第五十話 End of the eternal(永久の終焉)

 転倒してしまったエゼルバルドに朱い魔石が操る黒い触手の様な腕の一本が迫る。

 投げ付けたグリフィンの頭の重量と威力を考えれば、掴まれれば空中に投げられ成す術も無く殺されてしまう。そんな悪夢がエゼルバルドの脳裏を過る。


 エゼルバルドを掴もうと掌を広げた黒い腕が眼前に迫る。死を意識してか迫りくる攻撃に初めて目を瞑って視界を閉じてしまう。抗えぬ恐怖の為なのかそれはわからない。

 あの暗殺者、”黒の霧殺士”に串刺しにされた時も、細身剣レイピアが突き刺さるまでしっかりと目を開けていたにもかかわらず。


 死を迎え入れようとした瞬間、彼の耳に床石を力強く蹴り付ける靴底の音が耳に入る。それも徐々に大きくなって。


「エゼル!!」


 エゼルバルドの名を叫ばれ、恐る恐る瞼を開くと一人の男の姿を見つける。

 仁王立ちになり身を挺している魔術師の姿を。


「スイール!」

「よ、良かった、無事です……か……」


 ”無事か”と声を掛けられた。

 エゼルバルドは太腿に痛みが走っただけで今は痛みが引き始めている。それ以外は倒れ込んだ以外は怪我も無く大丈夫であろう。体はそう反応している。


 だが、声を掛けて来た本人は無事とは言い難い。

 誰の目からも無事であるとは感じられない。

 声の主、スイールの胸を突き刺し、そして背中にまで黒い腕が貫いているのだから……。


「スイール!」

「わ、私の事は、い、いいです。そ、それより早く、立ち上がって……ごほっ!」


 スイールはエゼルバルドを見やりながら急いで立ち上がる様に指示を出してくるが、口元から、そして背中からも真っ赤な鮮血を流し苦しそうにしている。心臓をつぶされるのは免れたらしいが、そのほかの重要器官を損傷して今にも死にそうな程に苦痛に歪んでいる。

 そして、言葉の最後には喉元を逆流してきた血を吐き出して、右手の細身剣レイピアと左手の杖を手放してしまい、片手と片膝をつくまでに至った。


 エゼルバルドは急いで立ち上がるのだが、全てが緩慢な動作であったのか朱い魔石の攻撃を再び受けてしまう。それはエゼルバルドに向けてではなく……。


「スイール!」


 再び叫び声を上げるエゼルバルド。

 スイールの頭を黒い腕のその先端、広げた手の平に掴まれてしまっていた。

 致命傷を与える動作ではなく、どう表現して良いのか、刹那の間、迷ってしまう。それも束の間の事、エゼルバルドはブロードソードを杖にして立ち上がるとスイールに絡みついた黒い腕を切り裂こう杖代わりにしたブロードソードを振り上げる。


