「小説は懐中電灯」とは、前々から仰ってたことなので何となくニュアンスは感じてはいたものの、本質を捉えていない状態でした。
このエピソードまでは私の考え方と完全に一致しています。人間は五感に近い情報ほど直感的に意味を理解しやすく、文化的な要素が濃くなるほど受け手の能力に依存すると考えているからです。
太古からある踊りや音楽はどんな国の人にも伝わりますが、小説は言語を理解する能力と文化的共通認識を持つ相手でなければ受信機として機能しません。物凄いハードルの高さです。
私達は壊れたラジオに送信しようとしているのではないか? あるいは、一文で鮮明な映像を再生できる高度な受像機のみに送信するべきなのか? これは文章を書く人間にとって永遠のテーマだと思います。
早く続きを書いてください!
作者からの返信
須藤様
須藤様が書かれると説得力がありますね。
なるほど、踊りは確かに五感に直接訴えますね。
壊れたラジオ、高度な受信機。
深いテーマですね、エンターテイメント性を求めるのであれば、ある程度幅広く、様々な形があっても良いという考え方(後々出てきますが、挿し絵を入れるべきか、入れざるべきか)や、純文学の様にひたすら芸術性を求める突き進め方もある。
ただどんな相手を思い浮かべて作品を作るのか、これだけは変わらず大事なことだと思います。
と、色々考えつつも、最後はアマチュア、趣味でやっているのであれば一番大事なのは自己満足なんだよな、という点に落ち着きます(笑)
活字が映像を超える、いいですねー
作者からの返信
坂井様
そうなんです、うまくやればそうなります。