第14話 勇者の戦いを女たちが見ている

「じゃあ、しょうがねえな」

 吐き捨てるなり、勇者ランバールはサンディと魔王の間に駆け込んだ。逆手に持った短剣は胸の前に、空いた片手でサンディを押しのける。

「その斧、もういいぜ」

「あ……ああ」

 勇者の片手が触れそうな胸を手で隠しながら、斧を担いで後ずさるサンディに、好色な勇者は本気とも冗談ともつかない軽口を叩いた。

「照れんなよ。勝って帰ったらいずれ……」

「そ、そうだな」

 サンディは苦笑いしながら、その場に膝を突いて身体を休める。その傍につくよう、ランバールは再び目で合図して、戦神の尼僧を促した。マルグリッドは錫杖を手に、女戦士の傍らにつく。

 魔王はゆったりと長剣を構え直した。その切っ先は、ランバールの喉元へと向けられている。正面から斬り込んでくれば、白刃が一直線に閃くであろう。

 無言の沈黙が流れて、魔王は動くこともできない勇者を挑発した。

「邪魔者はいなくなったのだ、ワシらの間には。さあ、好きなようにかかってくるがよい」

 ランバールは額に脂汗を浮かべて、魔王をまっすぐに見据えている。バネのように膝を弾ませたままなのは、その胸元に飛びこむ機会が来るのを待っているからだ。身体が小さいときは武器をかいくぐるのも容易だったが、40代の男の図体では、それもままならない。俊敏さが損なわれなかったとしても、的が大きすぎる。

 だが勇者としては、そんな不利は気にもしていないかのように強がらなくてはならない。

「あんまり見くびってもらっちゃ困るな、ジジイ」

「そう言いながら、お前のソレは縮み上がっておるぞ」

 勇者の股間を見下ろして余裕たっぷりに言い放つ魔王だったが、ソフィエンは哀願した。

「やめて……お爺様も」

 それは、その言葉が卑猥だからではない。睨み合う二人の気迫に、僭王モードレの倒れ伏したエントランスの広大な空間は、音を立てて震えだしそうなほど張りつめた空気で満たされていたのである。

「マルグリッド!」

 均衡を破った叫びは、魔王ヴィルハーレンのものではなかった。勇者ランバールが叱咤したのである。その意味するところは、「魔王の背後に回れ」であった。マルグリッドが錫杖で退路を断ち、ランバールが懐に飛び込む。その隙を作ることができるのは、最後の1人だ。

 まだ戦えるほど疲労から立ち直っていないサンディが、勇者の代わりに叫ぶ。

「メルス!」

 なぜなら勇者は、女たちの肢体には関心を示したが、その名や出自は気にも留めていない。だが、メルスはその裸身も構うことなく風を切って、魔王との間合いを詰めた。いつ放たれるか分からない、しかし必ず来ると分かっている神速の剣を前に、ヴィルハーレンは愉快そうに告げる。

「受けてやろう……その技」

 その線にまだどこか幼さを残したメルスの腰の辺りから、銀光が一閃する。逆袈裟にほとばしった刃の軌跡は、過たず魔王のわき腹から肩にかけてを切り裂いていた。

 だが、その姿は飄然と立ち尽くしている。身体には、傷一つない。ただ、長剣だけが石畳の床に転がっていた。

 メルスが呻いた。

「どうして……」

 渾身の一撃を放った後だからか、次の構えを取ることもできない。武器を失った魔王もまた、反撃に移ることはなかった。ただ、温かい一言を天晴な少女剣士にかけるばかりである。

「見事」

 それでも、メルスの頬には涙の筋が光った。必殺の確信と共に斬り込ませた刃が空振りに終わり、それでも敵の賞賛を浴びたことは、それほどまでに屈辱だったのだ。

 だが、勇者ランバールは気にも留めない。

「この勝負貰ったぜ、じいさん!」

 素手の魔王の胸元に、斜め下からの短剣が襲いかかる。ここで戦神の尼僧が退路を断っていれば、いかに魔王ヴィルハーレンといえども、瞬時には身のかわしようがない。逃げ道がないからである。

