第13話 女勇者が邪眼(イーヴル・アイ)で魔王を見ている

「そうだな……」

 真っ先に行動を起こしたのはサンディだった。斧を片手に、空いている方の手で胸を覆いながらランバールの背後に身を隠す。

「とりあえず、服、なんとかなんないか?」

「どうにもならんが……俺に見られるのはイヤか?」

 口元に笑みを浮かべるランバールとしばらく見つめ合ったサンディは、不敵に笑い返した。

「オレを……嫁にしてくれるか?」

 ついさっきまで命懸けで守ってきた別の男に、出会ってからずっと繰り返してきた口説き文句である。

「返事は……こいつを倒した後でな」 

 曖昧な答えを返したランバールが眺めたのは、孫娘の白い裸身をコートで隠した魔王ヴィルハーレンである。サンディも、老いた魔族を冷ややかな眼差しで見つめた。これはマルグリッドも見逃しておけなかったようである。

「いけません! もう戦わなくてもいいじゃありませんか!」

 戦神の尼僧といえども、むやみやたらと戦いたがっているわけではない。倒すべき相手、守るべき者がなければ、闘争をなるべく避ける。それが戦の知恵であり、戦神に仕える者の使命でもあった。

 無言で武器を構える男と女に、マルグリッドはさらに呼びかけた。

「ヴィルハーレンが私たちに何をするというのですか!」

 孫娘は奪い返した。僭王モードレも、城の冷たい床に倒れたまま動かない。そして、勇者は倒されはしても、殺されてはいなかった。魔族にも人間にも、もはや戦う理由はない。

 だが、短剣を胸元に構えた男と、その後ろで大斧を携えた女は、戦神の尼僧がいくら訴えようと聞く耳は持ちあわせていないようだった。

「俺は10年前の決着がつけてえんだよ、こいつと」

 勇者ランバールは、震える孫娘の身体をしっかりと抱えた魔王を睨み据える。

「その綺麗なお嬢ちゃん、放せ……受けるよな、この勝負」

「もう帰るがいい」

 ヴィルハーレンは素っ気なく答えた。その目は、かつて倒した勇者を見ることもない。ただ、怯えたままのソフィエンをじっと見つめている。この怯え切った姫君の身体には、囚われの恐怖が奥底に余韻として残っているかのようだった。

 コートの上から孫娘をいとおしげに撫でながら、魔王は穏やかな声できっぱりと告げた。

「一度助けた命を再び奪う気はない」

 それは正直な気持ちであっただろうが、かつて敗れた方にとっては屈辱的な一言であった。ベルクレースイにその名を知られた勇者が激昂したのも無理はない。

「あんまりナメるんじゃねえぞ!」

 敗れた上に手加減されているのだから、これほど惨めなことはない。短剣を構えて魔王に突進しても不思議はないのだが、ランバールはそこから動こうとはしなかった。

「女を楯にすんじゃねえよ」

 いかに品性下劣であっても、それは勇者としての最低限の誇りであったろう。ここで魔王に襲いかかれば、罪もないソフィエンにも危険が及ぶ。魔王ヴィルハーレンもまた、それは避けねばならないところである。

「離れていなさい」

 コートで身体を隠した孫娘を脇へ押しやったが、華奢な素足はそれを拒んだ。

「いやです。私はお爺様の楯になります」

 澄み渡った声は、ソフィエンの内心そのものであるかのようだった。魔王の前に歩み出た孫娘は、白い胸がコートの合わせ目から覗くのも構わず両腕を広げた。

「勇者ランバール! お爺様を倒したいなら、まず私をその手にかけなさい!」

 その高貴なまでの気迫のせいであろう、勇者も少女剣士も、そして戦神の尼僧も息を呑んだ。ただ、魔王だけが低く囁く。

「ならぬ、ソフィエン。お前が傷ついては、ワシがモードレを倒しに戻ってきた意味がない」

 だが、その言葉では孫娘を説き伏せることはできなかった。血がつながってはいなくても、魔王の薫陶を受けたと思しき毅然たる振る舞いに、全く心を動かされなかった者がこの場に1人だけいたのである。

「倒したのは勇者サマだろおがあああああ!」

 いつの間にか魔王の背後に回り込んでいたサンディが、裸の胸を揺らしながらグレートアックスを頭上から斜めに振り下ろしたのである。

「よせ!」 

 そう叫ぶのが精一杯だったのか、魔王はその不意打ちを、振り向きざまに片腕で受けるしかなかった。普通なら、ここで肘から先が打ち落とされているところである。

「やるじゃねえか……さすがはアタシの見込んだ魔王だ」

 腕の上で光る魔法の楯フォース・シールドが、斧の刃を受け止めていた。歯を食いしばりながらも軽口を叩く女戦士に、魔王は不敵に笑いかける。

「まさかお前に対して使うことになるとはな……ワシの妻になるという話はどうなった?」

 もちろん、魔王には最初からそのつもりはなかっただろう。むしろ、その心変わりを楽しんでいる節さえある。サンディも魔王を嘲笑うように口元を歪めた。

「オレはドレスが着たいだけさ……上流階級でな」

「それで、いいのか? その先には何がある?」

 哀しげに問いかける魔王ヴィルハーレンに、社会最下層バリアで生まれ育った女戦士サンディは、一声吼えるや斧の柄を横たえて、広く長い刃を横薙ぎにした。

「お前に何が分かる!」

 魔王が瞬時に引き抜いた長剣が、斧と衝突して火花を散らす。サンディは足を高々と上げて、魔王の顎を蹴り上げた。軽くのけぞってかわしたところで、女戦士は老爺に非難の言葉を浴びせる。

「どこ見てやがる、嫁入り前の孫の前だぞ狒々ひひジジイ!」

 力強く伸ばされた脚の奥を見やって、魔王は顔を背けた。その目が向いたのと逆の方向から、逆袈裟に振り上げた斧が襲いかかる。

 戦士としても女性としても目に余るやり方に、尼僧マルグリッドはさすがに非難の声を上げた。

「それは……あまりに卑怯です!」

 そう言いながらも、斧をかわす魔王の体術に目を奪われている。地面に対して斜めに立ちながら、その身体は軽やかに回る。まるで、斧の起こす風に吹かれながら刃を受け流しているかのようであった。

 それはサンディにも分かったようである。

「勇者のお目付け役だろ? お前は」

 斧を両手で構えて魔王の隙を伺いながら、不機嫌に毒づく。

「だいたい、勝てばいいって言ってんだろ、お前の神様はよお!」

 確かに、勝ち方を問うのは正義の神であって、戦いの神ではない。マルグリッドの非難は、戦神に仕える者としてではなく、修道院で己を律してきた女としての倫理観によるものである。目の前の敵と命懸けで戦っている者に対して振りかざすものではない。

「分かりました」

 マルグリッドは引き下がったが、その目はまだヴィルハーレンの戦いを追っている。魔王はその腕に現れた光の楯だけを頼りに、サンディの猛攻をかわしつづける。大きな斧を振り回し続けるサンディがいかに逞しくとも、攻め続けるには限りというものがある。

 荒い息をつきながらも斧を低く構えるサンディを見つめながら、魔王は尼僧に語りかける。

「これも宿命だ。来るがよい、マルグリッド」

 初めて、そして付き従ってきた女たちの中でただ1人だけ名前を呼ばれた尼僧は一瞬、息を呑んだ。魔王は更に戦いを促す。

「勇者が近寄れないほどの斧は、そうそう振り回せるものではない。お前の牽制があってこそ、勇者もその技を見せることができよう」

 マルグリッドは勇者ランバールを見つめた。

「見事にいい当ててくれるぜ」

 ぼそりつとつぶやくと、短剣を構えたまま斬り込む隙をずっとうかがっていたランバールは悔しげに、魔王に向けて顎をしゃくってみせた。しばし口をとざしたままだったマルグリッドは、やがてくぐもった声で答えた。

「いやです……私は」

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