まるで懐中電灯芸術だ
そもそも「映像」で表現したかったものを仕方なく活字に落としたものが小説なんじゃないのか?
だったら、どれだけ頑張っても映像が100%だとしたらそれを活字が超えられるはずがない。良くて引き分け、だいたい60%くらいが関の山だろう。
やっぱり小説には勝ち目はないのだ。
……なのに何故? 何故、小説はこんなにも沢山の人に読まれているのだろうか?
そういえば、世の中には「舞台芸術」という芸能がある。
あれはCGもなければ、めまぐるしく変わるカメラワークもない。
舞台の大道具も所詮はニセモノ。テレビや映画よりクオリティは低いんじゃないか?
え? 安い席でもそんなに高い値段がするの? それなのにわざわざ出向く人が後を絶たないって?
一体何故……。
舞台の背景を変える時だって、その都度真っ暗にして、「今背景を変えてますよ〜」ってばればれじゃないか。テレビや映画だったらそんな間だって必要ないのに。
ただ、その真っ暗な闇からスポットライトを当てられて主人公が浮かび上がると、確かに惹きつけられてしまう感覚はあった、あれは何だろう。その主人公から発せられる、芯の通った声、繰り出される迫力のある演技。
舞台の魅力はその「生」の動きを体感できる点にあるだろう、それはわかる。ただ内容を知りたいだけだったら、やっぱりテレビや映画で十分だ。
それに引き換え小説はもっとひどい。
まるで懐中電灯だ。
闇の中の舞台。そこを小さな光で、一つ一つ照らし出す、そんな懐中電灯なんじゃないか。
真っ暗な観客席に座りながら、真っ暗な舞台を見つめる。
そこに、つぎつぎと照らし出される主人公、風景、事実。それをただ眺める、そんな懐中電灯芸術なんじゃないか、小説っていうのは。これは先ほどの舞台芸術よりもっと分かりにくくて面倒、ひどい有様だ。
やっぱり小説に勝ち目はない、所詮原始的なエンターテインメントにすぎないのだ。
その時、ふと誰かの声が頭の中に届いて来た。
——懐中電灯か……面白い——
とっさに声の主を探すが、辺りには誰も見当たらない。
——だけど、だからこそいいんじゃないか——
私が視線を上げると、目の前に不思議な物体が浮かび上がっているのに気づいた。
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