第5話 恐るべきウサギ作戦です
亀の湯対策本部、副本部長の羽尾が小型記憶媒体を持ってきた。
「ついに成功したんですよ本部長! 上流社交会の様子です。納品するワインボトルに隠しカメラを仕掛けておきました。これが動画データです」
それを聞いて、本部長の鶴田もやや興奮気味になる。
「なにっ、では今まで謎だったあの会合の全容が分かるというわけだ」
そこに防衛副大臣の横瀬も来た。
「話は聞きました。私も見せてもらいます」
「あん? お前みたいな腹黒の若造はダメだ」
「な、なにを証拠にそんな!」
横瀬が立腹する。鶴田は鼻で笑った。
「お前のその第二ボタンは通信機能付きカメラだろ。賢い官僚様の目をバカ政治家がごまかそうったってそうはいかねえんだよ」
「むっ……分かりました。これは捨てます。でも見せて下さいよ」
横瀬はレンズの付いた上着のボタンをむしり取って、テーブルの上に置く。羽尾はうなずいて、小型記憶媒体をパソコンに差し込んでファイルを再生した。
映像の解像度は荒かったが、声は割と明瞭に聞き取れる。羽尾が解説する。
「ボトル五つにセットしましてね、室内が撮れたのはこれだけです。あとは違う方向いていたり、他のボトルの陰になっています」
「オバチャンばかりみたいだな」
「まあお金持ちマダムの集会ですからね」
やがて会場内がやや暗くなって、拍手が起こる。壁のスクリーンに映像が映し出される。男の裸がいくつも見えた。
「何だ? ポルノ映画でもやるのか?」
「よく見て下さい。なじみのある場所ですよ」
見ながら鶴田は笑いがこみ上げると同時に、腹も立ってくる。
「そうか男湯だな。亀の湯を覗いているという噂は本当だったんだ。変態ババアどもめ!」
「もっと凄いことになりますよ」
やがて会場内が亀亀と騒ぎ始める。亀を見せての亀が小さいのと騒がしい。何のことかは聞かずとも分かっていた。
「ううう男のシンボルをペットみたいに呼びやがって……」
「まだまだ凄いことになりますよ」
やがて参加者同士のパイの投げ合いが始まった。
「こりゃすげえ」
「キャットファイトですな」
そして若い女性が一人、中央に連れ出され、パイの集中攻撃を浴びた。それは佐倉だった。暗くて解像度も荒いが、容姿の特徴ぐらいは分かる。
「うむう、あんな可愛い娘を集中してイジメるとは……許せん!」
「八つ当たり、若さと美貌への嫉妬心の発散、いやいや醜いですなあ」
佐倉は気を失って担架で運ばれた。映像が一通り終わり、鶴田が腕組みして考える。
「うーん、要するに、この集会施設を爆破してもいいわけだ」
「いや、それはまずいです」
そう答えたのは横瀬だった。
「何がまずい。昼食った定食でも思い出したか」
「茶化さないで下さい。この施設では、会員の私物を保管しているんです。保管庫も売りなんです。もし壊したら大問題です」
「何が問題だよ。あんなオバチャンのものなんぞ別にいいじゃん」
「よくないんです! 国際的な要人、または要人の配偶者ですよ。被害でも出そうものなら我が国が孤立するからやめていだだきたい。あくまで亀の湯を破壊していただきたいのです。もしくは相手側の防衛力不足、不手際、組織内不安からの内部崩壊を狙って下さい」
「言いたいこと言いやがって、口だけ野郎が」
「口だけだなんてとんでもない。いや政治家たるもの口が命。政府としては全力を挙げて支援します。世論操作だってできるんですよ!」
「へえ、ほんとかね」
ここで今まで黙っていた羽尾が口を開いた。
「今、世論操作ができると言いましたな? ちょっと私に思いついたことがあるんですが」
「お、副本部長、何かアイディアがあるのか?」
「この動画を見て思ったんですが、この上流社交界をぶち壊しにすればよいのです」
東京本社勤務だというのに、社会人二年目の坂本浩樹は全くモテなかった。東京なら派手できれいな女性が大勢いるものだと思っていて、確かにそういうOLは社内にうようよしてはいたのだが、地方都市出身の坂本は相手にもされない。先輩ならともかく、同期までそんな態度で、飲みに行きましょうと言っても鼻で笑われて断られる。
「だって、坂本君って存在感がイマイチなんだもん」
確かに地味だし、話し下手だし、顔だって不細工ではないとはいえ、パッとしない。暗いというより希薄なのだ。でも、それも地元だけでの話ではなかったか。朱に交われば赤くなる、の言葉通り、派手な街に勤めていれば自分も華やかになるかと思っていた。しかし現実はそうではなく、ますます地味なところが目立つばかりだ。目立たないことが「地味」ということだから、「地味が目立つ」というのも変なのだが、そうなんだから仕方がない。
