第16話 エミとオーサカ

 僕がエミを見れず下を向いていると、彼女はぽつりと言った。


「ユウ君、また辛そうな顔してる……。ウチとおると……やっぱりしんどい?」

「え……?」


 エミは曖昧あいまいに笑いながら、顔を上げた僕の頭をゆっくりと撫でた。

 ズキリ、と胸が痛む。

 やっぱり、とはどういう意味だろうか……。


「ち、違う…! 僕は…あの…ごめん!」

「ううん、ええねん。ごめんな、ユウ君ウチとおってしんどいんやったら、パーティを正式に組む前に、ウチ辞めるわ。多分まだ教会には登録終わってないよね? でも登録終わってても、別にウチ次にどっか入るとかそんな当てもないし、二週間ダンジョンに潜られへんとかそんなん関係ないから、またすぐ抜いてくれたらええんよ。テン君と一人と一匹で生きて行けるような仕事ないか探してみるし、元々そういうつもりやったんやしね。だから気にせんといて! あっ、探偵のお兄ちゃんに聞いてみたらええかもしれへんね! ウチらにぴったりの仕事知っとるかもしれへんわ。……えと……っ、せや! スキル付きの『いちごみるく』の飴ちゃん……先に渡しとくとかできるんかなあ? できるんやったら、ユウ君にこれ――」

「だから、違う! 違うんだって!!」


 早口でまくし立てて、恐らくもう一度『いちごみるく』の飴ちゃんを出そうとしたエミの腕をきつく掴んだ。


 ――彼女に、なぜだかどうしようもなく惹かれる。そして、僕が惹かれるように、他の人だって彼女に惹かれるのだというのが分かる。

 もちろん、彼女はとても美しい少女だというのもある。……でもそれだけじゃない。彼女が笑うとほっとする、彼女が怒ると、こちらは逆に怒りがしぼむ。まるで、僕らの代わりに感情を彼女が発散してくれているみたいに。

 彼女が気になって気になって仕方なくて、だから……。

 僕は心の中で全部ごちゃ混ぜにして吐き出しただけだ。エミのように、エミだったらとかそんな風なことを考えて、僕自身の資質のなさや、僕自身が抱え込んだ何もかもを、エミは特別だからと押し付けた方が楽だったから。

 エミがなんでも、受け止めて楽にしてくれると思っていたから。


 ――僕じゃなくて、彼女が勇者だったら……僕は必要ないんじゃないかと思ってしまったから、ねたんだ。


「あ、あんなあユウ君……、ウチ大阪におる時によう言われてたんや。お節介が過ぎるとか、鬱陶うっとうしいとか。ウチはそんなつもりなかったのに、色々先回りしすぎてたんかなあ……。そのたんびに……ああ、またやりすぎてしもた、あかんなあって反省するんやけど……。でも根本は変えられへんみたいでなあ。また勝手に体と口が動いて、うるさいとかしつこいとかウザいとか言われて……その繰り返しや。最終的にはウチ、助けんで良かったらしい子を助けて、トラックにかれて死んでしもたんやで、アホみたいやろ?」


 震える声で、自分を笑うようにエミはそう言った。

 ……僕はエミが羨ましいだけだ。エミの事をお節介焼きだとは確かに思うけれど、鬱陶しいとか、アホだなんて思ったことは一度もなかった。

 僕がエミのようにできないから……それだけだ。

 

「……この世界にウチらが放り出された湖のほとりあるやろ? あそこでな、ウチ何をしたらええか分からんかったから、テン君とぼーっとしててん。そしたら……、めっちゃ辛そうなユウ君が歩いてきたんよ」


 彼女は、僕と会ったあの湖の事を話し出した。 


「……」

「あの時のユウ君なあ……、ホンマにウチが声をかけんと死にそうな気がして。ウチ、またお節介とか言われるんちゃうかなとか……、人の事情に首突っ込んでもええことないって、今までも散々言われてきてたから……あの時一応考えてたんよ。……でもなあ、やっぱり……苦しそうやったり、悲しそうやったりする人をウチは、ほっとかれへん。ほっとく方が賢いんかもしれへんねん。その人だってほっとかれたいって思ってるかもしれへん……。頭では分かってる。けど……首突っ込んでしまうんよなあ……。死んでも変わらん性分やったなあ…」

