第8話 我が唯一の望みです

「えー、次に訪れましたのは、国立クリュニー中世博物館でありまして……」


 鶴田は延々と続くつまらない報告を、イライラしながら聞いている。

「国防軍フランス視察報告会」という名目だったが、ほとんどがヌルいフランス観光話だった。自衛隊が国防軍と名を変えて数年、少しは緊張感でも高まるかと思いきや、あいかわらずこんな平和ボケ状態だ。トータスグループの勢力も日々強大になっているというのに。鶴田はイライラするばかりである。


「ここの至宝は何と言っても十五世紀末に作られました六枚の大型タピスリー『貴婦人と一角獣』であります。私も実物を見たのは初めてですが、正に絶品ですな。私は興奮を禁じ得ませんで……」


 正面のスクリーンにそれらしい絵が映し出される。中央に貴婦人らしく着飾った女性と傍らに箱を持った侍女、右側におだやかな表情の一角獣、左側にはなぜか舌を出した獅子がいる。背景全体が赤っぽくて、草花だの小動物だのが点々と描かれている。貴婦人の後ろに描かれているのは大型テントだろうか。それにしても、何がいいのか鶴田にはさっぱり分からない。何が興奮を禁じ得ないだ。軍人たるものこんな古くさい絵なんかで興奮するなと言いたい。先日自分が見た重力波相殺装置のような、明日の戦力になるもので興奮すべきであろう。


「中でも最も大判なのは今映しております『我が唯一の望み』という題が付けられているものです。謎めいた貴婦人の仕草が、想像力をかき立てるではありませんか。宝石を箱から出して身につけるところか、外して入れているところか……」


 鶴田は貧乏ゆすりをする。どうでもいいから早く終わってくれ。一角獣か……そういえばユニコーンと名付けられた開発中の兵器があったが、あれはどうしたろうか。開発を担当して今は防衛省を辞めてしまった女性は、何となくあの貴婦人に似ていなくもない。

 長い報告会が終わった後、鶴田は開発部門に連絡をしてみた。


「おい、あのユニコーンはどうなってる?」

『はい? あの開発を中断したロボットですか? 倉庫で眠ってますが』

「うちのセクションで開発を続行したい。ハードウエアはできているから、あとはプログラムを改善すればいいはずだ」


 陸戦兵器ユニコーン。それは一見すると白馬なのだ。しかし攻撃命令が下されると、額から角が生え、あらゆる障害を越えて突進し、目的物を破壊する。角は差し替え可能で、機銃もパルスレーザーもレールガンも、あるいは殺傷用の刃物も装着できる。開発が中断されたのは、担当女性がユニコーンに情が移ってしまい、殺戮兵器として完成させる意欲をなくしたからだと言われる。しかし、そもそも企画したのがその女性だったというから、ずいぶん勝手な話ではないか。


『あのう、鶴田本部長』

「どうした?」

『確認したところ、ユニコーンがいません。行方不明です』

「なんだって?」


 倉庫に眠っているものが勝手に動くことはありえない。


「起動しているのか?」

『分かりません』

「あとでコントローラーを受け取りに行く。GPSを積んでいるはずだから、通信が取れれば居場所は分かるだろう」


 あの女なら、ユニコーンを処分するために呼び出しをかけかねないな、と鶴田は思った。ある日時が来ると起動するようにしておくのは難しくない。それにしても優秀な人間だったのに惜しい。名前は三富弥生と言ったはずだ。



