第31話:トーリ

 安全地帯セーフポイントを出て別ルートを少し進むと、カナタが口を開いた。


「……ロンド、さん」

「どうしたんですか?」


 足を止めたカナタに気がついて、ロンドが振り返る。

 俯いたまま動かくなったカナタに近づくと、その肩に優しく手を置いた。


「早く助けに行きましょう。トーリさんはきっと生きていますよ」

「……あ、ありが、とう。俺達なんかの為に、こんなところまで、来てくれて」


 涙するカナタを励ますように、肩に置いた手に力を込める。


「気にしないでください。さっきも言いましたけど、僕のせいでもありますし、経営者様の意向でもありますから」

「……経営者様の?」


 話の流れで経営者が出てくるとは思っていなかったカナタは顔をあげると困惑顔をしていた。


「ジーエフの経営者様はとてもお優しい人なんですよ。ダンジョンを経営しているのに人死を見たくないって言っているんです」

「まさか。だって、ダンジョンは、その、人の死とは切り離せないものだって聞いたことが……ある」


 自分の言葉にトーリの死を想起させてしまい、最後は尻すぼみに声が小さくなってしまったが、カナタの言葉に間違いはない。

 ロンドだって、アルバスだってそのように考えている。


「僕も最初聞いた時は驚きました。だけど、ここの経営者様はそういう方なんです。僕は最初、助けに行きたいけど初めてのダンジョンだし、僕が行くのは逆にみんなを怒らせると思って口にしなかったんです」

「そう、だったのか?」

「はい。だけど、宿屋の裏で話を聞いていた経営者様が心配して、僕に助けに向かうよう言ってきたんですよ」


 その事実を聞いて、カナタは再び俯いてしまった。


「できたばかりのダンジョンだと甘く見ていたんだ。だけど、その都市の経営者から心配されているなんて、恥ずかしいよな。……だけど——」


 最後の方は力強く、それでいて決意を秘めたようにはっきりとした口調で言葉が紡ぎ出された。


「まだ間に合う!」

「うん。きっと間に合うよ!」


 進む先にトーリがいると信じて、二人は再び歩き出す。その歩調は心なしか速く、力強くなっていた。


 ※※※※


「——はぁ、はぁ、はぁ、はぁ。嫌だ、死にたくない、僕は、まだ!」


 ぼんやりと光る壁の明かりを頼りに、トーリはダンジョン内を逃げ回っていた。

 何から逃げているのか? モンスターからなのか? 仲間からなのか?

 だが、モンスターも仲間も誰も追い掛けてきてはいない。

 仲間はどうしたのか? あの場で殺されたのか? 彼は——一人なのか?

