黒猫と猫
それから言ノ葉は三日ほどで平仮名を読めるようになった。漢字はさすがに全てとは言わないが、小説に出てくるものだけは読むことができた。どれもこれも雪が熱心に教え、言ノ葉も必死に理解しようとした結果である。
「ゴホッゴホッ」
「最近咳多いよね。大丈夫?」
しかし、雪が体調を崩してしまったのだ。ただでさえ白かった肌はさらに青白くなり、言ノ葉を見つめる目も以前のような輝きは無かった。
「ただの風邪だよ」
「熱もあるし、風邪も拗らすと大変なんだから今日は寝てて」
そんな雪を心配して言ノ葉は雪を寝かせようとする。
「でもご飯……」
「僕が作るから」
「猫じゃ無理でしょ。それに煮干無くなっちゃったから手に入れに行かなきゃ」
しかし、雪はなかなか横になろうとはしなかった。それどころか外に出掛ける用意まで始める始末。
「じゃあ今日は自分の分だけ作って食べて!
僕は自分で捕りに行くから」
「でも……」
「大丈夫! 雪に会う前は自足自給してたんだから。雪は自分の心配して!」
「……分かった」
どちらも納得した、という表情ではなかったが妥協案という事で言ノ葉は雪を家に残し、三日前まで過ごしていた森へと向かった。
「誰か居ない?」
懐かしいといっても三日ぶりなのだが、森にやって来た言ノ葉は早速現在の森の状況を把握するべく仲間の猫を探していた。狩りをするにおいて、情報収集は欠かせないし、手柄を分かち合わなければならなくなるが、頭数がそろっていた方が効率もいいのだ。
「あ! あそこにいるの……」
何かを見つけた言ノ葉はそちらに向かって走っていく。そこには言ノ葉と同じ位の体格の猫が二匹並んでいた。
「久しぶりだね! 祠の南西の方を住処にしてる白い猫に茶と白の猫!」
『何? この黒い猫』
言ノ葉の姿をみた白猫がにゃぁと茶白猫の方を見て言った。
『見てくれは三日位前に消えた、祠を住処にしてた黒い猫と一緒なんだけどな』
茶と白の猫もにゃーにゃーと答える。
「どうしたの? ちょっと前まで一緒に狩りしてたじゃないか」
『何言ってるのか分かる?』
『わかんない。同じ猫なのに言葉が通じないとか初めて。気味悪い』
「えっ」
白猫と茶白猫の会話を聴いていた言ノ葉の頭には、どうして? ちょっと前まで一緒に喋っていたのに、気味悪いなんて、といろいろな思いが駆け巡る。しかし、どれも言葉になることはなかった。動揺し、その場に立ち竦む事しかできなかったのだ。まあ、例え口に出したとしても彼らに伝わる事はなかっただろうが。
『気持ち悪い。行きましょ』
去っていく二匹の猫の背を言ノ葉は呆然と見つめていた。彼らの姿が見えなくなるその瞬間まで。
その後他の猫にも何度か遭遇したが言葉は通じず、一狩り終えた満足感も、食事のあとの満腹感も溢れ出る虚無感に飲み込まれて感じること事ができなかった。
「ただいま」
「ゴホッ、お帰り」
気をおとして帰ってきた言ノ葉を雪は満面の笑みで出迎えた。
「言ノ葉、ご飯食べれた?」
「……うん、雪は?」
言ノ葉は雪に心配をかけまいと出来るだけ元気を装って問い返した。安静にしないといけない雪に無駄な心労をかけさせたくなかったのだ。
「食べたよ」
「じゃあ寝てなきゃ!」
「あ、ごめん。……言ノ葉、何かあった?」
しかし、雪も言ノ葉の異変に気がついていた。雪の言葉に言ノ葉は時が止まった様な気がした。静寂が、雪の目が、言ノ葉に襲いかかる。何もなかった、なんて言えない雰囲気。ましてや雪の純粋な目に嘘をつくことは憚られた。ごまかす事の罪悪感に耐えきれず、言ノ葉は諦めて口を開いた。
「……みんな言葉が通じなかった。僕には皆がなんて言ったか分かったのに向こうには伝わらなかった。気味悪いって、気持ち悪いって」
「雪はわかるよね? 僕の言葉」
今にも泣きそうな目で雪を見つめる。猫は感情で涙を流すことは無いが、その目には確かに寂しさ、孤独感、懇願など様々な思いが渦巻いていた。
「当たり前だよ。気を落とさないで、ゴホッ」
雪は言ノ葉のそんな感情を知ってか知らでか、そう答え言ノ葉を抱き抱える。慈しむように、不安を忘れられるように、優しく、でもしっかりと抱きしめた。
「ありがとう……ごめんね風邪辛いのに。寝ていいよ」
「そうだね。風邪うつっちゃうかもだけど言ノ葉さえよければ、一緒に寝よ」
「うん!」
言ノ葉はさっきあった事など忘れ、その日一番の笑顔で雪に抱えられたまま一緒に眠った。
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