第15話 かつての仲間だった女たちが魔王を見ている

「だが……さて、どれだけ耐えられる? ワシの剣に!」

 高々と振り上げられた長剣が、マルグリッドの頭上へと襲いかかる。錫杖をかざして防げば、脇腹から。錫杖で弾けば、肩から袈裟懸けに斬って落とされる。それでも耐え抜くマルグリッドに向かって、魔王ヴィルハーレンは顔を紅潮させて吼えた。

「まだだ! まだ倒れるな! お前は戦神の尼僧だ、倒れてはならん!」

 それでも、剣を受け続ける錫杖を支えるのが精一杯のマルグリッドは、既に膝が震えはじめていた。一言も発することなく、魔王の剣に耐えている。あまりの惨さに、とうとう声を挙げた者があった。

「見たくありません、そんなお爺様!」

 ソフィエンだった。未だに、裸身を隠す魔王のコートに縮こまって身を隠したままである。

 戦いを非難しながらも、そのなりゆきは、じっと見守っている。孫娘のその厳しく真剣な眼差しにも、魔王ヴィルハーレンは動じることがない。

「これは避けてはならぬ戦いなのだよ……魔王として」

 膝をつくまいとしてよろめくマルグリッドを見つめながら、ソフィエンの声に重々しく答えた。もちろん、そう簡単に納得が得られるはずもない。そのまっすぐな目は魔王のどんな表情の変化も見逃すまいとするかのようである。

 凛とした、しかし低い声が問いただした。

「お爺様は、血を好むお方ではなかったはずです」

 その声は、非難の裏に尊敬の念を隠していた。物心ついたころから側にいた、優しくも頼もしい、そして唯一の家族である。ソフィエンの子ども時代は、何一つとして疑うことも恐れることもいらない毎日が繰り返されたことであろう。それは、永久に続くようにさえ思われたに相違ない。

 だが、魔王はキッパリと言い切った。

「好んではおらんが、流さねばならぬときもある」

 孫娘の唇が、きゅっと引き結ばれた。目を伏せて、じっと何か考えている。

 魔王はやはり、マルグリッドが自分の力で立ち上がるのを待っているようだった。いかに戦神の尼僧とはいえ、人を超えた技と力の激闘に晒された疲れと苦痛は、心も身体も蝕んでいるようである。錫杖を杖にしながら、震える膝をなだめにかかっているが、どうにもいうことを聞かせることができなかった。

「立っては居られぬか」

 もう頭上に掲げるしかない錫杖を右から左から打ち据える魔王の声には、いたわりとも叱咤ともとれる、温かくも張りつめた響きがあった。マルグリッドはというと、魔王の言葉をどう取ったのか、身体をふらつかせながらも、笑顔を見せながら歯を食いしばっている。

 ヴィルハーレンが哀しげに微笑するなり、長剣を大上段に振りかぶる。

「ならば……これで終わりに!」

 魔王の目から、涙が一筋こぼれた。マルグリッドの目は大きく見開かれたが、そうあっさりと斬られたりはしない。頭を防御していた錫杖を低く構え、魔王の喉元を狙う。

「短い間でしたが……あなたのことは忘れません!」

 真っ向から斬りつけてくる剣との間に火花を散らして、錫杖がまっすぐに突き出された。武器の長さからすれば、先端にある鷹の翼に首を正面から抉られるのは魔王のほうである。だが、一介の尼僧に魔界の支配者がそう簡単に仕留められるはずもない。魔王は秘術で身を翻すまでもなく、その剣の剛力だけで錫杖の軌道を変えた。喉元に迫るかに見えた戦神の紋章は踏み込んでくる魔王の身体を迎え入れるかのごとく、あさっての方向へそれたかと思うと、マルグリッドの頭上に向かって押し返された。

 魔王ヴィルハーレンの刃が、迷いを断ち切るが如く、銀髪の尼僧マルグリッドの美しい顔へと斬りつけられる。そのまぶたは、覚悟を決めたかのように閉じられた。静かに眠りの時を迎えたかのような表情には、後悔の色はない。

 だが、その美貌が魔王によって損なわれることはなかった。下卑た咆哮が城のエントランス中に響き渡り、膝を突いたままのサンディも、屈辱に打ちひしがれたメルスも、はっと顔を上げて声の主を探す。

