第2話 仰天の上流社交会です

 まだ初出社日の午前が終わっただけなのに、佐倉真由は先の戦闘を見学して疲れ果てていた。

 新入社員の四人は、エレベータで地上の会議室に戻ってきた。午後からまたここで研修の続きだそうだ。昼休みになったので、ふらふらと近所のコンビニに弁当を買いに行った。すぐ上空で戦闘があり、大気圏外からの攻撃まであったにもかかわらず、町は何の異変もないようだった。きっとアンチフェーズとかいう装置のせいで、誰も何も気がつかなかったのだろう。

 弁当を買って戻ってきてみると、他の三人がいなかった。外で食べているのかもしれない。この辺にレストランなど見あたらなかったが。それにしても、まだ自己紹介もしていない。せめて同期の子とは仲良くしたい。みんな自分と違って、頭が良さそうだったけど……佐倉はため息をつく。

 レーザー照射実験から上空の戦闘から予想外というか、もう理解の外だ。そもそもそんな話は聞いてない。昼休み中に辞表を叩きつけて辞めてしまいたい。でも、しゃれにならないほど落ちまくった就活を思い出し、またあれをやるのかと思うと心底気が滅入る。やっぱり歯を食いしばってでも残るべきかもしれない。給料はいいのだし。

 食べ終わった弁当を部屋の隅にあるゴミ箱に入れる。昼休みが終わりかけてるのに、三人が戻ってこない。佐倉は焦り出す。レストランを探し出してやっと見つけたはいいが、帰り道が分からなくなったとか。それとも何か攻撃を受けているとか。誰かに報告した方がいいのだろうか。

 迷っているうちに昼休み終わりのチャイムが鳴り、同時に宇賀神が入ってきた。


「午前中は突然のことですまなかった。では午後の研修を始める」


 宇賀神はそう言って、黒のマーカーを手にホワイトボードに何かを書こうとする。


「あ、あのう……」

「何だ?」


 宇賀神は手を止めて振り向いた。


「あとの三人が戻らないのですが……」

「昼休み中に辞表を叩きつけて辞めていった」

「えええっ!」


 佐倉は仰天する。


「従って残ったのはお前だけだ」


 宇賀神はにやっと笑った。


「がんばれよ」


 佐倉はため息をついて机に突っ伏してしまう。


「まあ悲観するな。戦闘は楽しいぞ。湯加減さえよければ、いつまででも入っていられるってな」


 佐倉はのろのろと顔を上げた。


「銭湯……はあ、お風呂ですか」

「ここは笑うところだ。笑えっ!」

「はははは……」


 もちろん佐倉の顔は笑っていない。宇賀神は再びホワイトボードの方を向く。


「まだ肝心な説明をしていなかった。なぜ亀の湯が我が国の政府に狙われるのか。それは……」


 ここで、宇賀神の携帯が鳴った。舌打ちして携帯を手にして話し始める。


「何だ? 今は忙しい……え? 何でそんなことで揉める! 蒲原の代わりはいないのか!」


 最強の戦士である蒲原は、先の戦闘で一命はとりとめたものの、しばらくは戦線に復帰できないという。


「第一と第二の編成すら考えられないのかバカモノ! なぜ誰も考えられる奴がいない!」


 宇賀神は怒って、ハリセンで机をバシバシ叩いている。その音だけで佐倉は身が縮む思いがする。


「分かった。今から行く!」


 宇賀神は携帯を切った。


「……ったくどいつもこいつも。ええと佐倉、午後はとりあえず総務部からの説明を先にやる。そのあとであたしが戻って続きをやる。それじゃあ」


 そう言ってさっさと出て行ってしまった。しばらくして入ってきたのは、中原という名前の総務部の年輩女性だった。地味なスーツを着ている。


「えーそれでは、勤務表の書き方から。その後で交通費の精算について説明しますね」


 宇賀神に比べて、ペースが五倍ぐらいの遅さに感じられた。午後の時間はこののんびりした説明で過ぎていったが、佐倉にはその方が楽だった。午前中で燃え尽きたので、今日はこのまま終わってほしい。宇賀神が戻らなければいいと思った。

 ところが夕方には戻ってきた。


「いやいや午後はすまなかった。あと小一時間。重要部分の説明だけして、今日は終わりにしよう」


 そう言って午後の最初と同じように、マーカーを手にホワイトボードの方を向いた。


「亀の湯が日本政府に破壊されようとしているその理由なのだが……」


 ここでまた携帯が鳴った。


「ちっきしょー!」


 宇賀神は携帯を取って話す。


「何だっ? ……え? 今日だっけ? 無理だ。こっちで午前中に何があったと思っている。蒲原が負傷した。重傷だ。今はFS部隊再編成の最中だ。誰一人も出せん! え? 誰でもいいって?」


