第14話 北島幸の苦手科目は体育である(8)
「あの、これ、凄い恥ずかしいんだけど」
「我慢しろ、俺も恥ずかしい」
プールサイドにコウをうつぶせにさせる。
水中で練習するよりも、こちらの方が効率的に教えられる。
他の泳法ならば水中でも難なく教えることができるが、平泳ぎはこうでもしないと教えられないほどに難易度が高い。
周囲の視線が痛いが、俺はコウの足を触る。
「ん」
「動かすぞ」
「う、うん」
足はひんやりと冷たい。
なんだかんだで文句も少なく頑張ってくれているのが伝わってくる。
俺も頑張って指導しないといけない。
だから、やましい気持ちなんて一つもない。
スク水やっぱり可愛いなとか、できれば他の水着見せて欲しかったなあ、とか全然思っていない。
「平泳ぎで難しいのは足の動かし方だな。コウの泳ぎ方を見ていると、こんな風に動いているよな?」
「そうかな?」
「こう動いているんだよ」
プールサイドで、うつぶせになっている女子中学生の足を取って動かす。
とか、傍から見れば特殊なプレイの一種にしか思えないかもしれないが、俺はいたって真剣だ。
「足の裏の向け方が悪いんだよな。ばしゃん、ばしゃんってクロールのバタ足みたいになっている。そうじゃなくて、足の裏でしっかりとかく。分かりやすくすると――」
俺は一人でプールの中に入ると、手すりをつかんで実践してみる。
「こうだな、違いは。分かるか?」
「う、うん」
コウの足はしっかりと反っていなかった。
きっと、沈むのが怖いんだろう。
上半身を反りすぎて、足が水面につかったままだった。
しかも、足はクロールのバタ足に近かった。
足の裏で水を思い切り蹴り上げる、足の裏で水をつかむような感覚。
違いを見せれば一目瞭然のはずだ。
俺の足の動きだと、蹴りの勢いと水の音が全然違うのだから。
それから俺は合法的にコウの足の動きを指導して、なんとか形になってきたので再びスタートラインに戻る。
「それじゃあ、もう一回プールに入ってやってみようか」
足の動きの基本的なことはできるようになったけど、それだけじゃ平泳ぎはうまくならない。
「あとな、平泳ぎは急がなくていい。ゆっくり落ち着いて泳がないと逆に沈むんだ。コウは手足をいっぺんに動かそうとしすぎなんだよ」
「だって、急いでやらないとどんどん沈むから」
「逆だ、逆。平泳ぎは急いでやるから沈むんだよ。手と足を同時に動かさずに、ゆっくりやる。一……二……ぐらいのテンポでいい。手をかいて、ワンテンポ置いて、足を動かすぐらいでいいんだよ」
泳げない人に限って、手と足を同時にかこうと必死だ。
だが、泳ぎの上手い人を見ると、意外にスローペースな人が多い。
なんでそんなゆっくりな泳ぎ方なのに、すいすい泳げるのか。
そんなの才能の差じゃないか。
そう思う人も多いだろうが、そうじゃない。
ゆっくりと丁寧にやるから泳ぐのが速いのだ。
焦って同時に動かそうとするから、水の抵抗力に負けて溺れている人みたいな泳ぎになる。
「手をこうやってパンッて手を合わせる。しっかりと脇を閉めて。そしてできるだけ手を真っ直ぐ伸ばす。遠くの水をかけばかくほど距離を稼げるからな」
「こ、こういう感じ?」
「そうそう」
コウの腕をつかんでやってあげる。
自然と密着してしまうが、なるべく目線を合わさない。
なんとなく、見ちゃいけないような気がした。
いくら妹の胸がまな板同然だとしても、泳いでいる時は少し胸を出すような恰好になる。
それを見て動揺する俺も俺だが、なんでだろう。
妹とあまり話さなかったから、意識してしまっているのだろうか。
俺も中々に馬鹿だな。
「それじゃあ、泳いでみるか?」
もう、一時間以上練習している。
そろそろ泳いでみてもいいだろう。
「えっ?」
「大丈夫、泳げなかったら立っていい。俺も横についていくから」
「う、うん……」
「自信ないのか?」
「なっ、自信あるしっ!! ちゃんと見てて!!」
煽ってみたけど、コウが思いの外強く反論してきたのでついつい笑ってしまう。
見られたらまた怒ってしまうだろうから、すぐに真顔になったが。
笑ったのにはちゃんと理由がある。
嬉しかったのだ。
コウは負けん気が強い。
誰よりも。
コウは、他の人よりも運動神経がない。
どれだけ努力しても、トップアスリートにはなれないだろう。
だけど、才能がないわけじゃない。
その負けたくないっていう気持ちこそが、本物の才能だ。
「ぷはっ。や、やった! やったよ! お兄ちゃん! 私、初めて自力で25m足つかずに平泳ぎできた!」
「ああ! ちゃんと見てたよ! やったな!」
ちょっぴり感動してしまったのは、俺だけじゃなかったようで。
パチパチ、と線香花火のような音が始まりで、そこからちょっとした規模の拍手が響く。
ビクついてみると、さっきまでウォーキングしていたおばちゃんたちが、おめでとー、ちゃんと泳げてよかったなあ、とか言いながら拍手をしていてくれた。
なんだ、このテレビで流れるような感動のワンシーンみたいな展開は。
「は、恥ずかしいな」
「う、うん。でも――」
コウは満面の笑みを浮かべる。
「ありがとう、お兄ちゃん」
そこで終わっていればよかった。
ああ、妹のために色々やれた。
兄としての威厳や充実感に包まれて、今日一日いい気分。
最近あまり話せずに、止まっていた兄妹の時間を、一気に取り戻せた。
ハッピーエンドだ。
そうなるはずだった。
「あれ、もしかして先生? それに、コウちゃん?」
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