちゃんは、先生の妹なんだから、先生と一生結婚できないんだよ! それが私とコウちゃんの違いなんだから!」
「なっ……! く、くぅ、それは……」
コウが見たことのないこいぐらい悔しがっている。
俺とコウが結婚できないのなんて当たり前なのに、なぜそこまで?
「お兄ちゃん! 帰るよ!!」
「お、おい!」
腕を引っ張られるまま、俺は更衣室の廊下まで連れて行かれそうになる。
「あっ、ちょっと! 家でずっと一緒なんだから、たまには譲ってくれてもいいのに!」
「絶対に嫌!」
んべぇ、と舌を出したコウと俺はその場をあとにした。
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