 ここで宇賀神は一瞬佐倉の方を見た。嫌な予感がする。


「新人でよければ一人出せるが……分かった。行かせる」


 宇賀神は携帯を切って、佐倉の方を向く。


「トータスプランニングの支援をすることになっていた。誰も出せないんで、悪いけど今から行ってくれ」


 もう帰れると思ったのに……佐倉は心の中で泣きが入る。


「あのぅ、でも、私何も分かりませんが……」

「構わん。パーティの手伝いだから。ちょうどいい。上流社交会を見れば、亀の湯がなぜ攻撃されるかが分かるだろう」


 宇賀神に指示されて行ったところは、亀の湯から東に百メートル行ったところにある洋館だった。つまり亀の湯を中心に、トータスセキュリティの地上建物は西に、トータスプランニングの洋館は東にある。あたりは夕刻で道もやや暗かった。

 途中、亀の湯の前を通った。どう見てもごく普通の銭湯だ。亀の湯前は住宅街としては広い通りで、車も通れるが、車道と歩道が分かれているわけではない。車はほとんど通らなかった。亀の湯前からは、もう一つまっすぐに伸びている道があって、それも広いのだが、やはり車などはほとんどいない。つまり亀の湯は三叉路の正面にある。

 既に利用時間になっていて、明かりもついている。しばらく立ち止まって入り口を見ていた。若い男が入っていく。結構美青年だ。今度は女が入る。五十代ぐらいの年輩だ。また男が入った。また若い美青年。また女が入っていく。また年輩だ。どうも何か偏っているのが気になったが、時間もないので洋館に向かった。

 洋館は、周辺の住宅街の中でも一際広大な敷地を持っていた。駐車場もあって、車が何台も停められる。運送会社のトラックが一台止まっていて、いろいろと搬入していた。上流社交会の準備が始まっているらしい。中央の彫刻が施された扉から中に入ると、既に慌ただしく人が行き来していた。ここも女性ばかりだった。近くにいる人に声をかける。


「あの、トータスセキュリティから来たんですが、有沢さん、いらっしゃいますか?」


 その人を呼べと宇賀神に言われている。声をかけた人が呼びに行き、宇賀神と同年代ぐらいの女性がやってきた。彼女が有沢だった。宇賀神とは対照的に、ピンクのスーツを着て、何だかなよなよしている。


「あら、あなたが新人さんのお手伝いね。お名前は?」

「佐倉です」


 有沢は上から下まで佐倉を舐めるように見ている。少々気持が悪い。


「今日はありがとうね。とりあえず、あと三十分で受付なので、会場準備を手伝ってね」

「はい」


 佐倉は会場の方に行こうとした。


「ちょっと待って。着替えていただくわ」

「あ、はい」


 有沢に指示されて。更衣室で身につけたのは、紺色のビジネススーツではあるが、妙にスカート丈が短い。着替えて有沢のところに戻る。有沢が脚をじろじろ見る。恥ずかしいというよりなんか不快だ。


「あの、これでいいのでしょうか?」

「脚がおきれいだから、そのぐらい見せているとお似合いよ」


 有沢は目を細めて笑う。それから会場準備を手伝った。会場は天井の高い大広間で。床は磨かれた大理石。壁にはギリシアの古代都市を描いたような大型のタピスリーが三面かかっている。残る一面は絵も何もない、白いスクリーンだった。何かの映像を映すようだ。それから搬入されてきたのは料理、飲み物。それから横に細かく区切られた棚が運び込まれた。白い円盤状ものが一枚ずつ入っている。部屋の中央に置かれるが、何だかよく分からない。シャンパンらしいボトルも大量に持ち込まれた。しかし、これが亀の湯とどう関係するのかも全く分からない。

 会場が整い、佐倉は受付を手伝う。次々と参加者が訪れた。上流社交会の名の通り、品の良さそうな女性ばかりだった。佐倉はやや緊張する。新人とはいえ、行儀が悪いと会社がバカにされてしまう。


「更衣室はこちらですー」


 誰かの案内の声がする。更衣室? 今からドレスアップするのだろうか? 見ると、ほとんどの参加者が更衣室に向かっているようだ。

 有沢が来た。


「佐倉さん、受付終わったから中へ。始まったら、空いたお皿を下げる仕事をして下さいね」

「はい」


 立食パーティらしい。佐倉は会場に入ったが、石造りの部屋に短いスカートではちょっと冷え冷えとする。参加者が次々に集まって、開始時間となった。有沢が前方のマイクに進み出る。


