第五十一話 去り行く命

 宮殿の大広間、謁見の間とでもいうべき部屋の最奥。玉座の手前に鎮座していた朱い魔石が逝ったのを見届けたエゼルバルドが踵を返し、偉大な魔術師であり育ての親でもあるスイールへ向けた視線に写ったのはピクリとも動かず床に突っ伏している姿だった。しかも、大量に血を吐き出したのか床石が赤く赤く鮮血で染め上げられて。


 エゼルバルドは声を上げる暇もなく床石を全力で蹴り付けスイールの下へ駆け出した。

 ヴルフもヒルダも、そしてアイリーンも、同時にスイールに向けて駆け始める。


 しかし、どんなに足を動かしても時間が早く過ぎる。

 焦りが体を遅くする?

 そんな理由ではない。感じるだけ。

 だが、早く駆け付けなくては、そう思うが時間に反して体は動きを鈍くする。


 早く。

 早く。

 早く。


 懸命に足を動かし、スイールの下へ急ぐ。

 そして、エゼルバルドが到着した時には他の三人がすでに到着し、スイールを抱き上げていた後であった。


「スイール!」

「酷いもんじゃ!」

「どうやったら、こうなるのよ!」

「頑張って!今回復させるわ、回復魔法ヒーリング!」


 エゼルバルド達は目を閉じたスイールに声を掛ける。

 ヴルフはスイールの口元、そして胸元から流れる真っ赤な鮮血に驚愕の表情を浮かべる。

 アイリーンは両手で顔を覆い、信じられぬと叫び声を上げる。

 そして、ヒルダはありったけの魔力を結集し、スイールを治療する。


 それだけやっても、怪我の状態、流れた血液の量、そのどちらも致命傷だとわかってしまう。だが、それが信じられない、誰もが心の奥にそう思いを抱く。

 このまま意識を戻さないのか、落胆の表情を誰もが浮かべる。


「……う、うう」

「おい、しっかりしろ!」


 かすかなうめき声を漏らしたスイールの耳元でヴルフが呼びかける。

 まだ逝くには早すぎる、戻って来いと。

 その声が届いたのか、スイールはゆっくりと瞼を開け、視線を宙へと向ける。


「おい、わかるか?」

「……あ、あぁ。私は、……まだ生きているんですね」

「そうだ。まだ逝っちゃならんぞ」


 ヴルフはスイールをゆっくりと揺さぶりながら元気づけようとさらに呼びかける。


「駄目ですね……。もう、光しか感じません。手も足も動かせないようです……」


”なんてこったい”とヴルフは今にも泣きそうな顔でスイールを見やる。


 ヒルダが発動した回復魔法ヒーリングで胸に開けられた穴はすでに塞がれ、流れ出ていた鮮血は止まっていた。血は流れたが、意識があるのならばいずれは治療できる、そう思っていた矢先のスイールの告白。

 ヴルフはそれが悔しくて仕方がなかった。弱々しい声色とは言え、流暢に言葉を紡ぐスイールは治る、そう思っただけに。


「これも、私の宿命だったのでしょう。最後にみんなで旅が出来て幸せでしたよ」

「スイール!そう言わないでくれよ。まだ、家にも帰ってないんだぞ。エレクだって顔を見るのを楽しみにしているぞ」

「そうよ。諦めちゃだめよ!」


 誰もが瞳に涙を浮かべてスイールに言葉を向ける。

 唯一、アイリーンだけが言葉に詰まっているのか、じっと見つめるだけだった。


「申し訳ないです。これも最後に使った魔法が原因なのです」

「え?いつ魔法を使ったの」


 最後の魔法、エゼルバルドすら知らぬ出来事に誰もが息をのむ。魔法を使った形跡すら無くいつ使ったのかと。

 それもそのはず、本来魔法とは魔力を集めて空中など、体の外に発現させて効果を発揮させる現象を表す。それが回復魔法ヒーリングであっても一度、体の外に魔法を発現させて治すのだから、例外は無いとされている。


