第8話 魔界の軍勢が見ている
そして、魔族の軍勢は動き出した。
ほとんどが胸甲や楯のみといった、防具の粗末な者ばかりである。だが、それは貧しさのためではない。それが証拠に、手にした武器は近接戦闘用の短いものから、遠間から振るうことのできる
「……! ボクの剣より速い?」
鞘から迸る必殺の剣が紙一重の差で及ばず、反撃を避けた少女剣士メルスは飛び退った。危ういところで、鼻先を横殴りの棍棒がかすめる。
「こんな……雑な武器なんかに!」
だが、魔族が放つ左右からの連撃は、神速の剣を振るう隙を与えない。面と向かっては、明らかにメルスが不利だった。
「……だけど!」
脳天への一撃を加えるべく振り下ろされた棍棒は、力任せに地面を叩いていた。その胸元に飛びこんだ黒髪の少女は魔族の喉元へと、剣の切っ先を真下から突きつける。
「生きていたいなら、逃がしてあげるよ」
棍棒が地面に転がり、メルスは血を見ることなく最初の実践に勝利を収めた。
細身の剣の使い手に敗れた魔族が逃げ去ったところで、大斧を携えた鎧の女は、ひとりで騎馬戦士2人と戦っていた。
「くっ……ここで殺っとかねえと後が厳しいぜ」
最初の1人が倒せないでいるうちに、もう1人がやってきたのである。ここで手をこまねいていては、魔族は次々に襲いかかってくるだろう。
「こいつら……」
馬上の戦士は、サンディと同じくらい頑丈そうな鎧に身を固めている。その手にした槍が頭の上から降ってくるのを斧の柄で受け止めると、空いた背中に後ろから戦斧が振り下ろされる。
「なんの!」
背後からの攻撃をものともせず、サンディは槍を頭上で受け止めたまま、力任せに突進して押し返す。襲い来る斧の刃は空を切り、馬上の戦士は前にのめった。
「そこだ!」
振り向いた女戦士の斧が、魔族の背中に命中する。呻き声と共に落馬したのは放っておいて、さらにくるりと半回転する。もう一方の戦士は、再び槍を振り上げていた。
「二度も同じ手を!」
大きく構えた分、隙も大きくなる。ガラ空きになった脇の下に向けて、横ざまに斧を振るう。鎧の上で火花が散り、重装甲の魔族は馬上から転げ落ちた。
もっとも不利な闘いを強いられていたのは、マルグリッドである。何かというと頭に血を上らせて戦おうとするバールを叱りつけながら、襲い来る魔族を錫杖で突き伏せなければならなかったのだ。
「オイラだって負けないぜ!」
「これは大人の戦いです。子供のチャンバラでありません!」
「おんなじさ、オイラから見ればね!」
そう言っている間に、剣や手斧や
「ああ、うっとうしいぜ!」
バールが口の中でごにょごにょ唱えると、目の前に迫っていた魔族の身体を炎が包んだ。
「
戦神の尼僧が叫んだが、それほどの威力はなかった。相手の身体がぶすぶすと煙を上げた程度である。バールが茫然とつぶやいた。
「いや、いつもなら……」
棒立ちの魔族の鳩尾辺りを、鷹の紋章を頂いた錫杖の先が抉る。それを振り上げて、後から来る相手の顔面に叩きつけながら、マルグリッドは足元の子供を叱りつけた。
「いつもこんなことがあってたまるもんですか!」
尼僧らしからぬ感情の爆発は、子供心をいたく傷つけたものらしい。
「じゃあ、オイラの本気を見せてやるよ!」
バールは叫ぶなり、ただの人間とは思えないほどの凄まじい足さばきで魔族の群れに突っ込んでいった。追いかけるところを、
「ヴィルハーレン!」
魔王の名を叫んだが、その助けを拒むかようにバールは短剣1本で魔族たちと渡り合おうとする。
「ケンカはな……」
暗い影としか見えない魔族たちの剣や槍を巧みにかわしては、懐へと飛びこむ。
「身体のちっこいほうが得なんだよ!」
攻撃される身体の面積だけを問題にすれば、それは正しい。だが、戦いは相手に何かの負担を与えなければ、絶対に勝つことができないのだ。
実際、バールの短剣の先は大柄な魔族たちの身体に当たりもしない。力ずくで押しのけられてしまう。
「畜生、こんな体でなけりゃ……」
そう吐き捨てる声が聞こえたのか聞こえなかったのかは定かではないが、錫杖の一閃で目の前の魔族を張り倒したマルグリッドが再び助けを求めた。
「ヴィルハーレン、石化魔法を!」
その魔王は、戦う女たちの後ろで何やら低くつぶやいている。足の先で何重もの輪を描き、指を絡めた両手をあちこち動かしている。
やがて、あの穏やかな声が見渡す限りの岩山に響き渡った。
「目を閉じよ」
マルグリッドが、サンディが、メルスが、バールまでもが、命じられるままに目を閉じる。それと同時に魔界の暗い空高く、まばゆい光の球が炸裂した。
まず、目を開けたのは尼僧マルグリッドだった。
「……これは?」
当たりは元の青い闇に戻っていたが、並み居る軍勢はことごとく、暗い地面に倒れ伏していた。
「これは、もしや……」
「
魔王がそう打ち消したのには、訳があった。
さっきまでマルグリッドが対峙していた相手は、顔を上げるや、その場で死んだふりをした。尼僧は冷ややかに言い放つ。
「ムダです」
その身体を錫杖の先で転がしてみると、魔族の男はきまり悪そうに顔を背ける。
怯え切ったその目をマルグリッドがしばらく見つめていると、魔王がその疑問に答えてくれた。
「なぜなら、この男は石になっていない」
それでマルグリッドも察しがついた。
「つまり、これは……悪意がない?」
後から目を覚ました2人の女は、ヴィルハーレンの説明が聞こえたのか、二重奏で悲鳴を上げた。
「きゃああああ!」
「何だよこいつら!」
魔族たちが、きまり悪そうにもぞもぞ起き上がる。その中の何人かは女たちを見ると、揃って目を逸らした。だが、女たちはそれを見逃さない……というか許さない。
「ボク、あんな格好見られたことなんか誰にもないのに!」
「高くつくぜ変態野郎!」
「この場で償いなさい……その命で!」
あの岩場の温泉で、湯気の向こうから3人の裸身を見たと断定していい魔族の男たちに、剣が、斧が、錫杖が襲いかかる。
だが、ほとんど無抵抗の男たちの悲鳴は、女たちに対する魔王の一喝で止んだ。
「余の民を傷つけることは許さん!」
初めて聞く魔王の怒号に呆然とする女たちに、魔王ヴィルハーレンは穏やかな声で告げた。
「見よ!」
並み居る魔界の軍勢が武器を捨て、哀願するように見返していた。
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