亀の湯戦記 またはただ一つの銭湯を守るべく国家と戦う物語

紀ノ川 つかさ

第1話 涙の就職です

「もはやあれを使うしかあるまい」

「あれは国防軍の切り札です。国内の問題で使うのはいかがなものかと」

「しかし、もはや猶予はない。ピンポイントで確実に破壊できる兵器はあれだけだ」

「ターゲットはああ見えて要塞ですからね」

「ターゲットの座標が射程内に入るチャンスは一瞬ですよ」

「恐らく相手も直前に察知するでしょう」

「直前では防ぐことは不可能だ」

「では実行に移ろう」



 教室形式で机が並んでいる会議室で、佐倉真由はやや緊張して待っていた。自分の他に新入社員は三人いる。まだ言葉を交わしてはいないが、みんな自分よりも頭の良さそうな女性ばかりだ。それもそのはずで、この「トータスセキュリティ」の倍率は数十倍か数百倍といわれていた。選び抜かれた極めて優秀な人材に違いない。佐倉は成績も並な短大出の自分が、どうして選ばれたのか全く分からなかった。高い給料を誇り、社員は女性ばかりという先進のセキュリティ会社。女性の防犯にも力を入れていて、防犯グッズを販売する店舗やショッピングサイトも持っている。

 佐倉がダメもとでこの会社を受けたのは、就活で何社も落ちまくり、それどころか行く先々の男性面接官からセクハラまがいの質問をされ、ほとほと嫌気がさしていたからだ。あの連中にスタンガンを浴びせたい何度思ったか。その点、社員が女性ばかりならそういう心配もないだろうと思ったし、実際なかった。

 オリエンテーションの開始時間になり、最初に四元(よつもと)貴子という五十代の最高責任者が挨拶した。四元とは最終面接で会っているが、ほとんど決まっていた後のようで、面接はごく短時間だった。めがねをかけ、背が低くて太っているが、どこか貫禄がある。四元は、皆さんに期待しています、といった簡単な内容でさっさと出て行ってしまった。

 次に宇賀神香澄という痩せた四十代の女性がスクリーンの前に立った。暗い灰色のスーツ。短髪で目つきが鋭い。手にはレーザーポインターと、何か白くて細長い、四角いものを持っていた。何だか分からないが、佐倉はさらに緊張する。


「あたしが部長の宇賀神だ。全体の指揮をとる。まず当社の業務内容を説明する」


 簡潔にそう言うなり、前のスクリーンに地図が映った。どこかの住宅街のようだ。建物一つ一つが分かるぐらい大きい縮尺。宇賀神は、レーザーポインターを使って指し示す。


「ここが現在位置だ。当社の業務は、ここから百メートル東にあるこの施設の防衛である」


 防衛? 佐倉は思わず身を乗り出す。レーザーポインターが指している建物には、温泉マークが描いてあった。佐倉は何かの間違いだろうと思った。周りを見ると、他の三人も戸惑っているようだ。中の一人が手を挙げた。


「すいません……その施設、何ですか?」


 彼女は半分笑っていた。指している場所を間違えていると思ったらしい。しかし、宇賀神の示す場所は少しも動かなかった。


「銭湯。名前は『亀の湯』だ。いかなる犠牲を払っても、この施設を防衛する。これが当社の業務の全てである」


 全て? 佐倉だけでなく、全員唖然としていて言葉が出ない。一つの銭湯を警備するだけのセキュリティ会社なんて聞いたことがない。だいたい面接でもそんな話は一言も出なかった。セキュリティシステムの設置やら、防犯グッズの販売が業務ではなかったか。戸惑う四人に構わず、宇賀神は続けた。


「このオフィスはカムフラージュだ。これから司令室に案内する。全員荷物を持ってついてこい」


 そう言って、宇賀神はさっさと部屋を出ていった。佐倉は慌てて筆記用具をバッグにしまい、後を追った。他の三人も同じようにしている。宇賀神は奥にあるエレベータの中で待っていた。


「早くしろ! 新人はモタモタするな!」


 怒鳴られて四人は早足でエレベータに乗り込む。宇賀神は一番下のボタンを押した。『B9』と書いてある。地下九階だ。エレベータは急速に降下していく。全員が緊張して黙っていた。