「い、いけません!」

「だけど、スイールが!」


 だがエゼルバルドの行為はその本人、スイールによって静止させられてしまう。

 今、黒い腕を切り離さなければスイールの命が奪われてしまうだろう。そんな未来は存在してはならない、そう強く心に思う。泣きそうになる気持ちを抑えながら。


『さしもの魔術師も、己が”神”の前には手も足も出ぬか?誰よりも先に膝をつくとは我も予想外だったがな』


 黒い腕といまだに対峙し続ける他の三人はスイールに気を向けるだけの余裕はない。

 跪くスイールの傍にエゼルバルドがいるだけ。


 本来ならエゼルバルドが膝をついて、死神の来訪を待つ筈だったが。

 スイールが身代わりにその身を差し出したのは朱い魔石も予想外だった。

 言葉の通り、黒い腕の相手をしている四人を屠った後にゆっくりと始末の予定だった。


『まぁ、いいか。先に魔術師の知識を奪うことにしよう。今まで蓄積した知識、我に捧げよ』

「くっ!」


 スイールの頭を掴む黒い腕が手の平から頭を包み込むように形を変える。朱い魔石が知識を吸い出そうとしている。

 スイールにも、エゼルバルドにもそれがどんな事が理解した。


 知識を吸い出され、奪われてしまえばスイールは自我を持たぬ廃人となるだろう。そうなって生きていられるはずもない。尤も、朱い魔石が生かしておかないだろう。

 確実に死が待ち構えている。


「スイール!」

「だ、駄目です!」


 何度目かわからぬ、エゼルバルドの叫び声がこだまする。

 そして、スイールを自由にしなければと振り上げたブロードソードで黒い腕を切り裂こうとするのだが、やはり、ここまでされて尚エゼルバルドを静止させる。


『ふふふ。魔術師も自らの死を意識したか。それにしても、どれだけ知識を蓄えておるのだ?一向に知識の底が見えん』


 朱い魔石はスイールの知識の多さに驚愕する。それは当然とも言えよう。

 スイールが生まれて今まで、七千数百年。朱い魔石も生まれてほぼ同年。

 朱い魔石が蓄えた年数と同じだけの知識を奪おうとするのである、生半可な時間で済むはずもない。

 それに一所に鎮座していた朱い魔石より、世界を回りまわっていた魔術師スイールの方が膨大な知識を蓄えていた。


 知識を奪うにはすぐに済むと考えていた。だから、予想以上の時間が必要なそれが致命傷になるとは思いもよらぬ事であったのだ。


 痛みと知識を奪われ、朦朧とする意識の中。スイールは自らに絡む二つの黒い腕を右手と左手、それぞれで掴む。怪我をして握力が無くなってきているにもかかわらず、微塵も見せぬように。


『な、なにをする?離せ!』

「ふ……。魔力で作られた腕です、私が魔力を与え続ければ途中で蜥蜴の尻尾の様に切り離す事も出来ないでしょう。ヒルダの功績ですね、これは」


 朱い魔石が操る黒い腕を自らから放すのではなく、逆に腕で掴み押さえつける。


『ま、待て!放せ!』

「私にももう一枚、切り札が残されているのですよ。それを見誤った貴方の失敗です」

『わ、我に入ってくるな!』


 スイールは魔力で黒い腕を固定すると共に、それを伝い朱い魔石へ逆に侵入しようとしている。何を行おうとしているのか、朱い魔石の言葉でそれが明らかになった。

 だが、それが何を意味しているのか、エゼルバルドは理解できずに呆然と立ち尽くすしかなかった。

 これが本当に正解なのか。もしかしたら、他にも答えがあるのではないか?

 エゼルバルドは頭の中を様々な考えが浮かび、そして、全てが消えてゆく。


「ふ、見つけましたよ。貴方の本体を!」

『や、止めろ!我を見るな!』


 今まで他人の知識を奪うと称して心まで覗いていた朱い魔石が、スイールにその逆を仕掛けられている。

 朱い魔石の表情は見えないが、相当嫌がっていることは声色から簡単に想像できる。

 そして、歪だが荘厳な口調から一転、焦りに羞恥心、そして怒りが言葉に乗せられているのだから。その中でも一番はやはり己をさらけ出された羞恥心だろう。


「なるほど。貴方も私と同じ永遠の命を持っていたのですね。これなら、貴方を滅ぼす事が出来そうです」

『は、放せ!我はまだ逝きたくない!』


 スイールに絡みついている二本の黒い腕以外の三本を対峙する三人から放して魔術師に向けたい、そう考えたがそれは無理な相談だった。

 ヴルフ、ヒルダ、そしてアイリーンが黒い腕に対峙し続けている。

 腕を引こうとしても、攻撃目標を変えようとしても、その度に食らいついてくるのだから。


 それからも朱い魔石は己の醜い感情を乗せながらスイールに罵詈雑言を向ける。万に一つ、いや、億に一つでも良い、隙を作ってくれと思いながら。


「そろそろ終わりとしましょう。私の魔力も十分伝わったでしょうから」


 スイールがぼそりと呟くと同時に朱い魔石の中心部に光り輝くが浮かび上がる。

 大きな朱い魔石には似つかわしくない、赤子の握り拳と同等の小ささしかない、何かが。


「え、エゼル。合図をしたらあの輝きを切り裂いてください」

「……わ、わかった」

『や、止めろ!我はまだ生きていたい!』


 スイールはそれが何かを口にしなかった。

 しかし、エゼルバルドは瞬時にスイールが口にした意図を理解し、それに沿うべくブロードソードを構え返事をした。そして、いつでも飛び出せるようにと魔力を集め始める。切り捨てるはあの朱い魔石、魔法を使わなければ切り捨てるなど出来ないのだから。

 同時に体内に輝きを生じ始めた朱い魔石も、その光が何を示すしているか理解し生に執着すべく言葉を漏らす。


「貴方より短い人生しかない人がそう言ってどうしたか、思い出しましたか?」

『や、止めてくれ。もう、こんな事はしないから』

「どんな言葉で嘆願しても無駄です。も、も、十分生きたのですから」


 自分の頭にいまだに取り付く黒い腕の持ち主が何を欲していたか理解したスイール。知識と同時に命をも奪っているのだから、今まで朱い魔石がどれだけの人にしてきたのか弁解の余地はないと考える。

 だから、朱い魔石がどんな言葉を選んで嘆願しようとも、考えを変えて許すなどスイールには出来なかった。

 それが、自らの命を賭してでも……。


「エゼル、今です!」


 朱い魔石に現れた輝きがさらに強く放たれた瞬間にエゼルバルドに合図を送った。

 それを耳にし、”待ってました”とばかりにエゼルバルドは床石を強く強く踏みつけ全速力で朱い魔石に駆け出した。それと同時に集めであった魔力を”魔装付与・炎エンチャントファイア”としてブロードソードに付与する。

