第49話 武術ではなく武道で

 犯人が居たら、言う事は約束した。ただし、古武術も禁止した。道場に入る以上、武術ではなく武道で相対するのが作法だろうと言うと、それもそうね。と簡単に承諾してくれた。

 更に紗凪さなぎには申し訳ないが、俺は犯人を見ても言わないつもりでいる。全員に手を下すとは言っていたが、この中には居ないと断言してしまえば、紗凪も手は出せまい。

 道場に入ると、部活動に勤しむ生徒達の威勢のいい声が聞こえた。

 薄拂すすきはらさんの彼ぴっぴは、居た。

 紗凪の推測通りと言うのは凄いな。

「この中には居ないなあ」

 と、キョロキョロと隈なく探す振りをする。

 ごめんな、紗凪。

 でもやっぱりお前が人を殴る所を見たくはないんだよ。しかもそれが俺の為だなんて、堪らないじゃあないか。

 彼ぴっぴよ、感謝するんだな。俺の寛容さに。

 とか思っていると、向こうからツカツカと歩いてくる。彼ぴっぴが。

 おいおい、嘘だろ。

 違うよな。トイレだよな。我慢できなかったんだよな。もう漏れそうなんだよな。ああ、でも俺の事めっちゃ見てる。ガン付けてる。

「テメエ、何しにきやがった? 仕返しか? あ?」

「この人が犯人ね」

 流石紗凪警部、名推理です!

 じゃないよ馬鹿ぴっぴ!

「彼の事、なぜ庇うの?」

「今朝も言ったけど、お前が人を傷付けるのも傷付けられるのも、嫌なんだよ」

 彼ぴっぴは明らかに不機嫌そうな顔で俺を見ている。

「てか何? 俺の事無視して喋ってんじゃねえぞ! ああ?」

「黙れ金髪糞野郎」

 今誰の声だ。

 声色的には紗凪だ。彼女を見ると無感動な瞳で彼ぴっぴの事を睨みつけている。

「な、な」

 彼女のあまりの豹変っぷりに、彼ぴっぴは口をパクパクさせている。

「失礼。けれども貴方、燈瓏ひいろう君の事を殴ったでしょう?」

「あ、ああ。そうだが……。テメエ、自分で仕返しできないからって女に言いつけたのか? ダセェ奴だな」

 そうならないように善処はしたんだよ。これでも。

「燈瓏君について誤解があるようだから言うけど、彼は貴方の事を私に一言も話してない。ただ、休み時間から帰ってきた彼の顔が腫れていた。そしてその腫れ方から、空手部の誰かだと私が判断しただけ。こうして燈瓏君を連れてきたのは犯人探しの為であるのだけれど、彼は貴方の顔を見ても犯人だとは言わなかった。貴方が自ら名乗り出てくれなければ迷宮入りするところだったわ。ありがとう」

「え、あ? どういたしまして? え?」

「一応聞くけど、燈瓏君は何か悪い事をしたのかしら?」

「コイツは、オレの彼女の季司花きしかを泣かせやがったんだ」

「季司花? 誰?」

 紗凪は首を傾げる。

「言うと思った。薄拂さんだよ」

「薄拂? 誰?」

「お前なあ……同じクラスの、ほら陽織ひおりさんと仲が良かったけど、最近不仲になった人いただろ?」

「……居たような」

「居たよ!」

「燈瓏君は薄拂さんを泣かせたの?」

「泣かせてはない。って、お前も見ていただろう。でも、彼はそう聞いたんだと」

「ふうん。全面的に燈瓏君を信じるし、私も見ていたらしいから、冤罪ね。金髪、冤罪なのだけれど、落とし前どうしてくれるの?」

 紗凪が向き直ると、彼ぴっぴは眉間をぴくぴくと動かしていた。

「テメエらで勝手に冤罪って事にしておいて落とし前ってなんだよ! わけわかんねえ!」

 と、三人で話していると、谷我城やがしろ先輩が来てくれた。

芝的しばまと、何をやっている」

「あー、谷我城パイセン。コイツらうぜーんすよ、なんなんすか?」

 芝的って言うのか。と言うか、口の聞き方がなってないな。先輩にパイセンって、舐めているのか? 舐めていると言えば、彼は紗凪が主将を倒した日にいなかったのだろうか。先からの対応を見る限り、紗凪を恐れている感じは無い。

「ここに居る比々色ひひいろ君が空手部の誰かに殴られたという事でな。犯人探しに……まさかお前なのか?」

 芝的は手を頭の後ろで組んでイラついたように溜め息を吐いた。

「なんすかパイセンまで。オレは自分の彼女泣かされて黙っているような男じゃあねーんすよ」

「理由はどうあれ、殴ったのか?」

「そうっすよ」

「貴様ぁ……」

「おーコワッ。殴るんすか? イイっすよ? その代り殴り返しちゃうかもっすけど」

 しかし谷我城先輩は拳を震わせているだけで、制裁を加える様な素振りは無い。

「俺が殴る事は容易いが、それでは意味が無い。これは部の問題でもあるが、朝薙あさなぎさんと比々色君の個人的な問題でもあるからな」

「そうやって、また逃げるんすか?」

 芝的の挑発に谷我城先輩は鋭い眼光で答えたが、それにも臆する様子もなく芝的は挑発を続ける。

「なんだったら、もっかい肉離れさせてやってもいいんすよ?」

 谷我城先輩は言われるままにただ聞いている。ギリギリと言う歯ぎしりが聞こえる。俺と紗凪の為に、挑発に耐えてくれているんだ。

 それにしても、肉離れって、芝的は先輩に怪我をさせる程強い奴なのか。

 揉めている四人を中心に、いつの間にかオーディエンスが集まって来ていた。

 それに気付いた谷我城先輩は、短くため息を吐いた。

「ここまで集まってきてしまっては仕方ない。部にとっても重要な事だから、皆一度集合してくれ」

 すると奥の方で練習をしていた人達もこちらに集まってきた。

「えー、こちらに居る比々色君は今日、暴力を受けた。しかも、その暴力を振るった相手はこの部の者だ。さっきから聞いている奴はもう耳に入っていると思うが、芝的だ。これは個人的な問題だけではない。部の存続に関わる問題だ。比々色君が教師の誰かにこの事を報告すれば、我々は夏の大会への出場が禁止される」

 にわかかに、ざわつき始める。

「しかし、比々色君は個人的なものとして処理してくれるそうだ。我々は大会に出場できる」

 安堵の空気が充満する。

「だが、これはあくまで比々色君が寛容で有った為だ。それに、暴力を振るったと言う事実は消えない。芝的だけじゃあなく、今後、プライベートでは特に気を引き締めるように。それから、実は俺も、芝的の事は言えないんだ」

「どういう事ですか?」

 部員の一人が質問する。

「俺も今朝、暴力沙汰を起こし掛けた」

 先程よりも一層色濃くざわつき始める。

「理由は単純。俺がこちらにおられる朝薙さんに敗北した事は皆も知る所だろうと思う。当日ズル休みしていた奴以外は、だが。で、俺は自らの誇りを取り戻す為に朝薙さんに勝負を申し込んだ。勿論空手での勝負を望んでいた。しかし朝薙さんに断られた事から熱くなってしまった俺は、場外での決闘を申し込んでしまった。考えても見れば、拳を交えるのが場外なら、それは我々にとって暴力と何も変わらないのに。この空手部を纏め上げる主将たる俺が、愚かにもその判断を見誤った。信じて付いてきてくれた後輩、一緒に空手部を支えて来てくれた同級生には、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいだ。……すまない!」

 深々と頭を下げる谷我城先輩。

 朝はエロガキ方向に寄っていたけど、本当は良い人なんだな。やっぱり。そうじゃなきゃ主将なんてできないよな。

「しかし、俺の過ちを、隣の比々色君が気付かせてくれた。彼は俺の恩人であると共に、この空手部の恩人でもある。先程もお礼を言ったが、改めて、ありがとう!」

 谷我城先輩が俺に向き直り、腰を曲げた丁寧なお辞儀をする。

「ありざぁあしたっ!」

 部員一同の感謝の言葉が物凄い圧で響き、俺は実際一歩後ろに退いた。話がデカくなっていると言う事実に精神的に退いていた所為もある。

「その恩人である比々色君に暴力を振るった芝的に関してはそれ相応の処分を下したい。本来は部内で相談して決める事だが、今回は部活動としての問題ではなく、先も言ったように個人間で解決してくれるようなので、比々色君と朝薙さんのお二人に判断をゆだねようと思う」

 芝的を除く部員たちは頷く。

 谷我城先輩は紗凪に向き直り、相談を始めた。

「それで、どうしましょう、朝薙さん。芝的の奴を謝らせましょうか。皆の前で謝罪させれば、奴も相当恥ずかしいはずです」

 しかしそれを聞いていた芝的が反論する。

「えー、嫌っすよ。オレ」

「お前に拒否権は無い!」

「オレは悪くねーっすもん。つーか、比々色さ。お前本当にダセェよな。彼女に頼って、ついでにオレが逃げれねーよーにパイセンにまで話しつけて演説させるなんてよ。まるで俺だけがわりーみたいに仕立て上げやがって。そもそも男なんだからやり返してくるくらいの事をしてみろよ」

 事が大きくならないように怒りを抑えているのに。後ろに俺の代わりに怒っている奴が居るんだから火に油を注ぐような事はやめてくれよな。……今ので怒ってなければいいけど。

 恐る恐る紗凪を見る。

 しかし驚く事に紗凪は眉一つ動かさず、ただ聞いていた。あの時の空洞は双眸そうぞうにぶら下がっていない。

 あくまで古武術は使わないと言う約束は守るらしい。

「主将さん」

「はい」

「彼もああ言っている事だし、謝って貰わなくていいわ」

「そんな。でもそれじゃあ比々色君が」

「彼も、そもそも私に付き合ってくれているだけだから謝罪は求めていないの。だから私はただ金髪君の練習相手に成ろうかと思う。燈瓏君、それならいいでしょう? 私は古武術を使わない。あくまで空手道に徹する」

 空手なら、相手を殺す事もないか。何よりこのまま終わらせたら、紗凪は道場を出た後何かをしでかしそうで怖い。

「それならいいぞ」

 しかし今度は谷我城先輩が慌てふためく。

「朝薙さん、それは不味いです……!」

「どうして?」

「芝的は実力ならこの部でナンバーワンです。二年生ながら個人戦で全国大会に出ているレベルなんですよ。いくら朝薙さんが強いからと言っても無謀です」

 だから先輩をパイセン呼ばわりか。

 紗凪は谷我城先輩の上腕に触れる。先輩は不思議そうに彼女を見返す。

「肉離れ、痛かったでしょう」

「どうしてここだと解ったんですか?」

「拳の上げ方、腕の振り方を一見すれば解る。まだここを庇っているって。金髪がやったんでしょう?」

「肉離れをした時、彼がたまたま練習相手だっただけです」

「そう。部員思いな所、嫌いじゃあない。けれども彼が全国大会に行く事は、この学校の、いえ、空手道の恥だと思う」

「しかし、どんな不真面目な奴でも強い奴が上に行く。それが」

「それ以上は言ってはいけない。武道を侮辱する事になる。私が証明する。武道とは武を通して礼儀作法を学ぶ道なのだと言う事を」

 紗凪は中央の競技場に進む。

 それを見守る部員。

 芝的はフンと鼻で笑って、俺の肩に手を置いた。

「オレがテメェの彼女を泣かせたら、殴っても良いんだぜ?」

 肩に置かれた手を丁寧にどける。

「殴る? そんな事、俺はしない」

「優等生ぶりやがって。でもそれ、男としてはサイテーだぜ?」

「男としてと言うより人として最低だろうな。お前が紗凪を泣かせたら、俺は間違いなくお前を殺すんだから。だがお前は命拾いするだろう。紗凪の優しさに感謝しろよ」

 俺の言葉をまた鼻で笑い、芝的は競技場に進んだ。

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