第19話 安全なところで僭王が見ている

 ドレスを着せたのと同じ魔法で胸甲を装着させておきながら、目をそらして知らん顔をしている。モードレはその上で、しゃあしゃあとうそぶいた。

「さあ……なんのことでしょう? 一騎打ちだと言った覚えはありませんが」

 突然、そこで幼さを残した声が響いた。

「ありがとうございました、マルグリッドさん」

「メルス……どこへ?」

 声をかけた背中には、長い黒髪が流れている。美しく反りを打った剣を携えた少女は、さっき思い出したはずの裸身を気にする様子もなく、胸を張って歩き出していた。しなやかな腕がさっと横に振れると、鞘に入った剣がランバールの目の前に落ちてきた。

「あ……と、お前は?」

 剣を受け止めたランバールの目は、メルスの張りつめた表情よりも、どちらかというと薄い胸を見ている。それに気づいてかどうか、突き放すような声が返って来た。

「それ、使ってください。もういいです、ボクをメルスって呼んでくれなくて」

 歩いて行く先は、モードレの前だった。相手が口を開く前に、要求を告げる。いささか不機嫌な物言いに、モードレもサンディも気圧されたようで、しばしランバールとの対決は休止された。

「その剣、使わせてください。ボクのはあっちにあげちゃったので」 

 メルスが指さすのは、ソフィエンにつきつけられた魔王の剣である。モードレは楽しそうに笑って、いわれのある武器をあっさりと少女剣士に明け渡した。茫然とする

「いいでしょう、おかげで卑怯者呼ばわりされずに済みますから。あなたに約束します、高みの見物を決め込むと」

 受け取った剣を一振りして、メルスはランバールに向き直った。魔王の剣の切っ先を突きつけて宣言する。

「勇者ランバール、あなたに挑戦します。ついていくより、正々堂々と戦ったほうが学ぶことは多そうですから」

 ランバールも可笑しそうに、声を殺して笑った。だが、さっきの好色な眼差しはもうない。目の前の剣先を睨み据えて、メルスの剣を抜き放った。

「俺に抜き打ちの流儀はねえから、鞘は捨てさせてもらうぜ。勝った後で拾やあいいだろう」

「ご自由に」

 冷ややかに告げて、メルスはランバールの前に歩み出た。白い体に、長い髪がこぼれる。ランバールが挑発の軽口を叩いた。

「嫁入り前のお嬢さんだ、身体に傷なんぞつけたら、人間界での俺の名前にも傷がつかあ……おい、モードレとか言ったな、こいつにも鎧の一つくらい着せてやっちゃあくんねえか?」

「そんなの……いらないよ!」

 メルスが満面を朱に染めた。剣を低く構えると、俊足に物を言わせた突進を仕掛けてくる。だが、モードレは勇者の申し出に快く応じた。

「それは道理……私もきれいな身体を抱きたいのでね」

 疾走するメルスの脚を、身体を、肌に密着した革の鎧が覆う。瞬殺を狙った一撃が真っ向から受け止められたときには、妖気さえ漂う精悍な大人の女戦士が生まれていた。

 だが、腕力には圧倒的な差がある。抜き打ちで勝負を決める戦い方をしてきたメルスには、不利な状況と言えた。

 サンディが、斧を手に進み出た。

「手え貸してくるぜ」

 モードレへの断りは後である。答える方も、ひょいと肩をすくめて追認せざるを得ない。その足元では、素裸のソフィエンが絶望しきったように、動かなくなった魔王を抱えて震えている。だが、モードレは気にする様子もない。

「さっき言った通りです。1対1だと約束した覚えはありません。高みの見物は私がすることで、あなたが行くのは勝手ですから」

 いかに魔王の剣が相手でも、ランバールの体格と、踏んできた場数の差はそれを凌いで余りあるものがあった。のしかかるような姿勢でメルスを圧倒する身体の背後に、サンディは回り込んだ。

