第7話 モグラ作戦です

 佐倉はFS部隊に配属されたが三日で異動になって、一階のオフィスに戻された。それについて、地下の中央司令室では宇賀神と蒲原がぼそぼそと打ち合わせている。


「つまり、前の活躍はまぐれだったということか?」

「いいえ、まぐれならば潜在能力の期待もできるのですが……」

「じゃあ何だ?」

「どうも佐倉は三つ以上のガジェットの操作は無理なようです。先日はグリップと引き金だけでしたからね。もう一つ何か加わると混乱してしまいます。押さなくていいボタンを押して、入れない方がいいスイッチを入れてしまうんです」


 宇賀神はそれを聞いてテーブルに突っ伏した。


「未開人かあいつは……」


 一方佐倉は、お気楽に上のオフィスでデスクワークをしていた。先日、水無月にほとんどの機器を切断破壊されたので、ほとんどが新しくなっていた。パソコンも早くて快適だ。ネットを見ながら隣の神野に声をかける。


「ねーねー神野さん、亀の湯斜め前のタイ料理屋、明日オープンですよね?」

「仕事中に何やってんのよ」


 佐倉の見ている告知ページを横目で見ながら言う。


「えー、だってもうすぐお昼だしぃ」

「あそこまた工事してたよ。タイ料理屋はできないみたい」

「へ? ずいぶん前から宣伝してるのに……」


 昼休みに二人で亀の湯前に行ってみた。亀の湯の斜め前には新しい四回建てのビルが建つはずだったが、確かにまだ建物工事中になっていた。見たところビルではなく瓦屋根など使って妙に日本風の外観だ。しかも大きい。


「料亭でもできるのかな……」


 神野がつぶやく。佐倉は関心もそこそこに、亀の湯の方を見ていた。


「ねえ神野さん、こんな銭湯、壊すのなんて簡単なんじゃないですか? 見たところ普通だし」


 その声で、神野も亀の湯の方を向く。


「ふん、普通に見えてそうじゃない。センサーと防衛機器が山ほど付いているんだよ。ちょっと見てて」


 そう言うなり、神野はバッグから持ち手の付いた手榴弾を出した。佐倉が驚く。


「えっ、な、何でそんなもの持ってるの?」

「気持はいつでも戦場」


 神野は安全ピンを抜いて、亀の湯に向かって思い切り投げた。センサーが反応し、どこかから餅のような白い粘ついた塊が発射され、手榴弾を包んだ。直後に鈍い爆発音が起こり、餅が風船のように膨らんで、それはそのまま地面に落下した。亀の湯には傷一つ無い。


「へえ……すごい!」

「まあこんなもんよ」


 しかし佐倉は急に顔を曇らせた。


「神野さん、私、恐ろしいことを思いつきました……亀の湯が潰れるかもしれません」

「何? どうして?」

「すぐ近くに同じような銭湯を作って、料金を半額にしたら、お客がみんなそっちに行っちゃうじゃないですか」


 神野は一瞬焦った顔をしたが、すぐ笑顔になった。


「それは大丈夫。ちゃんと法律があるんだ。一定面積あたりの銭湯の数は決められてるの。ここにあれば近くには作れない。あと料金も自治体で統一なんだよ」

「なんだ、そうですか」


 佐倉も安心して笑った。

 その日に法律が改正された。

 数日後に、亀の湯の斜め前に新しい銭湯が開店した。「松の湯」がその名前である。亀の湯と同じく。総檜造りの巨大な和風建築。亀の湯に似ているが、何しろ新しい。それどころか亀の湯と同じようにこの地区に住んでいるイケメン達に格安パスを配り、なおかつ風呂上がり牛乳券まで付けていた。イケメン特区の銭湯を必要とするイケメン達は全員そっちに行ってしまい。亀の湯は閑古鳥が鳴くことになった。

 一週間後に開催された上流社交会は散々で、前回のウサギパンツ騒動以来の荒れた場となり、有沢がパイまみれとなって、また四元が釈明に現れてその場を終えた。

 宇賀神のところには、とっくに有沢からの泣きが入っていた。FSで松の湯を攻撃してほしいと言われたが、FSの攻撃では建物火災を起こす可能性があり、それでは周囲の住宅はもちろん、亀の湯も無事には済まない。従って水無月を使って建物ごと切断することになった。前回の非礼を丁重に詫び、水無月を連れ出して松の湯前に立たせる。


「さあ水無月様、この建物ごとスッパリやって下さい!」


 真剣な宇賀神の要請に応えようと、水無月は目の前に指で三角形を作り、松の湯の建物を覗いた。あとはウィンク一つだけで、建物全てが切断され倒壊する。しかし、なかなかウィンクしようとはしなかった。


「水無月様……早く……」


 普通の人間ならハリセンでしばきながら四の五の言わずに叩き斬れと強要するのだが、相手が危険すぎる。焦る宇賀神をよそに静かに佇む水無月の髪が風にさらさらと揺れた。そして水無月は三角形を解除し、ゆっくりと手を降ろした。


「……できません」

「なぜです? ここは亀の湯を潰そうとする悪の施設です!」

「そうは言っても宇賀神様、ここは民間の銭湯ではなくって? お客を取られたのなら、企業努力もしくは営業努力にてお客を呼び戻すべきと存じますわ」


 そんな小難しい正論を言うとは思わなかった。宇賀神のハリセンが今にも飛びそうになってプルプル震える。


「し、しかし法律を変えてまで、我々を潰そうとしてるんですよ。あの背後にいるのは国家なのです!」

「とにかくわたくしは、民間施設を壊す気にはなれなくってよ」


 そう言って、運転手付きの車に乗って帰ってしまった。残された宇賀神は歯ぎしりをする。それだけでは足りずに近くの電柱をハリセンでメッタ打ちにした。


「あンのやろーっ!」


 水無月の協力拒否で、司令部では対策に頭を抱えていた。名案も出せず、会議はしんみりしている。


「もう一度比較表を出せ」


 宇賀神の指示でディスプレイに亀の湯と松の湯の比較表が映し出される。不明なところもあるが、浴槽の種類、施設、床面積、内装、全て同等かあるいは勝てない。会議室に低いうめき声が上がる。


「内装の写真はないのか?」

「残念ながらありません」


 厳しい顔で表を見ていた宇賀神が、ふと気がつく。


「待て、亀の湯は温泉じゃなかったのか?」

「まさか。元々普通の銭湯ですよ。水道水と化石燃料を使ってます。それは松の湯も同じです」

「……温泉にできないか?」

「はぁ?」

「ちょうど開発中の地下推進機がある。温泉を掘り当て、亀の湯を天然温泉にすれば勝てる!」

「この下に温泉がある保証はないですよ」

「やってみなけりゃ分からん」

「松の湯も同じことをするのでは?」

「地下での活動など、いくらでも阻止できる。誰にも見えないからな。他に意見は?」


 誰も何も言わない。


「じゃあ決まりだ」


 宇賀神が立ち上がろうとした。


「ちょっと待って下さい。思い出したことがあります」


 参加者の一人が手を挙げていた。


「何だ?」

「この地域では、地下に龍神がいるという伝説があるのです。あまり刺激しない方がいいのでは?」


 宇賀神はそれを聞いて鼻で笑った。


「それは逆に好都合だ。龍神とは水脈のことだからな。温泉に当たるかもしれない」


 水脈なら単なる井戸水ということも大いにあり得るのだが、宇賀神の頭は湯気の立つ温泉でいっぱいだった。

 地下推進機は、亀の湯が地下からテロに襲われることを想定して開発されていた。リモートコントロールもできるが、ユニットを付ければ人間が乗って移動もできる。ドリル状の掘削機が付いていて、地中を掘り進む。会議から三日後に、二台の試作品のうちの一号機を垂直に地下に向け、リモートコントロールで発進させた。温泉を掘り当てた場合の準備もしてある。

 一号機の操作は蒲原が行うことになった。やっと松葉杖が取れたところだ。


「深度五百メートル」


 コントローラーを操作しながら、蒲原が報告する。ディスプレイの数値やグラフが動いているのは分かるが、何がどうなっているのかは宇賀神にはよく分からないし興味もない。


「まだ出ないのか」

「地下千メートルは行かないと無理でしょう」

「早く出ないのか」

「まだ五百を過ぎたところですから」

「そろそろ出ないもんかな」

「少し静かにしててもらえませんか?」


 パッカーン!という音とともに、宇賀神は蒲原にハリセンを浴びせていた。蒲原はコントローラーの椅子から転げ落ちる。


「あいでででで!」

「す、すまない蒲原。つい、いつもの調子で……」


 つい先日まで怪我人だったので、さすがに宇賀神も反省する。蒲原がコントローラーの椅子に這い上がって元のように座った。ディスプレイを凝視して顔をしかめる。


「宇賀神指令、今何かやりましたか?」

「お前を張り飛ばしてしまった」

「そうじゃなくて、このコントローラーです」

「別に……もしかして何か見つかったのか?」


 もしや温泉かと宇賀神はやや期待する。


「いいえ、降下速度が速すぎます……というか、これ、落下してます」

「落ちてる? 土の中なんだから落ちようがないだろ」

「じゃあ計器の故障か……あるいは、地下に空洞があるのかもしれません」

「空洞だって? 地下世界か?」

「超音波センサーは……距離が出てません……空洞です。まだ落下してます。深度七百を突破。加速してます!」


 亀の湯の地下五百メートル近くに、空洞があるということか。


「まずい、降下を止めろ! ワイヤーを使い切ったらそのままブチ切れて落ちっぱなしになるぞ!」


 蒲原がうなずいて、機器を操作する。


「一号機を緊急停止。ワイヤーでブレーキをかけました」

「よし」

「空洞だとしたら想定外ですね」

「そうだな。外を見ることはできるか?」

「光学モニターに切り替えます」


 蒲原は操作したが、小型ディスプレイに映ったのは暗闇だった。


「照明はないのか?」

「照らしてますが……照明の光が届かないぐらい大きな空間ではないかと」

「これは温泉どころではないな……」


 宇賀神はため息をつく。空洞には興味はあるが、今はそれどころではない。温泉の方が大事だ。その時、モニターを点々とした光の列が横切った。点は五十個ぐらいあり、うねりながら長く続いていた。


「おい蒲原! 見たか? 今のはなんだ?」

「見ました……深海なら発光生物でしょうけど」


 蒲原の声は理性的だった。


「実は空洞じゃなくて、地下水の中じゃないのか?」

「圧力計を見る限り……それはないです」

「じゃあ、あいつが空洞内を飛んでいるというのか?」

「分かりませんが、まあそうでしょう」


 蒲原は投げやりで、あまり興味がなさそうだった。宇賀神は反対に、気になってしかたがない。


「人工物かもしれないな」

「宇賀神指令、温泉はどうするんですか?」

「次の社交会までに何とかすればいい。今すぐにというものでもないだろう。それよりあいつが気になる。地下推進機はもう一台あったな。人間を乗せて降下できないか?」

「ユニットを付けて慎重にやればできなくはありませんが」

「じゃ、あたしが行く」

「ダメです! 指令がいなかったら、ここがまとまらないでしょう」

「じゃあFS部隊から誰か出せ」

「人材は一人たりとも余裕はありません。我々の任務は亀の湯の防衛です」

「じゃあ誰が行くんだっ!」


 宇賀神は不満そうに腕を組む。



「なんで私がそんなことを!」


 佐倉は既に半ベソをかいていた。地下に呼びつけられたと思ったら、変な乗り物でさらに地中に潜って、窓の外に蠢くヤツの映像を撮ってこいと言う。


「大丈夫だ。操作は全部上でやるから、対象を見つけたらビデオカメラで撮るだけだから。頼むよ佐倉ちゃん」


 宇賀神がなだめるように言う。いつもの命令口調ではないのは、温泉を掘り当てるという本来の目的から外れているからだ。


「カメラも上からやればいいじゃないですかぁ」

「駆動モーターが遅すぎるんだ。対象物に追いつかない。人間の目と手でやるのがベストなんだよ」

「でもぉ……」

「佐倉、ボタンは一つだ。前のFSでの出撃と同じだ。お前なら大丈夫だろう」


 蒲原までそういうことを言う。パワハラで訴えてやると思ったが、謎の地下空洞に蠢く謎の物体となると、佐倉としても若干の興味がなくはない。


「じゃあ……しょうがない、行きますぅ」


 一号機が引き上げられ、その間に二号機には人間が乗り込むユニットが付けられた。ユニットは回転できる球体になっているため、機体がどの方向を向いても人は重力に従った向きで座って操縦できる。佐倉は断熱服を着て乗せられた。掘削機は既に下を向いている。佐倉が座ると側面ガラスが目の前だった。ヘッドホンをすると、蒲原の声が聞こえた。


『手にビデオカメラは持っているな?』

「はーい」

『録画はどのボタンか分かるか?』

「はい、大丈夫です」

『一度推進機が通った道を行くので、かなりの速度で降りていくはずだ。気圧は調節される。若干変化すると思うが心配するな』

「はあ、はい」

『では、降下!』


 カウントダウンもなくいきなり下に向かって動き出した。足下で回転する掘削機の振動が伝わるが、掘り進んでいる感じではない。既に最初の推進機が穴を開けているから、そこを通っている。エレベーターで降りているような感じだ。ガラス面の向こうは土とも岩ともつかないものが高速で上に流れている。見ていると酔いそうだ。


『あと一分で問題の場所だ。変化がなければ、一号機のセンサーがイカレていたことになる』

「了解です」


 一分ぐらいして、急に目の前に流れる岩や土が消滅して、ガラス面が真っ暗になっていた。続いていた振動もなくなった。


「ええと、目の前が暗くなりました。何も見えません」

『では投光器を点ける』


 ガラス面の向こうに向けて、光が放たれるのが分かった。何か細かい白い点が浮遊しているようだが、あまり気になるものでもない。


『どうだ?』

「ええと、同じです。暗闇です」

『マニピュレータで前方の空間が確認できるか?』

「ええと、どうやって使うか知りません」

『そうしたら説明するが……』


 その時、遠くから近づいてくる光の列を見つけた。うねりながら接近してくる。


「あ、あの、何か見えます。光の点です」

『何っ? よし、カメラで撮影!』

「了解」


 佐倉は蠢く光の点にビデオカメラを向けて、録画ボタンを押した。カメラの小さいモニターにはやや違うものが映っていた。光の点だけでなく、蛇のような胴体がうっすらと見える。佐倉は背筋がやや寒くなる。こんなところで蛇に会うのは嫌だ。


「あ、あのう、生き物が映ってます」

『超高感度カメラだ。ちゃんと追ってくれ』

「はい……」


 そうは言っても何だか手が震えてしまう。胴体ばかりで頭が見えないと思っていると、光がやや集まっているところが一瞬見え、それは推進機の下の方にもぐっていった。あれが頭だろうか? カメラで追うかどうか迷った次の瞬間、モニターにいきなり爬虫類の頭が映った。しかもいくつもあって円形に並んでいた。さらにその中心には、白い毛の生えた人間とも動物ともつかない醜い顔があって、こっちを見ていた。あまりのことに声も出ない。モニターから目を外し、窓を見ると目の前に同じ物があった。要するにこの生き物は窓から中を覗き込んでいた。しっかり目が合ってしまった。


「あっ……あっ……あっ……」

『どうした佐倉』

「窓に顔が……ありますぅ」

『こっちのモニターでは暗くてよく分からない。カメラで撮っているか?』

「は、はい……こ、怖いですぅ……」

『相当の圧力に耐えられる機体だ。生き物ぐらいで壊されることはない』

「でも、気持ちが悪いですぅ」


 カメラを持つ手が激しく震えている。中央の顔が、窓に顔を押しつけてきた。顔の形が歪む。余計気持ちが悪い。口元がにやっと笑った気がした。


「ひいいいいいい嫌だよぉ……」


 佐倉は泣きそうになりながらも、震える手でどうにかカメラを向けている。次の瞬間、唐突に顔が飛び去った。光の列もそれを追って去っていった。窓の外は暗闇に戻った。


「あの……いっちゃいました」


 佐倉は汗をかいてまだ震えていた。


『そうか、じゃあ引き上げるぞ』


 推進機が上の方に動き出すのが分かり、佐倉はホッとした。



 宇賀神は佐倉からビデオカメラを受け取った。


「まさかカメラを向けてただけで、録画ボタンを押してないなんてことはないだろうな」

「い、いえ、まさかそんな」


 そんなお笑いマンガみたいなことはしてしない。早速蒲原も立ち会って再生した。問題の光の点を映し始めたところで、既に画面がぶれててよく分からない。宇賀神は顔をしかめる。


「ヤツの動きはなかなか激しいようだな。よく分からんぞ」

「気圧からして、そんなに激しい動きができるとは思いませんが」


 蒲原が冷静に言う。怖くて手の震えも相当なものだったが。

 窓に醜悪な顔が張り付いたところでは、対象はほとんど動いていないはずだったが、画面は常にぶれててこれもよく分からない。宇賀神はそれを見て苛立つ。


「おい何だこれば? 顔みたいなのは分かるが、何が映っているか分からないじゃないか!」

「あのぅ、怖くて震えてましたもので……」


 佐倉は蚊の鳴くような声で言った。宇賀神のハリセンが飛んでくると覚悟したが、なぜか飛んでこなかった。


「蒲原、カメラに手ぶれ補正は付いていたのか?」

「付いてましたが……多分スイッチを入れ忘れてます」


 パッカーン!という音とともに、蒲原がハリセンで飛ばされ、椅子から転げ落ちた。


「あいでででで……」

「お前が悪い! 今回はお前だ! よし佐倉、手ぶれ補正をオンにしてもう一度行くぞ!」

「ええーっ! そんなぁ……」


 佐倉はたちまち半ベソになる。


「宇賀神指令! いい加減にして下さい!」


 蒲原が怒りながら椅子に這い上がる。


「我々の目的は地中の生き物じゃありません。亀の湯の防衛。松の湯に対する対抗措置でしょう。地下探検している暇はないんです!」


 宇賀神は反射的にハリセンを振り上げたが、その手が止まって、下に降ろされた。


「……うん、それもそうだな。よし、佐倉は戻ってよし。温泉掘り以外の対策を考えよう」



 司令部でまたまた会議をしているが、なかなかいい案が出ない。


「地下推進機があるなら、下から松の湯をぶっ壊せばいいじゃないですか!」


 一人が言ったそれは名案と思われたが、宇賀神に否定される。


「いや、それはマズい。推進機が目撃され捕まろうものなら、民間施設を破壊したかどで、ここが公安に踏み込まれる。今までどんな兵器を使ってもそうした事態がなかったのは、あくまで国家の側が先にこちらを攻撃して、それに対する防衛行為だったからだ」

「では、こちらから破壊活動はできないと……」

「そうなるな……水無月がやってくれたなら証拠が何も残らなかったのだが……」

「そうだ、水無月さんを怒らせて、全員松の湯に逃げ込むのはどうでしょうか?」

「じゃ、まずお前が怒らせてみてくれ」

「嫌です」


 逃げ込む間もなく斬られるに決まっている。再び全員頭を抱えた。しばらくして宇賀神が苦しそうに呻いた。


「うううう……」

「呻いてもいいアイディアは出ませんよ」

「違う……誰か腹壊してるだろう」


 全員が顔を見合わせる。宇賀神がいきなり立ち上がった。


「この異臭が分からんかバカモノ! 早く空調を最強にして換気しろ!」


 空調スイッチ近くの者が慌てて立ち上がり、調節した。空調の音が響き、宇賀神は再び座った。


「まったく健康管理ぐらい……待てよ……そうか、異臭騒ぎだ。社交会の日に松の湯で異臭騒ぎを起こせばいい!」


 宇賀神は目をぎらつかせて全員を見渡すが、反応は今一つだった。


「どうやって?」


 宇賀神は微笑した。


「社交会前日に暴飲暴食をして腹を下し、松の湯に行って湯の中に汚物を発射しろ!」


 あまりのどうしようもなくバッチイ作戦に全員愕然としたが、宇賀神は大まじめだった。


「し、しかし……我々が行けるのは女湯です。亀の湯に来るべきイケメンが集うのは男湯です」

「誰か性転換しろ」

「そんなの無理です」


 宇賀神は唇を噛む。


「うーん、男女の湯は繋がっていないのか? 銭湯では時々あるが」

「それは分かりません」

「じゃあまず偵察を出そう……」


 会議はそれでひとまず終わった。


 

 神野がネットで検索した画像にそれらしいものがあった。


「あ、神野さんこれです。私が地下で見たモンスターに似てます」

「ナーガ? これはインドの蛇の神様だよ」

「でも怖い顔があって、そこから蛇の頭がいくつも生えているんです。それで体も長いんです。これです」

「インドじゃあるまいし、日本の地下にどうしてこんなものが……」


 神野はしばらく黙っていた。ナーガをじっと見つめたまま何かを考えている。なかなか頼もしい姿だと佐倉は思った。


「ねえ佐倉」

「はい」

「インドカレー食べたくない?」

「へ?」

「いや、インドインドって言ってるとさ、私はインドカレーしか思い浮かばないんよ」

「今ずっとそれを考えてたんですか?」


 佐倉はややあきれる。


「ちなみに私の好きなのは、ほうれん草を裏ごしして入れて緑色になっている……」


 そこで佐倉の机の内線電話が鳴った。司令室かららしい。取りたくないけど取らないわけにもいかない。


「はい佐倉です」

「宇賀神だ。さっきはご苦労だった。ひとっぷろ浴びてきなさい」

「はい? 亀の湯ですか?」

「松の湯だ。偵察に行け。神野と行ってもいい。重要なポイントは一つ。湯が男女で繋がっているかどうかだ」


 佐倉は神野と松の湯に行くことになった。お風呂セットは近所で調達した。二人で松の湯まで歩いていく。年季の入った雰囲気のある亀の湯に対し、松の湯はできたてで新しい。既に営業中で、入り口の前に立つだけで、桧のいい香りがする。


「ありゃあ、こりゃ勝てないわ……」


 神野がつぶやく。


「とりあえず入りましょうよ」


 佐倉は偵察ポイントだけ押さえればいいと思っているので、大いに楽しむ気でいる。勤務時間中に風呂などなかなかいい。

 入ってすぐがフロントだった。女湯は標準価格だ。男の湯も標準価格なのだが、亀の湯に来るべきイケメンには格安パスが配られ、風呂上がり牛乳までサービスだ。


「男女差別もいいとこね」

「亀の湯だって似たようなもんじゃないですか」


 佐倉達がお金を用意している間に、何人かイケメンが出入りした。なかなか繁盛している。社交会のモニターでは見たことがあるが、実際に若い美男を目の前にすると、佐倉も少しドキドキする。話しかけられたらどうしよう。


「ほら、何見てんだよ。行くぞ」


 神野が腕を引っ張る。


「あ、は、はい……」


 中に入ると、女湯のお客は数名。脱衣所で服を脱いで、タオルを持って入る。空間が桧の香りと、温かい湯気に満たされている。佐倉は思わず鼻から息を吸い込む。


「うわぁ、何かいいですね、ここ」

「女湯も手を抜いてないね。亀の湯の女湯はショボいんだよね」


 かけ湯をして、二人で湯船に入った。広い浴槽とたっぷりのお湯。熱過ぎずぬる過ぎず実に心地よい。


「はぁ~極楽極楽」

「ねえ佐倉、任務忘れてない?」

「へ? あー浴槽が繋がっているかどうかね、はい、繋がってません。任務終わりー」


 まったりした口調で言う佐倉に、神野はややあきれる。


「あんた、見かけによらず神経太くない?」

「えーそんなことないですぅ。結構傷つきやすいですぅ」

「傷つきやすいなんて、自分で言うもんじゃないって」


 少し離れたところの湯船が泡立ち始めた。


「あ、あそこは泡風呂ですかね?」

「今まで泡出てなかったよ」


 泡がどんどん増えてくる。足下がミシミシと揺れ始めた。


「な、何? なになに?」


 佐倉達が顔を見合わせていると、いきなり浴槽を下から破壊して、何かが飛び出てきた。それを見て佐倉は仰天する。それは間違いなく地下で見たナーガだった。明るい光の中で見るそれは、推進機の鈍い照明で見た時よりも遙かにグロテスクで、ぬめぬめした皮膚の質感がよく分かった。ナーガは湯船から立ち上がっている。座布団ほどの大きな顔は茶色く毛が生えていて、顔からは七つの蛇の頭が出ている。そして長く太い鱗を持つ胴体。全長は見えないが、十メートルぐらいありそうだ。

 佐倉は恐怖で神野にしがみつく。


「ででででででたよぅ」

「なんでここに出るの? あんたを追ってきたんじゃない?」

「ええええうううう嘘でしょ?」


 ナーガがこっちを向いた。佐倉を確認すると、中央の顔が歯をむき出して笑い、ゆっくり近づいてきた。佐倉は震え上がる。


「やだーっ! 来ないで!」


 佐倉は叫んで湯をバシャバシャ浴びせかけ、神野は近くにあった洗面器を投げつけた。それは顔に命中してナーガが一瞬怯んだ。佐倉と神野は慌てて湯船を出て、脱衣所に駆け込もうとするが、振り向いたらナーガが湯船からこっちに飛びかかってくるところだった。二人は慌てて横に飛び退くと、そこをナーガが通り過ぎ、ガラス扉を破壊して脱衣所に踊り込んだ。そこにいた女性客が悲鳴をあげる。佐倉と神野は慌ててシャワーコーナーに隠れた。ここならとりあえず脱衣所からは見えない。


「あのまま外に行ってくれればいいけど」

「でも、地下からあんたを追ってきたんでしょ」

「だからそんなの嫌ですよぅ」


 脱衣所が見えないからどうなっているか分からないが、ズルズルと音がするので、まだいるらしい。


「そうだ、神野さん狼になってやっつけて下さい」

「そう言うと思ったけど、やだよ。あんな気持ち悪いの相手にできない。絶対イヤっ!」


 佐倉は何を思ったか、神野の前で親指を二つ立てた。


「何それ?」

「♪この指パパ、ふとっちょパパ。♪この指もパパ、ふとっちょパパ。♪パパとパパがチュッチュッチュ~」


 適当にそう歌って、親指同士をくっつける。神野の体と顔からうっすらの銀色の毛が生えてきた。佐倉は喜ぶ。


「わ、興奮した。さすが腐女子の鏡!」

「そのアタマからバカにした態度がアタマにくるんだよっ!」

「え? やだ怒ってるの?」

「当たり前だっ! この人類の敵が!」


 神野はそう言って、佐倉をシャワールームから蹴り飛ばした。


「きゃあ!」


 脱衣所でうねっていたナーガが、飛び出てきた佐倉を見つけ、勢いをつけて飛びかかってくる。佐倉は慌てて床に伏せた。ナーガはその上を飛んでいき、桧の壁にぶつかって、そのほとんどが破壊された。その向こうは男湯だった。何の騒ぎか分からず様子をうかがっていたイケメン達が、突然壁を破って出現した怪物に仰天する。


