第3話 少女剣士も魔王を見ている
「尾行されているな」
女戦士サンディが、魔王ヴィルハーレンに身体を寄せて囁いた。その間へ、戦神の尼僧マルグリッドが割り込む。
「あなたに教えられるまでもありません」
魔王は足音も立てずに、歩を速める。あっというまに遠ざかっていく後ろ姿から、微かな声が聞こえてくる。
「離れて歩くのがよかろう。ワシらは目立つ」
実際、この3人は人目を引くのだった。道を行く者はそう多くはないが、それだけに、異装は際立つ。
「やっと気が付いたんですか」
尼僧のボヤきに、魔王はぶつくさと答えた。
「まあ、これもなりゆき任せの旅ということだ」
言いわけにもなっていなかった。
古ぼけた長いコートを着た灰色の髪の男はまだいい。これといって特徴がない。
だが、紺色の衣をまとった銀色の髪をした女が、鷹の紋章を頂いた錫杖を抱えて歩いていては、戦神の尼僧これにありと触れ歩いているようなものである。小国とはいえそれぞれの王が居る大きな町ならともかく、こんな田舎町が戦神にそうそう用のあろうはずがなかった。
「服を替えるとか思いつかなかったのかよ」
女戦士の悪態を、尼僧はさらっと受け流す。
「鎧は抱えて歩くんですか? それともドレスの下に?」
ましてや、プレートメールの背中にグレートアックスを背負って歩いているような女とあっては、もはや見世物でしかない。
ありがたいのは、すれ違う人がことごとく、恥ずかし気に「見ないふり」をして駆け去ってくれることだった。それというのも、ここが出会った地点から数日にわたって川を遡ったところにある、小さな町に過ぎないからである。こうした町の人々は、何よりも平穏を好むものだ。
そんな人々の視線を避けるように、サンディとマルグリッドはせかせかと歩く。
「もっと……簡単な道筋はなかったのですか」
「だったらお前らと出会っちゃいないよ」
そのときサンディが背にしていた激流のせいで、人の住む土地は魔族の棲む山々から、長い長い国境線を引かれたように隔てられている。川の向こうは岩場の多い高地になっていて、人はおろか、獣でさえも棲めない。動物がいたとしても、限られたものばかりである。
だが、修道院で育ったマルグリッドは、そういった外界のことには疎い。
「橋を渡るとか……」
「どこで?」
人が川の中に入らなければ、そもそも橋桁も立てられない。それができないほど、川の流れは激しく、複雑なのだ。もっとも、それにしても戦神の尼僧が知らなければならないことではない。
「舟で渡るとか……」
「どこを?」
流れが速すぎて、舟が転覆するおそれがある。無事に対岸へ渡れたとしても、どれだけ流されるかわからない。そもそも人の住めないところへ、そんな危険な舟をわざわざ渡す必要もない。
そこで2人が追いついたので、魔王も口を開くことができた。
「私も、このような街をいくつも通ってきたのだ」
激流を渡るのを避けて川をさかのぼっていくと、ようやく狭い支流から支流を追うように、橋がかけられるようになる。その袂という袂にはいくつもの街ができていた。その街の一つを、魔王と女2人は通り過ぎようとしていたのである。
尾行者が現れたのは、この町に入ってすぐのことだった。路地をうねうね回ってみたり、3人バラバラに歩いてみたりしたが、いつでも必ず誰かの後ろにいる。
やがて、町はずれで橋の袂を前にしたとき、3人の背後から声がかかった。
「そこの女2人はともかく、妙に足の速いのは……魔族ね」
女戦士と尼僧との視線を背中から浴びて、背の高い魔王は小さくなった。
「許せ」
それが聞こえたのか、可愛らしい声が軽やかに告げた。
「お詫びが済んだところで悪いけど、全員まとめて片づけてあげるわ」
反りを打った細身の剣が、マルグリッドに襲いかかる。振り向きざまに錫杖で受け止めると、そこにはまだ10代半ばと思われる小柄な美少年が鋭い目つきで睨みつけていた。
「……戦神に仕える尼か。裏切者!」
痛い言葉に呻いたところに、隙ができる。少年剣士が見逃すはずはない。
「もらった!」
喉元に迫る切っ先。
だが、それがマルグリッドの命を奪うことはなかった。宙返りを打って飛び退った美少年が、横薙ぎの斧に剣を引いたのである。
「子供が危ないモンふりまわすんじゃあないよ!」
サンディが膝のバネを利かせて、次の一撃を見舞うチャンスをうかがう。鉄帽子と胸甲一枚にマントを羽織った軽装の剣士は、クスリと笑った。
「ボクが子供に……見えるんだ」
軽く地面を蹴っただけで、間合いが一瞬にして詰められる。首筋を薙ぐ刃を斧の柄が弾くと、その反対側から袈裟懸けに斬り込んでくる。柄の長さで何とか凌いでいるものの、手練れたサンディでさえ、その剣の凄まじい速さを破ることはできそうになかった。
「ヴィルハーレン! ここは私たちが!」
「橋を渡れ、ヴィル!」
女2人が同時に叫んだ。魔王の名前に「様」をつけないのは戦神に仕える尼僧の意地か。その上、愛称で呼び捨てにする女戦士に至っては、勇者も何もあったものではない。だが、その立場にそぐわぬ言葉には、ひとつに通じ合う気持ちがあるようだった。
人間の敵としてはこれ以上ないはずの存在である魔王を、守り抜く。
だが、その魔王ヴィルハーレンが人間の女2人の情にすがろうはずがなかった。
「お前たちが、先に」
沖天した秋の日の下、瞬く間に目の前へ現れた魔王の影に、人間3人はそれぞれの理由で後じさった。
「ヴィル、こいつらはアタシが」
「あなたに助けてもらっては、戦神に見放されます」
女戦士と尼僧がほとんど同時に口にしたことを、魔王も剣士も聞き取れたかどうかは分からない。ただ、そのどちらの意志も同様に固いようだった。
「女2人を盾にしたとあっては、それこそ魔王たる資格はない」
「魔王だと……まさか、お前が!」
剣士が小柄な身体で、
地面の一蹴りで、腰溜めに構えた剣が向きを反転させて突き出される。
「だからヴィル、言わんこっちゃない!」
正面から振り下ろされた斧が、剣士の動線を断ち切った。魔王を狙った剣はすぐさま引き戻され、わずか数歩のステップでサンディの喉元に突きつけられた。
その切っ先の向こうに見える真っ直ぐな眼が、真摯に女戦士を見据える。
「どんな魔術をかけられたのか知らないけど、目を覚ましなさい。キミたちは、魔王の……その……」
剣士は口ごもったが、頬を真っ赤に染めると、目を固く閉じて言い放った。
「処女狩りに遭っているんだから!」
しばしの沈黙が辺りを支配した。
サンディは目を丸くして、思わぬ一言を口にした剣士をきょとんと見つめている。魔王ヴィルハーレンはというと、口を堅く一文字に引き結んで、目を伏せている。やがてサンディが、我に返って口を開いた。
「待て、アタシらは……」
続く言葉は、横薙ぎの斧の一閃に代えられた。いつの間にかマルグリッドが剣士の背後に回り、脳天へと錫杖を振り下ろしていたのである。
「卑怯な!」
澄んだ一声が響き渡り、まず頭上の杖が、続いて脇からの斧が、時間差で弾き返されていた。
しかもそのとき、剣士の姿は元の場所にはない。高々と舞い上がった身体が、剣を逆手に魔王へと襲いかかっていた。
「ヴィル!」
「ヴィルハーレン!」
武器を手にした女2人が声をかけるまでもなく、魔王は紙一重の差で脳天への一撃をかわしていた。だが、その剣は姿を消す間を与えない。鮮やかに持ち替えられると、右から左から、さらには袈裟懸けにと、続けざまの刃を繰り出してくる。
女戦士も戦神の尼僧も、ため息を吐くしかなかった。
「強い……」
だが、その攻勢も長くは続かなかった。
魔王がコートの裾を跳ね上げると、地面から天に向かって銀光が一閃したのである。少年の剣は弾き飛ばされ、秋の高い空の下で輝きながら、くるくると回って地面に突き刺さった。
武器を失った少年剣士は唖然としていたが、自らの身体に起こったことを見て、美しい顔をひきつらせた。
「ひっ……」
その胸甲は衣服と共に断ち切られ、白い肌が露わになっていた。魔王はといえば目を閉じたまま、澄んだ日の下には似つかわしくない、ギラギラと妖しく光る長剣を高々と掲げている。やはり紙一重ならぬ布1枚の差で、相手の身体を傷つけることなく戦闘能力を奪ったのだった。
だが、神ならぬ魔王のことである。知り得ぬことはあったのかもしれない。
胸甲が切り裂かれただけではない。真っ二つに割られていた鉄帽子も、左右に分かれて落ちた。そこから現れたのは、流れるような長い黒髪である。それに押し分けられた服の間からも、深くはないがあるとはっきり分かる小さな谷間があった。
「見ちゃダメ、ヴィル!」
ガサツに見えた女戦士が駆け寄って、その場にへたり込む少女剣士を抱きしめた。その嗚咽を、全身で抑え込む。
「泣かないの……泣かないの……あのオジサン、怖くないから」
戦神の尼僧はというと、無言で剣を鞘に納める魔王に駆け寄って問いただした。
「まさかヴィルハーレン、知ってて……」
「さあな。ただ、あれが一番手っ取り早かったのだ、ワシにとってはな」
この辺りの小狡さも、その二つ名の所以である。
魔界の蛇。
さらっとごまかした魔王は、まだサンディにすがって泣いている少女に向かって用件を切り出した。
「力を貸してはくれないか?」
「何言ってんだヴィル!」
さすがにサンディも、泣きじゃくる小さく弱い者を胸に抱いたまま、魔王に食ってかかった。
「なりゆきで……仕方があるまい」
二言目には、これであった。
少女はすがりつく腕に力を込めると、プレートメイルの胸に頬をすり寄せてかぶりを振る。それを見つめながら、魔王ヴィルハーレンは思いがけないことを告げた。
「ワシにも、お前とそれほど年の変わらない孫娘がいる……それを、助け出さねばならん」
泣き声が止まった。それまで少女をなだめていたサンディも、魔王をじっと見つめている。
「ヴィル……マリー、お前知ってたか?」
今度は尼僧が呼び捨てにされた。尼僧マリーは怒りもせずに、黙ってうなずく。仲間外れにされたのがよほど面白くないのか、サンディは口を尖らせると、再び少女を抱きしめた。そんな女2人のやり取りには目もくれず、魔王は少女をひとりの剣士と見なして語り続けた。
「息子を失った後、不肖の甥に城を預けたままになっておってな。そこにいる」
サンディの胸元で、熱い溜息が聞こえたかと思うと小柄な影が一声漏らした。
「失礼」
切り裂かれた服を掻き寄せて立ち上がるのを、サンディは呆然と見つめている。戦神の尼僧は、少女のまっすぐな眼差しを正面から受け止めて微笑んだ。
魔王に向かって、毅然とした声が答える。
「参ります……その代わり、一手ご教授を願えませんか」
尼僧が顔を赤くして、目をしばたたかせた。
「一手って……」
しんみりした雰囲気にいたたまれなくなったのか、照れくさそうなサンディが、妙な陽気さで年上の女をからかった。
「何誤解してんだお前……ヴィルのあの剣、あの技を知りたいって言ってんだけど?」
口にしたことをごまかそうにもごまかしきれず、マルグリッドはぼそぼそとつぶやいた。
「実は、その……」
怪訝そうに眉を寄せたサンディは、はたと気付いたことを尼僧の耳元で囁いた。
「お前、その年で男知らねえの?」
じゃあ、あなたは、と聞く勇気は、おそらくマルグリッドにはなかっただろう。
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