第24話 打ち下げ花火
結局、たこ焼きを買う事は出来なかった。不良三人との一幕によって律己先輩はとても目立ってしまったから。
彼女に向けられる
先輩はびっくりした顔で俺を見た後、取り繕ったように笑った。
「私は気にしないから、お祭りを楽しもう」
「先輩は気にしなくても、俺が気になるんです」
「あ、ごめん。なさい……」
取り繕った笑顔も消え、悲哀が覆う。
「いや、謝らないでくださいよ。俺が気になってるのは、先輩は良いことをしたのに、まるで悪者を見る様な目で見てくる奴が居る事なんですから。そんな奴を見るとイライラしてくるんですよ。そいつは先輩と同じ場所に居たとしても決して子供を助ける為に駆け寄ったりしなかったし、不良どもを追っ払う事も出来なかったはずです。その癖に、祭りの最中に場の雰囲気を壊すような行為をしたっていう悪い部分だけ取り上げて睨みつけて来るんですから。吐き気を催すような悪意です。それに俺が耐えられない。だから先輩に謝られたら、俺まで悪意の仲間入りをしたみたいだから、謝らないでください」
「そうか、ごめ……」
咳払い一つ。
「わかった」
俺は歩き出した。
「さっきは有難う。君がいてくれなかったら、どうなっていた事か」
「俺は何もしてませんよ。先輩が勇気を出してくれたおかげです。怖かったでしょう。震える程に」
さっき手を取った時に知った。彼女の手は震えていた。
震えるほどの恐怖に打ち勝って彼らの前に立ちはだかったのだ。一人の少女を守る為に。彼女は今間違いなくあらゆる称賛を受けるべきである。
「これは……違うんだ」
「あいつらに怯えていたんじゃあないんですか?」
「そうじゃなくて、傷つけてしまうのが怖くて。どうやったって、彼らが私に傷をつけるなど不可能だ。三人がかりでも、多分私は倒せない」
普通自慢して言うだろうことを、ため息交じりに暗いトーンで言った。自分の力を忌々しく思っているような、そんな声色だ。
先の不良が言っていた耳斬り律己の異名が脳裏を過る。
――ガガッ。
不意にノイズが鳴った。
間もなく花火が打ちあがる旨の情報が、各所に設置されたスピーカーから流れた。
「花火、始まりますね。行きましょうか」
俺は歩き出した。
この暗い祭り会場から抜け出すように、眩しい常闇の森へ向かって。
「花火を見に行くなら、逆じゃあないか?」
「いいんです。こっちで」
「私に気を遣っているなら」
「遣ってません。俺を信じてください」
そう言って振り返ると、彼女は頬を赤らめて頷いた。短く。
「はい」
駅の南口は祭り会場になっている。ガード下を潜って北口に出ると、すぐに森がある。人の手は入っていて石畳の遊歩道があるので、下駄を履いている先輩でも歩く事は困難ではない。
すぐに森が有ると言う立地であるので、夜店も出ておらず人気もまばらである。
坂道を登って行く。街灯は意外と明るく、足場への不安は無い。
この坂道を登り切った場所には神社があるが、とても狭い場所に小さくぽつんと御神体とそれを守る屋根があるだけなので、人がわざわざ登りに行くことは無い。信心深い地元の住民がお参りに来るだけの寂れたスポットだ。しかし用があるのはそこではない。
――ドォンッ……。
花火が打ち上がるらしい音が木々に反響した。
らしい、と言うのは花火が見えないからだ。
遊歩道の真上も、木の枝や葉によって遮られ、夜空に打ち上がる花火を見る事は出来ない。因みに神社まで登っても同じ事だ。
「ほら、始まってしまったぞ。ここからでは見えないだろう? やっぱり戻った方が」
先輩は俺を急かし始めた。
「もうちょっとですから」
そう言って俺は進路を右に切る。
そこには石畳があるものの、メインの通路で無いので人があまり通らない為か、朽木や枯葉が降り積もっており、街灯も少し薄暗かった。
「足元、気を付けて下さい」
「わかった」
暫く歩くと、木々が空けている場所に辿り着いた。
しかしそこでも背の高い木が邪魔で花火を見る事は出来ない。
花火の音がしなくなる。
空に漂っている煙を流す為に、花火を打ち上げないで待っているのだ。
そこには大きな池があった。
「こんなところに池があるとは。見事だな。でもそのおかげで、向こうに行けないな。向こうに行けば見られそうなのに」
彼女が言う通り、池の向こう側に回り込めば、恐らく花火を見る事が出来るだろうが、生い茂る木々の所為でそれも出来ない。
「いいんですよ。ここで」
そう言うと、彼女は首を傾げた。
俺は水面を指す。先輩の視線が水面に向けられる。
――刹那、光が弾けた。
水面で。
息を呑む音がした。
遅れて空中から放たれた破裂音が木々を揺らす。
「俺たちだけの特別な花火、打ち下げ花火です」
青の花が。
黄色の花が。
水面で開いては消えていく。
「綺麗だ」
先輩は両手を口に当てて感動の言葉を口にした。
それからは二人して無言で、水面の花火を見ていた。
水面が騒々しくなった後、やおら森の闇に包み込まれる。空からの音も止み、草木がそよそよと軟らかな音を立てた。
「凄いな。君は。こんなところを知っているとは」
俺は先輩の手を握った。
「震え、止まりましたね」
彼女は一瞬俺の瞳を捉えて、すぐに視線を外して答える。
「あ、ああ」
俺が手を離すと、今度は先輩の方から手が伸びる。
汗で湿った掌が、手の甲を濡らす。
「どうしました?」
俺が聞くと、俯いていた顔を上げ、慌てた様子で手を離した。
「あ、いや、その……。比々色君が温かかったから。つい」
俺は着ていたブルゾンを脱いで先輩の肩に掛けた。
「浴衣はまだ早かったですね。寒かったなら言ってくれれば良かったのに」
「そうだな。すまない。ありがとう」
また、花火が眼下に広がり、二人して見蕩れる。
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