 一刻も早く朱い魔石を切り捨てスイールを救うのだと。

 だが、そんなエゼルバルドの気持ちを知っていながら裏切るしか出来ないスイール。朱い魔石を葬り去るにはもう、この方法しか残っていないのだと。




魂の消滅エンドオブエターナル!」




 エゼルバルドが朱い魔石にブロードソードで切り捨てるよりも早く、スイールが魔法を使った。

 魔術師スイール、最後の魔法を。


 朱い魔石の中心部、輝きがさらに強くなった。

 どす黒い声で断末魔の悲鳴が響き渡る。痛みを知らぬの道具、朱い魔石が痛みにのたうち回っているかの様な声を上げて。

 それもその筈、スイールは自らと繋がっていた黒い腕を通り、直接、朱い魔石の核へと魔法を発動していた。

 そして、自らを構築している体に異変が生じ、断末魔を上げたのである。

 その後、黒い腕を構築するに必要な魔力を朱い魔石は与え続ける事が出来ず、根元から塵が空中に溶け込むようにサラサラと消え去って行く。


 そして、魔法を使ったスイールも同様に苦しむことになる。

 悲鳴こそ上げなかったが、自らの体が作り変えられる、そんな痛みに耐えかね朱い魔石が操る黒い腕から手を放し、胸を掻き毟りながら突っ伏すように倒れ込んだ。

 本当は叫び声を上げたい、だが、朱い魔石を屠らなければならず、嫌な役目を与えてしまったエゼルバルドに考慮し自らの意思を押さえつけた。


 その精神力は並大抵のものではない。

 だが、あと数瞬、それだけで全てが終わる。

 そう思えば、どんな苦痛にも耐えられる、と。


「はぁっ!」


 その数瞬もエゼルバルドが振るったブロードソードにより終焉を迎える。

 燃え盛るように真っ赤になった刀身を縦一文字に叩き付けた。当然、光り輝く中心を真っ二つにしながら。

 ブロードソードは床石まで到達し、深く床石を切り裂いた。同時に朱い魔石が様々な大きさの魔石に変化しながら崩れ去る。


 そして瓦礫の山となった黒い魔石の上に残ったものが二つに割れた赤い宝石、今まで対峙していた朱い魔石の核となる魔石であった。


『く、我もこれまでか……。い、逝きたくない』

「でも、お前もこれまでだ。散々生きて人々を苦しめて来たんだからな。オレの両親だってもしかしたらお前の犠牲者かもしれないし、な」


 床石からブロードソードを引き抜き、あと少しの命しかない自我を持った魔石に語り掛ける。


 うすうすと感じていた事実。自らを生んでくれた親は何処へ行ったのか。

 クリクレア島で様々な話しを耳にし、出した結論のうちの一つ。

 エゼルバルドの両親は、朱い魔石の手によって殺されたのではないかと。

 彼には証明するだけの情報は持ち合わせていないのだから、想像でしかないのだ。

 だが、両親はともかく、祖父母はさらわれた事実だけは確かである。


『ふ、回りまわって我がそなたの両親の仇か……。それもいいだろう、だが、これで終わったと思って貰っては困る』


 永遠と信じていた生の終焉。

 それを、自らを生み出した一族と仇と告げたものの手によって迎えられるのだから、これぞ運命と言わずなんと表現すれば良いのかと朱い魔石は自身に疑問を投げかける。

 魔術師スイールが認めないと告げた運命がしっかりと現れたのだから、皮肉としかいようがないだろう。


 そして、最後に残った魔力の残滓を使い、命令を下す。

 逝くのは自分だけでなく、最低でも、朱い魔石自身を追い詰めたを巻き添えにしてでも、と。


『我は先に行く。闇の奥底でお前達の来訪を心より待つとしよう……。お前達、をな……』


 歪な声がエゼルバルド達の耳に届いたと同時に、黒い魔石の山に乗っていた朱い魔石は自壊するように粉々に砕けていった。


「そうだ!スイールは?」


 朱い魔石が逝ったのを見届けたエゼルバルドは踵を返しスイールに視線を向ける。無事に朱い魔石が操る黒い腕から解放され、苦痛に顔を歪めているがその中にも喜びを見せている姿が見えるだろうと期待を抱きながら。




※題名でEnd of the eternalを(永久の終焉)、と直訳に近い日本語に、そして、呪文を(魂の消滅)としました。

 題名は永遠に続いた時を終わらせる、呪文は永遠に続く命を終わらせる、そんな意図を含めてみたので同じ言葉であっても、日本語のルビを変えてみました。


あと少しです。

もうしばらくお付き合いください。

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