「実は、あの黒い腕と繋がっていた時に、腕を通して直接朱い魔石に魔法を発現させたのです」

「そんな事出来るの?」


 エゼルバルドは半信半疑に尋ねる。


「私が生み出した魔法で魂の消滅エンドオブエターナルと言い、体内で発現させるのです。効果は魂の情報、つまり体内にある人の寿命をつかさどる情報を破壊するのです」

「ちょっと待て、魔法がわからんワシでも、それがどうなるかわかるぞ」


 スイールが言わんとしている事実。

 ヴルフがエゼルバルドが、そして、ヒルダが、アイリーンが、ぶわっと大粒の涙をとめどなく流し始める。すぐに頬を伝わり、川になってポタリと雫が垂れる。


「その通りです。私の寿命はここで尽きるのです」

「スイール……」


 言葉にできぬ悲しみ。

 そして、溢れて零れ落ちる大粒の涙。

 嗚咽さえ誰も発せず、ただスイールに視線を向ける……。


 だが……。


「今のは!」

「何じゃ、どうした?」


 スイールの死が免れぬと知り悲しみに暮れようとしてたその瞬間、さんさんと降り注いて宮殿の大広間を眩く照らしていた光がまたたいたのだ。瞬間的ではあったが、その瞬きは誰もが認識するには十分だった。そして誰もが異常事態が発生したと脳裏を過ってしまう。


「そ、そう来ましたか……。エ、エゼル!」

「…………」


 か細いながらも凛とした声色で顔を上げながらスイールはエゼルバルドを呼んだ。

 だが、エゼルバルドはスイールの呼びかけに答えられなかった。

 異常事態が発生しているとわかっているにも関わらず。


 光を感じるだけのスイールにはエゼルバルドが返事をしない、いやそうではなく、出来ない心理的状況も何となく察することが出来た。だが、今、エゼルバルドが肩を落とし項垂うなだれ、沈黙するにはまだ早い。スイール自身はいなくなるがエゼルバルドはまだまだ先があるのだから。


 だから心を鬼にして、再び声を掛けるのだ。


「エゼル、黙らないでください。いるのはわかっています。悲しみに暮れるのはまだ早いです」

「う、うん……」


 エゼルバルドはこれから逝く人に逆に励まされ、大粒の涙を流す目元を袖で拭う。

 悲しみは消えはしないが、今はスイールに呼ばれ頼りにされている、それを喜ぼうと気持ちを切り替えて横たわる魔術師へと向き直った。


「私の鞄からノートを出してくれませんか?」

「ノート?ああ、わかった」


 スイールが肩から斜に掛けている鞄。

 様々な資料や書き留めたノート、それに生活に必要な硬貨などを詰め込んでいる鞄。

 そして、スイール本人しか何が入っているかわからぬ、得体の知れない鞄。


 そこから資料ではなく、書き留めたノートを出すように言われ、エゼルバルドは何冊もあるノートを全て取り出した。


「出したけど?」

「そうしたら、一番新しいノートの中ほどを開いてください。私が記した最後のページがある筈です」

「えっと……。あ、これかな?人工太陽について……書いてある?」


 エゼルバルドはノートを後ろから開きパラパラとめくって行くと、空白のページが終わりスイールの丁寧な字で記されたページに行き着いた。

 そこから数ページにわたり一つの事象についての考察と概要図が記されていた。その概要図が地下遺跡と人工太陽の関係性を現しているとみて、”人工太陽?”と声を漏らしたのである。


