第3話 白雪姫 籠原スナヲ版
昔々あるところに、とても世間知らずでワガママな王女様がいました。王女様はワガママなので魔法使いの先生の言うことをまったく聞かず、授業をさぼって教室を逃げ出してはイタズラばっかりしていました。
「あーあ、こんなにつまらないお城からは早く出て行きたいわ! お城を出て街を出て、素敵な森や海や山々や川の流れをたくさん見てみたいわ!」
可哀想に、ワガママな王女様は生まれてからずっとお城の中で育ってきたので、ご本に出てくる物語のなかでしか森や海や山々のことを知らなかったのです。
王女様はひとりきりの寝室で、こう呟きました。
「鏡よ鏡、この世でいちばん美しいものはなに……? わたし、それを見てみたいの」
すると寝室の中に、魔法の鏡がポンッと音を立てて現れました。
「やった! 初めて魔法が使えたわ!」
魔法使いの先生からいつも叱られている王女様は、初めての成功にドキドキしました。そうして王女様の前に現れた魔法の鏡は、もちろん魔法の鏡なのですから、言葉を使ってこんな風に教えてくれました。
『教えましょう王女様。この世でいちばん美しいのは、白雪姫です』
「白雪姫……? それはだあれ……?」
王女様が訊くと、魔法の鏡は白雪姫の姿を鏡の中に映し出してくれました。そこに映っているのは国ざかいの森の家でベッドに横たわっている、ひとりきりの病気の女の子でした。
「きゃあ! とっても可哀想な女の子よ! 髪はボロボロで、お肌も真っ青で、腕はポキリと折れてしまいそうな枯れ木みたいに細い! これのどこが美しいものなの!?」
『教えましょう王女様。彼女は病気で体の弱い女の子ですが、とても心の優しい子です。その心優しさに胸を打たれた7人の森の小人たちが、彼女の家で身の回りのお世話を代わる代わるしてあげているのです』
魔法の鏡は白雪姫と、白雪姫のお世話をしている7人の小人を映し出しました。
『教えましょう王女様。彼女の家は貧しく鏡もありません。森の小人たちは彼女を励ますために毎日こんな風に言っているのです。「今日はとても肌の色がいいよ。真っ青じゃないよ。綺麗な白色をしていて、まるで静かに雪が降っているみたいだ。白雪姫だね」と。女の子が白雪姫と呼ばれているのはそういうわけなのです。
答えましょう王女様。私は白雪姫と小人たちのことをこの世でいちばん美しいものだと思っているのです』
魔法の鏡の言葉はなんだか難しかったので、とても世間知らずでワガママな王女様には何を言っているか分かりませんでした。でもそんな王女様でも、とにかくその子を助けるべきだということは分かります。
「わたし、これからいっぱい魔法の勉強をするわ! そして、必ずその子を助けにいくわ!」
それから王女様は魔法使いの先生の厳しい言いつけを守り、色んな魔法を覚えました。まずお城を抜け出すための《変身》の魔法を覚え、次に白雪姫の病気を治してやるための《回復》の魔法を一生懸命覚えました。
そして、ある日のことです。王女様は《偶然お城に紛れ込んでしまったリンゴ売りの老婆》に変身し、兵隊の男たちから無事にお城を追い出されることができました。
王女様は老婆の姿で森の中を進んでいき、白雪姫の家に辿り着きました。
「お嬢さん、お嬢さん。どうかこの扉を開けておくれ」
「どなたですか……?」
白雪姫は寝巻のままで、ケホケホと咳き込みながら扉を開けてくれました。その姿を見た王女様は、白雪姫の病が前よりさらに悪くなっていることがよく分かりました。
(なんて可哀想なの! でも安心して! 今からわたしが治してあげる!)
