第4話 刃(やいば)の御令嬢です
佐倉は宇賀神に呼ばれて面談していた。
「諜報部で人材を欲しがっている。情報収集のために要人と接触し情報を得るのが目的だが、その手段としてハニートラップ、つまり色仕掛けもしばしば使われるらしい。あたしは好きじゃないがね」
「はあ……はい」
「そのためには経験値も必要だ。それでつかぬことを訊くのだが、お前の初体験はいつだ?」
「……何の初体験でしょう?」
さすがに宇賀神も質問に気を使っている。
「ええ、つまり男性経験は?」
「はあ、はい……中学二年の時……」
宇賀神は一瞬驚いた。
「ほう、見かけによらず早いんだな」
「フォークダンスで男の子と手をつないで……」
「なに? それで?」
「……いえ、それだけですが」
宇賀神は顔をしかめてしばらく黙っていた。ハリセンでも飛んでくるのではないかと佐倉はビビったが、ハリセンは手でもてあそんでいるだけだった。
「……分かった。今日の話はなかったことにしてくれ。戻ってよし」
佐倉は立ち上がり、一礼してオフィスに戻っていった。残された宇賀神がつぶやく。
「ダメだ……ブッ飛ばす気力も失せた……」
オフィスに戻った佐倉を、神野が待っていた。
「早かったね、宇賀神指令とどんな話したの?」
「うーんと、その、初体験はいつかという話」
それを聞いて、神野の顔一面にうっすらと銀色の毛が生えた。興奮して狼になりかかっている。
「あの人がそういう話題するわけないでしょ!」
「で、でも、したんですぅ。本当です。あの、神野さん、お顔が……」
「分かってるよ」
神野は深呼吸する。顔が元に戻った。
「ねえ佐倉、自分がどうしてここに採用されたか聞いた?」
いつの間にか呼び捨てにされている。
「いえ……なんか、まぐれで入ったみたいで」
最初は新入社員が四人いて、佐倉以外の三人はいかにも優秀な女子みたいだった。
「まぐれなんかじゃ入れないのにな……最終面接は四元総帥だったでしょ?」
「そうです」
「何訊かれたの?」
「趣味は何かって」
「それで何て答えたのよ」
「ええと、趣味は特にないんだけど、去年の旅行でギリシャ行ったことを思い出して、ギリシャの彫刻見るのが好きですって」
「うわぁ、それだ。四元はギリシャ彫刻フリークだわ」
「へえ……あの、四元総帥って宇賀神指令より偉いんですよね?」
「当然よ。でも謎。ほとんどここには来ないしね。私も口きいたの面接の時だけだよ。ここで普通に口きいているのは宇賀神指令ぐらいかな」
その四元は、今日はオフィスの上階にある最高責任者室にいて、宇賀神に会っていた。四元はデスクの椅子にゆったりと座っている。その前に、やや緊張した宇賀神が立っていた。部屋の四隅には古代ギリシア風の白い像がある。いずれも半裸もしくは全裸の男性像で、筋肉質であり、妙なポーズを取っている。宇賀神としては、あまり居心地はよくない。
「より直接攻撃の危険性が高くなるということですか?」
「そうです。そのための戦力の強化が必要です」
「なぜ亀の湯がそこまでの攻撃目標となるのです?」
宇賀神は鋭い目で四元を睨んでいる。決して信じてはいない目つきだ。
「あなたには何度も説明していますが、私のネットワークは亀の湯の上流社交会を中心につながっています。世界はまだ男性社会であり、それを維持すべく。女性達の結束を何としても阻止したいと考えるのは当然でしょう。何か疑問点がおあり?」
その話は、確かに何度も聞いてはいる。
「しかし、どうもそれだけとは思えないのですが……何か他に、例えば亀の湯地下に、世界破滅の引き金となる装置があるとか……」
どこかで聞いたことをそのまま言っているが、他に思いつかない。四元はそれを聞いて笑う。
「SFアニメの見過ぎかラノベの読み過ぎではないの。オホホホ……」
何度も訊いているが、答えは同じだ。めがねの奥で笑っている目が気に入らない。納得がいかないのだ。恐らく別の理由がある。それは宇賀神の勘であった。そして自分の勘は外れたことがない。