「ええ、その通り。人工太陽についての考察と解決方法です。まさか、本当にこうなるとは思いませんでした。私が出向けば解決すると思っていただけに残念になりません」


 スイールは人工太陽について記したとエゼルバルドの言葉を肯定した。

 それで納得してみせるのだが、腑に落ちぬ言葉を耳にする。

 考察は何となくわかる。どんな方法を用いて作り出したか、そして制御方法であると。

 だが、”解決方法”と耳にしたとき、納得できぬエゼルバルドがいた。なぜ、解決方法、つまりは異常が起こる前提で記していたかである。


「前に地下遺跡と不毛の地がどうして生まれたかを話したことがありましたが覚えてますか?」

「確か、人工太陽が暴走して?え、まさか!」


 今の今まで記憶の奥底に封印されていたかの様に忘れていた不毛の地が生み出された理由を思い出し、ビクッと体が跳ねてしまった。

 何千年も昔に起こった出来事が今まさに起ころうとしている。


「えぇ……。もしかしたらと思いまして、念の為……だったのですがね。地下遺跡を拠点にしていると知った時に懸念したのです、昔の記憶、技術を知っているかもしれないと」


 アーラス神聖教国の内乱終結時に入り込んだ地下遺跡も今いる場所と同様に真新しかった。だが、彼らは人工太陽を作るまでの技術は手に入れられず、松明や生活魔法の灯火ライトで細々と光を確保するしかなかった。

 だから、人工太陽についての記録は今まで記すことは無かったのだ。


「それでどうすればいい?」

「エゼル。ヒルダと共に人工太陽の暴走を止めてください。すぐに……」


 エゼルバルドはノートに視線を落とし、記されている文言を最初からなぞり一言一句逃さぬ様に読んみ進める。最初は人工太陽の構成が記され、安定した運用方法、最後に暴走状態に至るいくつかのが記されているとわかる。

 読み進め、何となく理解してから暴走状態にある人工太陽を沈める解決方法まで来ると、スイールがなぜヒルダと共にと口にした理由がわかったのである。


 起動方法は記していない。

 だが、制御法は一人でもできると記されている。

 そして、通常手順での止め方もわかった。


 起動方法を記していないのは、人工太陽の考察を記したこのノートが流出し、悪用されるのを防ぐ為だろうと察してみる。


 最後に暴走時の解決手段、これについては二人が別々の制御をするしか手段がないと記されていた。


「私の最後のお願い……とでも、しておいてください」

「仕方ないな……。最後のお願いって言われちゃね。ねぇ、ヒルダ」

「え、う、うん。傷も塞がってるし、わたしの出番は今のところ無さそうだしね」


 スイールの頼みとエゼルバルドは強引に笑顔を作る。心の底では悲しさで溢れかえっているので笑顔であっても、どこか影を感じてしまう。

 同様に頼まれたヒルダもフッとスイールの考えを察して、強引に言い訳を探して頼みを受ける。


 ノートのページをちょいと折って栞替わりして閉じると、エゼルバルドはヒルダと共に立ち上がり出口に向かおうと歩き出した。


「あ、待ってください」


 スイールは出せるだけの声を発してエゼルバルドとヒルダを止める。


「何?」

「いえ。恐らくですが、宮殿の裏に上部へと続く通路か階段がある筈です。それをたどれば人工太陽の傍にまで行けるはずです」

「わかった。何から何までありがとう」

「礼には及びません。あ、武器を忘れずに携行してください」


 呼び止められ振り向くエゼルバルドとヒルダ。スイールから人工太陽へと続く順路を教えて貰う。

 スイールは経験上、地下遺跡には人工太陽の保守用の通路が完備されていると知っている。それを最後に教えただけ。


 それに対し、エゼルバルドは普段よりも丁寧に感謝の気持ちを言葉にしてスイールに伝えた。普段なら”わかった”とだけ口から出るだけ。彼も気づいているのだろう、スイールの命が長くは無いと。だから、普段以上の言葉をスイールに送ったのだ。


 ”何から何までありがとう”


 そう……。

 馬車から救い出してくれて……。

 今まで育ててくれて……。

 いろいろな世界を見せてくれて……。

 全てのスイールの行為に……。


 ”ありがとう”、と。


「じゃ、行ってくるよ」

「き、気を付けて」


 エゼルバルドとヒルダは手を振り、スイールが笑みを浮かべたのを見届けると人工太陽の暴走を止めるべく、大広間の出口へと向かって走り出した。




 遠ざかる二つの足音を耳にしてゆっくりと瞼を閉じる。

 今は、全てを終わりにした達成感と彼らの行く末を見ぬ事が出来ぬ悲壮感が心に同居していた。二人の人生に寄り添いたいとも思っていたが、実現できぬ夢であると諦めざるを得ない。

