アイドルトマト

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アイドルトマト

 久しぶりに会った友人は、少し見ない間にその体積を増していた。元々それほど細身ではなかった彼だが、今やおれとは別種の生き物のごとく、ぷよぷよとその肉を揺らして歩いてきた。


「はあ、ひさち・ぶりだに」


 彼はそう言った。おれには何のことやらさっぱりだった。


「何と言ったんだ、谷」


「いやあ、」


 谷は贅肉のついたあごを撫でさすって、苦笑いをもらした。昔の鋭い目つきは何処へやら、丸々とした顔に埋められた、レーズンのような小さい瞳が、おれへの好意を物語っていた。何のことはない、彼は久しぶりに会ったおれに対して、挨拶をしただけなのだ。そう考えて、おれは谷に了解の意を示した。そしてすぐに挨拶を返す。谷は嬉しそうに笑い、おれと抱擁を交わした。


「いやあ、それにしても谷、お前見事に肥ったもんだな」


 おれは、予想通りに暑苦しい谷の体を引き離してから、彼の体を上から下まで見渡した。谷はにこにことして、首の肉に顔を沈めるように肯き、言った。


「君んとこの、ばぃお食品ね……ありゃあ美味いよ、あれのおかげで」


 と、谷はここで一息入れ、息継ぎをした。


「僕、こんなになっちゃったんだよ」


 どうも随分頑張って話をしたようで、谷は少しの間肩で息をしていたがやがて落ち着いた。


「そうか、お前、おれの会社の食べ物食べて、そんな風になっちまったのか」


 おれが感心して言うと、谷はまた苦労して肯いた。


「でもそれにしても食べすぎだ。会社は、デブの訴訟なんて相手にしないぜ」


「そ・ちょうなんてしないよ。食べたくて食べたんだから・ね」


 谷はえほえほと笑う。おれも、自社の製品を愛してくれる人間に対していつもするように、微笑み返した。


「それはそうと、ね。君んとこの会社、また新ちい製品、出すんだっ・て」


「まだ出しはしないさ。目下研究中なんだよ」


「いやあ(とここでまた一息入れて)、研究中なのかあ。いやあ、楽ちみ・だなあ」


 谷は心底から待ち遠しそうに、そのつぶらな瞳を輝かせた。その様子に、おれの自尊心がくすぐられる。


「いや、実はな谷、その研究はおれが任されてるのさ」


「本当かい!」


「本当さ。いや、詳しい事は言えないけどね。でも、きっと大ヒット間違いなしの食材が出来るぜ。楽しみにしてろよ」


 谷は今にもよだれを垂らさんばかりに口をぽかんと開き、苦しいだろうに、何度も首を縦に振った。


「いやあ、楽ちみ、だよ。本当、君、ねえ。頑張って、ちあげてくれ・よ」


「勿論さ。今回の研究も、もう大詰めなんだ。ハードワークだが、お前みたいな消費者がいてくれればやる気もでるよ」


 おれはそう請合って、谷と別れた。谷は満面に笑みをたたえて、ほくほくとしながらゆっくり去っていった。おれはそれを見送る暇も惜しんで、会社へと足を運ぶ。谷に言ったとおり、研究はすでに終盤に差し掛かっている。ちんたらしていたら製品化に間に合わない。腕時計は既に、十分のロストを告げていた。谷のゆっくりした会話に付き合ってしまったのが悪かったか。


「ジュップンノチコクデス、スミヤカニ、シテイクイキヘ――」


「分かってるよ」


 律儀に指示を出そうとする機械に適当な返事をして、おれは研究栽培棟へと急いだ。その名の通り、自社製品のための食物を栽培して、研究する場所である。


 研究栽培棟では、一人に三つの栽培室が任される。栽培室一つにつき研究室五つが割り当てられており、研究員は余計な雑事に手間取ることもなく、研究に没頭できるようになっている。雑事の中には人間関係とか給与関係というものも含まれていて、それらは全て、会社と契約を交わす際に決定されている。だからおれたち研究員は、研究のことを理解できない上司と言い争いする必要もないし、会社相手に金銭関連の裁判を起こす必要もないのだ。さらに言わせてもらえば、この会社にいる間、おれは他の研究員や社員と顔を合わせる必要すらない。実のところ、会社の社長の顔さえ、おれは知らない。知らなくても、何の不都合も生じない、そういう会社なのだ。