 佐倉も神野も残業していた。佐倉がパソコンのモニターを見ながらため息をつく。


「ああ……」

「どったの?」


 神野もモニターから目を離さず訊く。


「駅前の限定スイーツ、昨日までだったんです。いつでも買えると思って買ってなくて」


 神野があきれて佐倉の方を向いた。モニターにはもちろんそのスイーツのサイトが映っている。


「あんたね、仕事してると思ったらネット見てるのね!」

「だってぇ、うちパソコンないんですぅ」


 佐倉がふと見ると、神野の顔一面にうっすらと毛が生えていた。


「神野さんの顔……あっ、もしや」


 佐倉は神野のパソコンのモニターをのぞき込む。案の定、半裸の男同士がからむマンガの一シーンが見えた。


「あー、神野さんも仕事しないでそんなフケツなもの見てる」


 神野は顔をしかめる。


「……いちいちカチンと来るんだけどさ、そういう言い方。愛を交わす行為のどこがフケツなのか説明しなさいよっ!」

「だってぇ……」


 その時、佐倉の内線電話が鳴ってドキッとする。やはり地下からだ。佐倉は上目遣いに神野を見る。


「あのう神野さん、電話に出てもらえませんか?」

「出てどうするの?」

「佐倉はもう帰ったと伝えて下さい」

「分かった」


 神野が素直に従ったので、佐倉は少し驚く。神野は受話器を取った。


「はい……はい……佐倉はもう帰りました」


 やはり持つべきものは頼れる先輩だと佐倉は喜ぶ。


「……って言って下さいと言いつつすぐ隣にいますが」

「ええっ、そんなっ!」


 神野は受話器を差し出して佐倉の方を向く。


「はい、代わってだって。宇賀神指令よ」

「ひっどーいっ!」


 佐倉は受話器を受け取る。


「もしもし……」

『何で居留守の段取りもうまくできないんだっ!』

「だってぇ……」

『それより亀の湯のセンサーに異常反応がある。建物周囲を偵察してきてくれ』

「どんな異常なんですか?」

『兵器と見られる電気信号を放っている機械が近くにある。つまり戦車とかだ。ちなみに監視カメラには何も映っていない。何かにカムフラージュしている可能性もある。それを確認してほしい』

「そんな……兵器を探すなんて平気じゃないです。危ないです」

『奴らは通行人に襲いかかるようなものは仕掛けてこない。大丈夫だ。行け』

「えー、夜道は危ないですぅ」

『うちは女性向けの護身グッズも扱ってるだろ。実践だ。ツベコベ言わず行けーっ!』


 そう言って内線は切れてしまった。佐倉はまた上目遣いに神野を見る。


「あのう、代わりに偵察に行っていただけますか? 狼さんって強いでしょ」

「あー、私は無理」

「どうしてですか?」

「任務忘れて男湯覗きたくなっちゃうから」

「……変態じゃないですか」

「とにかく私、指名されてないもんね。これはあんたの仕事だよ。行ってきなちゃい」

「ひどいっ」


 佐倉は護身用の催涙スプレーだの防犯ベルだのを身につけ、嫌々外に出た。

 亀の湯の正面道路は特に変わったことはない。まだ夜遅いわけではないので、亀の湯はイケメンが時々出入りしている。見とれるわけにも行かず、道を回って裏手に出た。以前、神野と弁当を食べた日本庭園風の植え込みと小さい池がある公園だ。広くはないが奥の方は背の高い木もあって、その下はかなりの暗がりになっている。何となく怖いので、さっと見て帰ろうとした。その時、何かガサッという重い音がした。思わず音の方を見てしまう。暗がりの中に、白いものがぼんやり見えていた。


「いっ……」


 人ではなさそうだが、思わず催涙スプレーのボトルに手をかける。次の瞬間、それが姿を現した。白い馬だった。


「えっ……う、馬?」


 街灯が少ないので、よくは分からないが、馬はじっと佐倉を見ている。携帯で宇賀神に連絡しようかと思ったが、今ここでそういうものを使うことは、何か馬を刺激しそうでためらわれる。


「なぜそんなところにいるの?」


 佐倉は話しかけたが、馬が答えるわけもない。ただ、それはゆっくり近づいてきて、すぐそばまで来ると止まって、頭を下げた。甘えているような感じだ。佐倉はどうしていいか分からず、動物だからという理由で、とりあえず頭を撫でた。