 だが、幸いにも寄り添うのは自分でなくとも、信じられる仲間がいるのだと思うのだった。


「ヴルフ、アイリーン。すまなかったね」

「どうした、お前らしくない」

「そうですか?」


 この期に及んで謝罪の言葉など口にしてどんな風の吹き回しか、とヴルフは首を傾げる。

 それはアイリーンも同じで、謝られて背筋がむずむずとしてきた。


「あの二人をよろしくお願いします」

「大丈夫だ。ワシらが見てなくても立派に歩んで、いや、もう立派に歩んでいるさ」

「そうだと良いのですがね」


 スイールは、人工太陽の暴走を止めに向かったエゼルバルドとヒルダの将来を逝く間際まで心配する。今までの人生で何人も送り出してきたが、それは自らが生き続けられる為に陰日向かげひなた関係なく見守れる安心感があった。

 だが、エゼルバルドとヒルダの未来にはスイールが座るべき場所が確保されていない。

 だから心配でしょうがないのだ。


「逝く間際まで親馬鹿して……。本当にどうしようもないな、お前さんは」

「そうですか?まぁ、そうしておきましょう」


 親馬鹿だとヴルフは鼻で笑って見せる。

 こんな蘊蓄好きの魔術師であっても親は親でしかなかったのだと。

 複雑な気持ちを抱き、ほほえましく感じてしまう。


「アイリーン、貴方にも謝らなくてはいけません」

「そうなの?」


 いきなり話題を振られてきょとんとするアイリーン。

 何を謝られるのか、心当たりがあり過ぎて少し挙動不審に陥る。


「今朝方、私に言いましたよね。隠し事してないかって」

「そう言えば、そんな事を口にしたかもしれないわね。忘れたわ」

「またまた……」


 それはすでに終わったことですっかり頭の中から消え去っていた。

 今さら?と思わぬでもない。


「今だから話しますが、ここで私が死ななくても、近い将来に私と言う人間は死んでいたでしょう」

「それって?」

「不老不死の話をしたと思います。私は魔法の実験中に不老になり、体は老いることはなくなりました。ですが、脳、つまりは記憶は徐々に劣化していたのです」

「どう言う事?」

「人の脳には記憶しておく量が決まっていて、私の脳はそれが限界に達してしまったのです。恐らくですが、間もなく私の脳は記憶が溢れ、崩壊が始まったと考えます」


 体は朽ちる事がないが記憶は劣化してゆく。

 スイールが体験した事だ。

 しかも、精神力も低下していたのだから、いずれ、魔法も使えなくなるだろうと予想していた。


「あの朱い魔石の寿命を奪った魂の消滅エンドオブエターナルも本来なら私自身が命を終わらせるために作り出した魔法なのです。さすがに首をくくって自殺ってのも格好悪いですしね」


 スイール最後の魔法、魂の消滅エンドオブエターナルは自らの寿命を終わらせるために作り出した。近いうちに無残な姿になる前に逝こうとしたのだ。

 その魔法がこんな場所で役に立つとは思わなかった、スイールの率直な思いだった。


「ですから、逝くのが少しだけ早まっただけ……。なのですよ」

「それ、もっと早く聞きたかったわ。本当にどうしようもない人ね。それだけはヴルフに同意だわ」

「それは申し訳なかった」


 秘密主義にも程がある。

 少しでも頼って欲しかった。思うもすでに遅し。

 だが、最後の最後で打ち明けてくれてうれしいかった、これだけは彼女の本心だ。


「今日は謝ってばかりね」

「そうですか?そうかもしれませんね」


 朱い魔石に奪われた幼少期や地下遺跡の旧時代はぽっかりと開いた穴の様に思い出せない。それでも、ヴルフやアイリーン、そして、エゼルバルドやヒルダと過ごした楽しく、幸せな記憶が走馬灯のように現れ、そして消えてゆく。

 それが何か楽しくて、スイールは自らの意思と関係なく、笑みを浮かべていた。




※寿命を司る情報。現代で言えばDNAの端にあるテロメアをゼロにする、そう考えてください。

※解決方法:トラブルシューティングです。

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