第12話 女たちが復活の勇者を見ている

「そのまさかよ! 久しぶりだな、爺さん!」

 あっさりと僭王の背後を取った素裸の男は、意気揚々と魔王に語りかけた。年の頃は40ばかりであろう。腕も足も、その胸も、隆起した筋肉が皮膚を突き上げ、複雑な起伏を形作っている。その足下には、散り散りに裂けた子供用の服の残骸があった。もちろん、バールの着ていたものである。

 その裸の男に後ろを取られたモードレはというと、声を出すのもままならない。苦悶に顔を歪めながら、荒い息をついて横目で男に振り向く。

「お前は……いったい……」

「喋ると命が縮まるぜ、三下」

 凄みのある声と共に腕の筋肉が盛り上がると、僭王モードレは苦しげに呻いた。

 男の手の中には、魔界の僭王の背中を束まで通れと突き刺した短剣がある。それはあの、バールと名乗るやんちゃな子供が、サンディになだめられてもマルグリッドに叱られても、絶対に手放そうとしなかった武器であった。

 さすがの魔王ヴィルハーレンも、これには言葉を失った。目を見開いたまま、露わになった男の身体をじっと眺め渡している。

 真っ先に我に返ったのは、囚われのソフィエンであった。モードレの腕を白い肌の上から引き剥がすと、胸も前も隠すことなくヴィルハーレンに駆け寄る。

「お爺様……!」

「ソフィエン……!」

 孫として育てた少女がしがみつくと、老いた魔王は、亜麻色の髪がこぼれ落ちた瑞々しい身体をしっかりと抱きしめる。ふと気が付いてコートを脱ぐと、泣きじゃくるソフィエンの身体にかけてやり、その腰に手を回して再び抱き寄せた。少女は、魔王の逞しい胸にすがりついて、ただすすり泣くばかりである。

「怖かった……。7つのときにモードレの叔父様が城をお預かりになってから、何もかもが急に変わってしまいました。私は塔に閉じ込められて、ずっとひとりぼっち……」

 魔王はコート越しに、少女の背中をいとおしそうに撫でた。

「許せ、ソフィエン。ワシが愚かだったのだ。息子のエイボニエルが勇者に倒されたと聞いて、すっかり己を失ってしまったのだ」

 少女は、涙で濡れた目を上げて、微かにかぶりを振る。

「知っています。親子兄弟の仇を討たない者は、王位を失うという掟は……だから私、耐えました。10年の間……」

 辛い記憶と再会の喜びが胸にあふれたのだろう、涙にむせぶソフィエンは、魔王の胸にすがって嗚咽した。魔王もまた、目の前の流れるような髪に頬をすり寄せる。

「許せ。勇者はベルクレースイの外の世界を広く放浪しておって、なかなか見つけることができなかったのだ」

 お互いに恋人同士のように固く抱き合ったまま、魔王ヴィルハーレンと、その孫娘として育てられたソフィエンは動こうともしない。

 男はというと、かつての宿敵が何もできなくなったのをいいことに、言いたい放題まくしたてた。

「おい、お兄さんよ、この程度で魔王気取りか? 結構笑わせてくれるじゃねえか、じゃあ、こんなのに勝てない魔王にやられた俺は何だってえの? しかもナメられたもんでよ、トドメ刺されねえで赤ん坊に戻されちまうたあなあ……気が付いたらご親切な田舎の夫婦に預けられてよ、いやあ、この10年ちょっと幸せな毎日だったぜ、ミルク呑んだりオモラシしたり、ガキどもと悪さしたりオヤジオフクロにこっぴどく叱られたり、たまんなかったのが女日照りでな、とうとう我慢できなくなってよ、こうやって魔界へ戻ってくる魔族を待ち構えていたらまあドンピシャリ、あの魔王ヴィルハーレンに出くわしたってわけよ!」

 この男はもう、モードレなど目に入ってはいない。その宿敵は、すぐ目の前で何を思っているのか、孫娘を抱いたまま、言葉もなく、じっと立ち尽くしている。

 同様に茫然としていた女たちは、勇者に倣うかのように口を開いた。やがて、三人三様の悲鳴を上げる。

「ウソだろオオオオオオ!」

 素っ頓狂な声を上げたのはサンディである。もともと勇者の仇を討って社交界にデビューすることで良家の御曹司に嫁ぐつもりだったのだ。その勇者が生きていたのでは、人生設計が根本から崩れてしまう。

「そんな、ボク……誰にも見られたことなかったのに!」

 バールを子どもと信じて、温泉場では気にも留めずに成長途上の身体を晒していたのである。それが敬うべき武術の達人となれば、その思いの溝をどうしてよいか分からずにうろたえるのも仕方のないことであった。

「信じられません、勇者様が、そんな!」

 もっとも己を失っているのは、マルグリッドである。戦神の尼僧であれば、勇者に付き従うのが当然である。だが、この猥雑で品性下劣な男がその相手となろうとは……。いかに女性陣の最年長者とはいえ、修道院育ちで男にほとんど触れないで育った身としては受け入れ難かろう。

 無理もない。出会ってからこっち、温泉場での乱行をはじめとして、バールが子供の特権を駆使して女たちに働いてきた狼藉は数知れない。だが、女たちが羞恥で身もだえしていたのはほんの僅かの間のことだった。

 マルグリッドが、身体にまといつく衣の残骸で恥ずかしげに胸と前を覆いながら尋ねた。そこはやはり、修道院で貞操観念を厳しく仕込まれたからであろう。30歳辺りになっても、その恥じらいは10代の少女のようである。

「では……あなたが勇者ランバールなのですね?」

「おお、そうよ。お前、その杖からすると戦神の尼僧だな? そんなら、俺と組め」

 そこへ口を挟んだのが、サンディである。魔王に身体で迫った割には、露わになった胸の隆起を一応は隠している。マルグリッドと違うのは、聞きたいことを聞くだけの余裕があったということである。

「死んでなかったってことは、仇は討たなくていいってことだな?」

「何だ、俺のために戦うのはイヤか?」

 不機嫌そうに顔をしかめる勇者に、女戦士は自らの裸身も忘れてうろたえた。

「いや、そうじゃない、オレは……とにかくいい男と出会って、それで……」

「これからたっぷり、いい思いさせてやるぜ」

 背中から血を流して、僭王モードレはぐったりと勇者にもたれかかる。ランバールは、邪魔くさそうにその身体を床へ放り出した。その命令で動いていた鎧戦士は、もう身じろぎひとつしない。斧を捨てて、がっくりと膝を突いたまま固まっている。

 剣を抱えた腕で胸を、その刃で前を隠したメルスが、羞恥で頬を赤らめながら小刻みに勇者へと歩み寄った。その初々しさは、同じように恥じらいを見せているマルグリッドの比ではない。うつむき加減に、しかし目はしっかりとランバールの顔を見上げて、小さな胸に抱えてきた熱い思いをおずおずと告げた。

「あの……ボク……ずっと会いたかった……です。もっと、強くなりたくて……その」 

「満足いくまで、たっぷり教えてやるぜ。手取り足取り、な」

 成熟しきってはいない身体を眺め渡す卑猥な視線に、武者修行への思いに燃える少女剣士は気づきもしていないようだった。

 ようやく泣きやんだソフィエンは、その様子をじっと見つめていたが、異性の身体にぴったりと寄り添った身体を慌てて引き剥がす。ヴィルハーレンは気まずそうに孫娘の裸身から眼をそらした。

 その孫娘はというと、その場をとり繕うように魔王を見上げて尋ねた。

「あの……不思議な方たちは?」

 不思議な、だけ余計である。

 もっとも、この場にふさわしからぬ祖父と孫娘のやりとりからすれば、無理もないが。

 床に倒れ伏したモードレの背中から短剣を引き抜いたランバールは、だだっ広いエントランスにぽつねんと立ちつくす魔王の一行を見渡して尋ねた。

「さて、これからどうする? お前さんたち」

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