 研究栽培棟に着くと、おれは早速白衣に着替え、小型の端末機を用意した。画面には、現在の栽培室の温度や湿度、栽培植物の状態などが事細かに映し出されている。それらを一通りチェックしてから、おれは栽培室へと出かけた。


 まず初めの栽培室では、新型の人参を育てている。いまや食糧難などという旧世代的な災害は去り、人々は豊富な食材の中から好きなものを選び放題、逆に飽満世代などという言葉が出てくるほどに豊かな生活を送っている。それは何も食生活に限ったことではなく、世界規模で言っても、貧困などという言葉が当てはまる国はなくなってしまった。それを成し遂げたのがおれの勤めるこの会社、その名も『ああ素晴らしきバイオ食品』会社、略して『アスバオ』会社である。


 おれはそれを誇りに思っているが、製品開発部長(彼と会ったことも、実は一度しかない)も同じように思っていたらしく、「このたび新たにわが社の偉大さを全世界の人々に知らしめる」べく、新製品の開発に乗り出したのだった。そしてその第一号が、この「アスバオにんじん」である。正式名称は、「ああ素晴らしきアスバオ会社にんじん」。人参、と書けば良いところをあえて「にんじん」としたのは、製品の安全性、親しみやすさ、等を考慮に入れ、「より消費者の皆様のお手に渡りやすいように」との涙ぐましい配慮の末のネーミングであって、決してネーミング担当者が漢字をど忘れしたとかいうのではない。


 さて、この「アスバオにんじん」だが、なんとも喜ばしいことに順調に育っていた。この製品の特徴は、何と言っても側面に「アスバオ」という文字が所狭しと刻まれていることなのだが、その刻まれ具合がえもいわれぬ整然とした美しさをたたえているのだった。


おれは感嘆のため息をつきながらそのうちの一本を手に取った。ああ、なんて美しい「アスバオ」の文字!


『アスバオ アスバオ アスバオ アスバオ アスバオ アスバオ アスバオ……』


「よし、アスバオにんじんは経過良好。うん、素晴らしいぞ」


 おれは手にした端末機にそう録音しておいて、次の栽培室へと足を踏み入れた。


 二番目の栽培室には、もやしが所狭しと並んで植わっている。このもやしの特徴は、切っても倍になって生えてくるというものだ。原生動物の一種のようなこの特徴のおかげで、こいつは最初一本しか開発に成功しなかったのが、今では無数に増えている。自動的に機械が切り取ってしまうため、ちょっと目を話したすきに五百本ほど増えていたこともある。この栽培室は、もやししか育てていないというのに、まるで原生林状態だった。増えに増えたもやしたちが、行き場を失って壁に天井にと張り付いてしまっている。


「ちょっと増えすぎかもしれない……機械の切り取り頻度を調整しよう」


 そう録音して、おれは最後の栽培室へ向かった。そこでは、今回の開発企画の大目玉、まさに期待のニューフェイス、新型のトマトが育てられているのだ。


「とまっちゃーん、元気してたかーい」


 おれはそう呼びかけながら、トマトが植えられた中を歩き回った。急に独り言のようなことを呟いたからといって、おれの気が狂ったわけではない。おれの呼びかけは、その応答を期待して為された、正常の行為なのだ。ほどなくして、ある方角から、少女の可愛らしい声が聞こえてきた。


「元気よぅ、管理人さーん」


 おれはその声が聞こえてきた方角へ、いそいそと足を運んだ。顔には自然に笑みが浮かぶ。おれは声の聞こえた場所へたどり着いた。そこに、人間の姿は見えない。当たり前だ、この栽培室へは担当の研究員しか入れない。つまり、ここにはおれ以外の人間はいないのだ。


「管理人さん、ごきげんよう」


 その、ソプラノの声色は、おれの足元から聞こえてくる。そう、おれの呼びかけた相手、そしてそれに応答してくれた相手というのは、何を隠そう、このトマトなのであった。


「よう、とまっちゃん。元気そうで何より」


 まだ赤くなりきっていない小さなトマトは、おれを見ると楽しそうに揺れた。


「おっと、そんなに揺れると落っこっちまうぞ」


「あら、そうだったわね。ごめんなさい」


 このトマト、通称「とまっちゃん」は、揺れるのを止めて、大人しく茎にぶらさがることにしたようだった。とまっちゃんの正式名称は、「歌う! 踊る! 会話も出来る! 最後には美味しく皆様のお口へ……アスバオの明日を担うアイドルトマト、とまっちゃん」という。そう、このとまっちゃんは、アスバオ会社の技術を結集させて造った遺伝子組み換えバイオトマトなのだ。


