応援コメント

第27話 コンビニの中の暴風」への応援コメント

  • 募金自体は悪いことじゃないですよね。

    紗凪さんが知らないうちに紗凪さんのお金が募金されたとしても、そのお金はきっと多くの人の助けになる。それは彼女が一冊の本を買うよりも大きな効果をもたらすかもしれません。

    ……でも、そういうことじゃないんですよね。
    紗凪さんの父親は、「自分がいいことをした気になって気分良くなるため」だけに紗凪さんが稼いだお金を募金してしまった。

    本来なら、お金の使い道はそのお金を稼いだ人に決定権があるべきなのかもしれません。(お小遣いは親の信頼のもと子どもへ委ねられる、などの例外はあるかもしれませんが。)

    多くの人を救う千円。
    本を買うための千円。
    アル中が薄っぺらい満足感を得るための千円。
    どれも同じお金なのに、意味合いが違ってくるのが不思議です。

    それと、『本とみみたぶ、あとラブソング』をちょっと思い出しました。
    お金がないから使い道に悩む。
    それだけで、ドラマが生まれる。
    それってちょっとすごいなと思いました。

    ……と、まあ、ここまでは「おそらく一般的な解釈はこうだろう」と思う内容で書かせていただきました。
    しかし、私の考えだと紗凪父はおそらく「自分が気持ちよくなるため」に千円を入れたのではないと思います。

    人間のなかには「幸せ」になる選択肢よりも「不幸」になる選択肢を取ってしまう人たちがいるというような話をどこかで聞いたことがあります。一種の破壊衝動なのかもしれません。(実は私もその考え方に共感するところがあります。)

    紗凪父の行動もそれと同じもののように見えるのです。
    お金がないことを知っていて、あえてお金を手放す。もしかしたらそれはお酒でもギャンブルでもいいのかもしれません。たまたま募金箱があったので入れたというだけ。
    ……というのが私なりの解釈です。

    長文失礼いたしました。

    作者からの返信

    ハルカさん
    コメントありがとうございます!

    そうですね。募金自体は良いことだと思います。
    ただ、例えば「借金してまで募金するのは良いことか?」と言う疑問があります。この時点での父は紗凪から借金をしているようなものですから、そんな人間の分際で『人のため』の御旗を掲げることは烏滸がましいんじゃあないかなあと思うのです。
    ハルカさんが言うように子供のお小遣いはまた別ですけれども。

    大小関わらず、それこそ1円でも10万円でも、誰がどのように使うのかって言うのは大きく印象が変わりますよね。
    お金配りおじさんが自分で儲けたお金を配り歩く分には10万円でも構わないんですけど、妻子の居るお父さんが本来家計に入れるべきお金を他人に配っていたら……そう考えると募金そのものは悪いことではないが、募金への関わり方を間違えた場合にはその個人が悪人に成り下がる可能性も十分に有り得ると思います。

    『不幸』になる選択肢を選んでしまう。自己破壊衝動とも言うんですかねえ。ギャンブル依存症が『病気』判定されるゆえんですね。
    ハルカさんの仰っている話の方が深みのあるキャラクターを創造出来そうですね。単なるモブではなく、メインどころのキャラが『悪人』として登場する場合は、その論理で動く方が遥かに面白そうです。

  • とても繊細な問題を見事にエンターテイメントとして成立させておられ驚きました。私事ですけれどもわたしがうつ病を患った時一日も会社を休みませんでした。いじめに遭った子供の頃も学校を休みませんでした。理由は単純です。病気だろうがなんだろうが顧客への義務を果たさなくてはならないことと給料を稼がねばならないこと、学校については義務教育だからです。そして今、都会の地で『自己実現』を重視したボランティアのような仕事をしている兄夫婦たちに代わって難病を患う実家の母親の介護をしています。
    もちろん一人一人事情が異なりますから、何をさしおいても会社や学校を休んで命を守るべき境遇の方もおられるでしょう。
    ですけれども、シーチさんのこの不思議な魅力を持つ作品がたとえばわたしのように自己実現や夢の実現はなく義務を優先せざるを得ない『世間の評価から漏れたひとたち』の救いとなっているのではないかと感じます。
    長文・私事、大変失礼いたしました。

    作者からの返信

    naka-motooさん
    コメントありがとうございます!
    今回のエピソードでは、「常々疑問に感じていたが、しかし声に出して言ってしまっては人非人の烙印を押されてしまう事」を書かせて頂きました。
    エンターテインメント作品、ラノベとしての「楽しませる為の献身」と言うよりは、普段エッセイで書き上げているような「個人的な怒り」を放出したような内容になっており、なかなか読み難いものになってきてしまっているような感覚があったのですが、そんな中でこの感想を頂けてホッとしております。
    私の作品は私を救済するために産まれています。しかしそれが、誰か別の人の人生に何らかの影響を与えるのなら、作品の意味は2倍にも3倍にも膨れ上がる事になります。それは大変喜ばしい事です。
    一人一人が多分に漏れず孤独である世界で、共有できる感覚を携えた作品として完成させられるよう、頑張ります。
    長文も私事も、この作品を大切に読んで頂けている証だと思っております故、どうかお気になさらず。