第27話 コンビニの中の暴風

 登校前に紗凪にメールを送る。先輩の写真付きの。

『お前の指示通りちゃんと美人さんと花火大会行ったぞ。ドヤ!』

 学校帰りに貸していたブルゾンを取りに律己先輩が働いている床屋に寄った。

 ブルゾンを受け取り、家路に着く時メールが届いた。

『本当に行くなんて。この浮気者。しかしながら想像を遥かに超える美人度に驚愕した次第です。因みに背景が薄暗い森なのですが、まさか襲われたりしてないですよね? ともあれ燈瓏君が美人さんと花火に行ってくれたおかげで嫉妬の炎が燃え上がり、稽古に精が出ました』

 毎度毎度なんで俺がの想定なんだよ。

『何もされてない、と言うかなぜ俺がされる側なんだ。ジェンダーロール的には俺がする側な気がするが』

 疑問を打ったが、まあ、返ってくるのは明日の朝かな。と、思ったが即行で返ってくる。

『燈瓏君は誰かを傷付ける真似は絶対にしません。でも、だからこそ何をされても受け入れてしまいそうですから、私は不安なのです』

 俺は、そうか、と短く返した。

 信用されていると言うのは大いに結構な事だが、そもそもどうしてあいつは俺の嫁になる事前提で話を進めているのだろうか。

 家に帰ると母さんが余所行きの格好になっていた。

 どこか行くのだろうか。

「燈瓏ちゃん、お願いがあるんだけど」

「留守番?」

「ううん。牛乳買い忘れちゃったから、一緒にコンビニに行って欲しいの」

「ああ、うん。良いよ」

 俺は鞄を玄関に置いてそのまま外に出た。

 歩いて10分掛からない場所にコンビニはある。

 二人で歩くのも久しぶりな気がする。

 母さんの三つ編みで一本にまとめられた髪が、歩く度にフリフリと揺れて、心なしか喜んでいるように見えた。

「今日、何かあったの?」

「特に何もないわよ? どうして?」

「いや、余所行きの格好をしているからさ」

 母さんは自身の正面を改めて俺に見せる様に向き直り、スカートをひらひらさせた。

「だって大好きな燈瓏ちゃんと、久しぶりのデートだもの」

「デートって、大袈裟おおげさだなあ」

「燈瓏ちゃん忙しそうだからあんまり親子揃って出かける事もないけれど、たまには燈瓏ちゃんの時間を母さんに頂戴ちょうだい

 そうか。

 母さんずっと仕事に家事に大変で、息抜きもまともにできてないんだよな。母さんは俺の事を大変と言っているが、母さんとは比べるべくもない。なら息抜きに付き合うのも子の務めと言うやつか。

 コンビニに到着すると目的の牛乳が売っているコーナーに行かず、母はお菓子のコーナーへ行く。

「おやつは300円までね」

「いや、自分で買うから。というか牛乳買いに来たんじゃないの? これピクニック行く流れになってない?」

「あら、そうだったわ」

 マジで行く気だったのかこの人。

 と、そこで見覚えのある人が通りかかった。

 あのサンダルは。

 紗凪の家の玄関で見たサンダルだ。

 という事は紗凪の父親か。

 彼は買い物カゴにビールやつまみを入れている。

 恐らく紗凪が作り置きした常備菜が無くなったのだろう。そしてこの割高なコンビニに来て、栄養価があまり高くない、それでいて高塩分高カロリーな食べ物を買おうと言うのだ。

 紗凪の普段の節約と、栄養バランスを考えられて作られた料理の意味が、今こうして目の前で失われていく。

 奥歯がギリッと音を立てるまで、自分が歯を食いしばっている事に気付か無かった。

 友達の父親とは言え、この人はあくまで他人。買い物にまで口を出す権利は無い。怒りが沸々と込み上げてくるが、今は抑えよう。

 彼が商品を置いたレジの係りの人はとても可愛い人だった。おっさんはにやけ顔でデレデレしている。煙草を注文して万札をキャッシュトレーに置く。返ってきたお釣りの内、千円札を募金箱にカサッと入れた。

