第50話 正しく拳を突いているだけ

 二人が向かい合うとより明確に体格差がある事が解る。

 俺よりも身長の高い芝的しばまとは、紗凪さなぎの身長の倍はあろうか。更に、チャラチャラしている不良風情でも、なんだかんだ言って空手家だ。体の厚みも紗凪の3倍はある。

 よく大人と子供なんていう表現があるが、これはその比ではない。ライオンとハムスターくらいが妥当だろうか。

 紗凪が礼をして顔を上げた瞬間。

 ――ヒュンッ。

 と言う風の音と共に、芝的の拳が突き出されていた。

 顔面へ。

 寸止め。

 芝的を後から追い掛けた風が、紗凪の亜麻色の髪をふわっと舞い上げる。

 紗凪は一切姿勢を変えず、突き出された拳を静観していた。

「芝的ぉ!」

 先輩が声を荒げる。

「ジョーダンっすよ。ジョーダン。でも、ヘッドギアくらいは付けた方がいいぜ?」

「必要ない。だってこれは練習でしょう?」

「そうだったな。練習だった。練習だから、もしかしたら不意に顔面に入っちまうかも」

「貴方は力の使い方を解っていない様だから、それくらい許すわ。好きなようにして」

 その言葉を聞いて、先輩が声を上げようとするが、それよりも早く紗凪は手で制していた。

 芝的は口角を釣り上げ下卑げびた笑いを浮かべる。

「なかなか度胸の据わった女じゃねえの。パイセンも倒したっぽいし、比々色ひひいろとは違って勇ましいぜ」

燈瓏ひいろう君はわ」

「あ?」

「対峙した瞬間に相手の強さを量れないようでは、武道家としては終わっている。それを教えてあげるから、掛かってきなさい」

「ムカつく奴だぜ!」

 言うが早いか。

 乱暴な正拳付き。

 それを半身はんみかわす。

 紗凪はそのままがら空きのふところに一撃。

 ドスッ!

 正拳突き。

 多分。

 早過ぎて見えなかったが。

 後ろによろめく芝的。

「く、まぐれ当たりだ」

「そう。なら来なさい」

 今度はリーチを活かした足技。

 中段回し蹴り。

 眼球を爪先が斬り裂くかどうかのところで避ける。

 蹴りの軌道を見切っている。

 芝的の足が地面に着くよりも早く距離を詰める。

 正拳突き。

 ドスッ!

 音が遅れて伝わる。

 同じ箇所だ。

 芝的はよろめきながらカウンター。

 後ろ回し蹴り。

 しかし不十分な姿勢。

 上段に逸れる。

 紗凪は躱しながら距離を詰め。

 正拳突き。

 相手は距離を取る為にバックステップ。

 合わせて前に踏み込み、

 正拳突き。

 全て、正拳突きだ。

 しかも、全て同じ形。同じ姿勢。同じ拳。そのどれもが綺麗なものばかり。

 これは恐らくフルコンタクトなどの実戦形式を意識したものではなく、形競技で行われる様な空手を意識している。基本中の基本をただ綺麗な姿勢で打っている。それがただ当たっているだけと言う印象。

 しかしその全てががら空きの腹。しかも正中線を打つように抜群のタイミングで放たれている。ダメージの蓄積はかなり大きい。

 芝的はその場でうずくまった。

 肩で息をしている。

 一方紗凪に呼吸の乱れはない。

「呼吸を整えたいのならどうぞ」

「クソが!」

 芝的はムキになって拳を振るが、その全てが空振りして、代わりに紗凪の正拳突きが突き刺さる。

 何故、。と言う疑問は、彼の抱いているところだと思う。何せこの全弾正拳突きと言う攻撃方法は、野球で言うならであり、格闘ゲームで言うならなのだ。読み合いなどない。来ると解っているところに拳が来る。避けられないわけがない。しかし当たる。そんな矛盾を目の前で体現されて、彼は混乱しているだろう。

 だが答えは簡単な事だ。その一撃がからだ。今このタイミングで叩きこめば入ると言う瞬間瞬間を、紗凪は見逃さないと言うだけなのだ。とは言えそれが出来る人間はそう多くない。俺が知る限りなら紗凪を除いて一人しかいない。そう、彼女の師匠、良煙寺理三郎りょうえんじりざぶろうだ。今の彼女に、スピードで相対した時の理三郎さんがダブる。この状況はあれと同じなのだ。

 最後にはくずおれる芝的。

 一体何十発同じ部位に喰らったのか。

 もう立ち上がれないだろう。

 しかし紗凪は冷酷な眼差しを向け、掌を上向きにクイッと曲げた。

「立ちなさい」

 その言葉に、芝的だけではなく、全ての部員が戦慄せんりつした。

「練習だと言ったでしょう。死ぬまでしごいてあげるから、遠慮しないで」

 紗凪、それだと死んじゃうんだが。

 その後、結局彼が失神するまで練習は続けられた。

 紗凪が競技場から退場し、中央に向って礼をする。

押忍おす

 いや、押忍じゃなくて。

 生きているのか。彼は。

「主将さん。ド素人で初心者の練習相手になったくらいで失神してしまう様な彼を全国大会に出すのは、やはりこの学校の恥だと思う。まずは一年生と一緒に礼の仕方を学ばせてあげて。もしも彼が嫌がったら、私を呼ぶと良いわ」

「ありがとうございます」

「でもその前に、主将さんが彼をコントロールできるように精進しなさい」

「押忍!」

 と、その時不意に周りがざわついた。

 芝的が意識を取り戻したのだ。

 生まれたての小鹿の様に脚をプルプルと震わせながら立ち上がる。

「待てコラ!」

 彼は叫びながら紗凪に向ってくる。

 紗凪は振りかざされた手を避けることなく、片手で受けながら、バックステップ。

 勢いを下方へ。

 芝的の向かっていく力に加え、紗凪の引き寄せる力によって、彼は力を自分に引き戻す事が出来ず前のめりになり、足をもつれさせた。

 紗凪は更に後退しながら体重を彼の腕に掛ける。

 いよいよ体勢を保てなくなった芝的はそのまま腕から地面に倒れる。

 俯せに倒された瞬間にはもう既に肩の関節を完全に決められており、身動きが取れない状態になっていた。

 一見してみると、殴りかかった芝的がそのまま勢い余って倒れてしまった様にしか見えない。だが、そこには間違いなく紗凪の武術が組み立てた技の体系が介在していた。

一教いっきょう

 と、言うのが技の名前なのか、呟く紗凪。

「場外での攻撃なら空手以外の技も使う。今のは合気。貴方の様に空手しかできない人間は、場外で敵を作らない方がいい。死にたいのなら別だけれど」

 ミシッと彼の肩から音がする。

「うがあぁっ!」

 芝的から悲鳴が上がる。

「紗凪!」

 俺の声に、紗凪は手を緩めた。

「ほら。燈瓏ひいろう君はの。力をコントロールするすべを知っている」

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