結局、今回も大した収穫もなく、宇賀神は地下の中央司令室に戻ってきた。
「何か異常はないか?」
室内を見渡し声をかける。コンソールを見ていた一人が答えた。
「亀の湯への直進道路で通行止めが始まりました」
「そんな話は聞いてないぞ。道路工事か?」
「補修工事みたいですね。表示が出ています」
宇賀神が中央の自分の席につき、コンソールを見る。監視カメラからの映像が次々と映し出された。亀の湯は、歩道の無いやや太い通りの並びに建っていて、同じぐらいの太さの道路が垂直方向にも一本つながっている。亀の湯は三叉路の前に建っている。その垂直の一本が工事で通行止めになっていた。歩行者もいないので、道路はがら空きに見える。宇賀神は顔をしかめてコンソールを見ていた。
「変だな。まだ何の工事も始まっていないのか?」
「そのようです」
宇賀神はしばらく考えていた。
「工事区画の一番向こうはどうなっている? 確認できるか?」
「その範囲までの監視カメラはありません。諜報部に連絡した方がよろしいかと」
宇賀神はうなずき、携帯を出してかける。
「緊急の仕事だ……何? 今どこにいる……婚活パーティ? 抜け出てこい……無理だと? ……イケメンの金持ちを捕まえたから何だってんだ! 放っておけ。どうせお前なんか結婚に縁がない。もしもし……もしもし! ……切りやがった」
司令部の全員が宇賀神を不安そうに見ていた。
「帰ったらしばき倒してやる」
つぶやくようにそう言って、再び携帯のボタンを押す。
上のオフィスでは、佐倉が午後のけだるい仕事をしていた。そこに内線電話が鳴る。何となく嫌な予感がしたので、恐る恐る取った。
「地上オフィスです」
『宇賀神だ。佐倉に諜報の仕事を依頼する』
佐倉は受話器の前で緊張した。
「え? そ、それは無理です」
『大丈夫だ。難しくないし、場所も近所だ』
「でも、ニンジンぐらいしか切ったことないですぅ」
『……何の話をしている?』
「いえ、ですから包丁の仕事は無理かと……」
『バカモノ! コントをやってんじゃねえ! さっさとチャリンコに乗って亀の湯前の道路工事の端っこを見てこい!』
「は、は、はいっ!」
数分後、学生みたいなカジュアル服に着替えさせられた佐倉が自転車で出発した。長めのスカートで自転車を漕ぐのはやりにくい。
「いいか佐倉、とにかく怪しまれるな。うちの諜報部みたいに人相が悪いと怪しまれる。近所の学生のふりして見てこい」
宇賀神のそんな指示で、亀の湯前からまっすぐ伸びている道路を進む。通行止めだが、歩行者と自転車は脇の通路を進むことができる。道路の中央は空いていて、何の補修工事もしている様子がない。
自転車とはいえ、狭い通路ではスピードも出せない。数分ほどのろのろ進んでいくと、一台の大型トラックに荷物を詰め込んでいるところに出くわした。トラックは亀の湯方向を向いて停まっている。荷物は並びにある倉庫のようなところから運ばれてくるが、両手で抱えるくらいの、同じ形をした段ボール箱だ。外には何も書いてない。何か気になる。佐倉が自転車を止めてしばらく見ていると、作業している若い男の一人が近づいてきた。
「お、君、この近くの人?」
気さくに話しかけられて、弟以外の若い男とはほとんど話したことのない佐倉はやや戸惑う。
「え、ええ、あの、まあ、そうです」
男は日に焼けていて、太い腕を見せつけている。体に自信ありげだ。
「俺、今夜暇なんだよね。仕事終わったら、ちょっとお茶でも飲まない? カフェだけどさ、おしゃれでいいとこ知ってるんだ」
「い、いえ……」
結構ですと言いかけ、自分の仕事を思い出す。
「あのう、これ、何をやってるんですか?」
そう言うと、男はいたずらっぽく笑った。
「荷物積んでいるんだけどさ、親方の話だと、これ火薬なんだって。危ないから気をつけて丁寧に運べってよ。これでどこかを爆破するらしいんだよ」