 しかし、それはあくまでも、マルグリッドが魔王の背後に回って錫杖を構えていることが前提である。実際は、そうではなかったのだった。

 サンディの怒声が飛ぶ。

「何やってんだマリー!」

 尼僧がはっと我に返ったとき、魔王は紙一重の差で短剣をかわしていた。ランバールの刃は、下から上へと空を切る。

「ちいっ! 話が違う!」

 何一つ話を詰めていたわけではないのだが、アテが外れた勇者は千載一遇の機会を逃した悔しさからか、魔王に向かって唯一の武器を投げていた。むろん、それも光の楯で軽く弾かれる。

 短剣が石畳に落ちるのを見たマルグリッドは、慌てて錫杖をヴィルハーレンに向けた。その先では、戦神の紋章である鷹が大きく翼を広げている。そこを真っ向から見据えて、魔王は重々しく告げた。

「構わぬぞ。打ってこい。それがお前の神への信仰だろう」

 仕える神の名前を出された尼僧は、唇を噛みしめた。その目はまっすぐに、ヴィルハーレンと同じものを見ている。荒い息が、肩を跳ね上げる。だが、その身体は一向に動こうとしなかった。

 とうとう、ランバールがしびれを切らした。苛立たしげに、ずかずかとマルグリッドへと歩み寄る。その手を伸ばした先には、構えられた錫杖があった。

「貸せ! 俺がやる!」

 勇者の乱暴な申し出に、尼僧は応じようとしなかった。錫杖をさっと振り上げると、まっすぐに魔王を見つめた。裸の勇者を視界の隅にも留めていないかのように、冷ややかにたしなめる。

「まず、魔族のものを奪ってでも武装を整えてください。目のやり場に困りますので」

 ランバールはふてくされたように、言われた通りにその場を離れた。ただし、その代わりにマルグリッドの銀髪をかき分けて、背中をさらっと撫でていく。

「分かったよ。一騎打ちでも何でも好きなようにするといい……俺が身支度するまではな」

 マルグリッドは、節くれ立った男の指が裸の背中を撫でても、声ひとつ立てはしない。気を失った魔族の武装を剥ぎにかかる勇者などには目もくれず、魔王ヴィルハーレンの挑戦に応じた。

「戦神の御名において、あなたを討ちます」

 全ての想いを振り払うかのように、毅然として言い放つ。魔王は答えることなく、差し出した片手を無言で跳ね上げる。石畳に転がった長剣が戻ってくると、まっすぐ構えた。尼僧の頭上で、両手が錫杖をすさまじい勢いで回しはじめる。風が巻き起こり、銀髪を吹き散らした。

 突如として、マルグリッドが攻撃に転じた。回転する錫杖を左右に振り回しながら突っ込んでいく。だが、魔王は動きもしない。間合いが詰まっていくのを、ただじっと見ているばかりである。

 だが、錫杖の先端が頭を横から吹き飛ばしにかかったとき、魔王の長剣が動いた。一糸まとわぬマルグリッドの胸元へ、その切っ先が迫る。常識で考えれば、頭を打ち砕かれるのは魔王ヴィルハーレンのほうだった。

 実際に、錫杖は命中した。ただし、そこに魔王の実体はない。その残像が消えたとき、長剣の先はといえばマルグリッドの乳房の間にあった。

「よくぞかわした」

 錫杖に沿って身体を這わせた魔王は、尼僧の胸へと剣を繰り出したのであった。だが、戦神の尼僧も常に魔王がやってみせるように、ぎりぎりの一瞬で切っ先をかわしたのだった。それを賞賛するヴィルハーレンに、マルグリッドは謙遜することもなく冷ややかに応じた。

「手応えで分かります」

 実体がないと感じた瞬間、突き出される剣の間合いを悟り、身体を反らしてかわしたということだろう。魔王は愉快そうに笑って、肩で錫杖を押し上げた。軽く弾いたかに見えたが、マルグリッドは大きくよろめいた。魔王はその隙を見逃さない。腕を持ち上げたせいで大きく開いた艶やかな肌に向かって、横薙ぎの剣を一閃させる。尼僧は地面についた錫杖を立てて、これを防いだ。  

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