 どうにもならない感情が湧き上がり、わけも分からない思考が頭の中を埋め尽くしている。


 トーリは、パニック症候群を持っていた。

 貴族の第一子として生まれ、大事に育てられてきたトーリだったが、パニック症候群があると分かるやいなや、跡継ぎから即座に外されてしまった。

 その直後に恐れていたパニックを引き起こした時には、信じていた護衛騎士達に取り押さえられ、人目をはばからずに涙を流した。

 約束されたレールの上を進んできただけのトーリにとって、突如レール外に投げ出された時の心境は計り知れない。

 そのまま跡継ぎとなった第二子の弟に仕える立場に甘んじることができれば、貴族として残ることはできたかもしれないが、トーリはそれを許容できなかった。


 家を飛び出して、冒険者になろうと決意した。それは、幼い頃に読み聞かせられた英雄譚に憧れてのことだった。

 冒険者ギルドではカナタとアリサに出会い、パーティを組むに至ったが、貴族として過ごしてきた態度を崩すには至らなかった。

 パーティを組めたことはトーリからすると僥倖だったと思っていたのだが、今となってはそれが良かったのか悪かったのかすらも分からなくなっている。


「くそっ、くそっ、くそっ! なんで僕は一人なんだ、カナタ、アリサ! 僕を見捨てたのか!」


 自分から逃げ出したことも分からなくなっているトーリにとって、今の状況はより激しいパニックを引き起こすに足る状況になっていた。

 そんな中——


「——キャヒャヒャ?」


 聞こえてきたモンスターの声。

 立ち止まるトーリ。

 声のした方は通路の先——ヒタヒタと、不気味な足音が徐々に大きな音となり耳朶に響いてくる。

 引き返すべきなのだが、恐怖のあまり足が震えて動かない。視線も通路から逸らすことができない。

 そして——


「キャヒャヒャヒャヒャ!」


 顔を見せたゴブリンが声を上げた。獲物を見つけたという歓喜の雄叫びを。

 七匹のゴブリンが姿を見せると、後ろにはランダムのアントとミニデビルが姿を見せた。


 ダンジョンは狡猾だ。殺せると分かった冒険者がいれば、集中的に狙ってくる習性を持っている。

 実際にアルバスには単発でしかゴブリンが現れておらず、ロンドとカナタには多少数は多いもののゴブリンとしかエンカウントしていない。

 今一番殺せそうな冒険者——トーリにゴブリンの群れとランダムモンスターを差し向けたのだ。


「ひいっ!」


 モンスターの姿を目にした途端、固まっていた足が動き始めた。恐怖に負けて、体が生きるために動くようになった。とって返し来た道を戻っていく。

 モンスターが笑い声を上げながら追い掛けてくる。知性がほとんどないモンスターの笑い声なのだが、その声がトーリの耳には楽しそうに聞こえて仕方なかった。

 すでにボロボロのトーリに対して、ミニデビルが状態低下の魔法を発動。


「——があっ! はあはあ、い、息がっ!」


 体力低下の状態異常を掛けられ、すでに虫の息だった体力がほとんど空になってしまう。それ故に息切れを起こし、呼吸ができなくなった。

 足が止まり、モンスターとの距離が縮まっていく。


「ギャハハッ!」


 ——そして、ナイフがトーリの背中めがけて振り下ろされた。


「——加速アクセラ!」


 切先がトーリを捉える直前、ロンドのショートソードがゴブリンの腕を刎ね飛ばし、返す剣で首を落とした。


「トーリ!」

「……カ、カナタ?」


 顔を上げたトーリが見たものは、こちらに駆けつけてくれたカナタの姿。振り返れば、地上で罵声を浴びせてしまった宿屋の従業員の背中が広がっている。

 助かったと安堵するのと同時に、どうして従業員が——ロンドがここにいるのかという疑問が頭の中を埋め尽くす。

 だが、ここはダンジョンである。そのような無意味な思考は死に直結してしまう。


「トーリ! 支援魔法!」


 すかさずカナタがトーリに指示を飛ばす。

 立ち上がったトーリは慌てて詠唱に入る。


「俺と、ロンドさんに速度向上を!」


 そのまま追い越して前線に飛び込んでいくカナタ。自身もボロボロのはずなのだが、構わずモンスターの群れに立ち向かっていく。

 打ち漏らしを恐れていたトーリだが、ロンドとカナタは完全にモンスターの群れを押し留め、それだけにとどまらず斬り捨てていく。

 白い灰が通路に舞い踊り、後方のミニデビルが後退りしている姿が目に飛び込んできた。


 ——これなら、いける!


 内心でそう思ったトーリ。

 だが、その期待を裏切るように横の壁から一匹のモンスターが穴を掘って現れた。


「ア、アント!」


 トーリの叫び声にカナタが振り返る。一人と一匹の距離は二メートルほどで、今から駆け出しても到底間に合わない。

 カナタの表情が曇りそうになったその時、ロンドは腰から一本の投げナイフを取り出して投擲——足の甲殻の隙間を的確に捉えると、そのまま地面に深く突き刺さり縫い付けてしまった。


「カナタさん、急いで!」

「わ、分かった!」


 駆け出したカナタではあるが、相手はランダムでレベル8のアントである。本来ならば一人で倒しきるのも難しい相手なのだが、アントは何故か動こうとしない——否、動けなかった。

 ロンドが投げたナイフはポポイお手製の魔法具、かげいという名前が付けられている。

 ナイフが刺さった相手を一定時間硬直状態にしてしまう魔法具だ。

 影縫いのおかげもあり、カナタは楽々とアントの首を落として灰にすることができた。


 ポカンとするトーリの肩を叩きながら、すぐに前線へと戻っていくカナタ。その背中を眺めていたトーリも徐々に正気を取り戻して詠唱を再開。

 発動された速度向上により討伐速度が加速、ロンドとカナタはどんどんと奥へと歩を進め、ついにはミニデビルを目前に捉えていた。


「ケヘヘヘヘッ!」


 そこで発動された状態低下魔法。

 体力低下がロンドとカナタにかけられる——が、呼吸止めて、最大速度で、ゴブリンの群れを無視して、ロンドが駆け出す。

 間合いからはあと一歩と迫ったところで、声を高らかに叫んだ。


加速アクセラ!」


 トーリを紙一重で助けることができたロンドの切り札、スキルの発動。

 ミニデビルまでのあと一歩の距離がゼロとなり、ショートソードを縦に一閃。


「——ゲ、ヒャ」


 左右の体が若干縦にズレたと思った直後には、ミニデビルの体が大量の白い灰へと変わった。


 残ったゴブリンも即座に仕留め終わると、その場にはロンド、カナタ、トーリの三人。ボロボロではあるが、誰も死ぬことなく、その場に立っていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る