愛情の影法師

深水千世

愛情の影法師

 我が家の『凪』は地元の里親会で引き取ったメス猫です。毛色はキジシロの白い部分が多い『トビキジ』だと思います。目の色は実に魅力的でグリーンがかった金のグラデーションが宝石のよう。


 彼女に名前を授けたのは夫でした。里親会の会場で「名前、どうする?」とたずねると三秒もかからずに「凪」と答えたのです。夫の好きな『イブの時間』という映画の登場人物からとったのかなと思いましたが、実際は手塚治虫先生の『火の鳥』の登場人物からだそうです。


 我が家には他に三匹の猫がいるのですが、凪だけがわんぱくな息子たちを恐れることなく乳母のように寄り添い、乳幼児の桃尻で潰されてもめげることなく私にべったりしなだれがかります。

 子どもの写真を撮れば凪がいつでも写り込んでいますし、食器洗いをすると決まって流しのへりに座って二の腕を甘噛みし続けます。

 そんな調子でずっと隣にいるうちに、幼稚園に入園するまで成長した息子は凪のことを「ぎー」と呼べるようになりました。


 えこひいきというわけではありませんが、凪は特殊かもしれません。


 最初は『ナギ』としか呼ばなかったのに、そのうち誰が言い出したか『ナブ』とか『ナブゥ』と呼び始めました。そう、彼女だけあだ名があるのです。

 そのうち今度は『ニャギ』と呼ぶようになり、『ナブ』と『ニャギ』が融合して最終的には『ニャブ』となりました。猫親バカの度合いがマックスだと『ニャブゥ』と語尾が伸びます。ついでに飼い主の鼻の下も伸びています。


 愛情がこみあげるのは他の猫も同じなのに、凪だけがニャブというあだ名を持っているのはどうしてなのか。自分はえこひいきなのか。そう考えこんだことがありました。SNSに公開する画像も携帯電話のカメラロールも圧倒的に凪の姿が多いのです。


 多分、私にとって彼女は愛猫というより『同志』なのだと思います。


 実家のある北海道から遠く離れた北関東に嫁いだ私は、ほぼワンオペ育児です。両親も弟妹も友人もいない場所で初めての子育てを始めたばかりの頃、戸惑いと不安で何度も泣きました。

 不思議なもので「もう無理」と崩れ落ちそうになると、凪が膝に乗ってきます。「なぎぃ」と甘えて泣き出すと『ちょっと毛が涙で濡れちゃうじゃない』と言わんばかりにするっと逃げてしまうあたりが猫らしいんですが。


 息子が長時間グズっているとき、真っ先に寄り添って心配そうに見守るのも猫です。

 思い返せば長男が生まれたばかりの頃は沐浴監督として風呂場に付き添い、風邪をひけば髪を毛繕いしてくれたものです。


 私にとって凪はいつでも味方でした。凪にとってはそうでなくても、私は勝手に信じているのです。何度も北海道に帰りたいと思ったけれど、猫がいるから踏み止まれました。『子はかすがい』ならぬ『猫はかすがい』だったのです。


 夢枕獏先生の小説『陰陽師』には「名は呪だ」という台詞が数多く出て来ます。

 里親会に来ていた『猫』にすぎなかった彼女が『凪』という名前をつけられてかけがえのない存在になりました。


 人は愛情があるから名前をつける場合がほとんどだと思うのです。名前はいうなれば愛情の影法師。愛情の光を受け、呪として凪の足元に必ずついてきて、存在を証明するもの。


 そして愛情は移り行くものです。時間と気持ちを重ねあって、愛情の形も変わります。そして名前だって影が太陽の位置で姿を変えるように、愛情の変化とともに変わっていく。凪がニャブになるのは自然なことなのだと思っています。


 愛猫たちの名前を呼ぶだけで、それはもう愛おしくなります。それだって、名前が愛情の影法師だからですよ、きっとね。

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愛情の影法師 深水千世 @fukamifromestar

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