2.片足のバレリーナ

 小学校卒業を控えた頃。冬子はバレエを踊るうえで、右足の痛みを訴えるようになった。

 スケジュールにはレッスンが詰まっていて、更には大会出場の予定すら決まっていた彼女は、そう簡単に休むことは出来なかった。本人ですら、冬場だから…と半ば諦める状態でバレエを続けていった。


 この時だったら、まだ彼女は助かっただろう。


 中学校に進学した冬子は、体育の授業中に激痛と共に気を失った。後に緊急入院を経て、右足に骨肉腫が発見された。ステージが進んでしまい、今すぐに切除したところで多少の延命にしかならない…周囲の大人は最後まで踊らせようと説得をしたが、夏美だけは切除を勧めた。

 恩師に信頼を寄せていた冬子は片足になる事、すなわちバレエ引退を選択することになった。


 彼女が右足を失ってから約一ヶ月が経った。世間は夏休みに入ろうとしている頃、冬子は大きな喪失感に苛まれていた。大好きだったバレエが出来ない…何も無い空間を見つめては、毎日溜息をつくのであった。

そんな夏のある日、久しぶりに夏美から連絡があった。曰く「最後にもう一度、ステージに立たないか」と。

もちろん冬子は断ろうとした。ただでさえ片足が無いのに、プロの紹介でステージに立つなど――

しかし夏美は自分に任せるようにと言い、半ば強引にレッスンの約束を取り付けた。


一週間後、冬子はヨタヨタと松葉杖をつきながら、バレエ教室へ久しく足を踏み入れた。

「…ああ、冬子。来てくれるって思ってたよ。」

冬子の姿を見ると、いつもと変わらない声で声をかける夏美。しかしその声にはどこか曇りがあった。

「ちょっとプログラムに関して揉めててね…ウチから出れる枠が三人から二人になっちゃったんだ。でも冬子は絶対に出すから大丈夫だよ。」

それを聞いた冬子は、そのまま断って帰ろうとする――

「冬子。まさか、足が無くなっただけで逃げるつもり? それでもプロの卵かい。」

今まで聞いたことの無い鋭い叱責に、冬子はたじろいだ。

 沈黙が場を支配すること数秒後、夏美が口を開いた。

「実はさ、この教室をやめる事にしたんだ。…それだけじゃない、私はバレエをやめようと思ってる。」

彼女の放つ言葉に冬子は完全に思考が止まり、辛うじて「どうして」と言うのが精一杯だった。

「もう疲れちゃったんだよ。ウチらは最後の機会だし、冬子もどうかなって思ったんだ。」

夏美の濁った目を見て、本当にバレエから手を引くのだと理解した冬子は、自らの覚悟も決めた。

「私、やります…! 片足が無くても…っ!」


それ以上は言葉にならなかった。ただ冬子は心から思っていた…いい生徒でありたいと、恩返しがしたいと。

「…よし、分かった。最後のステージ、頑張ろう!」

ようやく夏美にも活気が戻ってきた。冬子も笑って頷き、その日から再びレッスンが始まった。


 八月の終わり。約三万人が集まったホールで二十人の演技が行われ、一番最後にはなんと夏美と冬子のペアがステージに立っていた。

 現役プロの夏美と、かつて大注目を集めていたがバレエから去った冬子…そして演技が終わって引退宣言をした二人のペアは、とても大きな話題を呼ぶことになった。

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