佐倉の顔に冷たい汗が流れる。
「う、嘘でしょ……」
「そう、まあ嘘だよなあ。親方よく俺に嘘つくから。まあ多分、俺の荷物の扱いが雑だからかなハハハ。ねえ、それより仕事終わったらさあ……」
「あ、あの、今日は無理です。また考えときます」
そう言って佐倉は去ろうとした。
「えーおいおい待ってよー」
不満そうに顔をしかめる男。その時、男が向こうの誰かに呼ばれた。
「こらぁ仙太郎! 通りがかりの女の子をナンパしてんじゃねえぞ!」
「うわやべっ」
そう言って彼は急いで去っていく。佐倉も慌てて自転車に乗って元来た道を戻る。途中、携帯から宇賀神に連絡を入れた。
『何っ? 火薬を詰め込んでいるトラック? 確かか?』
「はい、バイトの子が言ってました」
『そんなの当てにならん。お前からかわれたんじゃないか?』
「ええ……?」
そう言われてみれば否定もできない。
『ただ、気にはなる。とりあえず急いで戻ってこい』
偵察してきた者として、佐倉は地下での緊急会議に参加していた。
「佐倉、何トントラックだった?」
宇賀神が訊く。
「ええと、あのう、大きかったから百トンぐらいでしょうか」
パッカーン!と音がして宇賀神のハリセンが頬に炸裂。佐倉は椅子から転げ落ちる。
「適当なことを言うなっ! お前、単位を分かってんのか!」
参加者の一人が気を利かせて、トラックの種類の映像をスクリーンに映し出した。頬をさすりつつ椅子に這い上がった佐倉が指さす。
「あの、あれです。タイヤがいっぱい付いてるの」
「十トンだな……」
宇賀神が厳しい顔つきになる。そこにまた一人部屋に駆け込んできた。
「新しい情報です。問題のトラックの運転席に、リモートコントロール用と見られる装置が付けられました」
「こりゃ間違いはなさそうだ……」
宇賀神がつぶやいた。
「FSで上空から狙いましょう」
「爆発したら周辺住民も無事では済まない。火器は使いたくない」
「では、どうしたら……」
宇賀神はしばらく考えていた。
「やむを得ない。水無月を呼ぶ」
水無月……参加者全員が口々にその名をつぶやき、会議室に緊張が走った。佐倉は何のことか分からない。
フロアが円形の明るい部屋にはベッドや椅子、テーブルなどが置かれている。一人用のソファにもたれて、一人の若い女が厚手の本を広げている。白い部屋着をゆったりとまとい、流れるようなストレートの黒髪が輝いている。切れ長の目からのぞく黒い瞳が、本の文字を追って規則正しく動いている。
部屋の壁は透明で、細かく揺れていた。それは上部から滝のように落ちている水でできた壁だった。滝と違って、人工的に落とされた水はきれいな面状になっていて、音もほとんどしない。ただ、壁の外は常に揺らいで見えている。そしてそこに、侍女と見える人影がたどり着いた。
「水無月早苗様、お仕事でございます」
女は本から顔を上げ、微笑した。同時に水が止まり、壁が消滅する。
「水無月って誰です?」
上のオフィスに戻った佐倉が神野に訊く。神野もいつになく緊張気味の顔をしている。
「うーん、あまり知らない方がいいな……」
「えー教えて下さいよぅ」
その時、オフィス内の誰かが叫んだ。
「来ました!」
トータスセキュリティのオフィスの前に、黒塗りの車が到着した。女性の運転手が降りて、後部座席のドアを開けた。中からレースやフリルだらけの白いドレスを身にまとった水無月が降りてきた。大きなリボンのついた、つばの長い帽子もかぶっている。水無月は微笑をたたえ、オフィスの中に入ってきた。そして入るなり、舞台にいるかのように片手をさしのべ、高らかに言い放った。
「皆様、ご機嫌うるわしゅう! 労働こそ我が喜び。また皆様のお力になれることを、わたくしはとても光栄に思っていてよ!」