「それでは四月の社交会を始めさせていただきます。今宵も大いにお楽しみいただけるよう、手はずを整えております。投影開始は今より十五分後を予定しております」


 投影ということは、やはり前方のスクリーンで映画でもやるらしい。しばらく歓談の時間が続いたが、ほとんど飲み食いしているだけで、あまりしゃべる人がいない。社交会という名にしては、交流している感じがない。とりあえず、佐倉は空いた皿を見つけては下げる。

 十五分が経過し、会場がやや暗くなった。何人かが拍手をした。前方のスクリーンに映し出されたものを見て、佐倉は仰天した。裸の男達が群れている。画面は左右に分かれていて、右が脱衣所。左が浴場。これは説明されなくても分かる。亀の湯の男湯が映されていた。男の裸を見慣れていない佐倉は、顔に血が上るのが分かった。

 会場内のあちこちから黄色い声が上がった。


「真一ちゃ~ん、会いたかったわあ!」

「牧男~今日もたくましいわね~!」

「裕樹君のボディ最高よ~!」


 画面を見ると、銭湯の利用者は皆若い男で、それもかなりの美形揃い。利用者を選別しているらしい。しかし佐倉がさっき見た限りでは、亀の湯は普通の銭湯として営業されていたが。それにしても、こんな会場でモニターされているとは全く気づいていないようで、誰もが自然にふるまっている。

 参加者の女性達は、来た時の冷静さとはかけ離れ、腰をくねらせ身悶えして叫び続けている。なんか異様でいたたまれないが、出るわけにもいかず、戸惑っていると、有沢が隣に来ていた。


「ふふふ、どう? 驚いた?」

「あ、は、はい……な、なんか上流って感じじゃないですけど……」

「そうね、でもあなた、ロンドン金融街の赤ちゃんプレイブームはご存じ?」

「はい?」

「ロンドン金融街に勤めている人は、一日で莫大なお金を動かしているの、それも一瞬の判断ミスで全てを失いかねない状況でね。その恐ろしいストレスからひとときでも解放されようと、赤ちゃんとして扱ってくれる店がいくつもあるのよ。いい大人だけど、おむつをしたり、ミルクを飲ませてもらったりするの。その究極の責任放棄が次の仕事までの休息になるの。ここも同じよ」

「同じなんですか?」

「参加している女性達は、いずれも世の中を動かしている責任のある人ばかり。普段はどんな男性相手にも強くふるまっているけど、ここではものすごく下品で弱くなるの。イケメンの裸でメロメロになっちゃう自分にね」

「あの、あれ……亀の湯ですよね。イケメンばかりですが」

「そう、それでも利用者を選別しているわけではないのよ。不動産屋と手を組み、この辺に住む独身男性はみな美形に限定しているの。内風呂はなし。そのかわり銭湯の格安利用パスを進呈。言うなればこの辺一帯はイケメン特区よ」

「はあ……それにしても、何で亀の湯が攻撃されるのですか?」

「国にとっては面白くないんでしょうね。これだけの集まれば、国を転覆させることも可能ですから」

「だからって……」


 どうも納得がいかない。まだ理由があるんじゃないだろうか。

 会場内がますます盛り上がってきて、けたたましい嬌声が飛び交う。


「誠く~ん、亀見せて~」

「牧男~ 相変わらずりりしい亀だわ~」

「いや~ん、かわいい亀~」


 亀? 佐倉は始め何のことか分からなかったが、よくよく考えることもなく、すぐに意味は分かった。要するに男の股間についているものだ。参加者はそれに注目して騒々しく品評している。佐倉はますます顔に血が上ってしまう。