 開発を任されたのは勿論おれ一人だったのだが、会社が提供してくれた人材、機材、その他諸々をフルに活用しても手に余るほど、とまっちゃんの開発は容易でなかった。まったく、このトマトを造り出すためにどれほどの苦労をしてきたことか。


 だが、その甲斐あって、とまっちゃんは今年の正月、ようやく完成した。とまっちゃんには人間のような顔があり、泣きもすれば笑いもする。会話もするし、しなやかな身のこなしまで獲得した。現在こうしておれと会話できるのはこのとまっちゃん一人だけで、おれにとっては娘に等しいほど、手塩に掛けて育てた相手なのだ。だから、可愛いこと尋常ならず、おれは毎日優しく話しかけてやっては、アイドルトマトとしての嗜みを教えるのだった。


 そもそも、アイドルトマトというコンセプトは、「消費者の皆様が食材を食材としてしか認識できなくなって久しい現代に、植物も同じ生き物なのだと再認識していただく」ことを目的とした、実に趣向新しい、斬新な意見によるものであった。何故それがトマトという植物によって実行されることになったのかは寡聞にして知らないが、おそらくはその見た目の明るさ、美しさ、そして華やかさに理由があろうとおれは考えている。


 それはともかく、とまっちゃんは順調に育ち、そろそろ頬に年頃、否、食べごろを示す赤みが差してくる頃合だ。人間で言うなら、十七、八か。花も恥らう純情なりし乙女、というところ。アイドルトマトの売出しにはもってこいの時期にさしかかっているわけだ。


「管理人さん、今日はどんなことを教えてくれるの」


「そうだな、人間に食べられる時の礼儀でも教えておこうかな」


 とまっちゃんは上目遣いでおれを見上げ、真剣に聴講しようとしている。おれは彼女と目線を合わせるためにしゃがんで、話を始める。


「まず、人間との良好な関係をつくるのが先決だ。そうしておけば彼らは、君をただの食材としてではなく、きちんとした意思と良心とを持ち合わせた、一個の生命体であるとみなしてくれるようになる。そうなれば、君を食べる時にもそれ相応の敬意を払って、然るべき手順を踏んだ調理をしてくれるはずだ」


 とまっちゃんは肯くように微かに葉をそよがせた。これも、とまっちゃんのコミュニケーションツールの一つなのだ。


「例えば君がサラダにされるとしよう。君は大人しく人間の手に委ねられ、冷水による麻酔を受ける。それで身体は痺れるから、包丁に切られようとも痛いわけはない。皿に盛られる時、自己主張しようとしてはいけないよ。サラダは見栄えが大切なんだ。君の赤は綺麗だけど、他の菜っ葉類との折り合いを考えて、人間のなすがままにされていればいい。ここまでは、分かるね?」


 とまっちゃんは相変わらず真剣な面持ちで葉を動かす。おれは肯いて、その先を続ける。


「アイドルは、何をされようとも嫌がっちゃいけない。きっと君は、ドレッシングでべたべたになった挙句、目を開ける暇もないままに人間の口に入れられてしまう。でも、それが君にとっては幸福なんだ。分かるかい……」


 とまっちゃんは肯く。


「つまりだ。アイドルトマトたるもの、どんな状況で食べられることになっても、人間に愛想を振りまくことを忘れてはならない。いいかい、どういう状況で食べられるかは分からないんだからね……」


 最悪の場合、存在を忘れられて放置され、最終的に腐ってしまうことも考えられたが、アイドルたるとまっちゃんにはそんなことを教える必要はないと考え、言わずに置いた。とまっちゃんは神妙に聞いていたが、やがて「分かったわ」と呟いた。


「そうか、やっぱりとまっちゃんは飲み込みが早いな」


 おれは、とまっちゃんのつるつるとした上部――それは彼女の頭に当たった――を人差し指で撫でてやる。人間の子供に対してするのと同等の愛情をこめて。とまっちゃんはくすぐったそうに笑い、葉を揺らした。