 エレベータが停止し、扉が開いた。長い廊下がまっすぐに延びている。宇賀神は真っ先に出て早足で歩いて行く。宇賀神の後ろを四人は慌ててついて行った。百メートルほど進んだところに扉があり、宇賀神はセキュリティカードをリーダーに通して開けた。開いた扉の向こうを見て佐倉は驚いた。高い天井、何面もの大型スクリーン、多数のコンソール。まるで秘密基地の司令部だ。職員はもちろん全員女性。制服を着込んで、誰もが厳しい顔で持ち場についている。


「ここが中央司令室だ。亀の湯の真下に当たる」

「なんで……」


 佐倉がつぶやくと、宇賀神は睨みつけた。


「何か質問があるか?」

「いえ、あの……なんでこんな物々しいのかなって……」

「それは今説明する。あっちにミーティングルームがあるからそこで……」


 その時、部屋の奥の方から呼ぶ声がした。


「宇賀神指令、至急見てほしいものがあるんです!」

「今は忙しい!」


 宇賀神は声の方を見もしない。


「リフレックスクロスが完成して、最終試験が行われるところです」

「何? それなら行く」


 宇賀神は改めて四人の方を見た。


「新しい防衛素材だ。今から性能を確認しに行く。ちょうどいい見学になるだろう。四人とも来い」


 宇賀神と四人は開発部と呼ばれるエリアに向かった。簡単な工場らしい施設や、設計室などがある。奥には広い実験室があり、中央に一枚の光る布が下がっていた。見学者も何人か来ていて、その中にひときわ屈強な女が立っていた。彼女は宇賀神を見て黙礼する。宇賀神はうなずいて、彼女を四人に紹介する。


「トータスセキュリティ最強の戦士、蒲原梓だ。お前達もいずれ世話になることがあるだろう」

「よろしく」


 蒲原は低い声で言った。


「もう試験は始まっているのか?」

「今レーザーの出力を上げているところです」


 その時衝撃音がして、部屋の隅から鮮やかな青白い光線が撃ち出され、布に当たった。その光は布を焼くことなく拡散される。


「ほう、なるほど」


 宇賀神が薄く笑う。そこに開発室長がやってきた。背は低いが、体重が宇賀神の倍ぐらいありそうな女性だ。


「宇賀神指令、ごらんの通りです。これだけの出力のレーザーでも傷一つありません」

「人が装着して撃っても大丈夫なのか?」

「もちろんです」

「本当に大丈夫か?」

「あ、ほ……ほんどうで……」


 口ごもったその時、パァン!と高い音がして、室長が飛ばされて床に倒れた。宇賀神は手にハリセンを持っていた。さっきから持っている白くて細長いものは厚紙でできたハリセンだった。それで室長の顔面を思い切り張り飛ばしていた。


