第28話 僭王の邪眼が女たちを見ている

 だが、魔王ヴィルハーレンがその長剣を僭王モードレに向かって振り下ろすことはなかった。いや、その疲れ切った身体では無理だったろう。空間を飛び越え、四大元素を操り、異次元の魔獣まで従属した老王に、必殺の一撃を下す力など残っていようはずはない。

 従って、その前に行動を起こしていた者がいても不思議はない。

「すっこんでろジジイ!」

 マンティコアの不意打ちで倒れたことでモードレの術が解け、金縛りから解き放たれたランバールが十文字槍を叩きつけた。いつも魔王がやってみせるように、モードレも一瞬で交わして勇者の背後に立つ。そこへ、空中のマンティコアがサソリの尾が降り降ろしてくる。モードレはこれも身軽にかわしたが、勇者ランバールは自らの勝機を無駄にはしなかった。

 どこまでも続くかと見える、暗い「決闘の間」の奥へ奥へと凄まじい速さで逃げる白い影を、その敵に回ったマンティコアはどこまでも追っていく。魔王の従属下に入ったからであるが、傍目から見れば、獅子の身体の背中に乗った勇者に操られているかのようでもある。

「さあ行け、獲物はあっちだ!」

 マンティコアがモードレに襲いかかるのを見て、まだそれほど速く走らないうちに追いすがり、その背中にまたがったのである。何かに騎乗してしまえば長柄の武器の威力は絶大で、振り下ろすにも突き刺すにも横に薙ぐにも、攻めやすさと守りにくさの落差は眼で見てもわかるほどだ。

十文字槍ランサーってのはこう使うんだよ!」

 突進しては突き出し、宙に舞い上がっては叩きつけてくる十文字槍を、モードレは紙一重の差で避けるのがやっとである。だが、それも魔王がやってみせたとおり、刃の見切り方としては最も無駄のないやり方とも言えた。

 実際のところ、休む間もなく攻め続けているランバールは、魔獣の上に乗っているとはいえ、呼吸を乱さずにはいられないようだった。当然のことながら、そこには僅かの間であっても隙が生じる。魔界の支配者を自負するモードレが、気づかないはずはなかった。

「甘いですよ! 他の魔族のようにはいきませんからね!」

 かわした槍の柄を小脇に挟むと両手で引っ掴み、自ら床に転がって、マンティコアの背中から引き抜いた。魔王が食らわしたのと同じ手である。モードレは楽しそうにからかった。

「負けて学ぶのも修行ですよ!」

 勇者としても、そのくらいは分かっている。槍を引き抜かれそうになった瞬間、手を放しはした。だが、マンティコアの扱いとなると、そう上手くはいかない。モードレが手にした武器に強化エンハンスの呪文をかけてつきつけると、そのぼんやりと光る刃に恐れをなしたのか、魔獣はコウモリの翼を一打ちして、暗い空中に舞い上がった。ランバールは、そこまで予期してはいなかったらしい。

「うおおおおっとおおおお!」

 それでもわざわざ大げさな声を上げて振り落とされると、床の上をごろごろと転がった。どうにか身体のバランスと体面は保ったものの、手持ちの武器が魔法のかかった状態で僭王の手に移っていては、いくら無傷とはいっても、もはや打つ手がない。

「では、先王エイボニエルの仇、勇者ランバールの命を魔王の名と共に頂戴つかまつります」

 おどけた物言いと共に繰り出される槍だったが、その穂先が勇者の胸を貫く前に、長い柄はモードレの手から叩き落とされた。

「あたしに任せな、ラン!」

 斧を担いだサンディが、いつの間にかマンティコアの背に乗って宙を駆けていた。モードレの攻めに怯んだものの、魔獣は従属呪文を唱えた魔王のもとに戻ってきていたのである。だが、そこは生まれが災いしてか、馬にも乗ることのない身分の者が空を飛ぶ魔獣を乗りこなせるはずもない。ここが馬も女も乗りこなすのは百戦錬磨という勇者ランバールとは違うところである。

