第11話 肌を晒した女たちが魔王を見ている

 磨き上げられた石の床を、振り上げられた幾つもの巨大な斧が打ち砕く。だが、女たちはその間で密集したり、また散り散りになったりして、一撃食らえば致命傷になる刃を全く食らうことがなかった。当たらぬ強打に脅威なしとはこのことで、3人は悠々と武器を手に、魔界の僭王モードレの眼前に迫った。

「ほう……いずれ劣らぬ……」

 満足げに目を細めるモードレは、既に勝った気でいるようだった。

「そこの女……りっぱな腰と胸乳むなぢを持っていますね……望むなら、私のとぎを命じてもよいのですよ」

 怪訝そうな顔をしたのは、サンディである。 

「とぎ……?」

 マルグリッドが羞恥に頬を染めながら、無知な女戦士に耳打ちする。こちらもまた、怒りで満面を朱に染めた。

「オレの相手はヴィルひとりって決めてんだよ! 誰がお前なんかと!」

「ほう……残念だな」

 澄んだ瞳の奥が一瞬、禍々しい光に燃える。不意を突かれたサンディは、エントランスの天井高く吹き飛ばされた。モードレは面倒くさそうにつぶやく。

「暴れ馬に用はない」

 その隙を突いて、メルスが凄まじい速さで突進するや、神速の抜き打ちを横薙ぎに見舞った。だが、その切っ先は紙一重の差でかわされる。

「今度はじゃじゃ馬ですか……乗りこなしてみたいものですね」

 振るった剣の勢いが、何倍にもなって返ってくる。メルスもまた床の上を滑って、鎧戦士の斧の下に華奢な身体を晒すこととなった。マルグリッドが怒りの声を鋭く放つ。

「女を何だと……!」

 低く構えた錫杖を地面すれすれに振るって足払いをかけるが、モードレの身体はもともと床についてはいなかった。さも可笑し気に、僭王はくつくつ笑う。

「叔父上も、同じかと思います。知らないで、愛しようとなさっていた?」

「言うなアアアア!」 

 腕に抱かれた少女を避けて、肩まで持ち上げた錫杖をモードレの眉間に向かってまっすぐに打ち込む。だが、命中する前にマルグリッドの脚が宙に浮き、身体が仰向けに倒された。

 衣の前がはだけているのを見下ろして、モードレが嘲笑する。 

「いい格好ですね……でも、恥ずかしがることはありません。いずれ、あなたも私の……」

 マルグリッドは顔を歪める。それは、屈辱と羞恥の表れであったろう。

 だが、戦神の尼僧は、ただで辱めを受けたりはしない。それを察して動いていた者がいた。

 魔王ヴィルハーレンである。

 ソフィエンを抱えた僭王モードレが欲深くも最後の女に気を取られている隙に、斧の餌食になりかかっているメルスを救い出しに行ったのである。

 腰から抜き放った長剣が一閃すると、鎧戦士は腰から真っ二つになって床の上を転がった。中は空洞だったので、間抜けた音がした。

「魔王……ヴィルハーレン?」

 呆然とつぶやくメルスに、魔王は囁いた。

「バールを頼む」

 メルスは無言でうなずくと、ヴィルハーレンの戦う様子をじっと見つめていた子供のもとへと走った。

 続いては、サンディである。床の上で気を失っているのを、鎧戦士が掴み上げようとしていた。だが、その動作は夢の中のように遅い。

 バールが使ってみせた、「重力の遅滞魔法グラヴィティ・ディレイ」だ。

 難なく救い出したヴィルハーレンが抱き起そうとしたところで、先に目を覚まされた。

「気が早いな……まだあいつ倒してないんだろ?」

「このままお前を放っておくわけにもいくまい」

 魔王が囁くと、サンディは不意に魔王の身体を抱きしめた。

「ヴィル……やっぱりオレのこと!」

 魔王が何とも答えないうちに、いくつもの炎が身体の前でぐるぐると回り始めた。「火球ファイアボール」の魔法だ。

「つまらない手でたばかってくれましたね……お礼はたっぷりとさせていただきます」

 そのときだった。モードレの腕の中で気を失っていたソフィエンが、魔王ヴィルハーレンに向かって叫んだのである。

「お爺様!」

 自らの裸身に恥じ入ることもなく、ソフィエンは血のつながっていない魔王を呼び続ける。

「お爺様! お爺様! ……お爺様」

 だが、哀願も空しく、無数の火球はヴィルハーレンに襲いかかる。ソフィエンが絶叫した。

「やめてください!」

 そのとき、床が砕ける音がした。最後の鎧戦士が斧の狙いを外したのだ。その相手は、既にはるか遠くを疾走している。

 バールを置き去りにしてモードレに突進するメルスであった。

 サンディが跳ね起きて、大斧を手に僭王へと迫る。

 マルグリッドが跳躍して、起き上がるのに支えにした錫杖を魔王の脳天めがけて叩きつける。

 だが、裸の乙女を抱えたままでも、魔界の支配者の座を狙うモードレにとって、その程度のことは何でもなかった。

「ずいぶんと見くびられたものですね……私も」

 突如として巻き起こった魔法の風が、エントランス中を吹き荒れる。しかも、その風は単なる大気の疾走ではなかった。

「な……何だコレ!」

 サンディの全身鎧が、魚の鱗を落とすかのように剥ぎ取られていく。たちまちのうちに、身体の線を露わにする下着が現れた。鎧にしてからがそんな具合なのだから、普通の衣服が持つはずがない。

「ボクの……服が!」

 メルスの服があっという間に切り裂かれて、隆起のなだらかな身体にへばりつく。マルグリッドの僧服も、同じ憂き目を見ていた。

「よくも……こんな!」

 魔王の服だけは特別なのか、刃となった風の中でもどうということはない。だが、穏やかな声は苦々し気に呻いていた。

「許せ……!」

 孫娘が僭王の手の中に在っては、直接に手を出すわけにはいかないらしい。魔王ヴィルハーレンは、美少女がひとりで宿敵の腕に裸身を晒し、これまで生死を共にしてきた女たちが肌も露わに服を剥かれているのを黙って見ているしかなかった。

 いや、魔王ヴィルハーレンだけではない。戦神の尼僧マルグリッドも、女戦士サンディも、少女剣士メルスも、彼女たちの救い主が行動を起こしていたことなど知る由もなかったのである。

「ああ、実にいい眺めです。美しい! 私の手の中にあるたおやかな乙女と、逞しい女、神に仕える尼の見る影もない姿、まだ青々とした果実のような肉体、そしてなす術もない、老いた身体の惨めな魔王……!」

 下着までも無残に切り裂かれたサンディが、豊かな胸を覆って憎々しげにつぶやいた。

「言いたいこと言いやがって……」

 そこで、可愛らしい声が茶々を入れる。

「お姉ちゃんたちさあ、恥ずかしがらずに戦えばいいのに」

「何バカなこと言ってるんです、ここから逃げなさい!」

 その声の主の正体を悟ったマルグリッドが叱りつけたが、バールは聞きもしない。

「だから言ったじゃないか、お姉ちゃんたちはオイラが守るって!」 

「ボクのことはボクが何とかする! キミはキミでここから……」

 メルスはバールの姿を探すが、その姿はどこにもない。

 僭王モードレは、甲高い声で笑った。

「自分のことを心配なさい! それとも、もう諦めたのですか? それなら宜しい、思い切って私のものになりなさい。美しいあなた方を、悪いようにはいたしません」

「や~なこったい!」

 どこからか、下卑た男の声がした。

「ヴィル……?」 

 サンディがじっと魔王を見つめるが、ヴィルハーレンは額から脂汗を流しながら、じっとソフィエンだけを見つめて救出の隙をうかがっている。

「相っ変わらず往生際が悪いぜえ爺さんよお……」

 爺さん呼ばわりしてからかう声に、魔王は怒りもしない。だが、何か気付いたことがある様子だった。あちこちを目で探しながら、記憶をたぐるかのようにつぶやく。

「その声……聞き覚えがある。まさか、お前は……」 

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