「確かめてないんだろう! 実戦で使えるようになってから披露しに来い!」

「い、いえすぐに使えます」

「本当だな」

「はい……はい」


 室長は涙目で言う。宇賀神は新入社員の四人を見渡し、佐倉に目を留め、指を突きつけた。


「お前! 名前は?」

「は、は、はい佐倉……佐倉真由です」


 言いながら思い切り緊張している。


「佐倉、あの布を着て部屋の中央に立て」

「え、ええっ?」


 佐倉の顔から血の気が引く。何か危険な目に遭うことは間違いない。室長も恐る恐る止めようとする。


「あの、宇賀神指令、それはちょっと……新人さんですし……」

「安全なんだろ? それにこういう場合、万一のことになっても損害の少ない人材を選ばざるを得ない。佐倉!」

「は、はい……」


 宇賀神の剣幕ではとても逆らえそうもない。


「何かあっても労災だ。補償はする」

「あ、あの、しかし……」

「大丈夫だ。開発室長を信じろ。さっきはブッ飛ばしたけど、あれで結構優秀な人材だ」

「は、は、はあ……」


 佐倉がしかたなく部屋の中央に出て、リフレックスクロスを身につける。軽いマントなので装着は面倒ではないが、開発室長が手伝ってくれた。


「あの、室長、だ、だ、だ、大丈夫ですよね」


 佐倉は震え声で訊く。


「もちろんですとも!」


 室長は猫なで声だ。でも佐倉はその言葉にしがみつく。


「信じてます!」

「あー、でも、もし熱いとか痛いとかなったら、すぐ逃げていいですからね」

「うえっ……」


 かなりの不安を残して室長が離れて、佐倉は部屋の中央に残される。室内にスピーカーの声が響く。佐倉はレーザー発射口に背中を向けて目を固く閉じた。


「三、二……」


 なんで普通に就職したはずなのにこんな目に遭っているのか。佐倉は半ベソで悔やむ。


「男性面接官のセクハラ質問ぐらい我慢すればよかった……」

「一、照射!」


 衝撃音と共に、鮮やかな青白い光線が佐倉の背中を襲った。一、二秒は耐えていたが、すぐに大声を出して走り出した。


「熱い熱い熱い! 痛いですぅ!」


 そして部屋の隅にしゃがんで泣きじゃくった。室長は青い顔になってうろたえた。宇賀神は舌打ちして室長を睨みつけ、佐倉のところに駆け寄った。さすがに心配そうな表情だ。


「至急救護を呼べ! 佐倉、大丈夫か?」

「大丈夫じゃないですぅ」


 涙をこぼしながら佐倉が答える。宇賀神はリフレックスクロスを外した。


「どこだ?」

「背中ですぅ」

「見せてみろ」


 佐倉はマントを剥いでスーツを脱ぎ背中を見せたが、直後にパァン!と音がした。


「きゃん!」


 宇賀神が背後から佐倉をハリセンでブッ飛ばしていた。


「赤くなってるだけじゃないかっ! この軟弱者!」

「だ、だ、だってえ……」

「そんなことでトータスセキュリティの社員が務まるかっ!」


 その時、サイレンのような警報が鳴った。合成音声の館内放送が入る。


『第一種警戒態勢』


 宇賀神が携帯を出して連絡を取る。


「どうした? ……なにっ! 今行く」


 宇賀神はもう佐倉に構わずどこかに行ってしまった。床の上で呆然と座っている佐倉が残される。救護担当の人が駆けつけて診察したが、宇賀神の言う通り赤くなっているだけで、どうということはなかった。

 宇賀神が忙しくなったので、新入社員の四人はしかたなく、中央司令室の隅で、並んで見学していることになった。司令室の天井は高く、前方には大型スクリーン。中央にあるテーブル状のコンソールに囲まれている宇賀神に次々と情報が入る、彼女はそれに応じて素早く指示を出す。


「滞空型カメラを射出」

「上空でアンチフェーズを確認しました」

「敵機の確認はまだか?」

「北北西五十三キロに、それらしき機影があります。直下攻撃ヘリ四七型と見られます」

「三十キロ地点でFS第一部隊を出撃」


 何のことか分からず、佐倉は隣の新入社員に訊く。


「ねえ、何が起こってるか分かる?」

「ん、あなたの実験中に近くの人にいろいろ訊いたんだけど、亀の湯は常に攻撃目標なんだって」

「どこからの?」

「国防軍。つまり日本政府よ」

「ええっ?」

「ちなみにアンチフェーズっていうのは国防軍の装置で、上空の音を消し、地上から見える空を霧のように曇らせるの。上空でどんなに激しい戦闘をしても、下には音が聞こえないし何も見えないんだって」

「でも、なんでここがそんな攻撃されるの?」

「それ訊こうとしたら、実験が始まっちゃった」


 結局なぜかがまだ分からない。佐倉が想像するに、亀の湯地下に何か古代遺跡みたいなものがあって、それを刺激すると世界が破滅するとか……いや、それではどこかのSFアニメみたいだ。


「機影、間もなく三十キロ地点」

「蒲原、行けるか?」


 宇賀神がコンソールに話しかける。蒲原からの返答がスピーカーから聞こえた。


「宇賀神指令、待って下さい。攻撃パターンが普通過ぎます。何か別の意図があるかもしれません。四七型なら第二部隊で対応できます」


 蒲原はどこかでスタンバイしている様子だ。


「三十キロ地点!」

「蒲原および第一部隊はそのまま待機。FS第二部隊出撃!」


 宇賀神の声が響く。中央の大型スクリーンに、亀の湯を中心とした住宅街が数ヶ所映し出された。その何ヶ所かから、上空に向かって飛び立っていく影が見えた。それは背中に飛行装置を装着した人間だった。もちろん全員女性だ。