王女様は籠の中からリンゴをひとつだけ取り出すと、そのリンゴにこっそり《回復》の魔法をかけてやりました。
「お嬢さん、どうかリンゴをひとつだけ貰っておくれ。とっても美味しいよ。その咳もきっとよくなるよ」
「リンゴですか……? でも、お金がありません……!」
「お嬢さん、お金なんて要らないよォ。売れ残ったリンゴを捨てるのも勿体なくてねえ。どうかアタシのことを助けると思ってひとつは貰っておくれ」
「おばあさんを、助けるために……?」
「ヒッヒッヒッ、そうだよぉ。アンタは優しそうな子だからねえ、どうかアタシにこのリンゴを押し付けられてほしいのさ」
すると白雪姫は、何も疑わず王女様からリンゴを受け取りました。
「分かりました……! 私、おばあさんを助けるためにこのリンゴを受け取ります!」
「ヒッヒッヒッ、ありがとうねぇ……」
こうして王女様は森を出て行き、変身の魔法を解いてお城に帰りました。
「白雪姫がとても騙されやすいおかげで上手くいったわ! これであのリンゴを食べて、白雪姫の病気は少しずつよくなっていくわ!」
とはいえ、王女様はまだ完璧に魔法を覚えたわけではありません。《リンゴ売りの老婆》になるための変身はクシャミをすると解けてしまうし、リンゴに込められた回復の魔法はとても弱いもので、本当は同じ魔法のリンゴをあと100回食べさせないといけなかったのです。
「これから毎日のように通うわ! そして、きっとあの子の病気を治してみせるもの!」
王女様はぐっすりと眠りました。
それから王女様は本当に毎日のように同じことを繰り返し、毎日のようにリンゴ売りの老婆の姿になって白雪姫を訪れました。
そのうち王女様は《鍵かけ》の魔法も覚えました。自分が《リンゴ売りの老婆》になって外を出ている間は寝室に外から鍵をかけ、自分が寝室にいるように兵隊たちを騙したのです。
「お嬢さん、どうかすまないねェ。またリンゴを貰っておくれ。お嬢さん以外に頼れる人もいないんだよ」
「おばあさんのリンゴが売れ残るなんて、とっても不思議です。こんなに美味しいのに」
「ヒッヒッヒ、そんなことを言ってくれるのはお嬢さんだけさ。本当にありがとう……」
……そうして、白雪姫が50個目の回復のリンゴを食べていた日のことでした。王女様はまだぐっすりと眠っていたある朝のことです。
「なんだ、この家は?」
そう声を上げたのは隣国の白馬の王子様でした。王子様の国と王女様の国は仲が悪いので、こうして国ざかいの森をよく見回りにきていたのです。王子様はその日、初めて白雪姫の家に気付きました。
「この家の者、誰か出てきてくれないか。この家はどちらの国のものだ?」
「どなたですか……?」
扉を開けた白雪姫は、王女様のリンゴのおかげで少しずつ病気を治していました。黒髪はもうボロボロではないし、肌も真っ青ではないし、体も枯木のようにポキリと折れてしまいそうではありませんでした。
そして、そんな風に病を治し始めた白雪姫は、元々の美しい姿を取り戻しつつありました。白馬の王子様はそんな白雪姫に、なんとひと目惚れをしてしまいました。
「ケホッケホッ……」
「きみ、病気をしているのかい? それはすまなかった、わざわざ外に呼び出してしまって」
「いえ、大丈夫です。最近は病気もだいぶ良くなったんです」
「そうなのか……!」
ここで白馬の王子様は、とっさに嘘をついてしまいました。
「それはよかった。どうやら僕が遠くからかけていた回復の魔法が効いたみたいだね……!」
「え……?」
「今日は君を迎えにきたんだよ。さあ、どうか僕の国にいっしょに帰ろうじゃないか……!」
こんな風に言いくるめ、白馬の王子様は白雪姫を自分の国に連れ去ってしまったのでした。
……そんなことも知らない王女様は、毎日のいつもの時間に《リンゴ売りの老婆》の姿になって白雪姫の家を訪れました。でも、白雪姫はもう王子様に連れ去られていますから、家には誰もいませんでした。
「おーい、お嬢さん? どこにいっちまったんだねェ?」
すると森の陰から、7人の小人が現れるではありませんか。
『白雪姫なら嘘つきの王子様に連れ去られちまったよ!』
「な、なんだってェ?」
『お前が早く来てくれないからじゃないか、このこの!』
『俺たちは人間に敵わないんだから、お前がどうにかするしかないじゃないか、このこの!』
小人たちはそのあたりの草っ葉をちぎって王女様に投げつけました。
「や、やめておくれよォ!」
『絶対にやめないね! 僕たちの可愛い白雪姫を返せェ!』
『そうだそうだ! 俺たちの優しい白雪姫を返しやがれ! 嘘つきの人間めェ!』
すると、小人たちの投げつけた草っ葉が王女様の鼻にかかってしまいました。
「は……はっくしょん!!」
そして、王女様の変身の魔法は解けてしまい、きらびやかなドレスを身に纏った普段の王女様がそこに現れました。
「きゃあ! なんてこと! 魔法が解けちゃったわっ!」
そんな王女様を見て、7人の小人たちはビックリしていました。
『そんな……リンゴ売りのおばあさんが王女様になったぞ……』