「こまったなあ……私、馬の世話知らないんだけど……よしよし」


 とりあえず撫でているだけではどうにもならない。佐倉は携帯を出した。


「ちょっと待っててね、今何とかするから」


 何とかってどうするのか分からないが、とりあえず宇賀神にかける。


『どうした?』

「裏の公園に白い馬がいました」

『そいつだ。それは多分馬じゃない』

「ええっ? どう見ても馬ですよ」

『馬ならそんなところにノコノコ来ないだろ。とにかく今からそれを破壊しに行く』


 破壊ってこの馬を殺すことではないか。佐倉は慌てる。


「えっ、ちょっと、そ、それはダメですよ」

『なぜだ?』

「だ、だってかわいそうで……」

『だからそれは馬じゃないと言ったろバカモノ!』


 佐倉は思わず馬の方を見る。馬も佐倉を見ていた。悲しそうな目をしていると思った。佐倉は必死に考える。


「あの、だから、その……ここで壊して……爆弾だったらまずいじゃないですか」


 しばらく間が空いた。


『……ふん、それもそうだな。爆発物が仕掛けられている可能性はある。よし、とりあえずその馬を刺激しないように、広い場所に移動させよう。そこで待ってろ』


 そう言って電話は切れた。佐倉はため息をつく。


「とりあえず助かったよ、よしよし」


 馬はおとなしく佐倉の傍らに立っている。何となくかわいいなと佐倉は思う。数分後、檻を乗せたトラックが公園前に来た。普段FS部隊にいる何人かが降りてくる。リーダーの工藤千絵が駆け寄ってきた。


「佐倉さん、お疲れさまです。その白馬は連れて行きます」

「あの……どこに連れて行くんですか?」

「十キロばかり走ると広い河川敷があります。そこでやっちゃいましょう」

「……」


 やはり破壊してしまうのか……佐倉は何だか悲しくなる。それから数人がかりで馬を連れて行こうとするが、何かを察しているのか、かなり抵抗した。それどころか、時々佐倉の方を見ては、佐倉に体を寄せようとする。まるで守ってもらおうとしているみたいだった。


「この馬、佐倉さんになついちゃってますね。とても兵器には見えないなあ……」


 工藤は顔をしかめる。


「実は普通の馬じゃないんですか?」

「残念ながら……センサーの反応は間違いないです。これはロボットですよ」

「そうなんですか……」


 それでも、助けたいと佐倉は思っている。とはいえ、自分の権限で助け出せるものでもない。困っていると、声をかけられた。


「佐倉さんが、この馬を誘導してみて下さい」

「え?」


 試しに佐倉が連れて行くと、馬は素直に歩いていった。それでもトラックの檻に入ろうとはしない。


「やっぱり私でも無理ですよ」

「じゃあ、檻はやめて、普通のトラックの荷台に、佐倉さんが一緒に乗って下さい」


 トラックを入れ替えて、佐倉は馬と一緒に荷台に乗った。続いてFS部隊数名が乗る。このままでは馬を破壊する現場を見ることになってしまう。それにロボットといえ、自分がこの馬を騙しているみたいで、それが辛い。トラックはゆっくり走り出した。



 「亀の湯対策本部」では、ユニコーンのコントローラを前に、いつもの三人が集まっている。


「うむっ、亀の湯から離れて行くではないか。せっかく好都合だと思ったのに」


 鶴田は不満そうに言って、携帯を手に開発部にかける。


「プログラムはまだか? ……もうすぐだと? 早くしろ。時間がないぞ」

「コントローラだから、普通にユニコーンをリモートコントロールできないんですか?」


 羽尾が訊く。携帯を切って鶴田が答える。


「こいつは違うんだ。ミッションを送って自律行動させる形なんだ。コントローラでできるのはミッションを組んで送ることだけだ。ミッションはもう組んである」

「亀の湯破壊ミッションですか?」

「トータスグループ皆殺しだ」


 鶴田はイヒヒヒと笑った。


「残忍な……」

「問題は先にユニコーンそのものの更新プログラムを送らないと、ミッションが正しく動かない……言うなれば、まずOSを送るようなものだよ」

「今のOSは何ですか?」

「『馬』じゃないか?」


 ここで横瀬が口を挟む。


「皆殺しでも何でもいいので、今度こそうまくお願いしますよ」


 鶴田は横瀬をにらみつける。


「それより防衛省のヌルい連中をしばきあげるような法律を作れよ。おフランスなんかで遊んできやがって……」

「フランスならモン・サンミッシェルってところがいいですよ。世界遺産です。パリだったら月並みですがルーブル美術館ですかね。いいですよぉ。ダヴィッドが描いたナポレオン一世の……」

