第05話 三島由紀の苦手科目は国語である(5)
「なんでいきなり百人一首? 先生、私に勉強教える気あるんですか? クビになっちゃうよ? 家庭教師」
「いや、ちゃんと勉強もするから! でも、まずは興味を持ってもらわないといけないからね」
「ふーん。大丈夫? マニュアルとかあるんじゃないですか? 家庭教師って。今日はこの分までやらなくちゃいけないとか」
「まあ、大丈夫だよ。いざという時は宿題にするし」
「えええっ!!」
「冗談冗談。三島が最近頑張ってくれているのは分かるから、ちょっとばかりは肩を抜いた勉強もした方がいいと思っただけだよ。ちゃんとお母様の許可だってもらっているから安心して」
本気で三島が心配してきて驚いた。
俺がクビになるのがそんなに嫌なのか。
三島が俺のことを好いてくれるのは嬉しい。
女性経験がない俺でも、三島が俺のことを気に入ってくれているのは分かっている。
だけど、どこか軽い。
冗談めかしている気がしていた。
まだ年齢的には、子どもだからしかたないかもしれないと思っていた。
でも、三島の顔が一瞬真っ青になるまで心配してもらった。
これは、本腰を入れて勉強を教えてやらないといけないな。
学力が下がったら、家庭教師クビになるかもしれない。
俺も三島みたいに優秀で素直な生徒の先生を辞めたくない。
たかが大学生のアルバイト。
だけど、俺にとっては大切な仕事なんだ。
中途半端で投げ出したくなんかない。
「……そういえば、この前の授業の時に百人一首の一覧のプリントもらったけど、その時から?」
「そうだよ。しかもそのプリント俺の自作だからな。作るのに時間かかったんだから、ちゃんと予習したよな?」
「ま、まあ」
目が泳いでいる。
多少なりとも眼を通してくれていると信じたい。
小学中学でも、百人一首をやる学校だってある。
三島は記憶力が悪い方ではない。
むしろトップクラスにいい方だ。
やっていくうちに憶えていくだろう。
俺は百人一首の準備をする。
俺が学生の頃は、先生がラジカセを教室に持ち出して、専用の読みあげるCDを使ったものだが、今の時代スマホにデータを移せばいい。
三島はラジカセなんて単語知らないだろう。
パソコンのデータをフロッピーディスクに入れていた時代なんて知らないだろう。
それが悲しい。
ちょっとした年齢の差なのに、壁を感じる。
「先生もやってくれるんですよね?」
「そうだな。俺が読んでいてもいいんだけど、やっぱりひとりプレイは寂しいもんな」
そうして二人で百人一首をやっていく。
もちろん、俺は適度に手加減する。
同級生の男同士だとそれだけで口論になることもあるが、特に問題なく進んでいく。
区切りがいいところで三島が質問してくる。
「これって何の意味があるのかなあ?」
「ゲーム感覚でやった方が憶えるんだよ。俺も百人一首で意味を覚えた。あはれ、とかよくでてくるからすぐに憶えたなあ」
「『趣深い』は古典苦手な私でもすぐに憶えていますよ! でも、現代語訳は分かっても肝心な意味がよく分からないんだよなあ」
「『趣深い』はなあ――」
説明しろと言っても、難しいんだよなあ。
例えば取り壊しが決まった実家近くの倉庫の屋根から滴り落ちる雨の滴をたどってみると、そこに小さな親子のような小石が二つ並んでいて、その石が年代を感じさせるような苔が生えていた姿を見て、ああ、趣深いなあ、って俺は思うんだが、うん、話が長いな!
それに、人によって趣深いって感じるのは差異があるはずだ。
一言で説明するのは難しい。
ん?
あれ?
そこまで深く考えずに俺は百人一首を提案した。
だけど、この態勢はどうだ?
お互いに向かい合って正座。
集中すればするほど、前のめりになる。
つまり、三島のたわわな胸がより強調されるってことだ。
垂涎。
何を食べたらこんなに成長できるんだ。
俺の家の妹も見習ってほしい。
なんて至高の光景なんだ。
ああ、そうか。
そういうことか。
古典の神様がいるのとするならば、俺をこうして導いてくれたのだ。
きっと今みたいなことを言うのだろう。
趣深い、というのは。
「今みたいな状況のことかな?」
「えっ?」
「あっ!」
胸に集中しすぎて、三島に激突してしまう。
頭と頭の正面衝突。
痛くない訳がない。
星が見えた気がする。
「いてて、だ、だいじょ――うわっ、ごめん!」
何故か三島を押し倒すような態勢になってしまう。
しかも俺の片方の手は、三島の大きな胸をつかむかたちになっている。決してわざとではない。
倒れないようにするために手を突いただけだ。
でも、本当に大きいんだな。
服越しからも大きさが分かる。
ブラジャーのせいで障り心地が素肌とは違うけど、吸い付く。そして、押し返す弾力性がある。気持ちいい。
男の肌さわりとは全然違う。
いつまでも触っていたい。
「……って」
何しているんだ、俺は。
こんなことやっていいわけがない! 犯罪だからな!
嫌がるはずだ、三島も――。
「やった! 取れた!」
「えっ?」
「これだけは取りたかったんだよね。百人一首の中で私の一番好きなやつだから」
「……これが?」
スッ、と胸に入り込む。
つくばねの 峰より落つる みなの川 こひぞつもりて 淵となりぬる
流石女子中学生。
甘い恋愛が好きみたいだ。
俺もこの句は好きだな。
人の想いが積もりに積もったらどうなるかという一句。
詠んでいるだけで胸が締め付けられそうになる。
三島は恋をしているんだろう。
やっぱり同級生かな?
それとも落ち着いて雰囲気を持つ年上かな?
それか大穴で年下かな。
きっと、俺なんかとは違って素敵な男子なんだろうな。
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