ため息をついて社宅となっているワンルームマンションの部屋で、カーペットの上の座布団に寝っ転がってテレビを見ていた。夜九時台のテレビドラマはまさにオフィスの恋愛もの。見たくもないがチャンネルを変えるのも面倒で、死んだ魚のような目で見ている。いいかげんスマフォでネットでも見た方が退屈がしのげると思った時、ドラマが妙な展開になった。知り合ったばかりの若い美男美女の会話だった。
「あなたは、もう知っているの?」
「何を?」
「ウサギパンツよ。あなたのために買ってみたの」
そう言って、女がバッグから取り出したのは、股間に立体的なウサギの顔、つまりぬいぐるみの頭が付いた白いブリーフだった。ウサギはふわふわしていてなかなか可愛いが、パンツとなるとおかしい。だいたいそれではズボンがモッコリしてはけないではないか。
「なんだそりゃ?」
ドラマの中の男と、坂本が同時に言う。
「今日からこれをはいて。このウサちゃんを身につけてこそ、イケてる男よ!」
坂本は目が点になった。このドラマは少なくともコントではなかったはずだ。次のシーンでは、もう二人は部屋の中で、男はウサギパンツをはいていた。
「素敵よ……」
そう言って、女が男に寄り添う。アホらしいのでチャンネルを変えた。バラエディ番組だったが、雛壇芸人達が肴にしているのが、今さっき見たウサギパンツだった。
「おもしろーい」
「キュート!」
「で、このウサギパンツですが、お風呂用があるんですね。お湯に入れるとほら、毛の色が変わったり、ウサギの目がキラキラ光ったり、楽しいですよー」
「ほしいっす」
「これはいた男性とお風呂入りたーい」
何が起こったか分からず、またチャンネルを変える。ニュースだったが、ウサギパンツが映っていた。
「今、若い人達の間で流行の兆しを見せるウサギパンツですが、女性の好感度も非常に高いとのことです……」
坂本はテレビを消した。そしてパソコンを立ち上げ、インターネットから大規模掲示板にアクセスする。予想通り、ウサギパンツのスレッドがかなり並んでいた。
「ウサギパンツきめえええええっ!」
「何あのウサギパンツって、頭おかしいの?」
「ウサギパンツってありえねえ!」
よかった……坂本は思った。少なくともネット住人は冷静だ。しかしそれぞれのスレッドを見ていくと、同意だけではなかった。
「お風呂ウサパンは心地いいぞ」
「おい、ウサパンはいたら女が寄ってきたぞ」
「ウサパンで別れた女とヨリが戻った」
何だ? いわゆるステマ(ステルスマーケティング)か? 坂本は分からなくなる。話題は多かったが賛否入り乱れていた。もしかして、実際に流行りかけているのではないか、見ているうちに、あれをはけばモテるのではないかと思い始めていた。
翌日から、洋服屋からデパートから街頭に至るまで、ウサパン売場が増え始めた。特にお風呂用が売りでもあった。濡らした時の毛の色の変化が楽しめる。メッシュ加工で水流を保ったままフィットする。特に公衆浴場では、股間のややグロいモノをぶらぶらさせずに済むのだ。
坂本も何となく勢いで一つ買ってみた。風呂用ではなく、普通にズボンの下に身につけている。ウサギは柔らかいので意外とモッコリは目立たない。それより、いつもは冷たいOL達が親しく話しかけてくるではないか。
「坂本君、何か手伝うことある?」
「坂本君、はい、お茶持ってきたよ」
「坂本君、明日、一緒にランチどう?」
坂本は今までになく興奮する。これならデートに誘われるのもあと少しだ。ウサパン効果なのか? 別に見せたわけでもないのに。とにかく効果は本物らしい。
亀の湯対策本部」では、横瀬副大臣が胸を張っていた。
「どうです! 見事なものでしょう。想像以上の成功でしょうが!」
羽尾副本部長が意外にも渋い顔をしていた。
「ほんとうにあんなアホな情報操作をやるとは思わなかった……」
それを聞いて横瀬が怒る。
「アホなって……我々政府はいつだって本気です! 今になってまさか冗談だったとか言うんじゃないでしょうね!」
「いやいや言わないとも。政府の努力は無駄にはしない……つもりだ」
「しかし、なんでウサギなんだ?」
本部長の鶴田が羽尾に訊く。
「そりゃあ、亀と戦うのはウサギです」