「あれがフライングスーツか……」


 隣の社員がつぶやいた。FSとはその略称のようだ。FSを装着した部隊が戦闘のために出て行ったのだ。銭湯のために戦闘などと、佐倉は場違いなダジャレを思いつく。


「あと一分で接触……いや、敵機回避行動!」

「攻撃してこないのか?」

「恐らくダミーです」


 その時、悲鳴のような声が響いた。


「大気圏外、軍事衛星『いかずち』起動確認!」

「なにっ! それは確かか? 軌道は?」


 宇賀神は思わず身を乗り出した。やや顔が青ざめている。


「あと三分で亀の湯上空を通過。高出力パルスレーザーの照射を受けます!」

「正気かあいつら……そこまでしてここを……地対空レーザーで撃墜!」

「大気圏外までの出力を出すには間に合いません。亀の湯が照射されたれたあとです」

「いいからやれ!」


 佐倉の血の気が引いて、気を失いそうになる。あと三分以内で大気圏外から亀の湯が攻撃される。ということは真下のここも無事じゃない。ということは自分も無事じゃない。また半ベソになる。


「ブラック企業の方がまだマシだったよ……」


 その時、蒲原からの声が入った。


「宇賀神指令、我々が出ます」

「出てどうする?」

「亀の湯上空にリフレックスクロスを広げます」

「あれは未完成だろう。それにクロスに命中するとは限らない」

「時間がありません。やらせて下さい!」


 宇賀神は数秒考える。


「分かった。蒲原及び第一部隊、上空にリフレックスクロスを展開せよ。出撃! 第二部隊は帰投」

「了解」


 再び大型スクリーンには、上空に向かってゆくFS部隊が映る。画面は縦二つに分割され、左は上空にFS部隊の四人がかりで広げていくリフレックスクロス。滞空型カメラで撮っている映像なので、常にゆっくりと揺れている。一方右は現在の亀の湯が映っていた。見たところ普通に客の出入りもしているようだ。危機的な状況にもかかわらず、亀の湯があまりに普通の銭湯なもので、佐倉は笑いがこみ上げてくる。日本建築らしい大きな瓦屋根があって、にょきっと立った煙突には温泉マークと「亀の湯」という文字がしっかり書いてある。

 銀色のリフレックスクロスは十メートル四方ぐらいに広がったが、FSの滞空能力にも限界があり、なかなか広げた形も安定しない。


「あと四十秒」

「蒲原、聞こえるか?」


 宇賀神が叫んだ。


「聞こえます」


 通信の声が答える。


「中央部分が下がっている。もっと広がるはずだ」 

「了解、私が下から支えます」

「あと三十秒」


 蒲原がクロスの真下から支えて、ほぼ平面状になった。


「あと二十秒……十秒……九、八……」

「『いかずち』X線放出確認!」

「来るぞっ!」

「一、ゼロ!」


 ほぼ同時に、上空から垂直に照射される青白い光線が襲ってきた。先の実験よりも遙かに太い。光線はクロスに命中。光線には質量がないため、薄いリフレックスクロスで拡散され、その下には届かない。しかし高いエネルギーはクロスの照射部分および周囲を熱していて、その真下にいる蒲原がダメージを受けた。数秒で終了した照射で、蒲原はかなりの火傷を負い、そのまま墜落していく。


「蒲原!」


 宇賀神が叫ぶ。


「撃墜準備完了!」

「よし、照射!」


 地対空レーザーが「いかずち」に照射され、国防軍の軍事衛星は一瞬にしてスクラップになった。


「システム停止を確認。『いかずち』を撃墜」

「蒲原を急いで救出しろ!」


 宇賀神はそう叫んで、コンソールのシートに座り込んだ。


「まずい……」


 ここで蒲原が失われるようなことがあったら、亀の湯の防衛は極めて困難になる。宇賀神は思わず天井を見上げる。

 佐倉達はただ呆然としていた。いったいどんなところに就職してしまったのか。

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