佐倉は目が点になる。明治時代あたりからやってきたような、古風というか異様な雰囲気だった。切れ長な目は美しかったがどこか狂って見える。髪はいったいどれくらい時間をかけて梳かして手入れしているのか、枝毛の一本もなく、まっすぐにそろって、揺れる度にそこから光がこぼれ落ちるかのようだ。
地下から上がってきた宇賀神が迎えに出る。
「お待ちしておりました」
宇賀神はいつになく丁寧な口のきき方をする。水無月は帽子を取り、黙礼をした。
「宇賀神様、わたくしは何をすればよろしいの?」
「間もなく、亀の湯を破壊しようとするトラックが来ます。とりあえず、あちらの部屋でお待ち下さい」
「承知いたしました」
そう言って、応接室の方に案内した。それから宇賀神は佐倉達の方に来た。
「神野、水無月にお茶を」
そう言ってすぐ、エレベータの方に向かって行ってしまった。神野は佐倉の方を見て言う。
「じゃ、佐倉さんお茶お願い」
「え? 私が?」
「お茶持ってくだけだから……私ちょっと忙しいの」
とてもそうは見えないが。でもお茶持っていくだけだし、水無月がどんな人なのか少し興味もある。佐倉は緑茶を入れてトレーに乗せ、応接室の方に運ぼうとした。そこに神野が来た。
「あのう、くれぐれも……怒らせないでね」
「え?」
「コケてお茶をぶっかけるとかしたら大変よ。気をつけてね、じゃあ」
そう言って神野は自分の席に戻ってしまった。怒るとそんなに怖いのだろうか。確かに普通ではない雰囲気はあるが。
応接室のドアをノックしてから開ける。
「失礼しまーす」
ソファに座っていた水無月がこちらを向き、思いの外鋭い目で佐倉を睨んだため、思わず震え上がったが、すぐに水無月は微笑した。
「あら、新しい方ね、可愛らしいこと」
水無月も年齢的にはせいぜい佐倉の二つか三つ上ぐらいだろう。可愛らしいなどと言われ、佐倉も戸惑う。
「あ、それはどうも……あのお茶でごじゃります」
緊張して思わず妙な言い回しになったが、そのとたん、水無月の表情が一変した。
「なんですのその口のききき方は?」
目つきも険しく声がとげとげしくなり、佐倉はさらに緊張して口どもってしまう。
「あの、その、そんにゃつもりじゃごじゃりませんで……」
「わたくしは汚い言い回しを耳にするのが苦痛なのです。そんなことは許さなくってよ!」
水無月はそう言うなり、両手を佐倉の方に向けて差し出し、両人差し指と両親指で三角形を作った。そして、一瞬ウィンクをした。キン!というこめかみに響くような音がした。
「あちちちち、熱いっ!」
トレーを持っている手に熱湯がかかったかと思い、慌ててトレーをソファ前にあるテーブルに置いた。見ると、湯飲みが何かで切ったかのように、きれいに斜めに切断されていて、中のお茶がトレーの中にこぼれていた。
「ひっ……」
佐倉は仰天して言葉も出ない。
「これ以上汚い言葉をわたくしの耳に触れさせるなら、あなたもこの湯飲みのようになってよ!」
佐倉は立ったまま全身が震え始める。そこに宇賀神が来た。
「水無月様……」
明らかに怒っている水無月と、震えている佐倉を目にする。
「何をしたんだ佐倉ァ!」
宇賀神がハリセンを振り上げ、佐倉が震えながら身を縮め衝撃に備える。
「お待ちなさい!」
水無月の鋭い声で宇賀神の動作も固まる。ハリセンは佐倉の顔面すれすれで止まっていた。
「宇賀神様、以前から申し上げたかったのですが、未熟な者の指導にすぐ暴力を用いるのは賛成できかねますわ。女性としての気品に欠けると思わなくて?」
「ええ、まあ、その、そ、そうでございますね……」
佐倉が恐る恐る見ると、宇賀神は想像以上に青くなっていて、普段を知っているだけに笑いがこみ上げそうになる。
「それより、トラックが動き出しました。そろそろ参りましょう」
「ええ、そうしましょう」
水無月は立ち上がって、出口の方に向かう。宇賀神が続き、佐倉はトレーを片づけようとするが、宇賀神がすぐに戻ってきて、佐倉の襟首をつかんだ。
「お前も来るんだ」
「え? どうして……?」