「それだけかよ! しかしこうもうまく流行るとはな」
鶴田はよく分からんという顔で額をこする。
「本部長、情報操作の効果もありますが、あのパンツには実は最新のフェロモンを染み込ませておるのです。はいているだけで女性の好感度倍増。情報操作とフェロモンのダブル効果なのです」
「ふふん、なるほど。それで亀の湯の上流社交会はどうなった」
鶴田がニヤついて訊く。
「情報によれば明日開催日です。きっと阿鼻叫喚となることでしょう」
羽尾もニヤニヤと笑った。
上流社交会場は凍りついていた。亀の湯の様子が映し出されていたが、いつも亀亀と騒いでいる参加者も、今日は何も言えなかった。亀の湯を訪れるイケメンの誰もがウサパンをはいていたのだ。一応、脱衣所で普通のものからお風呂用に履き替えるので、一瞬見えるは見えるのだが、参加女性達を納得させるものではおよそ無かった。
「嫌! こんなの嫌!」
「ありえない……ウサギなんてありえな~い!」
「私の亀ちゃんを返して~」
「こんな流行を許すなんて、トータスグループは何をやっているの!」
「責任者出てこい!」
殺気立つ会場に、責任者の有沢はおろおろした。今出ていったら確実に集中的なパイ攻撃を浴びる。いや、パイ攻撃ぐらいならいいが、この様子ではもっと凄惨な目に遭いそうだ。ウサギパンツの流行は知っていたが、まさかこれほど席巻しているとは思わなかった。有沢は冷たい汗をかく。
そんな会場のことは知らず、トータスセキュリティのオフィスでは、佐倉がそろそろ帰ろうとしていた。今日は社交会に駆り出されなかった。今の時間まで残っていたのは残業ではなくて、ネットでおいしいお店とか見ていたのだ。神野はとっくに帰ってしまった。佐倉はバッグを引っぱり出し、立ち上がろうとすると、内線電話が鳴った。嫌な予感がする。出たくはないが、ここにいる以上出ないといけない。
「はい、地上オフィスです」
「佐倉か?」
その声は案の定宇賀神だった。
「いえ、佐倉は帰りました」
「じゃあお前は誰だ?」
「それはあの……その……」
「居留守使うなら声ぐらい変えろバカモノっ! ……それより、至急社交会場に行け」
「ええっ? 今からですかぁ?」
「今、有沢が泣きついてきた。社交会存亡の危機だと。ついでに佐倉、お前を指名だ」
「ええーっ?」
「どうした、行く気がないのか?」
「だってぇ、こないだみたいにパイを山ほどぶつけられるんじゃないですかぁ?」
「うん、その可能性は十分あるな」
「ええーっ?」
「グズグズ言ってないでさっさと行けっ! いいかよく聞け。社交会存亡の危機ということは、お前が耐えれば存亡の危機ではなくなるということだ。だから行け! 山ほどぶつけられるのはパイとハリセンとどっちがいいかっ!」
「分かりました。行きますぅ……」
最後は半べそだった。
約五分後に洋館に着いた。会場の扉をそっと開けると、参加者のウサギ憎しの殺気立った声が飛び交っていた。全員手にパイを持っているが、投げたりぶつけたりしている様子はない。まるで共通の餌食を待っているかのようだ。
入ってきた佐倉に有沢が気がつき、早速近づいて声をかけてくる。
「佐倉さん、よく来たわね。じゃ、早速これを着てね」
「はあ、はい……」
手に渡された袋を持って更衣室に行く。袋の中を見て驚く。バニーガールのコスチュームだった。
「いっ!」
こんなのに着替えたものか躊躇していると有沢が来た。
「何やっているの。早く着替えてちょうだい!」
「で、でもぉ……」
何が起こるかもう分かったようなものだ。
「大丈夫、担架は用意してありますからね」
泣く泣く佐倉は着替える。黒いレオタードと白いふわふわのしっぽ、かわいらしいウサ耳。普通に見れば佐倉にはよく似合うのだが、状況は普通ではない。有沢に連れられて会場に入る。
「ひいいいぃ~嫌だよぅ」
「泣き言言わないの。セキュリティ社員なら私達を守ってちょうだい」
有沢はバニー姿の佐倉を連れて、正面の壇上に立ち、高らかな声で叫ぶ。
「皆様、お待たせしました! にっくきウサギをお連れいたしましたーっ!」
「うおおおおおっ!」
会場内のほぼ全員が叫んで、パイを手に突進してきた。もうダメだ……佐倉は震えながら目を堅く閉じる。次の瞬間、バッシャーン!と派手な音がしたが、パイ攻撃されたのは佐倉ではなく、隣の有沢だった。
「この無能責任者が!」
「そんなんでごまかされるかっ!」
「社交会も今日限りだーっ!」
