第39話 紗凪ウォーリィードゥ

 新幹線から在来線に乗り継いで、ガタゴト揺られながら、俺は諦めきれずに、ずっと考えていた。

 紗凪さなぎはあれ以降言葉を零さず、渡した本を耽読たんどくしていた。

 彼女は救われたくないのだ。

 かの有名なイエスもシッダールタも彼女の役には立てまい。

 宗教は人を救うが、それは救われたいと願う人にこそ有効なものなのだ。

 キリスト教も多岐にわたるが、俺の知っているところでの彼らのモットーは全てを許す事である。

 神はどんな人間でも許すと言うのだ。

 だから、どれほどの罪を犯しても、祈って懺悔ざんげすれば、許される。すなわち救われる。

 その論法で行くなら紗凪だって救われるはずだが、彼女は自分自身を許さない。だから救済などないのだ。

 重罪を犯しながらに自分の罪と向き合えず、揚句宗教に手を出してまで救われたいと願う者も居る中、彼女は自らを押し潰しかねない罪から目を逸らさず生きてきたのだ。その誠実な彼女を、この世界の宗教者どもは、救わないと言いやがる。

 ふざけるな。

 なんで自ら望んで救われたいと思う強欲で傲慢ごうまんで恥知らずな奴らだけが助かって、愚直に罪と向き合う純粋で健気な少女が救われないんだ。

 ふざけるな、ふざけるな。

 何が裁きだ。何が刑罰だ。彼女に相応の罰を与えても、彼女の罪は消えやしないじゃあないか。意識が有るから。あがないきれない、滅ぼし切れない罪の意識が有るから。

 ふざけるな、ふざけるな、ふざけるな。

 お前ら散々人々を救っておいて、なんで紗凪にだけは手を差し伸べないんだ。

 なんて冷酷なんだ。

 なんて無慈悲なんだ。

 俺は未だかつて、こんな差別を見たことが無い。

 無いんだ。

 無いんだ……。

 だから解らないんだ。

 ごめん紗凪。

 俺は無力だ。

「寒いの?」

 そう言って、紗凪は俺の手を握った。

 温かい。

 俺は今まで知らず、震えていた。

 宗教への怒りか、或いは自らへの怒り、はたまた無力さを実感した事への失望による虚弱。それによるものだ。

「ちょっと冷房効き過ぎだよな」

「そう? 丁度いいけれど」

「俺が寒がりなのかもな」

 彼女と会話をしただけで、みるみる体の温度が戻って行くのが解った。しかしそれが、冷たい所から上がって行くのか、熱い所から下がって行くのかは、良く解らなかった。

「少し考えたのだけど、私は燈瓏君を困らせる為に色々吐き出したわけじゃあない。貴方が困り果てている姿を見るととても胸が痛む」

「ああ、ごめん。勝手に色々考えているだけだから気にするな」

「気にする。だから困らないで」

「いや、それは困るよ」

「困らないで」

 抑揚なく言い切られると、そうしなければいけないと言う強迫観念に駆られる。

「努力はするよ」

「うん」

 あと一駅。

 あと一駅で俺の降車駅だ。

 彼女はもう一駅向こう。

 右手のぬくみを再度確かめる。

「さっきは浅い考えでお前の領域にずかずか踏み込んですまなかった」

 彼女は静かに首を振る。

「でも、これだけはお願いしたい」

「何?」

「親父さんが暴力を振るってきたら、絶対に逃げてこい」

 彼女は薄く自嘲するような笑みを浮かべて、それにも首を振った。

「心配ない」

 アナウンスが俺の降車駅を告げる。

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