「何やってるマルグリッド!」

 魔族から剥いだばかりの分厚い布の服や鉄兜、胸甲にグローブという寄せ集めのような防具に身を固めたランバールが、鳥のクチバシに似た長柄の武器ベク・ド・コルヴァンで魔王の剣を弾き上げる。クチバシベクの辺りが刃を器用に引っかけて、その動きを止めた。

「待たせたな、今度は俺が相手だ」

 遠間から武器を絡め取られながらも、魔王はやれやれといった顔で勇者を眺めた。そこには、魔界と人間界の命運を賭けて戦う二人の緊迫した空気はない。どちらかというと、血気にはやる若い世代を、穏やかに笑いながら宥めるご隠居の風情がある。

「女3人を楯に鎧兜をかき集めたとて、ワシに勝つことはできんぞ」

「そんなら……まずその剣、振り下ろしてみせろや」

 自信たっぷりに挑発するランバールには、それなりの技も目算もあるようだった。実際、魔王が剣を持った手をどこへ動かそうと、刃を絡め取ったままのクチバシがついて回るのである。これを逃れようと思ったら、武器を捨てるしかない。

「さあ、どうするジイサンよお!」

 そう言いながら勇者ランバールは、すんでのところで一刀両断にされるところだった尼僧マルグリッドに向けて目くばせする。ためらうことなく再び構えられた錫杖が再び魔王に向けられた。ヴィルハーレンは寂しげに微笑む。

「戦神に仕える者に、本分を全うさせようと思っておったのだが……お前にも、お前たち女2人にも、そこの男にも。だが、その気がないなら、もはや手加減はせん」

 そこで口を挟んできたのはサンディだった。今まで黙っていたのは、魔王との戦いが口を開く力さえも奪ってしまったからだ。

「今までは手え抜いてたってのかよ!」

 ようやく手足が動くようになったのか、斧の柄を杖に立ち上がる。ランバールはにやりと笑ってうそぶいた。

「まずは、1人」

 もう1人、動き出した者がいた。

「本当に……本当に命を懸けた真剣勝負を」

 メルスが再び挑戦する。さっきの戦いは、剣技の上達を確かめるためのものでしかなかった。その雪辱を狙ったものとみて間違いなかろう。これで、勇者ランバールと、それを支える裸身の女たちが魔王ヴィルハーレンを包囲する構図ができがった。

 形勢逆転を確信したのか、ランバールが嘲笑の声を上げた。

「さあ、逃げ道がないぞ魔王!」

 ソフィエンが、コートで身体を隠したまま、ためらいがちに呼びかけた。

「お爺様……!」

 それが身の安全を案じてのものか、もっと踏み込んで、抵抗をやめるように訴えたものかは判然としない。ただ、唇の間から覗く白い歯を、固く食いしばっているのが見える。どうやら、その姿と非力さのせいで何もできないのを、もどかしく思っているらしい。

 その声に応じるように、武器を封じられた魔王は、ソフィエンのまなざしを微笑と共に受け止めた。

「ならば見ておれ……これが魔王ヴィルハーレンよ!」

 人間たちに向き直るなり、言い放つ。

「女たちよ! 共に来てくれたその誠意に報いんと、その力、如何なく振るってもらった。いずれ劣らぬ天晴れな戦いぶりであったが、このヴィルハーレンを倒すには足りんぞ!」

 敬意をこめての不思議な挑発に、女たちはどう応じていいのか分からないという様子で一瞬、動きを止めた。ランバールも唖然としたが、すぐに我に返って武器の柄を握りしめる。

「しゃらくせえ、このまま……」

 そう言いながらも、その手は小刻みに震えるばかりである。動かしたくても動かせないのだ。魔王は余裕たっぷりに笑う。

「どうした……ならばワシから行くぞ!」

 ランバールの身体が、長柄の武器を掴んだ姿勢のまま宙に浮かぶ。魔王が、鳥のクチバシに引っかかったままの剣を勢いよく持ち上げたのだ。弧を描いて天井高く放り上げられた勇者は、まだ気を失っている魔族の軍勢の中へと放り込まれた。

「ぎゃあああっ!」

 しこたま石畳に身体を打ち付けたランバールは、エントランス中に響き渡る悲鳴を上げてのた打ち回る。形勢はあっさりと、再び魔王の優勢へと逆転したかに見えた。だが、誰もが見向きもしなかった者がひとり、密かに行動を起こしていた。

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