「俺の前で美術館の話をするなっ! ムカムカするんじゃ!」


 鶴田が怒鳴った。そこに外部メモリを持って開発部の人間が来た。


「お待たせしました。更新プログラムです」

「よーし」


 鶴田は不敵に微笑む。



 河川敷は広く、背の低い草が一面に生えている。馬と佐倉とFS部隊を乗せたトラックが到着し、馬が地面に降ろされた。佐倉は馬の傍らに立っている。FS部隊が数名、離れて並んだ。手にはパルスレーザーの銃を持っている。佐倉のすぐ隣に工藤がいる。


「私が合図をしたら、馬から急いで離れて下さい」

「本当に、やってしまうんですか?」


 馬は自分の運命を知らないのか、佐倉の隣でおとなしくしている。


「レーザーですから一瞬で終わりますよ」


 そう言って工藤は、走っていって並んでいる者達と合流した。佐倉は悲しかったが、どうすることもできない。しかし次の瞬間、馬の中で機械が動くような音がした。見ると、頭から一本の角が生えている。FS部隊が動揺した。


「わぁっ!」

「ユニコーンだ!」


 ユニコーンはFS部隊に向かって角を向け、全力で走り始めた。同時に工藤が叫ぶ。


「撃てっ!」


 その声と同時に全員からパルスレーザーが放たれたが、ユニコーンの方が早く飛び退いた。そしてそのまま突進してきて、部隊は蹴散らされた。互いに当たりそうで、誰ももう撃つことができない。ユニコーンはそのままどこかに走り去ってしまった。


「まずい……」


 工藤がつぶやき、宇賀神に連絡する。佐倉は呆然としていた。その時、河川敷にまた別の車が来て止まった。助手席から一人の女性が降りてきた。走ってきて辺りを見回す。それから佐倉に声をかけた。


「ここで白い馬を見なかった?」

「今角が生えて、走っていきましたが」

「角? ……大変だわ」


 そう言って、スマートフォンを出し、何かを操作した。


「あの、あなたはどういう人なんですか?」

「あの馬の飼い主よ」


 女性は画面を見ながら答える。そこに工藤も来た。


「あの兵器の開発者ですか?」


 女性は鋭い目で工藤を見た。工藤は続ける。


「センサーでの電磁波の反応から、生命体ではないことが分かります。さらに非常に危険なことも。今ここで破壊しようとしたところですが、角が生えるなりどこかに行きました」

「……目覚めてしまった。その前に私が停止させようと思ったのに」

「あなたは防衛省の人ですか?」

「元防衛省。開発部にいたわ。名前は三富。確かにあれは兵器よ。私が設計して作り上げたユニコーンという陸戦兵器。でも自分で作っていて恐ろしくなったの。私は防衛省を辞めて、ユニコーンを葬ろうとした。防衛省から脱出させるまではうまくいったのに。システムを遠隔で書き換えられた……」

「ユニコーンはどこに行ったのです?」

「今アクセスして調べてる……」


 そして三富はある住所を言った。それはトータスセキュリティの場所だった。


「それ、うちの事務所です」

「急いで避難させて! 今は殺傷モードよ。あの角で刺し殺される!」


 工藤は離れてまた宇賀神に連絡を取る。佐倉は三富に話しかけた。


「あのう、そのスマフォから止められないんですか?」

「遠隔では無理。あれは自律兵器だから」


 そこに工藤が戻ってきた。三富に携帯を差し出す。


「指令が代わってほしいそうです」


 三富は携帯を受け取った。工藤はそのまま、佐倉に声をかける。


「今から戻ります。パルスレーザーで何とかしましょう。状況によってはFSで上空から狙います」


 佐倉を含め全員が荷台に乗り込む。工藤が電話を終えた三富から携帯を受け取ると、トラックが走り出した。電話はまだ宇賀神に繋がっているようで、工藤はしばらく話していたが、やがて携帯を切った。佐倉は工藤に話しかける。


