後編:闇
国道10号線から細い路地に入り、5分程度歩く。
人気の少ないコンビニの角を曲がって2ブロック先にある建物の前に奈良崎は立った。
コーポ箕郷。
その錆びついた206の郵便受けの蓋を開けると、ギィィィ、という音とともに中に溜まった郵便物がドサ、っと地面に散らばった。それらを無造作に鷲掴みにすると、奈良崎はそのまま階段を登って行った。
ドン、ドン、ドン。
その一つの音の度に階段が揺れる。本気を出せば後何回かで壊せそうだ。
カッチン、カッチンとリズムに合わせちかちかする電灯の下を歩くと、さびれた206号室の前に奈良崎は立った。そして持っていた鍵で年季の入ったドアをあける。
3人入ったらもう窮屈になってしまいそうなその部屋は、床というものを認識できないほど散らかっていた。雑誌、ダンボール、時にはいつ食べたかわからないカップラーメンのカップと、そこには少しだけ液体が残っていた。
奈良崎は数十万円する革靴で、床に散らばった物達を蹴飛ばし、スペースを作りながら進んだ。そして、やっと部屋の中央までたどり着くと、盛り上がった荷物たちを払う。するとそこにはおそらくソファらしきものがあった空間が現れ、そこにどっしりと深く腰を下ろす。
「……」
どこか遠くを見つめながら、右手でリモコンを掴むと、エアコンのスイッチをいれた。そしてそのまま一点を見つめる。
すると突然、ピコン、という音がなった。スマホからだった。
すぐさま内容を確認する。
——この前は一緒にお話出来て楽しかったです。また是非聞かせてください——
間髪入れずに、奈良崎は電話をかけた。
「あ、もしもし。今大丈夫?」
スマホの奥から、あ、すみません、電話かけさせてしまって、という内容の声が漏れた。
「いいんだ。この前のあのお店ね、珍しいよね石窯パスタのお店って。この辺にあまりないから……うん。実はね、あのお店、他にも店舗を出してるらしくて。しかもそっちの方が師匠なんだって、うん」
相手の話をしっかり聞きつつ、時折話も振っていく。
実にスムーズに会話は進んでいた。
「じゃあ、今度そのお店教えてあげようか。前から興味あったんだけど、僕一人じゃ行きにくくて。うん、そうしよっか——分かった、はーい、うん、ありがとね」
奈良崎が相手が電話を切ったのを確認してから、スマホの「切」ボタンをゆっくり押す。そしてそのまま固まった。
「食事を誘う」
独り言にしては大きな声を放った。
「食事を誘う、そして僕が奢る。僕のお金であいつが食べる、僕のお金で……」
その直後だった、うわぁぁぁぁぁぁぁぁーーという叫び声と共に、奈良崎は持っていたスマホを窓ガラスめがけて思いっきり投げ飛ばした。
ガシーン、という耳を塞ぎたくなる音が、窓にひびを入れた。そして、そのまま跳ね返ったスマホは、何箇所かの壁にぶつかったあと、そのまま無秩序の海の上に放られた。
奈良崎の息が上がっていた。
肩で息をしていた。いつしかその眼は獣のように鋭く光を放っていた。握られた両手が震えていた。
しばらくして息が整ってからスマホの元へ歩み寄ると、奈良崎は落ちていたそれをそっと持ち上げた。そして画面を確認する。
——また壊れた。今回は一ヶ月ともたなかったな——
その壊れたスマホをゴミの海のどこかへ放ると、再び埋もれたソファに腰掛けた。
「……」
目線の先に一つのカバン。
そのカバンを、冷たくまっすぐな目で見つめる奈良崎。
まばたきもせず、まるで蝋人形のように、銅像のように、ただただ視線を送り続ける。
荷物だかゴミだかで埋もれるその空間。その海の中でその女性もののカバンは、紐がちぎれていた。そして中からピンクの財布と口紅が顔をだし、側面には何かわからない赤い物体がべっとりとついていた。
ガタンゴトン、ガタンゴトン、ガタンゴトン、ガタンゴトン。
何も知らない電車は、コーポ箕郷の横を通り過ぎ、そしてまた静かになった。
エアコンのウイーン、という音は必死にその部屋を涼しくすべく、奮闘しているようだった。
*
一頻りキザワは言葉を紡ぎ終えると、ふう、と息を吐いたようだった。
「どうだ? 違いが分かったか?」
「どうだって、まあ。それなりってとこかな」
はぁ?
キザワは思いっきり、意味わからない、といったような表情でそう言い放った。
「なんだよ、それなりって。これ書くの、結構大変だったんだぞ……分かった、もういい。一個ずつ説明してやろう。まず100%は可能だ、と言ったところから始めようか」
そういって、キザワの幻影は一つ姿勢を整えた。
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