「佐倉さん、大丈夫?」


 有沢が半笑いで声をかける。


「ううう……」


 さらに嬌声がエスカレートしていく。


「やだー、俊之君の亀小さ過ぎ~」

「いいじゃないの小さくたって! 顔が大事よ」

「顔も健二君より劣るわぁ」

「なんだってぇ! お前!」


 一人の参加者が、中央の棚にある円盤を一つ取る。それを気に入らない相手の顔面に叩きつけた。


「おりゃあ!」


 ぶつけられた女の顔がクリームで真っ白になる。円盤はぶつけるためのパイだった。


「や、やったなあてめぇ!」


 やられた相手もパイを取って、相手にぶつける。そこらじゅうでパイのぶつけ合いが始まった。


「よくも牧男をバカにしたな!」

「あんなゾウガメはグロいだけよ!」

「うるさい! 縁日のミドリガメマニアが!」


 さらに並んでいるシャンパンボトルの一つを取ってシェイクし、栓を抜いて相手に噴射する。相手はずぶ濡れになる。


「うおおおおおお!」

「この中年メス豚が!」

「うるせえこのヒステリー女!」


 佐倉はあまりのことに固まって見ているばかりだった。そこに有沢が指で突っつく。


「あそこ、お皿片づけて」

「あ、は、はい……」


 佐倉はじゃましないようにぎこちなく中に入っていった。その時、クリームまみれの女が、パイを片手に佐倉を指さして叫んだ。


「おおおっ、若い娘じゃあ!」


 佐倉は仰天する。


「い、いえ私はスタッフ……」


 言い終わらないうちに佐倉の顔面にパイが叩きつけられた。同時に他の参加者も同調した。


「小娘が生意気じゃあ!」

「若いからってこんなミニスカートはきやがって!」

「ここに来るのは二十年はやいわ!」


 顔面を中心に胸からお尻まで次々とパイ攻撃され、佐倉はめまいがしてふらつく。さらに顔面にボトルからの噴射を浴び、背中にもボトルが差し込まれ、中の液体が流れ込んでくる。呼吸もままならず前方も何も見えず、気がだんだん遠くなってきた。どうやらこういう目に遭わせるために、有沢は短いスカート姿にさせたに違いない。そう思った直後には、もう何も分からなくなった。

 佐倉が気がついた時には、別室のベッドで寝かされていた。裸にタオルケットがかけてあるだけだった。もぞもぞと動き出す。


「おや、気がつきましたか」


 知らない女性に声をかけられる。白衣姿だから看護師だろう。


「あ、あの私は……」

「大丈夫ですよ。気を失っただけですから。もう社交会は終わって片づけに入っています。今、宇賀神指令が来ますよ」

「え?」


 そう言うと同時に宇賀神が入ってきた。寝かされているのを見て、心配そうな顔をする。


「佐倉、大丈夫か?」

「あ、は、はい……」


 それから宇賀神は、看護師に怒った声で言う。


「すぐに有沢を呼べ」

「あ、あの有沢さんは後片づけの指揮で」


 看護師は身を引きつつ答える。


「いいから今すぐ呼べ! うちの社員を何だと思ってる!」

「わ、わ、分かりました」


 宇賀神の剣幕に怯え、看護師は飛ぶように出て行った。


「まったく、有沢の奴は最近調子に乗りすぎだ」


 宇賀神は吐き捨てるように言う。佐倉は寝かされつつも、そんな宇賀神をぼんやり見ていた。怒られると怖いが、味方にするとめっぽうカッコいい。やがて有沢がうろたえながらやってきた。


「う、宇賀神指令、何でしょう?」


 ほぼ同時にパッカーン!と音がして、有沢の顔面にハリセンが炸裂。有沢は飛ばされて壁に激突した。


「何でしょうじゃねえ! うちの社員は奴隷じゃないんだぞ!」

「い、いえ、いえ、そんな扱いは決して……」


 有沢は赤くなった頬を押さえながら弁解する。


「気絶するまで暴行を加えるとは何事か!」

「ぼぼ暴行だなんてそんな……全て規定通りですよ。違反はないです」

「なにっ?」


 それから宇賀神は鋭い視線を佐倉に向けた。何か嫌な予感がする。


「佐倉、何をされた」

「あ、あの……パイをめちゃくちゃぶつけられて」

「それは規定通りだ。それから」

「シャンパンを頭とか背中とか……」

「シャンパンじゃなくて、パーティ用の炭酸水だ。それから」

「それだけですが……」

「……」


 バッカーン!とデカい音がして、佐倉が宇賀神のハリセンでブッ飛ばされ、ベッドから転げ落ちた。


「いったーっ……」


 宇賀神はベッドの脇でタオルケットで体を隠しながら半ベソをかいている佐倉に指を突きつける。


「その程度で気絶しやがって! それでもトータスセキュリティの社員か!」

「だ、だ、だってぇ……」


 佐倉の声を無視して、宇賀神は有沢に話しかける。


「有沢、すまなかった。規定通りだ。佐倉はこのまま着替えさせ、家に帰していい。佐倉!」

「は、はい……」

「明日は今日と同じ時間に出社のこと。じゃあまたな」


 そう言って、宇賀神はさっさと出て行ってしまった。

 明日絶対辞表を提出してやると佐倉は思った。

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