「指令と何を話したんですか?」

「三富さんの話では、ユニコーンを止めるには本体のボタンを押す必要があるそうです。ただ、殺傷モードでは並の人間では近づくこともできない。近くにいる人間の存在を把握し、行動パターンを推測できるというの。でも、ただ一つ……」


 そこで工藤の携帯が鳴った。


「はい工藤です……もう来たの? 分かりました……」


 工藤は携帯を持ったまま荷台の上を移動し、運転席のガラスを叩く。


「急いで! 本部が危ない!」


 ただ一つ、が何なのか、佐倉は聞くことができなかった。



 宇賀神達がいるのは、爆発物処理室だった。地下施設の中では最も装甲が厚い。とはいえ、本来居室ではないので長いこと入っているわけにもいかない。地上のオフィスにいる人は避難したので無事だった。しかしユニコーンは地下まで降りてきた。エレベーターを降りる行動までプログラムされていた。そして鋭い角は、そこにいる人間だけを狙ってきた。武器で応戦しようとするが歯が立たない。「撃つ」という行為を直前に察知して避けてしまう。鉄製のドアなどは簡単に壊されて破られる。逃げ場がない。死者は出ていないものの、けが人は出ている。応急処置だけはしているが、医療エリアも使えない。とりあえず、爆発物処理室に全員避難した。しかし決して広くはないし、空調にも限界がある。


「まだ近くにいるか?」


 宇賀神が訊く。遠隔端末を持った一人が答える。


「処理室付近にいますが、ユニコーンの判断では、ここは居室とは見なされていないようです」


 ここに侵入されることはなさそうだが、出ることもできない。この処理室は遠隔端末を使ってロックしてあるが、外側からだ。司令室のシステムが破壊されたら、ユニコーンがいようがいまいが出ることができなくなる。処理室の中が暑くなってきた。宇賀神は呻くように言う。


「工藤達はまだ着かないか?」

「GPSの情報からすれば間もなく着きます」


 宇賀神は別の方に顔を向ける。


「けが人は?」

「包帯が足りません」


 確かに、何となく血の臭いがする。宇賀神は額の汗を拭う。


「FS部隊着きました」


 その声で、宇賀神が携帯をかける。


「工藤か? 着いたか? ……そこに佐倉はいるな。出せ」


 オフィスの前に着いたばかりで、いきなり宇賀神の電話に出ろと言われた佐倉は驚く。


「えっ? ……私……ですか?」

「早く出て下さい」


 佐倉は携帯を受け取った。


「もしもし」

『下に降りてユニコーンの停止スイッチを押せ』


 いきなりの命令に、意味が分かるのにしばらくかかった。


「……ええーっ! ぜ、絶対無理ですよぅ」

『お前ならできる』


 佐倉はもう限界だと思って、言いたいことをブチまけることにした。


「指令は人の命の何とも思ってないんです! 特に私みたいに、まだあまり何も覚えていないような……能力が低かったら奴隷のように使っていいと思っているんですね。もうたくさんです!」