 その時によぎったのは少し残念そうな顔でシオランの本を俺に戻させた紗凪の顔だった。

「あれ? 燈瓏ちゃん?」

 今まで近くに居た母さんの声が随分後ろに聞こえた。

 その時初めて俺は自身が歩いているのに気付いた。

 同時に、俺はおっさんの目の前に立ち塞がっていた。

 遅まきに、怒りが込み上げる。

「おいおっさん。今募金箱に入れた金はアンタの金か?」

「なんなんだ。いきなり。ん? この前のボウズか」

「答えろよ。今のボランティアはアンタの金で行われたのかと聞いているんだ」

「当たり前だろ! 変な言いがかり付けんじゃあねえよ! ちゃんと俺の財布から出てきた金だったよなあ、姉ちゃん」

 おっさんはレジカウンターの向こう側の美少女店員に同意を求める。店員はコクコクと頷く。

「そう言う事を聞いているんじゃあないんだ。おっさんの財布から出てきたことは疑ってない。俺が言っているのはその財布の中身全部お前の金なのかと聞いているんだ」

「だから何をトンチンカンな事を言ってるんだ! 当たり前だろ!」

「当たり前じゃあない。これは紗凪の金だ。紗凪がお前の為に自分の時間を磨り減らして稼いだ金だ。その貴重なお金を、千円と言う大金を、どうして他人の為に支払えるんだ」

「なんだよ? ああ!? 募金がいけない事なのか? ボランティアがいけない事なのか?」

り替えるなよ! 恥知らずが! 俺は一言も募金やボランティアが悪だなんて言ってないだろ。その金はアンタを生かす為に、紗凪が身を粉にして、自分の欲しいものも我慢して稼いだものだ。どんなに栄養価が低くてコスパが悪い物でも、それが食べ物や飲み物になってアンタの命を助けるならまだいい。だがアンタが善人面する為にそんだけの大金を使うのなら、それは紗凪の労働の冒涜ぼうとくに他ならない! 確かに今のアンタの募金のおかげで海の向こうの少年少女たちは何十人と救われるだろうよ。だが、そんな見ず知らずの人間の事をおもんぱかれる心があるなら、それを自分の娘の為に使えよ!」

「偉そうに! お前にいったい何が分かるんだ」

「解らなかったよ。俺は今まで何も解ってなかった。あいつはほぼ毎日バイトに明け暮れている。よほど何か欲しい物があるのかと最初は思っていた。けれど自分の欲しいものを見つけてもあいつは我慢していた。どうして我慢するのかを聞くとあいつは、うちは貧乏だからと答えた。偉いと思った。家族の為に働けるなんて、凄い。そう、尊敬した。だがなんだ、これは。お前みたいな親父のくだらない虚栄心を満たす為にあいつが自分を犠牲にして働いていると知っていたら、俺は感心なんかせずにあいつを全力で止めていた」

「子が親の為に働くのは当然の事だろうが! 俺は今まであいつを育ててやったんだ。それぐらいの見返りは貰って当然だ。他の子供が親に甘え過ぎなんだよ。お前だって親が働けなくなったら代わりに金を稼いで養ってやるだろう?」

「にしたって早過ぎるだろうが! あいつはまだ高校二年生だぞ!?」

「遅いか早いかだけの問題だろう」

「だいたいなんで働かないんだよ! お前は!」

「俺は働かないんじゃないの! 働けないの! びょーきなの!」

「嘘を吐けよ」

「嘘じゃねーよ。ちゃんと医者からうつ病の診断書が出てるんだよ。だから生活保護もしっかり貰ってるから、娘の給料だけじゃあねーの!」

 首の血管の脈動を感じた。

 ここからは、言ってはいけない事を言う。

 ごめん、紗凪。

「お前みたいな糞野郎が鬱病なんて言葉を自分勝手に軽々しく使うから、本当に鬱病で苦しんでいる人達が迫害を受けてもっと苦しむことになるんだ! お前は働ける! 医者が、国が、法律がお前を守って、働かなくていいと言ったとしても、俺は騙されない! お前はただ怠けて娘にパラサイトしているだけの屑親だ! お前みたいな寄生虫がいるからこの国はおかしくなるんだ! お前みたいな奴が、いやお前こそが世界を捻じ曲げているんだ! 何が寄付だ! 自分の娘の犠牲の上に成り立つ善意など有りはしない! 今すぐ募金箱から千円返して貰え! それで娘に本を買ってやれ!」

「そんな恥ずかしい真似できるわけねーだろ!」

「できる。なぜならお前は既に恥ずかしい。酸素を吸う姿がもはや恥そのもの。それほど醜い生き方をしてきてよくぞ死にたくならなかったもんだ。その厚顔無恥こうがんむちを武器に、店員に土下座でも何でもして返して貰え。お前にできる事はそれくらいのもんだ」

「なにいいい!? テメエなんだこの野郎! 働いたこともねえクソガキが! 気取ってんじゃねえ!」

 おっさんは拳を振り上げて向かってくる。

 いいぜ。

 来いよ。

 俺は暴力には屈しない。

 殴られたって痛くない。

 殴り返さない。

 こいつを病院送りにしたら、紗凪が悲しむし、紗凪の財布から金が出て行くんだからな。こいつは、それすらも考えられない。本当に救えない。その怒気だけで、こいつの拳を無力化できそうだ。

 迫り来る拳から視線も体も反らさず毅然きぜんと見据えた。

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