第17話 女戦士が戦いの行方を見ている
「そうバカにしたものでもないぞ。何もせんでも自分は無傷で、痛みはそっくりそのまま相手に背負わせられるなどという都合の良い魔法だからな。呪文が長くていかん。素人がそうそう立ち回りで使えるものではない」
長い説教をモードレが黙って聞いているのは、それがいちいち腑に落ちるからではあるまい。打つ手がないのだ。呪文の効果がなくならない限り、魔王には何もできない。だが、魔王はいつでも自分の魔法を解けるのだ。
余裕たっぷりにヴィルハーレンは告げた。
「重力結界を解け。お前がワシにかけた魔法が解けるということは、ワシがお前にかけた魔法も解けるということだ」
僭王モードレは、痛みに顔を歪めながらも笑ってみせる……とみせかけるや、手の中の剣を逆手に持ち替えた。それを見て取ったのだろう、魔王ヴィルハーレンは抑揚のない声で嘲った。
「己の胸をワシの剣で貫くなら好きにするがいい。ワシはワシで魔法を解くだけよ」
魔王の剣を手に、モードレは無言で立ち上がった。その背後では、勇者ランバールが「
「お爺様、無事で!」
ソフィエンも、裸身など構うことなくコートの前をはだけて駆け寄りそうな身体をぐっと抑えて、嬉しそうに叫ぶ。
結界が解けたのだ。
少女剣士メルスが細い裸身に剣を携えて走った。長い黒髪が、風そのものになったようになびく。
「ランバール様!」
戦神の尼僧マルグリッドが、翼を広げた鷹の紋章を頂く錫杖を手にして後を追った。
「勇者殿!」
苦戦する勇者の頭越しに、身の軽いメルスが鎧人形めがけて跳んだ。肩の付け根めがけて、抜き打ちの剣を叩きつける。破壊こそできなかったが、勇者から斧を引かせるくらいの威力はあったようである。
少女剣士はその腰から脚をまっすぐ上げて宙返りすると、鎧人形の背後に降り立った。攻撃が止んでも、勇者は壊れた武器を手にしたまま立ち尽くしている、それを押しのける形で、マルグリッドは勇者の前に立った。
「どうか、次の武器を」
急に全力疾走したせいか、尼僧の背中は熱を孕んで汗ばんでいる。こんなときでも勇者ランバールは、そうしたところから目を離さない。背中から腰へ、剥き出しの尻へと視線を滑らせる。
「いい眺めなんだけどな」
「すぐに!」
天から降ってくるような金切り声でどやしつけられたが、勇者は応じない。
「まあ、待ってろ」
その場にしゃがみ込んで、何やらぶつぶつ唱え始める。どうやら、手間のかかる呪文らしい。鎧人形を見据えながら、マルグリッドが癇癪を起こした。
「女を楯にするなっておっしゃったのに!」
そう叫びながらも、振り下ろされる斧を錫杖で受け流す。巨大な斧が石畳を叩いた。
「目え閉じろ!」
勇者ランバールの叫びと共に、轟音がエントランスの空気を切り裂いた。斧を振り上げた鎧人形の全身を、
その隙に、ランバールは手近な魔族の手から
女2人はというと、電撃の
「悪いな……触らねえとかけられねえし、神様の錫杖にゃかからねえし」
鎧人形の向こうから、メルスの微かな声が答えた。
「ボクは……この剣だけで」
勇者の目の前に艶やかな背中をさらしたマルグリッドは、さっきよりもさらに冷たく応じた。
「構いませんわ。それより、立って戦ってください」
こうなれば重力結界が解けた以上、本来なら鎧人形を倒して勇者を救い出し、然る後に魔王にせよ僭王にせよ、残った方を4対1で叩けばいい。
だが、そんなことにはお構いなく、女戦士サンディは決闘の立会人よろしく魔王と僭王の戦いの行方を見守っていた。
もう、2人とも呪文を唱える余裕はない。剣を唸らせて斬りつけるモードレの猛攻を、魔王ヴィルハーレンは光の楯でことごとく受け流していた。サンディは感嘆する。
「当たらぬ剣に恐れはいらぬ……か。だが」
魔王にも打つ手がない。楯の光もぼんやりと霞んできていた。それもやがて、ふいとかき消えてしまう。
「やばいな、ヴィルも」
受け流しの楯を失えば、魔王は剣をかわすしかない。だが、その身体はほとんど動いていなかった。紙一重の見切りで、魔法のかかった剣の刃は空を切るばかりである。それでも、隙は生じるものである。
横薙ぎの剣をかわされたモードレは、振り抜いた剣を頭上へ大きく構えた。サンディの目にも、これが最後の一撃と映ったであろう。
「終わりか……」
だが、正面から叩きつけられる剣を、魔王は両掌で白刃取りにハッシと受け止めた。
「まさか……そんな技があるなんて」
魔王と僭王の視線が、火花を散らさんばかりに衝突する。口元も微かに動いているが、口論している様子はない。剣での勝負が止まり、ようやくお互いに呪文を詠唱する余裕が生まれたのだが、それはヴィルハーレンだけでなく、モードレも同じことだった。こうなると、武器を振るうことしかできないサンディの理解の及ぶところではない。
やがて、お互いの身体に変化が訪れた。
魔王の老いた身体が、服も張り裂けんばかりに膨れ上がる。単純な
魔王ヴィルハーレンが身体を屈めて咆えた。
「おおおおおおお!」
若い僭王の身体が、掴んだ剣と共に石の床に叩きつけられる。魔王の手に本来の武器が戻ったかに見えたが、実はその場にずっと、モードレは立ち尽くしていた。
「
白いマントが無残にも放り出され、さっき流された血に染まっている。魔王はこれを、僭王モードレと見誤ったのだ。すなわち剣は、奪い返されたのではない。モードレのほうが手放してやったのである。
平然と立つモードレに気を取られた魔王の不意を突いて、僭王は一度奪い返された剣を再び掠め取った。
「初歩的な魔法です。いや、魔法というのもおこがましい」
意趣返しの一言と共に、モードレの手にある白刃が閃いた。魔王はというと、立ち上がることもできない。僭王は哄笑した。
「強化魔法の反動ですね。死を前にしてなす術もないとはお気の毒です!」
一筋の銀光を放って、まさに主たる魔王ヴィルハーレンの胸を刺し貫くかと思われた、まさにそのときである。
少女の無垢に澄み渡った声が、その前に立ちはだかった。
「いけません!」
黒いコートが、僭王の顔に覆いかぶさった。剣を握る手が一瞬だけ止まる。モードレはいまいましげに、それを引き剥がした。
「おのれ!」
だが、再び突き出した剣の切っ先には、たおやかな身体が晒されている。
魔王の孫娘であるソフィエンの裸身に、僭王モードレは呻くしかなかった。
「ぐ……」
いずれは我が物にしようとしていた肌に傷をつけるわけにはいかなかったのだろうが、剣は既に繰り出されていた。その大きくはない膨らみに、止めることのできない刃が襲いかかる。
だが、それが突き立てられようとするのを遮ったものがあった。
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