『変身だ……変身の魔法を使っていたんだ……』
『じゃあ……俺たちの白雪姫の病気を治していたのは、王女様だったのか……?』
そんな風にビックリしている小人たちを尻目に、王女様はやるべきことを考えていました。どれだけ世間知らずでワガママでも、王女様は王女様なのですから、悪い国の王子様に白雪姫を任せていいわけがないということは分かります。
王女様は両手をかざしました。
「鏡よ鏡……わたしが今この世でいちばん助けたい白雪姫はどこにいるの……?」
すると森の中に、魔法の鏡がポンッと音を立てて現れました。
『教えましょう王女様。白雪姫は既に嘘つき王子のお城の寝室に囚われています』
「その姿を映し出して」
『映し出しましょう王女様』
魔法の鏡は、お城に囚われている白雪姫と、彼女に抱き着こうとしている敵国の王子様を映し出しました。
「ああ……本当に可愛いよきみは。きっと僕のお嫁さんになってくれるね?」
「こ、困ります……」
「なにが困るんだい? 僕がこんなにもきみのことを愛しているというのに」
「今は……リンゴ売りのおばあさんが私の家に来てくれる時間なんです……売れ残ったリンゴを私がいつも貰ってあげているんです。だから私がいないと、きっとおばあさんが困ってしまいます」
「そんなことはどうでもいいだろう? だって、きみはもう、あの家には帰らないんだから」
「そんな……!」
そんな2人の様子を見ていた、王女様は、ぐっと拳を握りしめました。
「鏡よ鏡……重ねて変身の魔法をかける。その鏡面を……水面にして!」
『かしこまりました、王女様』
すると魔法の鏡の鏡面が、まるで風にそよぐ湖の水面のように揺れ始めました。
そして王女様は、水面になった魔法の鏡に飛び込みました。
パシャッ!
という音とともに、王女様は水面を飛び出て、敵国の王子様と白雪姫がいる敵城の寝室へと辿り着いていました。
とつぜん現れた王女様を見ると、敵国の王子様は大慌てになってしまいました。せっかく愛する白雪姫を言いくるめることができそうだったのに、思わぬ邪魔者が、しかも敵国の王女様がそこに来たのですから。
「ひいっ! どこから来たんだお前っ!」
そんな敵国の王子様を見ながら、王女様はこんな風に思っていました。「なーんだ。魔法ってコツさえ分かれば簡単なのねっ!」
王女様はゆっくりと敵国の王子様に近づきます。
「ひいっ! 来るなァ、来るなよォッ!」
「ふう………今まで弱小国家と思って大目に見てあげていたけれど、今日という今日はオシオキが必要みたいね……」
「許してくれェッ! ただの出来心だったんだァッ!」
「わたしがそんな泣き言を聞いて許すと思ってるの? わたしはとっても世間知らずでワガママで冷酷なのよ……? そう、魔女みたいにね……!」
「ひいいいいいィッ!」
王女様は泣きわめく王子様の口元を指差しました。
「変身の魔法、投射。もうあなたの舌は甘いものを甘いと感じられない舌になる。甘いほど苦くなるのよ?」
「そ、そんなあ……!!」
「………これでもう、とっても美味しいリンゴの甘さもずっと味わえないわね!」
「がーーーーんッッ!!」
……こうして王女様は白馬の王子様に厳しいオシオキをすると、白雪姫を抱きかかえてもういちど魔法の鏡に飛び込み、森の家に帰ってきました。白雪姫は、王子様に抱き着かれそうになったショックで病気がぶり返しています。
「大丈夫…?」
「王女様……なぜここに……いらっしゃるのですか?」
「国の民を思うのは、王家として当然の務めなのよ?」
弱りきっている白雪姫は、とても今からリンゴを食べられそうではありませんでした。そこで王女様は悩んだあげくに、こんな魔法を自分にかけたのです。
「変身の魔法。今からわたしのくちづけを、回復のリンゴと同じようにしなさい……」
……白雪姫が自分の家で目を覚ますと、王女様と7人の小人がその姿を見守っていました。
「王女様……本当に、ありがとうございます」
「いいのよ、このくらい。どうせ暇なのだし」
「あはは……」
「じゃあわたしは帰るけど……大丈夫ね…?」
「はい………」
王女様はにっこりと笑って、白雪姫の家を出ようとしました。でも、
「あのっ、王女様!」
白雪姫が、呼び止めました。
「……なに?」
「ひとつだけ、お願いがあるんです」
「なんなの?」
「私の友達にリンゴ売りのおばあさんがいるんです。そのおばあさんは、とっても美味しいリンゴなのにいつも売れ残りができて、そのせいでいつも私みたいな者の助けを頼らなくてはいけないんです」
「…………!」
「……私、あのおばあさんの助けになりたいんです! どうかお城であのリンゴを買って頂けませんか…?」
王女様は白雪姫に向き直りました。
「王女様……」
「ヒッヒッヒ」
「………!!」
「その《リンゴ売りのおばあさん》とやらは、こんな顔じゃなかったのかねェ……?」
おわり
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます