第6話 栄養ドリンクの差し入れです
『ふぎゃーっ!』
制御室のモニターには歯を食いしばる佐倉が映っていて、スピーカーからは佐倉の絶叫が聞こえている。
『ぴぎゃーっ!』
佐倉は円心分離器のような、回転するカプセルの中に乗せられていた。制御室にいる蒲原が、マイクに向かって話しかける。
「佐倉、もう少し回転速度を上げるぞ」
『えええええっ! 嫌ですぅ絶対ダメですぅ!』
「さっきから聞いていれば『ふぎゃー』とか『ぴぎゃー』とか、アニメみたいな絶叫でまだ余裕が感じられる」
『そんなあーっ!』
回転速度が一段階上がった。
『ぶぎゃーっ!』
制御室に宇賀神が来た。
「蒲原、怪我はもう大丈夫なのか?」
「ええ、じっとしてもいられませんから。とにかくFS部隊の強化は急務です」
モニターを見ながら蒲原は答える。佐倉の絶叫にも表情は変えない。
「それで、佐倉に素質はありそうか?」
「あまり無いです」
「じゃあ、少しはあるってことか?」
宇賀神は意外そうな顔をした。
「鈍いってところぐらいでしょうか。例えば敵機を撃ち落としても、中の人間が死ぬことが想像できないとか」
「なるほど。あまり繊細じゃ戦えないからな」
「あと、非常時には案外やるかもしれません」
「ほう、何か秘められた才能があって、きっかけがあると覚醒するとかか?」
「いや、ああいう単純な性格だと、ノリやすいって程度です」
「なんだそういうことか。つまらんな」
「指令はSFアニメの見過ぎか、ラノベの読みすぎではないですか?」
どこかで聞いたような蒲原の言葉に、宇賀神は一瞬イラッとするが、怪我人をハリセンでしばくわけにもいかない。
約一時間後、地上オフィスで髪を乱した佐倉が泣きじゃくっていた。
「その様子だと、FS部隊の訓練を受けたね」
隣にいる神野が仕事をしながら言う。
「なんで分かるんですかぁ?」
「私も同じ状態だったから」
「私、FS部隊なんて絶対無理ですぅ」
「大丈夫だよ。とても佐倉に務まるとは思えない。それより、私これからちょっと外出するんで、留守番頼むよ。オフィスほとんど誰もいないから」
「はあぃ」
佐倉は涙を拭いて答えた。神野はすぐに出て行って、オフィスは静かになった。管理部に何人かいるだけだ。一応普通の会社みたいに営業しているのが意外だった。ちゃんと営業員もいて、防犯グッズの売り込みに行ったりしている。
しばらく佐倉は自分の仕事をしていたが、ふと視線を感じた。オフィス内を見回しても、誰も自分を見ている人はいない。
「変だな……」
壁の方を見る。屋内階段への扉があった。そこは少し開いていて、その向こうから誰かがこっちを見ていた。
「いっ……」
相手も佐倉に気づき、扉がもう少し開いた。見ている人が手招きをした。
「佐倉さん、こっちこっち」
小声で自分を呼ぶ相手が誰だか分かり、佐倉は何度も目をしばたたかせる。
「よ、四元総帥……」
「早く来て。見つからないように」
佐倉は慌てて立ち上がり、階段室に滑り込んだ。扉が閉められる。四元は佐倉を見てにっこりした。
「こっちへいらっしゃい」
入社時の挨拶や社交会の時とは異なる、穏やかな声だ。
「はあ、はい」
佐倉は四元について階段を上っていった。自分に直接用があるとは考えられない。何かあるとしても、宇賀神を通して指示が来るはずだ。それとも宇賀神を監視せよとかいう重要任務とか。まさか。
五階分ぐらいの階段を上がって、そこの扉から入っていって驚いた。そこは広間だったが、大理石の床の上に何体もの白いギリシャ彫刻が並んでいた。ほとんどが男性や女性の裸体人物像だ。床の通路は赤いカーペット敷きで、まるで美術館にでも来たようだ。佐倉が驚いていると、四元が微笑みかける。
「これが私のコレクションなの。ウフフフ、ギリシャ彫刻に興味のある方が来てくれ嬉しいわ。何しろここの人達ときたら軍人さんみたいなのばかりだもの。息が詰まってしまうわ」
そうか、最終面接で趣味を訊かれてつい海外旅行を思い出してギリシャ彫刻と言ってしまったのだ。それで採用になったのかもしれないのだが、この期待は困る。
「す、すごいです……あの、すばらしいコレクションで……」
四元に促され、通路をゆっくり歩いていく。
「ほとんどは複製品だけども、中には本物もあるのよ。私はヘレニズム期よりもクラシック期の方が好きでね」
「はあ、はい……」
何のことかよく分からないが話を合わせるしかない。ふと目に留まったのが、同じような白い彫刻だが人物ではなく、亀の上に四体の像が乗り、その上に半球の地球が乗っているというものだった。
「あ、これ知ってます」
「何ですって!」
笑顔が消え、思いの外鋭い四元の声に戸惑う。
「いえ……あの、昔の人は世界がこうだって考えていたんですよね」
佐倉がやや自信なさそうにそう言うと、四元は笑顔に戻った。
「あら、ええ、そうなのオホホホ、でもそれはギリシャの世界観ではないの。古代インドよ」
今の一瞬に妙な違和感を覚えたが、あまり気にしないことにした。部屋の中央あたりにやや広いスペースがあり、庭園に置くような鉄製のテーブルセットがあった。
「そこに適当に座ってて、今お茶を持ってくるからね」
「え、で、でも私仕事が……」
「大丈夫よ。非常事態になったら帰してあげる。四元に呼ばれて彫刻室を掃除してたと言えばいいわ」
「はあ。はい……」
こうなったらもう諦めるしかない。ギリシャなどあまり興味もないのだが、とりあえず無知無関心無感動を悟られないようにしなければ。佐倉は冷たい汗をかきながら椅子に座る。
オフィスでは佐倉がいなくなったことを気にする人もいなかったが、外出してた神野が戻ってきて、姿が見えないのに気づく。
「あれ、佐倉はトイレかな?」
その時、玄関で誰か女性の声がした。
「ごめんくださーい。新発売のドリンク剤の試供品を配りに参りましたー」
見ると、茶色いスカートと白いシャツ、赤いフード付きケープをまとった若い女性が、ドリンク剤の小瓶をたくさん入れたカゴを腕に下げて立っていた。神野は玄関に向かう。セールスは断っている。余計なものを買うわけにはいかない。
「ええと、今特に必要としていませんが」
「無料でお試しいただけます。その後、ご購入されるかはどうかご自由です」
「そりゃそうでしょうけど……」
こういうセールスは見かけによらず言葉巧みなので、どれだけ余分なものを買わされるか分からない。個人での購入だろうが何だか嫌だ。神野がどう追い払おうか考えていると、総務部の中原が来た。
「何て名前のものなの」
「はい、赤い血潮をたぎらせる『真っ赤なマカ』です。元気出ますよぉ。そして私はイメージキャラのマカ頭巾ちゃんです」
そう言ってにっこり笑うが、そんなダジャレみたいな理由でそんな格好をしているのか。神野はややあきれた。中原が続ける。
「じゃあ一本いただこうかしらね。ちょっと疲れ気味なの」
「中原さん、ただより高いものはないですよ」
そういう神野に中原は笑いかける。およそ警戒心のない女だ。
「大丈夫よ。よくある試供品でしょ」
「はい、どうぞ」
そう言って、マカ頭巾は赤いラベルの小瓶を差し出した。中原はキャップを開けてすぐに飲み干した。たちまち表情が明るくなった。
「おお、こりゃいいわねえ! 気分が軽くなるわ」
そう言ってラベルを見る。
「怪しいもの入ってないの?」
「もちろん大丈夫です。漢方を中心としたナチュラル素材を絶妙にブレンドしてあります」
中原は、フロアの他の女性に呼びかける。
「ねえねえ、これいいよー。飲んでみなさいよ」
そう言うと皆が集まってきた。マカ頭巾は笑顔で次々と小瓶を配る。皆が飲み始める。
「あ、ほんとだこれ効きます」
「ドリンク剤も進歩しましたね」
「仕事がんばっちゃおうかな」
そういう皆の反応を見て、神野も飲んでみた。何だかんだで疲れ気味なのだ。飲んだらたちまち気分が軽くなった。佐倉の分をもらおうとした時、マカ頭巾が話しかけてきた。
「あのう、他のフロアの方々にもご紹介したのですが」
すると神野が答える前に中原が答えた。
「あっちのエレベータで地下九階に行って。もっとくたびれた人達がいっぱいいるからフフフフフ」
「はーい、ありがとうございました」
「フハハハハハ……」
マカ頭巾がエレベータに乗って行ってしまっても、中原はいつまでも笑っていた。それを見ていた他の人も笑い始めた、何だか妙におかしい。神野も笑いがこみ上げてきた。
「ウフフフフフ……」
「アハハハハハ……」
「ウワァハハハハハハ!」
ついに何人かが爆笑して床を転がって笑い始める。神野もおかしくて自分の席に戻って机をバンバン叩く。その音にまたウケて笑いが増幅してこみ上げてくる。フロア中が笑っていた。心の片隅のわずかなところで、しまったと思っている。あのドリンク剤は罠だったのだ。
地下では宇賀神と蒲原が会議室にこもり、FS部隊の補充と強化について延々と話し合っていた。
「人材がいない以上、無人の攻撃機は作れないのか?」
宇賀神の問いかけに、開発部の責任者が答える。
「現状は無理ですね。やるなら一から設計しないと。練習用のFSならリモコン操作できるので。マネキンに装着して飛ばすという手があります。リモコンなので、現状はコントローラーで誰かが操縦する必要がありますが、プログラム次第で全自動にもできるでしょう」
「それでいいじゃないか。やろう」
「いや、すぐには無理ですね。リモコンFSは攻撃する機能がないんです。それを含めてプログラムから設計し直さないと」
「人も金も設備もなし……参ったな」
宇賀神は椅子でのけぞり天井を見上げる。その時、フロアの方からけたたましい笑い声が聞こえてきた。
「何だ? 何があったんだ? とりあえず、また今度打ち合わせよう」
宇賀神が会議室を出て、中央司令室に行くと、職員のほぼ全員がヘラヘラと笑っていた。宇賀神はたちまち腹を立てる。
「何だ? 何があった! 誰か答えろ!」
「あの、あの、アハハハ、マカ頭巾が来ました」
「バカモノ! こんなところに赤頭巾が来るか!」
宇賀神が怒鳴ってもよけい笑いが増えるばかりだった。一人や二人ならハリセンでしばき倒すが、全員ではどうしようもない。苦い顔で自分のコンソールに移動する。席に着くと、目の前に見慣れないドリンク剤が置いてあった。赤いラベルの小瓶だ。
「アハハハハ宇賀神指令……赤頭巾じゃなくてマカ頭巾でしゅよ」
宇賀神はイライラしながら小瓶を手にとってふたを開ける。
「だから何なんだ。何でもいいからとにかく不審者を入れるなとあれほど言ってあるだろう!」
宇賀神はそう言って、ドリンク剤を一気飲みした。何か飲まなければやってられない。しかし次の瞬間、顔をしかめて小瓶を睨んだ。
「なんだこりゃ? 妙に効くぞ」
「宇賀神指令……それ飲んじゃまずいですアハハハハハ」
「どうまずいんだ……まさか」
宇賀神は青ざめるが、それも一瞬で、だんだん気分がウキウキしてきた。勝手にリズムを作って体を上下に揺する。
「おいおいおい、なんか楽しくなってきちゃったぞワハハハハ!」
普段まじめな宇賀神のウキウキダンスがおかしくて、フロア中が爆笑を始めた。
「ウハハハハ!」
「宇賀神指令最高です! アハハハハ」
「私もノリノリです! ウフフフフ」
「上空にアンチフェーズを確認、アハハハハ」
「そりゃマズイんじゃないかアハハハハ」
「西南西百キロに機影確認ですワハハハハ直下攻撃型ヘリ五十二型でヘヘヘ多分あと十五分で亀の湯上空にイヒヒヒ来ちゃいますフフフフフ」
「たたた大変だアハハハ」
宇賀神は笑顔で勝手なダンスをしながら、かなり危険なことになったと思っているがどうにもならない。
「え、え、えFS部隊を出せよアハ、アハ、イェイ! イェイ!」
「むむむ無理です。みんな笑い転げてますよん」
「ウフウフじゃあ水無月を呼べ。あいつは正常だろウホウホウホ」
「りりり了解ですワハハハハ」
円形の水のカーテンに囲まれた静かな部屋。こうして水のカーテンに囲まれている時が最も心が落ちつく。形の定まった物を見ると、うっかり切断しかねない。揺らいだ物の中に身を置くことが水無月の安らぎだった。
髪の毛を梳かすのも好きだった。梳かせば梳かすほど、それは揺らぐ水面に似てくる。鏡を見ると、光の筋がすっと髪に沿って走る。その筋は定まった形の対象とはならない。だから切断されることはない。いつも自分のそばにいて踊ってくれているかのようだ。
揺らぐカーテンを通して、外側に人が来たのが分かる。自分の世話をしてくれる侍女だ。トータスセキュリティが自分のために住居を含め全て用意してくれた。この会社がなければ、自分は病院に閉じこめられ、隔離されたままだったろう。
「水無月早苗様、お仕事でございます」
水流が止まって、水のカーテンが消える。侍女の姿が見えるが、いつでもこの瞬間、相手はかなり緊張している。無理もない。大けがをさせてしまったこともあり、今の侍女も何人目かなのだ。
「よくってよ。今参りますわ」
水無月は髪を梳かしていたブラシをそっと置いた。
なるべく笑いたくないので、神野は机に突っ伏しているが、他の人がヘラヘラ笑っているので、つい自分も反応して背中を揺すってしまう。それでもオフィスの中は、さっきの爆笑からはやや落ちついてきた。
内線電話が鳴った。電話の音がおかしくて笑ってしまうが、地下からだから出ないといけない。
「フフ……地上オフィスです。フフフ……」
『フハハハハハ』
いきなり宇賀神の低い笑い声だった。思わずこちらも笑ってしまう。
「アハハハハな、何ですかぁいきなり電話で!」
『ハハハハハあと十分ちょっとで来るんだよあれがほらあいつがハハハハ。それでその前にあいつを呼んだんだワハハハ……』
意味不明でまた笑えてくる。
「あいつあいつって誰ですかアハハハハ」
『みみみみみなみなみなづきハハハハ。そこで待たしといてくれフハハハ今行くから』
そう言って電話が切れ、ほぼ同時に黒塗りの車が玄関前に止まり、白いフリルのついたドレスをまとい、白い日傘を差した水無月が入ってきた。入るなりクルリと一回転して、胸に手を当てて高らかに言う。
「おお皆様! ご機嫌麗しゅう! 今日も皆様のお役に立てることが、わたくしの無上の喜びとなってよ!」
箸が転がっても笑いそうになる状態で、こんなのが入ってきたからたまったものではない。オフィス中で治まりかけていた爆笑がたちまち復活した。
「だーっひゃっひゃっひゃっ!」
「ぎゃはははは、なーにがゴキゲンウルワシューだっちゅーの!」
「ぶわははは明治時代かっちゅーの!」
「なーんじゃその格好はオジョーサマかよハハハハハ!」
「部屋で日傘差すんじゃねーよガハハハハ!」
「目がイッちゃってるぞハハハハ」
これらの嘲笑を聞くに連れ、水無月はあまりの怒りに全身を震わせ、長い髪の毛が扇状にゆっくりと逆立った。そして広げたままの日傘をその場に投げ捨てた。
「わたくしは……わたくしは……生まれてこの方……ここまで侮辱されたことはなくってよ!」
そうして両手を前にして親指と人差し指で三角形を作った。オフィス内は笑いながらも騒然となる。
「わははははたたた大変だ殺される」
「まだ死にたくないよフハハハハハ」
「もうダメだアハハハおしまいだ」
全員泣き顔で笑いながら机の下などに隠れる。水無月の目つきががますます狂気を帯びてくる。
「ええもちろん、一人残らず地獄に堕ちてよ!」
「あのう、私そろそろオフィスに戻ります」
佐倉は席から立ち上がりつつ言う。四元は微笑んだ。
「そうね、そろそろ戻った方がいいかもね」
「紅茶、ごちそうさまでした」
「ええ、またいつでもいらっしゃいね」
「あ、は、はい……」
佐倉は逃げるように、元の内階段に出て下に降りる。概ね四元が話をしていて、佐倉は「はい」とか「そうですね」ぐらいしか言わなかったが、どうにかボロを出さずに済んだようだ。
階段を下り、オフィスに出る扉を開けるなり愕然とした。照明は全て切れていて暗く、机から椅子からパソコンからコピー機からショーケースから、全てが鋭利な刃物で切られたかのように真っ二つにされ、そこらじゅうに散乱していた。火花や煙が出ている機器もある。そして、部屋の隅では涙にまみれながら管理部の人が身を寄せ合っていて、こんな状態でもヘラヘラ笑っていた。狂ったのだと思い身震いがする。
呆然としていると、いきなり足首を誰かに掴まれた。
「ひゃあっ!」
見ると、同じように涙にまみれた神野だった。神野も笑っている。
「じ、神野さん!」
「あ、あんたアハハハどこ行ってたのよ」
「そ、それよりこれ何ですか? 何があったんですか?」
「水無月が来たけど怒らせちゃって全部壊されたアハハハハ。幸い怪我人いないけど、ここはもうメチャメチャだよ」
「な、なんでみんな笑ってるんですか?」
「変なドリンク配ったヤツがきた。直下攻撃ヘリが迫っているハハ、ハハハハ……宇賀神指令に伝えて。水無月が帰ったとアハハハ」
佐倉は慌てて電話を探したが、まともな物は一台も無かった。神野を見ると、涙に濡れた笑顔でエレベータの方を指さしている。佐倉はうなずいた。
エレベータは無事に動いていた。地下九階へ行く。降りて通路を歩いていったが、向かう方向から既に笑い声が漏れて聞こえてくる。IDカードを通すと、中央司令室のドアが開いた。宇賀神を含めて全員笑い転げていた。佐倉は怖くなって、腰が抜けてその場に座り込んでしまった。自分以外全員狂ってしまったのだ。しかし見渡すと、一人だけ笑っていなかった。松葉杖をついた蒲原が、メインの大型スクリーンをじっと見つめていた。佐倉は立ち上がり、蒲原のところに向かう。蒲原も佐倉に気づいた。
「佐倉……お前は大丈夫なのか?」
佐倉は蒲原の前に立ち止まる。
「はい……たまたま席を外していて……」
「私もあれを飲まなかった。自分は今戦力でない以上、飲んでは申し訳ないと思ったんだが、それが正解だったとは……」
蒲原は再びスクリーンを見つめる。そこには地図と、近づきつつある敵機を示す赤いラインが見える。
「あと七分か……あと七分で亀の湯を含めここが攻撃される……」
そしておもむろに佐倉の方を向いた。
「佐倉、FSで出てくれ」
「ええっ! そ、そんなのいきなり無理ですぅ」
「練習機はリモートコントロール可能だ。私がここで操縦できる。しかし、パルスレーザーはリモートでは撃てない。私の無線指示で佐倉が撃て」
「無理です無理です。絶対無理です!」
佐倉は必死に叫びながら涙を流す。
「上官として命令する! 佐倉、出撃しろ!」
佐倉は唇を震わせる。言葉が出ない。しかし、しばらくして、涙を拭って小声で言った。
「命令なんですよね……逆らえないんですよね……」
「すまない……このままでは、みんなやられてしまうんだ。お前を信じて、お前に命を預ける」
「そんな……」
そんな重い責任は負えない。
「人から信じられることがどんなに幸せなことか、今に分かる」
「幸せじゃないです」
「とにかく時間がない。それはあとで考えろ。こっちだ」
松葉杖で歩く蒲原について、一番近いカタパルトへ。指示通りに急いで耐熱服に着替え、練習用のFSを装着する。フライングスーツ。酸素ボンベのような燃料、細い翼と、その先端に推進用の噴射装置が付いている。見かけよりもかなり重い。
「大丈夫だ。FSの方が引っ張っていってくれる。ベルトはしっかり締めろ」
推進方向に向かって撃てるようにパルスレーザーを装着。引き金の付いたグリップが目の前にある。ますます重い。ゴーグルを付け、通信と防音を兼ねた耳当てを装着。顎にガードとマイクを装着。蒲原はカタパルトに立つよう、ジェスチャーで示し、佐倉が位置に着くと、蒲原は練習機用のコントロール装置に座った。マイクが付いている。
『佐倉、聞こえるか?』
「はい」
『あと三分しかない。やることは一つだけだ。私の指示でパルスレーザーの引き金を引け。あとは全て私がやる。カタパルトには立っているな?』
「はい」
『よし、射出する。加速するから膝を伸ばしてしっかり立て』
蒲原がそう言うと、いきなり目の前のシャッターが素早く降り、筒状のところに閉じこめられ真っ暗になった。直後、地面がとんでもない加速で上昇した。佐倉は思わず叫ぶ。
「きゃあああああっ!」
そしていきなり、明るい空中に出た。同時に左右の推進装置から爆音が放たれ、FSが急上昇した。ひどいめまいがする。気を失いそうだ。
『佐倉! 大丈夫か』
「は、は、は……」
FSは旋回した。気分も悪くなる。
『グリップを握り、引き金に指をかけろ! かけたか?』
「い、い、いいえ」
『早くしろ。すぐに敵機が来る』
佐倉は手を動かそうとした。動かない。固まってしまった。
『目を開けて前を見ろ! 佐倉!』
佐倉は顔を上げて前方を見てみるが、ゴーグルで目は守られていても、ひどい風の抵抗を感じるばかりだ。それでもプロペラが四つある巨大な機影が見えた。
『撃て!』
撃てなかった。そもそもグリップに手を伸ばすこともできない。目の前を光線がいくつも走った。相手からも攻撃してきている。佐倉は恐怖で泣き叫んだ。
「無理です! 手が動かないよ!」
『佐倉、落ち着け。目を開けろ! 死にたくなければここでがんばれ! あと十五秒だ!』
FSは再び急旋回する。胃から何かこみ上げてくる。でも死にたくない。嫌だ。嫌だ。それは絶対に嫌だ。佐倉は必死で顔を上げ、目を見開く。歯を食いしばる。腕が動いた。グリップを掴む。そして引き金に指をかけた。
『撃て!』
人差し指に思い切り力を込める。目の前から眩しい光が放たれ、まっすぐに機影に命中したのが分かった。
『やったぞ! 佐倉!』
FSはまたすぐに旋回した。その直後、いくつかの光線が走り、それは翼と二つの推進装置を破壊した。また光線は頭上をかすめて、通信が切れてしまった。佐倉は言葉も出ない。FSはあらゆる制御を失って自由落下していく。このまま地面に落ちる。この高度からでは多分命はないだろう。佐倉は呆然としつつも、こうなってしまう気も薄々予感していた。
親には何て報告が行くだろう。これは事故なんだろうか。宇賀神が報告するのか? 文句を言ったらハリセンが飛ぶのか。残された弟は気の毒だ。自分以上に器量が悪いもので、結婚相手は自分が後輩の中からとか探してやろうと思っていたのに。自分の結婚はさておいたとしても。
「おお洋一郎、一生独身じゃかわいそうだよ……」
高度がさらに落ちてくる。他に何か考えなければと思ったが、何も思い浮かばない。どうしよう。最後まで要領が悪い。
その時、ふいに真横に誰かが来た。そして紐のようなものを引くとすぐに離れた。その直後、背中に力がかかり、落下が穏やかになった、どうなっているのか分からない。体が縦を向いたので、上の方を見るとパラシュートが開いていた。そして遠くを飛んでいるFSが二機、というか二人見えた。パラシュートは降りていくが、操作できない。このままでは住宅街へ降りてしまう。幸い降りたのは道路上だった。着地の衝撃でやや足を痛めたものの、安堵のあまり気が遠くなっていった。
次に目を開けた時、ベッドに寝かされていて、何人もの人に囲まれていた。
「佐倉!」
すぐ近くにいた宇賀神が思わず手を取り、握りしめた。
「よくやった! 亀の湯は救われたぞ!」
その場にいる全員が拍手をした。蒲原も佐倉の肩に手を乗せ、優しく言葉をかける。
「すまない。急いでいたもので。パラシュートの使い方を教えてなかった。でも間に合ってよかった。薬の切れかかった隊員がいてすぐに出動できた。ちょっと笑ってて危なっかしかったがね。佐倉、よくやったよ!」
自分は活躍したんだ……何だか夢を見ているようだ。佐倉は不思議な気持ちがした。
「よし、今日から佐倉はFS部隊に配属」
宇賀神の言葉で一気に目が覚める。
「えええええっ! そんなのやだっ!」
パッカーン!と音がして頬にハリセンが炸裂。佐倉はベッドから転げ落ちた。
「それだけ活躍しておいて何だその言い草は!」
「だ、だ、だってぇ……」
そこで蒲原が優しく言う。
「大丈夫。今度はちゃんと段階を踏んで訓練するから」
佐倉はベッドによじ登る気力もなく、大きなため息をついた。
特に怪我などは無かったので、佐倉はすぐに退院できた。家に帰り、思うところがあって弟に電話した。
「何だ姉ちゃん急に電話してきて」
「あのさ、結婚相手探してあげようと思って」
「ええっ、余計なお世話だよ!」
「もう相手がいるの?」
「いないよ!」
「じゃあ探してあげるよ」
「嫌だっつーの絶対嫌だっ!」
そう言うなり電話は切れてしまった。
「何よ……命の瀬戸際で決意したことを拒否するなんて……」
佐倉はそんなことをブツブツと言った。
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