「やめて、やめてくださーい!」
有沢が必死で叫ぶが、攻撃が止まりそうもない。パイだけでは飽き足らないのか、トレーやらシャンパンボトルなどで殴りかかる者まで現れた。
「皆さんルールを、ルールを守って下さい!」
攻撃を受けつつ必死で頭をかばう有沢の叫びを聞く者はいなかった。
「黙れバカ女が!」
「亀がおらん以上ルールは無用じゃ!」
「亀を出せ亀を!」
あまりのことに佐倉は青ざめる。
「あ……有沢さん、有沢さん!」
助けたいが人がたかって近づくこともできない。有沢はもうふらついていた。
その時、会場の照明が落とされ、場内が真っ暗になった。一瞬場内が静まり返った。ほぼ同時に、一人の声が響いた。
「皆さん、落ちついて下さい」
その声は……佐倉が思った時、スポットライトが正面の壇上に当たった。そこには最高責任者の四元貴子が立っていた。四元の足下では、有沢が肩で息をしてうずくまっていた。有沢はすぐに担架で運ばれた。
「ここで乱れては敵の思うつぼです。私達はそんな脆い集まりではないはずです」
そう言う四元に納得しない声が上がる。
「しかし四元総帥、亀がここまで無にされる様は納得いきません」
四元はうなずいた。
「敵は想像以上に強大なのです。もちろん我がトータスグループの力不足もありましょう。真実を手にしているからといって、戦いが優位に進められるわけではないのです」
真実? 真実って何のことかと佐倉は思う。四元は話を続けた。
「既に私のネットワークを使って手は打ちました。ウサギは近々葬られます。今日のところは皆様、お引き取り下さい」
その声のあと、会場の照明が灯り、やや明るくなった。参加者が顔を見合わせつつも帰り始める。四元も壇を降りたが、バニーガール姿の佐倉を見て、一瞬微笑んだ。でも、特に言葉はなかった。
数日後、生物学を揺るがすような大発見があった。昼休みに神野と弁当を食べながらそのニュースを見て。佐倉は飲み込んだご飯でむせて咳き込み、神野はお茶を吹いて佐倉の顔に浴びせた。
「ご覧下さい! これがガラパゴス諸島で新発見の『カメウサギ』です!」
それは体が白ウサギで、頭が亀だった。レポーターは興奮気味である。
「未だ発見されなかった。爬虫類と哺乳類の中間生物。これで進化の謎がまた一つ解き明かされることは間違いありません!」
佐倉はお茶まみれの顔を吹きつつ神野の顔を見る。神野の顔じゅうにうっすらと毛が生えていた。
「あれってやっぱり、四元総帥の?」
「む、無理矢理すぎる……」
この新生物発見のニュースはたちまち世界中の話題となった。そしてウサギパンツにも変化が現れた。「カメウサギウサギパンツ」が登場したのである。しかし、元々ウサギの頭を使っているので、亀の頭を持つカメウサギの頭をパンツに装着したところで、それは単に「カメパンツ」に過ぎなかった。中身が亀のところに、外見も亀では対して魅力はない。このウサギパンツブームはたちまち消滅して、次の社交会は滞りなく開催されたのであった。
「カメウサギ」がガセだったというニュースはその後もたらされるが、ウサギパンツブームは終わったのであり、復活する威力はもうなかった。
時間はやや戻る。ウサギパンツブームの真っ最中、坂本は上司の指示で取引先の女性部長に新製品の営業に行った。もちろんズボンの中はウサパンだ。
「多少強引にやれば契約してくれるからさ」
そう言う上司の言葉を真に受けて。新製品の説明を延々とやるも、相手は花粉症なのか鼻をかみつつ聞いているばかりで、あまり乗り気ではなかった。そこで坂本はおもむろに立ち上がり、ベルトを緩め、ズボンをおろした。股間にウサギの顔が揺れている。
「部長、私は今日、このようなものをはいてきました!」
女部長はしばらく坂本を見ていたが、おもむろに手にしている鼻をかんで丸めたティッシュを坂本に投げつけ、ついでにティッシュの箱を投げつけ、さらに新製品のカタログも投げつけた。
「今すぐ帰りなさい無礼者! もうおたくの製品は買いません!」
ウサパンは主に若い人にしかウケていなかった、というのもあるが、何よりもフェロモンが匂いであり、鼻水を垂らしている人には通用しないということに気づいた時にはもう遅かった。
後日、上司が土下座をしに訪問し、坂本は東京本社から地方支社に飛ばされてしまった。
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