「うわああああっ!」

 斧が重い分、モードレの頭上から振るった勢いを自分で抑えられずに、自分で床の上に転げ落ちる。起き上がったところで目の前に立っているのは、怒りに燃える目で見下ろすモードレだった。目を合わせたサンディは、斧を手にしてしゃがみ込んだまま、動くこともできない。

 これこそが真の「邪眼イーヴル・アイ」だった。僭王モードレなら他の魔法もありそうなものだが、戦いに疲れたこの場で使えるものとしてはこれが限界だったのだろう。

 そこへ横から迫ってきたのが、魔法のかかった十文字槍を手にしたランバールである。繰り出された槍の穂先を寸の見切りでかわしたモードレは、その柄を片手で引っ掴む。

「甘い、と言ったでしょう?」

 端整な顔立ちの貴公子が、いかつい中年男に涼しい声で答える。しかも、その目は女戦士を座った場所に釘付けにしている。圧倒的に有利にみえるが、裏を返せばモードレ自身にも打つ手はない。魔王に戦う力がない今、闘いは膠着しつつあった。

 その力の均衡を破った者がある。闇の中に姿をくらましたマンティコアが4人目の主を連れて、石の床の上を音もなく駆けてきた。

「……そこっ!」

 鋭い一声が聞こえたときには、僭王モードレの両眼を薙ぎ払うように、銀光が横一文字に閃いていた。間一髪、モードレは空いた片手で、超低空を凄まじい速さで突進してきたマンティコアの背中から放たれた、メルスの抜き打ちを防いでいる。その手の甲から、一筋の赤い血が流れ落ちた。

「小娘……!」

 怒りに震える声で唸るのを横目に、メルスは翼の生えた魔獣を悠々と乗りこなしている。馬と獅子とでは体つきが違っているだろうが、それでも振り落とされないで武器を操れるのは、馬上戦闘の訓練も積んでいるからだろう。その辺りは、サンディと比べて恵まれた生まれだったからだと言わざるを得ない。

 まだモードレを攻めあぐねている勇者ランバールを空中から見下ろすと、自信たっぷりに微笑んだ。

「ボクに任せてすっこんでてよ……オジサマもね」 

 勇者に向かって慣れない軽口まで叩いて見せるが、それが裏目に出た。一瞬の気の緩みが、僭王モードレの動作を見過ごさせたのだろう。いつの間にか魔法の解かれた十文字槍の穂先はへし折られ、マンティコアの額を深々と刺し貫いていた。 

 宙を駆ける魔獣の背中で剣の鞘を掴み、抜き打ちの構えを取っていたメルスは、もんどりうってマンティコアの背中から転げ落ちる。

「こんなことで、ボクは!」

 だが、その瞬間、諸肌脱ぎの身体を晒した少女剣士は、両腕を掴まれて床に転がされていた。同じように床の上でのたうち回っていたマンティコアは、やがて闇の中へと溶けるように消えていく。モードレが、さも可笑しそうにくつくつ笑った。

「では、望み通り、あの尼僧の身代わりになっていただきましょう」

 手も触れないのに防具が弾き飛ばされ、手の一振りで衣服が大きく裂ける。目に涙を一杯に溜めたメルスが、唇を噛みしめてモードレを睨みつけた。冷笑がそれに応える。

「先ほどの色仕掛けはどうしました?」

 裂けた服の隙間からその下の肌に手を滑らせる。サンディが武器を手に打ちかかろうとしたが、事もなげに言ってのけた一言で、その場に釘付けにされた。

「私が何を言いたいか分かりますね?」

 言葉も出ない勇者と女戦士は、身動きの取れない少女を思いのままにしようとする僭王を見据えて立ち尽くすしかない。だが、その背後からは、モードレの狼藉を咎める声が聞こえてきた。

「ええ、分かりますとも」

 メルスの身体が「聖陣オーリイ・オール」で囲まれたかと思うと、その上に覆いかぶさろうとしていた白い薄絹のモードレが閃光と共に吹き飛ばされた

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る