第9話 城に残った魔族たちが魔王を見ている

 一挙に増えた手勢を従えて、魔王ヴィルハーレンとその一行は、城門へと迫った。禍々しく鋲を打った巨大な門を見上げた魔王は、再び大音声で呼ばわった。

「門を開けよ!」

「はっ、直ちに……」

 さっきとは打って変わった従順さで門番が応えた。その途端、大勢の男たちの掛け声とともに歯車や何やらの仕掛けがごろごろと動く音がする。やがて城門は、大きな口をばっくりと開けて前魔王の帰還を迎え入れた。

 城の中庭は、石畳が敷き詰められただけの、がらんとして何の飾りもない場所だった。その向こうには更に、青い闇の中で黒々と浮かぶ巨大な鉄扉があった。その上には、堂々たる本殿からバルコニーが突き出ている。

 鉄扉へ向かって真っすぐに進む手勢の先頭を、魔王ヴィルハーレンはゆったりと歩く。その姿は、暇に任せて居城の中を散歩しているかのようだ。

 それにぴったりと寄り添っているのは、押し掛け女房を気取る女戦士サンディであった。グレートアックスを肩に担いで、意気揚々と歩いている。

「意外に弱いな、ヴィルの手下は」

 失礼なことを耳元で囁かれた魔王だったが、謙虚な言葉で受け流した。

「鍛え方が足りなかったか」

「なに、アタシに任せてもらえれば」

 妻として自分の部下となる者どもを徹底的に鍛え直してやるという意味であるが、メルスが口を挟んできた。

「言っておくけどボクは」

 サンディの下につくつもりはないと言いたかったのであろうが、マルグリッドはみなまでそれを言わせなかった。

「二人とも!」

 それは、別に仲裁に入ったわけではない。バルコニーの上で、今だ前魔王に帰順しない魔族の男たちが巨大なクロスボウを構えたのである。女たちはとっさに各々の武器を手に身構えたが、魔王ヴィルハーレンは動じない。最大の標的になっているはずなのに、鉄扉に向かって無言で歩き続ける。

 しかし、1列に並んだクロスボウの向こうに十文字の磔刑台が押し立てられたとき、魔王はいつになく己を失って叫んだ。

「ソフィエン!」

 白い両腕を広げてはりつけにされているのは、亜麻色の髪を長く垂らした少女だった。

 それが何者なのか気付いたのは、マルグリッドである。 

「あれが、お孫さん?」

 サンディが哀しげに笑って肩をすくめた。

「やれやれ……アタシ、いきなりおばあちゃんかあ……」

 それを横目で見やりながら、メルスが冷ややかに口を挟んだ。

「そういう問題?」

 魔王ヴィルハーレンはというと、丸めた背中をガタガタ震わせている。それはまるで、心の底から噴き上がる怒りを、身体の中に押さえ込もうとしているかのようだった。

「おのれ……わが子の復讐を果たさんがために預けた城を思いのままにした上に、我が孫娘ソフィエンにまでもこの仕打ち……」

 女3人のうち、必ず誰かの尻にくっついて歩いていたバールが、横を向いてぼそっとツッコんだ。

「気づけよな、預ける前にそのくらいのことは」

 それが魔王にまで聞こえたかどうかは定かではなかったが、少なくとも女たちの耳には届いたようだった。

 メルスはもっともだというふうに頷く。

「人が良すぎるかと」

 するとそこですかさず、マルグリッドが異論を唱えた

「そこがいいのでは」

 自分が口にするべき一言を横取りされて、サンディひとりが唖然として尼僧へと振り返った。

「え?」

だが、その後に続く言葉はなかった。足下のバールが、素っ頓狂な声を上げたのである。

「お、おお……」

 魔族の男たちの間にも、同じようなどよめきは波のように広がっていった。

 バルコニーで十字磔にされたソフィエンから、1枚きりしかない衣が剥ぎとられたのである。山脈の彼方まで広がる真っ青な闇の中で、しなやかな肢体がぼんやりと燐光を放っている。

 とっさにマルグリッドが、バールの目を片手の掌で塞いだ。

「よい子は見ちゃいけません!」

 その手は、さっとすり抜けられる。

「オイラ悪い子だもんね」

 言い捨てるなり逃げていく。その傍若無人ぶりは、さすがにマルグリッドの忍耐の限界を超えていた。

「そう言う子にはお仕置き……」

 だが、錫杖を振り上げたときには既に、バールの姿は怒りの爆発をこらえているらしい魔王ヴィルハーレンの足下を駆け過ぎていた。

 それは城を守る魔族の側からすれば、前魔王の側から先陣を切ったと見えてもしかたがない。たちまちのうちに、城壁の上から巨大な矢が雨のように、無防備極まりないバールの頭上へと降り注いだ。

 魔王が怒声と共に、片手を薙ぎ払う。

「退がっておれ!」

 岩山に轟きわたるその響きに、矢は残らず吹き飛ばされる。ただし、遅れて射込まれたのが1本だけ、バールの鼻先をかすめて固い岩場に突き刺さった。

「うわあああ!」

 悲鳴を上げる子供を尻目に、中庭の向かい側にある鉄扉に向かって、ヴィルハーレンはひとり歩き出す。それはまるで、女たちと帰順した軍勢に残してきた全てのものを託すかのようであった。

「その幼子を頼む」

「じゃあ、アタシが」

 サンディは、真っ先に応じた。そこには、魔王の押し掛け女房としての自負もあっただろう。だが、呼びかけを受けて動いたのは、ひとりだけではなかった。抜き打ちに長けた少女剣士が、白刃を予め鞘から解放する。

「いや、ボクが」

 メルスがヴィルハーレンの言葉に応じたのは、何の見返りも求めず、ただ剣を極めんとする者の誇りからであろう。だが、守られる立場にある者がそれを自覚していないのではどうにもならない。逞しい鎧姿の女戦士と、小柄で華奢な神速の剣の使い手が駆け寄って背中合わせに挟んだ子供は、その豊かな曲線と控えめなのと対照的な尻の辺りを見あげると、やにわに立ち上がった。

「いや、オイラがお姉ちゃんたちを守るんだって言ったろ」

 バールが短剣を抜き放って胸を張ると、そこへ戦神の尼僧が迫ってきて、怖い顔で見下ろした。それまでにも、この子どもへの怒りを見せなかったわけではない。だが、今度のはいつもとは違った。子供をこれ以上戦わせてはならない、危険に晒してはならないという、尼僧の信仰を賭けた真剣さがあった。

「待ちなさい」

 叱られても全く反省することのなかったバールは、この時ばかりは息を呑んだ。それほどまでにマルグリッドの表情には鬼気迫るものがあり、そして、母の如き美しさがあった。それでも、短剣を鞘に収める様子はない。

 背後でのせめぎ合いに構うことなく、魔王ヴィルハーレンは鉄扉の前に立つと、低い声で命じた。

「開けよ」

 地の底から響くような声が、本来なら城の主たる者の命令を荒々しく拒んだ。

「魔王がそれを禁じた。魔王モードレの許しなくば応じるわけにはゆかん!」

 バルコニーの上から、魔族たちがどっと哄笑の声を上げた。ヴィルハーレンは、すでに魔王ではないということである。

 だが、そんなことで怯むような前魔王ではない。そんなことは先刻承知とばかりに、悠々と呪文の詠唱を始めた。固く閉ざされた扉が、それに抗うように震えだす。共鳴にも似た響きが、耳を覆わんばかりの甲高さで辺りを満たした。

 バルコニー上の魔族は残らずクロスボウを引っ込めてのた打ち回り、魔王に付き従う軍勢も武器を取り落として、頭を抱えてうずくまった。

 ただ、女たちだけが耐えていた。斧を、剣を、錫杖を構えて、子どもひとりを囲んだまま身構えている。

 ヴィルハーレンの「知性を与えらえた道具の屈服サレンダー・エンチャンテッド・インテリジェンス」に打ち負かされた魔法の鉄扉は沈黙し、静かに開いて城の中を見せた。その中には天井の高い玄関があり、戦斧を構えた巨大な鎧が立ちはだかっている。

 その頭上に掲げられた大きな肖像画には、深紅の長いガウン姿で王冠を頂いた、美しい若者の姿があった。

「エイボニエル……」

 魔界の蛇と呼ばれた男が寂しげにつぶやいたのは、勇者に倒された若き息子……本来なら現在の魔王としてこの城に在るべき青年の名前であった。

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