 

 エミは、小さく笑った。僕は棒立ちのまま、彼女の話を聞いていた。 


「ユウ君の話聞いてな、こんな優しい子の力になれるんやったら、なんでもしようって思て、そのつもりでユウ君にパーティに入れてもろたんよ……。うちのこんなめんどくさい性格も、仲間を大切にしてくれるユウ君やったら許してくれるんちゃうかって……。ほんで、ナナノちゃんやティアちゃんも入って、さあこれから四人でダンジョン探検や! って……思ってた。……けど、またなんか……間違えて、しもた、みたい…」

 

 教会の大理石の床、エミの足元にポトリと小さな水たまりができた。それは、少しずつ少しずつ広がっていく。


「ウチ……なぁんも変わってへん。結局、生まれ変わってこっちに来ても……、ウチは気持ちばっかり先走ってやりすぎて……。ユウ君の事助けたいと思ってるのに、裏目に出るんや……。ホンマに、バカやわ……。バカでバカで、どうしようもない……。

 ――……やっぱりウチ、転生なんか……せぇへんかったらよかった……っ」

 

 その言葉で、僕は頭に大きな石を叩きつけられたような衝撃を受けた。

 エミに絶対に言わせてはいけない言葉を、言わせてしまった。彼女が、どんな気持ちで、その言葉を発したのか…。

 自分の不甲斐なさや、自分の苦しさを…今度もやっぱり僕はエミに肩代わりさせてしまった…。


 エミは、静かに涙をこぼしていた。


 ――なにを、なにをやっているんだ…僕は!! 勇者なのに…!


「違う!! エミが悪いわけじゃないんだよ……! 僕は君を妬んだんだ。君が僕にない勇者の適性を持っている気がして。僕はいらないんじゃないかって勝手に思って……、ごめん……ごめん……!」


 僕はエミを力いっぱい抱きしめてそう言った。 


「エミがこの世界に来てくれなかったら、僕はあのまま勇者を辞めてた。ナナノだって、あのまま盗人として生きていくつもりだったのを、君が助けたんだ。僕だけじゃきっとナナノを助けられなかった。だから、転生しなきゃ良かったなんて……言わないでくれ」


 エミに少しでも、僕の気持ちが伝わってほしい。君のお節介が僕やナナノを救って、そして僕はまた勇者として歩こうと思えた。

 それは、君がいたからだ。

 吐き出してしまった言葉はもう、引っ込めることはできない。あの気持ちも本当だった。でもそれは……エミに言ってもどうなることでもないのに、本当のバカは僕なんだ。 

 僕はエミに甘えて、怒鳴り散らしただけだ。  

 

「ユウ……君」

「だから、僕のパーティを辞めるなんて言わないでくれ。君がすごい猛獣を従えてるとか、すごい飴を持ってるとか、確かに打算は最初にあったよ。でも今は違うんだ。君がもしテン君を連れてなくても、『いちごみるく』の飴ちゃんを持ってなくても、僕は君と一緒に旅がしたいんだ」

「……ええの? ウチがユウ君のパーティにおって……?」

「もちろん……! エミがいたからナナノが僕のパーティに入ってくれて、ナナノがいたからティアが入ったんだ。君がいなきゃだめなんだ」

「ふっ…、うっ……う、ううっ……うぅ~……」

 

 エミは僕の腕の中で声を堪えながら泣いた。僕の服をぎゅっと掴んで、本当に苦しそうに。

 エミは、彼女のいた場所オーサカでも……少し異質だったようだ。彼女の他人の顔色や声色から感情を読み取るスキルは……オーサカの人間のスキルじゃなくて、彼女が元々持っていたものだったと、僕はやっと気づいた。

