第18話 裏切りの女戦士が勇者たちを見ている

「お爺様!」

 ソフィエンが悲鳴を上げる。魔王ヴィルハーレンは、血のつながっているわけでもない人間の娘のために、自らの剣を背中に浴びたのだった。

 深々と刺さった刃を呆然と見ていたのは、ソフィエンよりもむしろ、僭王モードレのほうだった。唇が微かに歪んだかと思うと、その間から低い笑いが漏れ、やがては高らかな哄笑に変わっていった。

「何てことだ、なんてことだ、こんな簡単なことだったなんて! こんなにあっさり、魔界が手に入るとは!」

 その頃、勇者ランバールは、魔法のかかった鎌を思いのままに振るっていた。 マルグリッドの錫杖やメルスの剣が斧を受けたり受け流したりするたびに、鎧人形の防具の継ぎ目を、内向きに曲がった刃で深く切り裂くのである。

「今までのお返し、たっぷりさせてもらうぜ!」

 40歳前後の中年男が、一見していかつい鈍重な身体を鎧人形の前へ後ろへと俊敏に走らせる。1人で戦っている時は武器強化魔法をかけられずに手こずったが、相手を負傷させられる武器が手に入れば何ということはない。

 モードレが勝利宣言をしたときには、兜だの手甲だのという部位ごとに解体された鎧人形を、女2人と共に荒い息をつきながら見下ろしていた。

 だが、ただ1人、戦闘に関わらなかったサンディは、仲間をねぎらうことはなかった。その目は、魔王ヴィルハーレンを倒した若き実力者に向けられている。モードレも、それに気づいたようだった。

「さあ、魔王は倒れましたが……ドレスはどうなさいますか?」

 モードレがぱちんと指を鳴らすと、サンディの裸身を白いぼんやりとした光が覆った。やがてそれは、胸元の開いた一着のドレスとなる。サンディは目を丸くして、そのスカートの裾をつまんだ。

「これ……本物か?」

 モードレは苦笑いする。もちろん、自分を包囲するように接近してくる勇者と女2人に目を配るのを忘れてはいない。

「残念ながら、これは元素の空中固定フィクゼーション・オブ・エレメントと言いまして、長続きはしません。本物は、今夜をあなたと過ごしてから」

 意味ありげに小首をかしげてみせると、サンディは身悶えしてうつむいた。

「な、何言ってんだよ……」

 女戦士を篭絡したモードレは、息も絶え絶えとなった魔王にすがって泣くソフィエンの手を取った。憎しみを込めた鋭い目で睨まれても、気にも留めはしない。振り払おうとするのをぐっと掴んで、頭から言い放った。

「さあ、来なさい! 来なければ……」 

 目の前に突きつけるのは、魔王から奪った剣である。ソフィエンは、微動だにしない。まだ20歳前とは思えないような不敵な笑みで、新たな魔王を僭称しようとしている若者を見据える。

「殺しなさい。先の魔王の血を引く者を殺せるのなら。私が欲しかったのでしょう? 私はあなたに抱かれるくらいなら死んだほうがマシです。さあ、殺しなさい!」

 そこへ割って入ったのは、尼僧マルグリッドだった。

「おやめなさい! 戦神の名において、私が許しません。サンディも……止めなさい!」

 だが、その言葉は虐げられた不可触民の感情を逆撫でするには充分だった。

「いやだね」

 モードレをかばうように、白く光るドレスの女戦士は大斧をかついで勇者たちの前に出た。

「アタシは……これが着られればいい」

 そう言いながら一瞬だけ目を伏せたのは、後ろめたさがあるからだろうか。その唇は、一文字に引き結ばれている。マルグリッドが眦を吊り上げた。

「いけません……神様が見ていらっしゃいます」

「いねえよ、アタシにはそんなの……いたって、いらない」

 大斧を構えるサンディの目には、涙が光っていた。その目は、戦神の尼僧を通り越して、勇者ではなく少女剣士を見つめている。メルスはその眼差しの意味が分からない様子で、女戦士をじっと見つめ返した。