「ねえ、管理人さん」


「なんだい、とまっちゃん」


 おれは、頭を撫でてやるのを止め、とまっちゃんを見る。とまっちゃんは純粋な眼差しでおれを見ていた。


「私、いつになったら出荷されるのかしら」


「そうだなあ。もうこんなに赤くなってきたから、そろそろおれの方から、会社に相談してみるよ。宣伝にだって出なくちゃいけないだろうし」


「ああ、早く出荷されたいなあ」


 とまっちゃんは夢見る表情で呟いた。


「私、CMっていうのに出ることになるのよね」


「ああ、そうだよ。とまっちゃんは一躍人気者間違いなしだ。こんなに可愛いんだから」


 おれは、彼女と二人して、ああだこうだと出荷後の夢について語り合った。おれは人間で、彼女はトマトである以上、別れが訪れるのは必至である。だが、それはあまりにも当然の前提条件であったため、二人ともわざわざそれに触れる事はなかった。


 とまっちゃんとの会話は総じて楽しいものだった。恐らく、人間と話すよりも、ストレスを感じずにいられる時間であった。出勤してからの一番の楽しみが、彼女との会話だった。


「ああ、そろそろ時間だ。おれ、帰らなくちゃ」


 端末機のアラームが鳴り、退社時刻を告げた。おれは慌てて立ち上がる。とまっちゃんは、礼儀正しく慎ましやかに別れの礼をした。


「あら、もうそんな時間だったのね。お引止めしてごめんなさい」


「良いんだよ。とまっちゃんと話すのが、おれの最大にして唯一の楽しみなんだから」


 とまっちゃんは、嬉しそうに微笑む。おれは最後に彼女の葉を軽く握って、栽培室を出た。




 研究室の荷物をまとめ、会社から数分の距離の駅にたどり着いたその時、突如として後ろから爆音が聞こえた。一瞬、どこかの馬鹿なロボットが電柱にでもぶつかったのだろうと思ったが、駅内にいた人々のざわめき声に、気になる単語が聞こえた。


『――アスバオ会社が……』


「おいっ」


 おれは慌てて、その声の主を捕まえた。腕をつかまれた若い男が、困惑した顔でおれを見る。


「アスバオが、どうしたって」


「い、いや……なんか、社内テロがあったらしいですよ。会社の敷地内に爆弾をばら撒かれた、って……」


「なんてこった!」


 おれは慌てて、来た道を駆け戻った。


 確かに、大企業であるアスバオは、子会社の利益も吸い取ってしまうために恨まれることも多かった。だが、屈強な警備ロボットと監視カメラ、防犯用赤外線に阻まれて、大抵のテロ・スパイ行為は未然に防がれていた。それが今日、つい先ほど、破られたというのだ!


「とまっちゃん……! 無事でいてくれよ……!」


 おれは心の中で念じながら、消防車や救急車、パトカーらと共に会社へたどり着いた。そこは、ついさっきおれが後にした場所とは思えないほどに、火の海に飲み込まれていた。残業でもしていたのか、惨事に巻き込まれた人たちの救助作業に明け暮れる消防隊員の傍をすり抜けて、おれは研究栽培棟へ走った。猛烈な熱さと煙に視界を遮られるが、そこは通いなれた社内のこと、数分もしないで目的の場所についた。とまっちゃんの栽培室である。


「とまっちゃん、とまっちゃん!」


 とまっちゃんが生えている場所へ一目散に駆け寄ると、そこにはすっかりしょげたとまっちゃんの姿があった。どうやら火の粉に燃え移られずに済んだようだ。だが、絶えることのない煙に呼吸を妨げられたようで、目から涙を溢れさせていた。


「そこにいるのは、管理人さん……?」


「そうだよ、とまっちゃん!」


 おれは、とまっちゃんを煙から守るために両手を広げて、彼女を覆った。とまっちゃんはほんの少しだけ薄目を開けておれを見た。


「管理人さん、私の出荷時期、決まった?」


 おれは肯いて、彼女をもぎ取ってしまった。とまっちゃんはじっと動かない。ただ、心を決めたようにおれをじっと見ていた。おれも、彼女を見て、微笑んで見せた。涙でぼろぼろの視界の中で、彼女がどんな反応を見せたのかは分からなかった。


「なあとまっちゃん、最後に冗談を言っても良いかい」


「ええ、良いわよ」


 とまっちゃんを口の中に入れる直前、おれは呟いた。


「食べたくなるほど愛していたよ」

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