 大斧が振り上げられたところで、勇者は余裕たっぷりに告げた。

「打ってこいよ……俺はその程度じゃ死なねえぜ」

 その間も、剣を押し返されているメルスは歯を食いしばり、退くことも倒れることもなく立っている。サンディは頭の後ろまで大きく斧を振り上げた。

「遠慮はしねえぜ!」

 ランバールの背中めがけて、斧が叩きつけられる。魔族から剥ぎ取った服の破れ目は大きく、背骨が剥き出しになっている。ここに命中したら、いかに勇者といえどもただでは済むまい。

 だが、その一撃を尼僧マルグリッドの錫杖が受け止めた。 

「それなら……私がお相手いたします」

 ランバールの背中を守るように滑り込んできた裸身が、女戦士と対峙した。斧を構え直しながら、サンディがからかう。

「恥ずかしくないかい、神様に仕える尼さんが1人だけスッポンポンでさあ!」 

「そんなことしか言えないんですね……」

 口元に軽蔑の笑みを浮かべられて、嘲ったほうが逆上した。

「そのきれいな身体に残してやるよお、一生消えない傷をさあ!」

 再び斧が叩きつけられたが、その軌道は大きく狂った。2人の間を遮るように降ってきたものがあったからだ。

 マルグリッドはそれに隠れて身をかわし、サンディはそれを予測して狙いを変える。その結果として、女戦士は大きく空振りして重心を崩し、尼僧は身を包むものを得ることとなった。

 澄み渡った声が呼びかける。

「それを使ってください! 見かけより丈夫です!」

 ソフィエンが白い裸身を晒して、大きく伸ばした手を振っていた。マルグリッドは、その手が投げたと思しきものを拾い上げる。

「これは……」

 それに見入っている暇はなかった。マルグリッドは見覚えのあるコートを羽織ると錫杖を振るって、立ち上がろうとするサンディに打ちかかる。不安定な姿勢から斧の一撃が放たれたが、コートをかすめただけで終わった。

 再び魔王の身体を抱きしめたソフィエンが、感謝と嫉妬の入り混じった顔つきのマルグリッドに向かって、精一杯の微笑みを見せる。

「ね……お爺様の、コートですから」

 静観を決め込んでいたモードレが、憎々しげにそれを睨んだ。

「余計なことを……」

 だが、ソフィエンはもう恐れる様子もない。その目をまっすぐに睨み返す。モードレは歯を剥くと、その亜麻色の髪を掴んで持ち上げた。白い体が胸を反らしてのけぞる。

「放して!」

 何も持っていなかったはずのソフィエンの手から、白い光が放たれた。それが打ち叩いたモードレの眼の辺りから、真っ赤な飛沫が飛び散る。両手で顔を覆った手から髪の房が滑り落ち、ソフィエンは再び、その場に崩れ落ちた。だが、もう悲鳴など上げはしない。

「抱く前に、傷なんか付けたくはありませんよね? 私の身体に」

 その肌を隠したのは、モードレが魔王との戦いで投げ捨てた血染めの白い衣である。それをしっかりと両手の指で掴んだ魔王の孫娘は、これまでの泣いているしかなかった姫君ではなかった。自らの生命と身体と貞操を賭けて闘う、ひとりの女であった。

 2対2の斬り合いに、1対1の睨み合いとなった。モードレの立場は、もはや決して有利ではない。苦々し気なつぶやきが、唇から漏れた。

「一か八か……」

 モードレの姿が一瞬で消えたかと思うと、その低い声がどこかで、おそらく最後になるであろう呪文の詠唱を始める。エントランスの中に、ざわざわと微かな物音が広がり始めた。

 大勢が、何かを踏みしめる音。武器や鎧が、擦れ合う音。何かが一斉に、階段を下りてくる。

 ソフィエンが不安げに、辺りを見渡した。

「これは……」

 もちろん、姿を消したモードレは答えない。ただ、よく似た姿の、この世にはいない現魔王の肖像画が無言で見下ろしている。

 代わりに、別の声が応じた。

意識のない群衆の支配コントロール・モブ・アンコンシャス……魔法の扉を破壊したために倒れた者どもを、いちどきに操ろうとしておるのよ」

「お爺……」

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