第10話 僭王が魔王を見ている

「武器を捨てろ」

 鎧たちの後ろから城の正面玄関エントランス中に響き渡る声で悠々と告げたのは、白いマントに身を包んだ遠目にも麗しい若者であった。

 その姿は、肖像画に描かれた現魔王エイボニエルによく似ている。

 だが、先ほど、魔法で知性を与えられたに過ぎない門扉ごときに地位を否定されたばかりの前魔王は、違う名前を苦々しげにつぶやいた。「モードレ……!」

 付き従ってきた女たちはといえば、姿を現した真の敵を、子供一人を囲んだまま、それぞれの思いで遠く眺めている。

 尼僧マルグリッドは緊張の面持ちで、手にした錫杖を固く握りしめた。

「あれが……」

 魔王と呼ぶには余りにも若々しく、たおやかな体つきをしていた。女性と間違われても無理のない優美さが、その立ち姿にはあった。

 当の女性としての感想を率直に口にしたのは、サンディである。

「あ、いい男!」

 その逞しい身体が鎧ごと弾けそうなほどの勢いではしゃぐのを、バールは面白くもなさそうに、ふくれっ面で見上げた。

「そうかあ……」

 その口調には、いささか嫉妬の気配がある。子供ながらに、目の前にいる女性の関心を他の男に奪われるのは面白くないようであった。

 だが、呑気に色気づいている場合ではない。年上の女と、その女に絡む子供をたしなめるかのように、メルスは肌で感じたものをそのまま口にしていた。

「痛い……この、気迫!」

 その口調には、なぜか敵意や嫌悪はない。むしろ、求めるものを持っている相手への崇敬に近いものがあった。それほどまでに、この若者のありようは強さと気品とを兼ね備えていたのである。

 ヴィルハーレンもそれを認めてはいるのか、詰問の口調に憎悪はない。むしろ、失意と後悔とが言葉の端々から滲み出ていた。

「15年前、このベルクレースイの何処かで勇者ランバールに我が子エイボリエルが倒されてから、ワシは魔界の掟に従い、復讐の旅に出た。親子兄弟の無念を晴らさねば、玉座を失うのが魔界の王家の掟だからな。だが、ワシが10年前に復讐を終えるまで待てなかったのか、モードレ。いずれにせよ、息子は帰っては来ない。勇者との戦いで受けた傷はようやく癒えたが、後継者のいないワシが死ねば、魔王の座などお前の才気をもってすれば難なく手に入るではないか」

 モードレは、怒りを抑えて告げられた魔王の思いを、鼻で笑い飛ばして答えた。

「叔父上にそこまで買っていただいていたとは光栄ですな。残念ながら、私も急いでいたのです。何か月か前にはせっかくのご帰還でしたが、ソフィエン様を預かった上でお引き取り願いました。あなたが魔王の座にいたのでは、私の望みは叶わない。」

「お前の、望み?」

 前魔王の口元が歪み、食いしばった奥歯がそこから覗いていた。そんな怒りはものともせず、モードレは楽し気に自らの目論見をすべてぶちまけた。

「あなたを始め、歴代の魔王のやり方は人間に対して手ぬるかった。人間よりも強く逞しく、人間よりも世界の秘密と魔法に通じているのが我々魔族だ。それなのに、なぜ、この暗い世界で人間たちの顔色をうかがって暮らさなければならんのです?」

 いささか興奮し始めた甥を、ヴィルハーレンは低い声でたしなめた。

「それでも、お前が急ぐことはあるまい。魔族は今まで、人間たちと争うことなく、うまくやってきたではないか」

 なだめるつもりの言葉だったであろうが、これが逆にモードレの怒りに火をつけた。

「だからこそ、手ぬるいと言っているのです! 人間との共存では、いつまでも我々はこの暗い魔界に閉じ込められていなくてはなりません。王家を保つための処女狩りなどではなく、いっぺんに人間界そのものを手中にしてしまえばよいではありませんか!」

「たわけ!」

 ヴィルハーレンが初めて激昂した。その大音声たるや、この城そのものを揺るがさんばかりであった。

「人間は魔族よりも命が短い分、早く育ち、早く子を儲ける。だから、あまねく世界に満ちることができたのだ。個々の力では我々のほうが強いかもしれん。しかし、力で抑えつけていれば、やがて自分たちの仲間のほうが多いことに人間が気付いたとき、滅ぼされるのは魔族なのだ」

 モードレは憎々しげに吐き捨てる。

「息子に妃を迎えるために17年も前に処女狩りをやっておいて、よく言えますね!」

 ヴィルハーレンは堂々と答える。

「お前は知るまい、あれは処女狩りなどではない……」

「言い訳なさいますな、見苦しい! エイボニエルは自ら人間の処女を求めて流浪の旅に出て、勇者ランバールに討たれたのではありませんか! だから私はいずれ、あなたと同じことをさせてもらうつもりだ。手始めに……ソフィエンを頂戴します」

 魔王を僭称する不肖の甥の挑戦に、地位を失った魔王が獣のごとき唸り声を上げた。その口元からは、白い牙さえ覗いている。女たちは口を挟むこともできずにただ、二人のやりとりを黙って聞いているしかなかった。

 モードレはヴィルハーレンの怒りを、皮肉たっぷりの笑みで受け流してみせる。

「ご落胤のそのまたご落胤がいたあなたに、それをどうこう言われる筋合いもありませんしね!」

 そこで、長いやりとりを黙って聞いていたバールだけが、子供の分際で大人の話に首を突っ込んできた。 

「うわ、悪党……」

 モードレのことを言っているのかヴィルハーレンのことを言っているのかはともかく、それをきっかけに、女たちが堰を切ったように言いたいことを喋り出す。

「戦神の名の下に……」

 マルグリッドが錫杖を構え直せば、サンディもグレートアックスを肩にかつぐ。

「こいつを仕留めりゃ玉の輿だってか?」

 それとは別の意味で、メルスが剣の柄に手をかけて、抜き打ちの構えを取る。 

「腕が鳴ります」

 だが、僭王モードレは、この場に立っていられるこの女3人がいかに恐ろしいかを知らない。他の魔族は扉の外で未だに気を失って倒れているのだが、それでも気づかない所を見ると、これほど凶悪な女たちは魔界にはいないのだろう。

 ゆったりとした衣をまとった手を一振りすると、さっき磔にされていた裸身が、モードレの腕の中でたおやかな姿を晒す。

「この娘に、私の子を……」

 孫娘の安全を思えば、いかに魔王ヴィルハーレンとはいえ手も足も出ない。

 それでは屈強な女たちに任せればいいかといえば、バールも交えて勝手に盛り上がっている。

 真っ赤になっているのは、成人したばかりのメルスである。元はといえば両家の令嬢であるから、その手のことには触れないように育てられてはいただろう。だが、いずれ嫁いだり婿を迎えたりする身であることを思えば、ある程度のことは教わっていてもおかしくはない。

「それ……まさか、その」 

 うつむいた顔を下から眺めて、バールがはやしたてた。

「お姉ちゃん、照れてる!」

 こっちはどういう教育を受けてきたのか分からない。下々の者は幼いうちから年上の者と遊ぶうちに自然とそういったことを覚えるものらしい。

 サンディもまた、その例に漏れなかったようでった。にやにや笑いながら、バールの頭を小突く。

「このマセガキ」

 マルグリッドだけが、目を吊り上げて逆上していた。そこはやはり、修道院育ちである。もう30にもなろうという年であるから、信者の出産に立ち会うこともあっただろう。だが、それだけに、女性の貞操と新たな命を弄ぶような真似は見過ごせまい。

「許しません!」

 その一声で、サンディもメルスも目が覚めたようだった。

「ボウズ、ついてくるなよ、じっとしてろ! ヴィルのそばで!」

「ボクが一撃で仕留めてくるからさ!」

 女戦士と少女剣士が、戦神の加護を失って錫杖を振るうしかない尼僧を挟むように、並んで走りだす。

 だが、一糸まとわぬ美少女を抱えたままで女3人を相手にするというのは、卑猥な意味でもなければ決して楽しい作業ではない。モードレにしても、真っ向から戦う気などなかったようである。

「あの女どもを取り押さえろ……無傷でな」

 命じられたのは、斧を構えた鎧戦士だった。 

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