第31話 孫娘が戦いの行方を見ている
「おやめなさい!」
澄み渡る声が、「
「これはこれはソフィエン様……よくここを見つけられましたね」
「限られた王族では無理でしょうが、これだけの人数で城内を探せば、見つからないこともありません」
怖じることなく答えるソフィエンの背後には、無数ともいえる武装した魔族たちが、松明を掲げて控えていた。その光に揺れる鎌や手斧、
「下がりおれ! おのれらのごとき身分のものが足を踏み入れてよい場所ではない!」
無限ともいえる暗闇の中で、僭王の咆哮が何度となく反響する。それはもはやモードレ自身の声ではなく、この世界の底に潜んでいる欲望や悪意が形をとって現れたものであるかのようだった。
魔族たちは慄いて後じさったが、ソフィエンには動ずる気配がない。それどころか、微笑さえ浮かべてみせる。
「王位を争う者同士が雌雄を決する秘密の場所……そうおっしゃりたいのでしょう?」
その一言に、さっきまで荒れ狂っていた空気が凍り付いた。ソフィエンの眼差しは冷たい。だが、その奥には魔王ヴィルハーレンに刃を向け、罪もない女たちを思いのままに汚そうとしている欲望の権化に対する怒りが燃えている。
モードレはといえば平然として、その視線を受け止めていた。
「あなたは例外としましょう。形の上とはいえ、前魔王の孫娘だったのですから。それに……」
もとよりモードレは気圧される様子もない。さらには、自らの要求までも口にしようとしていた。
だが、ソフィエンは最後の一言をみなまで言わせることはなかった。
「その方々をお助けくださらなければ、私、ここで死にます!」
確信を持っての一言だったのだろう、その言葉には一点の曇りも淀みもない。魔界の王たるものは人間の妻を迎えて子を生すことが求められている。それが前魔王の孫娘となれば、僭王の権威を支える者として、これ以上の身分はない。
だが、モードレはその場で答えを出そうとはしなかった。
「考えておきましょう……人間の女に子を産ませれば、それでよいのですから」
羞恥のせいか怒りによるものか、幼さを残したソフィエンの顔が真っ赤に染まった。その背後から、低い呻き声が短くたしなめる。
「慣れないことはすんな、嬢ちゃん」
鎧に身を包んだ女戦士が、魔族のひとりから手斧をひったくった。それを高々と振り上げたかと思うと、身体を大きく捻る。
「くらえバケモノ!」
傷つき疲れ切った身体をものともしない。その腕の一振りは、渾身の力を振り絞ったかとも思われた。凄まじい速さで回転する手斧が、モードレの身体へと迫る。だが、その巨体は太い腕を伸ばして、飛んできた斧の柄をあっさりとつかみ取った。
その口からは、いささか興奮気味に息が漏れる。
「そういう悪あがき、嫌いではありません」
逃げる獲物には更なる欲望がかきたてられるものらしい。手斧を投げ捨てると、モードレはゆっくりとサンディに歩み寄る。澄んだ声がそれを制した。並みの悪党や魔物なら、その一言で縮み上がっても不思議はなかっただろう。
「下がりおれ!」
モードレが言った言葉をそのまま返すかのように言い放つや、マルグリッドは床に伏せたまま、さっき叩き落とされた錫杖を引っ掴むと、戦の神に祈った。短いが、しかし身体に残った全ての力を振り絞ったかとも思える声が朗々と響き渡る。
「守り給え我が同胞を、遠ざけ給え邪界の僭王を!」
それは、聞き届けられたようだった。
サンディとモードレが、2人の間で炸裂した閃光に吹き飛ばされる。女戦士のまとった鎧が、固い床の上で甲高い音を立てた。僭王はといえば、その身体の重さのせいかおかげか、何歩か後ずさっただけで済んでいる。
だが、マルグリッドの狙いが誤っていたわけではなかった。「床食い」の放つ光が届かない闇の中から、足音も立てずに疾走してきた者がある。
その跳躍と共に、魔王の背後から首筋めがけて、抜き打ちの剣と言葉の刃が同時に放たれた。
「卑怯者には卑怯な手がお似合いさ!」
メルスらしからぬ騙し討ちだったが、魔力で強化された身体に深手を負わせるには足りなかった。神速の刃は皮一枚切っただけでその役目を終え、少女剣士の華奢な身体は、隆々たる筋肉に支えられた腕の先の、指二本で首筋を挟まれて吊り下がっている。
女たちの戦いをじっと見守っていた非力なソフィエンは、美しく光る白い歯を食いしばるしかなかった。
「なんてことを……!」
きっと見上げる怒りの眼差しを正面から受け止めたモードレは、床の上に横たわる女たちを満足げに見下ろして告げた。
「さて……3人、いや4人まとめて、私の妻になりますか?」
冗談めかした言葉の裏にあるのは、逆らえばメルスの命はないという脅しである。魔法で元の姿を失っても、いや、失ったからであろうか、その欲望は身体の変化に任せて膨れ上がっていた。
床の上で上体だけをどうにか起こしたマルグリッドが、美しい唇の間に白い歯を剥いて罵る。
「ケダモノ……」
暗く落ちくぼんだモードレの目の奥で、鈍い光がどろりと揺れる。それは身体の醜さを見下されたせいではない。そこにはむしろ、ありのままの姿をはっきりと告げられたことへの悦びすら滲んでいた。
鎧の下が総毛立つのさえも見えそうなくらいおぞましげな口調で、丸腰のまま立ち上がろうとするサンディが吐き捨てた。
「冗談……!」
その非難にさえも快感を覚えているのか、モードレは声を震わせながら嘲笑する。
「ほら、腰がガクついていますよ……私が鎮めてあげましょうか?」
細い身体をぐったりさせて声も出せないメルスを片手に、モードレは膨れ上がった腕のせいで妙に小さく見えるもう一方の手をサンディに向かって伸ばす。それを力無くも何とか振り払おうとした努力も空しく、鎧を布切れのように引き裂いたモードレの手が、片方の胸を露わにしたサンディの身体をすくいあげた。
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