「水無月の実力を見て学ぶんだ」
「いえ、あの……この湯飲みでもう十分ですぅ」
「いいから来い。あたしゃあいつが苦手なんだ。お前がメッセンジャーをやれ」
「ええ、そんなぁ……」
そう言って有無を言わさず引きずっていく。
東に百メートルの亀の湯前に移動した。通行止めで車一台走っていない道路がまっすぐ延びている。水無月は亀の湯入り口の正面に立ち、その道路の方を向いている。水無月から少し離れて佐倉、その隣に宇賀神、他には数名の助手が通信装置や携帯コンソールなどを持ち、また数名がもし火災などが起こった時の消化班として消火器などを用意していた。
凛として立つ水無月の長い髪が、穏やかな風にさらさらと揺れている。佐倉は魅了された。まるで光の粒が髪の毛から次々と生まれているかのようだ。宇賀神に耳打ちされ、佐倉が水無月に声をかける。
「水無月様、トラックは速度を上げ、間もなくここに来ます」
「分かっていてよ」
水無月はそう言って、やや目を伏せて微笑した。顔を上げると、不意に後ろを向いて、周囲の人に向かって宣高らかに語った。
「普段日の当たらぬ部屋に生きるわたくしが、かような晴れ舞台に等しきところに立ち出で、皆々様の耳目を引くこともまた喜びでございます。この風情ある施設を破壊する者を……」
その時、道路の向こうにトラックの影が見えた。かなりの速度で近づいてくる。水無月の言葉が止まらない。
「……一刀のもとに討ち倒すこともまた喜び。そして、それがわたくしの社会に対する貢献となるでありましょう」
「み、水無月さん、後ろ!」
佐倉は思わず叫ぶ、トラックがスピードを落とすことなく迫ってきた。あと百メートルぐらいか。機械だけが乗せられた運転席が見えた。水無月は微笑して再び向きを変え、トラックに向けて両手をかざし、両人差し指と親指で三角形を作る。次の瞬間、キーン!という金属的な音が響きわたり、佐倉は思わず痛みが走ったこめかみを押さえた。そして向かってくるトラックがきれいな縦二つに切断されるのを見た。それぞれが重い音を立てて外側に倒れ、ボディの側面で地面をこすりながら慣性でしばらく進み、佐倉達のほぼ目の前で動かなくなった。
「待避して伏せろ!」
爆発するのではないかという危惧で宇賀神が叫んだ。水無月を除く全員がその場を離れ、地面に伏せた。水無月だけは微動もせず、停止したトラックを前に静かに立っていた。
爆発は起こらなかった。穏やかな風がまだ吹いていて、水無月の髪が揺れていた。
「水無月さん……」
全員が立ち上がり、水無月に拍手を送った。水無月は拍手をする全員に向かい、微笑のまま舞台女優のように優雅にお辞儀をした。
「水無月さん、ブラボーです!」
佐倉がそう言うと、水無月の微笑が引っ込んで、急に目つきが険しくなった。
「あなたはまだ分からなくて? そのような下賤な言葉をわたくしの耳に入れないで下さる?」
「えっ……そんな」
水無月は両手を佐倉の方に差し出し、指で三角形を作った。佐倉の周囲の人が叫んで逃げ出す。佐倉は血の気が引く。次の瞬間、バッカーン!と音がした。佐倉が宇賀神のハリセンでブッ飛ばされ、地面に転倒していた。直後に、キン!と音がして宇賀神のハリセンが真っ二つになった。水無月と宇賀神が睨み合った。
「人を殺めるのはおやめ下さい。水無月様。気品にかかわります」
水無月はそれを聞き、微笑に戻った。
「分かっていてよ。わたくしは取り乱したりはいたしません」
そう言って両手を元に戻し、迎えに来た黒塗りの車に乗り込んだ。
「皆様、ご機嫌よろしゅう」
開けた窓からそう言って去っていった。
佐倉が頬をさすりながら、車を見送る宇賀神のところに行って頭を下げる。
「宇賀神指令、すいません……」
「あんな女だ。命があるだけ儲けもんだな」
宇賀神は苦笑した。
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