 即座に反撃が来た。


『バカモノ! これはお前にしかできないんだ! 工藤から何も聞いてないのか?』


 自分にしかできないという言葉に驚き、怒りのテンションがやや下がる。


「な……何も聞いてませんよぅ」

『ユニコーンが決して敵と見なさない唯一の存在がある。それはバージンだ』

「……私今日スカートですが」

『ジーパンじゃねえ! バージンも知らないのかてめーはっ! あれだよ、ほら、男性経験のないヤツ……しょ、しょ……』

「処女……ですか?」


 こういう場所でそういうことを言うとは思わず、佐倉の顔が赤くなって小声になる。


『うん、それ』

「どうして?」

『知らないよ。三富がそう話した。そう作ってあるんだと』

「指令は処女じゃないんですか?」

『失礼なっ! こう見えても二十代の頃は若手自衛官と婚約までいって箱根で一泊した時に……ってな話はどうでもいいから行け! バージンはお前ぐらいしかいないんだ!』


 そんなことはないと思わないでもないが、あれこれ言うのも面倒だ。


「はあ、分かりました」

『スイッチは背中側の首の付け根にある。穴があるからそこに指を突っ込むとスイッチがあるらしい。佐倉に我々の命を預けた。健闘を祈る』


 そう言って電話が切れた。佐倉は携帯を工藤に渡す。


「工藤さん、私……」

「無事を祈ります」

「あのぅ、工藤さんは……」

「初体験は五年前です。早く行って下さい。司令達がいる処理室の空気が持たないんです」


 佐倉は誰もいないオフィスの中を通り、エレベーターのボタンを押す。地下九階で降りて、長い廊下を歩いた。静かだった。そしてセキュリティカードを使って司令室の自動ドアを開けた。

 中は誰もいなかった。照明も点いているし、システムも生きているようだ。人だけがいない。みんな爆発物処理室にいるのだ。

 その時、奥の暗がりの方で何か白い物が動いた。それは蹄の音を立てて、一気に佐倉の方に駆けてきた。鋭い角がまっすぐこちらを向いている。ユニコーンだ。佐倉は震え上がって声も出せない。あとわずかで串刺しにされると思った時、それは速度を遅めて止まった。佐倉をじっと見ている。それは裏手の公園で初めて見た時と同じ、どこか優しく、甘えるような目だった。


「また会ったね……大丈夫?」


 角は出したまま、頭を下げて甘えてくる。佐倉は首から背中を撫でながら、首の付け根の穴を探す。指で探ると、ちょうど指が潜り込む場所があった。ここに違いない。佐倉は思い切り指を差し入れる。指先がスイッチを押した。ユニコーンはそのまま足を折り曲げて、ゆっくりと座り込み、目を閉じて首を地面に降ろした。システムが停止したのだ。佐倉はため息をつき、携帯を出して連絡を取る。


「佐倉です。終わりました」



 爆発物処理室の全員が助け出され、その後地下司令室に三富がやってきた。停止しているユニコーンの傍らにしゃがみ、首や背中を撫でた。


「これはもう、このまま永遠に眠らせましょう。二度と動かないように」


 三富はそう言って、ユニコーンの角を取り外した。


「とりあえず、これが人を殺さなくてよかった……これはね、見かけよりもずっと恐ろしい兵器なの」

「あのう……三富さん」


 そばにいた佐倉がおずおずと聞く。


「何?」

「なぜその……あの、ユニコーンを、あの、処女に弱いロボットにしたんですか?」


 訊きづらそうに言う佐倉に、三富は微笑んだ。


「ユニコーンの伝説がそうだからよ」

「……それだけですか?」

「もちろん違うわ」


 三富の微笑が消える。


「私がそうでなければならないから……」

「え?」

「国防軍で、私はずっと兵器の開発をしてきた。私の開発した兵器で大勢の人が死んだの。女性も子供も死んだわ。あなたも知ってるでしょ? 国防軍は国を守るだけじゃない。大国の要請で海外の戦場に派遣されたわ。そこで実際に兵器を使ったのよ」


 三富はユニコーンを撫でながら続ける。


「私は幸せになってはいけない。子孫など残してはいけないの。そして私は誰とも愛し合わなかった。私がバージンでなくなったら、ユニコーンを止める者がいなくなる。この恐ろしい兵器を、私だけは確実に止められなければならない。そう思って、私は誰とも交わらずに生きてきた……それを宝物みたいに持っていたし、今も、この先も持ち続ける」


 三富は、手に持っている角の中から、細く丸めた紙を出した。それを広げると、一枚の絵が描いてあった。赤みがかった背景にいくつもの草花や小動物が描かれている。そして中央には貴婦人、その傍らには穏やかな顔の一角獣。


「角の中に隠してあるの。中世フランスののタピスリー『貴婦人と一角獣』の最後の一枚。『我が唯一の望み』の複製画よ。この貴婦人が私というわけじゃないけれど、ユニコーンは私に宝石をくれた。罪を償うための宝物をね」


 確かにその絵は、貴婦人が宝石箱から宝を出しているところに見える。


「私は死ぬまで、この宝物を離さない……」


 そう言って三富は、寂しそうに微笑んだ。

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