「ボク……ボクがどうしたの?」

 サンディは鼻で笑う。モードレもまた、ソフィエンに剣をつきつけたまま、メルスを見つめた。その視線に気づいたのか、サンディは寂しげに言った。

「あんたにも……分かんないだろうな。アタシはさ、こんなこと始めるまでは、ああいう格好で暮らしてたのさ。山から吹いてくる風は冷たいのにさ、着るものも食うものもロクにないんだぜ。そんな生き方してる女がさ、こんな格好で死なないで済まそうと思ったらどうすりゃいいか……分かるだろ?」

 マルグリッドは頬を赤くして下を向いた。メルスはというと、まだポカンとしている。

 勇者ランバールは、正体を現した時とは打って変わった真剣な眼差しで、過去を語る女戦士を見つめていた。

「行商にきた男たちがアタシを見る目つきの意味が分かったとき、こんなの絶対にイヤだって思った。だから……元手になる金だけ手に入れて……」

「もういい! それ以上は言うんじゃねえ!」 

 戦いでボロボロになった魔族の服の断片をまとわりつかせたランバールはサンディの言葉を、武器と鎧を買う資金の出所が口の端に上るに前に遮った。

「お前がそっちへ行きたいなら、勝手にしろ。俺はお前らについてきたが、無理について来いというつもりはねえ」

 そう言うなり、メルスとマルグリッドへ交互に目を遣った。

「好きなほうにつけ。行きたいヤツを無理に止めたって、どうせ聞きゃあしねえ。下手に背中から刺されるよりは、敵味方ハッキリさせといたほうがいいや」

 マルグリッドは錫杖で胸を隠すようにして、ランバールに身を寄せた。だが、美しい曲線を描く腰に回された腕は、ピシャリと叩いてはねのける。その上できっぱりと言い放った。

「私は、戦神の尼僧です」

 それは、何があろうと勇者についていくという意思表示であったが、もちろん、狼藉は無用という意味も込められている。

 メルスはというと、今やっと裸だったのを思い出したというように、胸を隠している。涙を一筋流したまま、その場に立ち尽くしているのを見て、ランバールはため息をついた。

「どっちつかずがいちばんいけねえ……悪いが、黙って見ててもらうぜ」

 マルグリッドに顎をしゃくると、尼僧はメルスの傍らに付く。もちろん、これから始まる戦いから守るという意味もあるだろうが、高貴な生まれの少女剣士は裏の意味を察していた。

「戦うときは、正面から正々堂々と挑みます……勇者ランバールに」

 そのやりとりをじっと聞いていたモードレは、一歩退いた。サンディの肩を軽く叩くと、耳元で囁く。

「お手並み拝見……その斧で打ち殺せますか? かつての仲間を」

 魔界の僭王を横目でちらりと見やって、大斧の女戦士は哀しげに答えた。

「アタシには……仲間なんていないよ。今までだって、そしてこれからも」

 戦いは、1対1となった。

「行くぜ、姐ちゃん……」

「そういや、まだ名前で呼んでもらってなかったな、ラン」

 胸の前で魔法の切れた鎌を拳と交差させたランバールと、大斧を両手に携えたドレス姿のサンディがお互いの隙を伺う。

「お前は呼び捨てか?」

「サンディって、呼んでくれなかったからね」

 皮肉っぽく笑って斧を横に振るうと、ランバールは軽くのけぞるだけでそれをかわした。瞬く間に間合いを詰めて、袈裟懸けにドレスを切り裂く。

「せっかくの……!」

 一歩退いて鎌をかわしていたサンディは、噛みしめた奥歯を露わにした。勇者はさらに踏み込む。谷間をさらした胸元めがけて、鎌を振り下ろす。だが、その刃は火花を散らして折れ飛んだ。

「卑怯だぞテメエ!」

 ランバールが叫んだ相手はサンディではなく、後ろで戦いの行く末を黙って見守っていたはずのモードレである。 

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