「うわああああ!」

「なんじゃこりゃあああ!」


 何人かは女湯の方に避難してきた。佐倉はタオルを体に巻いているとはいえ、その下は裸なので、その点も赤面ものだが、そう思ってもいられない。とっさに近くに逃げてきたイケメン二人をつかまえる。


「ねえねえ、あいつをやっつけたかったら、私の言う通りにして。お願いよ!」

「ど、どうすんだよ」

「向き合って抱き合って」

「何だって?」

「いいから抱き合って!」


 二人は何のことか分からず、向き合って互いの体に腕を回す。


「キスして!」

「えっ? やだよ」

「いいからしなさいっ!」


 佐倉は二人の頭を手で掴んで、むりやり唇をくっつけさせた。


「むぐぐぐ……」


 そしてシャワーコーナーで様子をうかがっている神野に向かって叫ぶ。


「神野さーん、これよっ!」


 神野の体が一気に変化した。体に巻いてたタオルが飛び散り、四つ足になり、銀色の毛が生え、狼になって高く吠えた。


「わおおおおおおおおん!」


 その声に驚いたナーガが振り向き、神野の狼に飛びかかってくる。狼は歯をむき出してナーガの胴体に噛みつこうとするが、なかなかうまくいかない。もつれ合ったあげく、狼がナーガに巻きつかれてしまった。狼は暴れるが、ナーガの力が強い。


「やだ……神野さんが、どうしよう……」


 佐倉が周りを見回すと、さっきキスをした二人イケメンが呆然と戦いを見ている。佐倉は狼に向かって叫んだ。


「神野さーん! こっちを見て!」


 そう言うと、イケメン二人の腰に巻いたタオルに手をかけて、同時にはぎ取った。


「わぁっ!」

「バカ、何する!」

「わおおおおおおおおん!」


 狼は再び高く吠え、渾身の力でナーガをふりほどいた。そして首に近い胴体に噛みついた。


「ギャアアアアアア!」


 ナーガは叫んで、そのまま自分が来た浴槽の穴から逃げていった。湯は抜け落ちていて、浴槽には残っていない。ナーガの体液ともつかない黒い液体が点々と落ちていた。



 松の湯はナーガによってほとんど破壊され、修復したところで怪物の出た銭湯に客が来る見込みもなく、そのまま閉店となった。亀の湯は元通り地元のイケメン達が通うことになり、社交会も滞りなく行われた。

 この一件で、バッチイ手段を取らずに済んだため、佐倉と神野は全員から賞賛された。二人は地下司令室に呼ばれ、宇賀神が金一封を二人に手渡す。


「よくやった。これは特別ボーナスだ。二人で適当に分けてくれ」


 神野が受け取り、佐倉に言う。


「じゃ、これは私が全部もらっとくね」

「えーそんなのズルいですぅ」


 そう言って佐倉は神野から封筒を取り上げる。


「ナーガと戦ったのは私なんだぞ!」


 今度は神野が佐倉から取り上げる。


「でもナーガを呼んだのは私ですよぉ。ナーガがいなかったら、松の湯はあのままでしたよ」


 佐倉が封筒を取り返し、奪い合いになる。


「でも私が戦わなかったら、あんたは食われてたんだぞ!」

「じゃ半分下さいよぅ」

「私の嗜好をバカにしたからダメっ!」

「ケチ!」

「うるさい人類の敵!」


 二人の奪い合いは当分終わりそうもなかった。



 亀の湯の上の階では、四元が電話で話していた。

「……そう、あの大きさならまだ幼生ね。あんなところにさ迷い出てきたのは不思議だわ」

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