 そしてそれは、エミの人を思い遣りすぎてしまう、本当に優しい気持ちからあらわれた彼女が生きてきて得たスキルだ。

 少しずつ、エミの涙が収まってきた。スンスンと鼻をすする音が小さく響く。


「エミ、僕はまた君を傷つけることがあるかもしれない。君を羨ましいと思って、妬ましいと思って君にそれをぶちまけてしまうかもしれない……」

「……」


 それは、本当ならもう今回で終わりにしないといけないけれど。僕の中のどす黒い何かは、もしかしたらまたどこかで爆発するかもしれないから。


「僕は、勇者の中でも落ちこぼれだった」

「……そうなん?」

「そうなんだ。僕より後発の勇者に追いつかれたりとか、追い抜かれたりとかね。だから、僕は……ずっとずっと誰に対してでもない……多分言ってしまえばこの世界に、劣等感を抱え込んでた」

 

 事実は、事実だ。

 こんな不甲斐ない僕だから、呆れて彼らは出て行ったのだと……。


「なんで僕が勇者なんだろう、何で僕は勇者なのにうまくやれないんだろうって。エミと一番違うのは、それをエミに対して爆発させてしまったことだ。勇者なのに、エミは悪くないのに」

「……勇者やったら、弱音吐いたらあかんの?」

「多分ね。少なくとも僕は、勇者は……人々の不安を背負う者、弱音や辛さなんかを見せない正義の体現者であるといわれて育った。本当は、エミにだって……辛いとか苦しいとか吐き出したらだめだったはずなんだ……」

 

 エミは本当に不思議な女の子だ。勇者としての心構えや、あり方、姿勢、僕ら勇者は、生まれた村でそれを徹底的に叩き込まれている。なのに、彼女の優しさに甘えて吐き出してしまったのだ。

 エミは、その言葉にむっとしたようだった。

 何を怒っているのだろうか。


「なんや、そんなん……爆発するに決まってる」

「え……」

「だって、ユウ君は勇者の前に人間やろ?」

「……それは、そうだけど……、でも勇者で……。……え?」


 エミは独り言をぶつぶつ言いながら、残った涙を乱暴にぬぐいきった後、僕を真っ直ぐに見つめた。 


「そっか……そうやねぇ……。みぃんな、根本ではおんなじなんかも……。うん! じゃあウチ、ユウ君がしんどなったら何十回でも何百回でも何千回でも! 他の誰も見てないところでユウ君の弱音聞いたるわ! ユウ君が、みんなの前で勇者でおりたいって言うんやったら、それを支えたいから!」

「でも、それじゃあ……」

  

 その、『みんな』の中にエミが入っていないことになる。

 エミは人差し指を前に出して、ちっちっちと口を鳴らしながら横に振った。なんだそのジェスチャー。

 

「だってな、ウチは異世界から来たんや。この世界の人たちの不安を背負う勇者の弱音は、異世界から来たウチが聞くなら問題ないやろ」

「……それは、屁理屈じゃないか?」


 この世界に転生してきた以上、その時点でエミもこの世界の住人なのでは? 


「理屈は通ってるやろ! ユウ君は、ウチがおった世界の勇者じゃないし」

「そう……かなあ??」


 屁理屈をさも理屈が通っているかのようにぐいぐいと押し込んで、エミはとびっきりの笑顔を僕に向ける。笑顔が眩しい。 


「じゃあ、エミが弱音を吐きたい時はどうするんだ? それは僕がこの世界の勇者として聞いていいものなのか?」

「うーん」


 エミは目を瞑って、顎に手を置いて考えている。

 閃いた! という感じで目を見開いてにこにこと僕を見てくる。コロコロと表情が変わる。元のエミの調子に戻ってきたみたいだ。

 

「その時はユウ君が、勇者としてじゃなく一人の人間としてウチの話を聞いてよ」

「……分かった」

  

 僕は、彼女に支えられてまた勇者として立ちあがれた。彼女が僕を勇者としてじゃなく一人の人間としてそうして欲しいというなら、僕はそうする。

 エミはお節介焼きで、へこたれない。前向きで、強いのに涙もろくて。感情を隠すのが下手で、でもだからこそ彼女の前では素直でいられる。素直になってしまう。そんな彼女だから、一緒にいたいと思う。


「さあ、ユウ君。みんなのとこ戻って、ちゃっちゃとパーティ申請しよ! 明日はみんなでダンジョン行くんやで!」

「ああ……! 行こう!」

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