第三十六話 船上の異変

    ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




 アイリーンとヒルダが甲板で姦しくしていた頃より時は少し進む。


 帆柱マストの天辺や船首、船尾で望遠鏡を使った人海戦術での見張りが目を皿のようにして光らせる。誰もが海を愛し、自らの仕事に自信を持っている船員達がである。

 だが、この日は少し様子が違った。


 六日程とは言え全力で船を動かしていたのだから、疲れが溜まってしまったのは仕方がないだろう。

 帰港したばかりで碌な休みも無いまま再び出航を命じられてしまった船員達。幾ら仕事に不満は無いとは言え、体は休みを欲していたのだから仕方がない。油断こそしてはいなかったが、気を抜いてしまったのは事実である。だから、殺気が彼らの愛する船に向けられていても彼らは気づく事すら出来ないでいたのだから……。


「ふぁ~~。眠い……」


 穏やかな波の日は見張りがしやすいだけではないだろう。

 特に小型船を進ませるにはもってこいの日であることは疑いようもない。

 さらに、夜目を生かすためにランタンの光を絞っていたのが裏目に出てしまったとも言える。昼間のように煌々と光る明かりで水面を照らしていたら違った結果をもたらしていただろう……。


 ”ビュン!!”


 船尾、口を大きく開けて欠伸をした船員に向けて一本の矢が飛来したのは、見張りには好条件が揃い過ぎていたその時である。

 アイリーンが長弓ロングボウを使って矢を射ったとしても、射程距離は二百メートルが限度であろう。しかし、据え付け型の大型のクロスボウ、すなわち据置巨大弩バリスタを使用したならばどうであろうか?

 しかも、穏やかで波も風も無い好条件であったならば。


「ぐっ!!」


 的は動かず、矢は風に流されず。

 その条件であれば、目標を射抜く事はいつも以上に難易度が下がる。放たれた矢は目標に狙い違わず吸い込まれ、くぐもった声だけを出して物言わぬ骸を一つ作り上げることに成功する。こんなの朝飯前だと言いたそうに……。


 そして、骸にした見張りが倒れたと見れば、その方向からゆっくり複数の小型船が近付く。

 すぐにでも乗り込み、誰それ構わず皆殺しにしてしまおうと、殺気を内包して……。




 錨を下ろしその身を静かに休ませる船に近づく複数の小型船。

 それらからすれば、近づく船はまさに巨船とも言える大きさだ。それもそのはずで外洋を航海する為に三本も帆柱マストを備えているのだから当然だろう。今はその全ての帆柱マストに張られるセイルはすべて畳まれ動く気配も無い。


 その巨船にたった三人の見張りとは少ないと思われるだろうが、過密スケジュールでの航行を考慮して疲れているだろうと船長が決めたのだ。

 その数が少ない見張りの隙を突かれてしまったのは運が悪かったと言うしかない。

 近づいた河口に何の姿も見えなければ気を許してしまうのもわかるのだが……。


 船尾の見張りはすでに命を刈り取られ、物言わぬ骸と化している。そんな見張りの死角から近づけば誰が存在を知ることが出来ようか?

 小型船がゆっくりと近づき振動を与えぬ様に接舷する。多少の揺れなど誰にも気づかれる事も無い。

 それから、無数の鉤爪が次々と投げられ巨船へ上る足掛かりが作られて行く。

 そして、訓練された白装束達はその足掛かりのロープを上り、巨船へと入って行く。


 数人の見張りしかいない油断した巨船を占拠するなど簡単な事だろうと誰もが思ったに違いない。現に命を受けた者達の全てが巨船に上がってしまっているのだから。




 闇の中に浮かぶ白い衣装。

 月明りが無くとも僅かな光をその白が吸収して浮かび上がらせ目立つこと間違いない。

 暗闇に紛れるのであれば、色を写さぬ黒や紺を身に纏うべきであった……。

 その白い衣装に足元を掬われるとは彼らの誰が思い描く事が出来たであろう。


 白装束達は幾つかに分かれて船を占拠しようと走り始める。

 まずは唯一起きている見張りを始末しに。

 一人を骸にして残る二人はあっという間に始末されてしまう。


 船を占拠するにはすべての船員を始末する必要は無い。

 人をその場から移動できなくすれば良いのだから。

 船員が寝泊まりするベッドはどの時代、どの地域でも変わる事無い。

 つまりは船倉に近い場所、船底、しかも喫水線よりも下に位置するのは変わりない。その入り口を外部から閉じてしまえば良いのだ。

 白装束達は船員の大部分を閉じ込める事に成功する。


 これで後は船橋や上構の少数のみ。

 だが、そこを最後に残してしまった白装束達は偵察を怠った報いを受ける事になる。


「うっさーーい!寝られんでしょうがぁ!」

「何時だと思ってるのよーー!」


 上甲板より一段下がった客室の階層。

 小さな部屋が並んでる場所を白装束達が走り回っていた。当然、足音を立てぬようにと細心の注意を払って。

 だが、殺気をほとばしらせる彼らは足音を消す訓練は受けていても、気配を消すまでの訓練は受けずにいた。だから、船全体を見知らぬ者達が殺気を出して走っていれば、戦いの中に身を投じていた手練れの者は否が応でも目を覚ましてしまう。


 それは客室の小さなドアを開けて出てきたのは寝間着姿に抜身のショートソードをギラリと光らせているヒルダと、同じく寝間着姿に外套を羽織り長弓ロングボウを掴み矢筒を腰にぶら下げるアイリーンであった。


 ”ガツン!”

 ”ビュンッ!”


 思わぬ伏兵に度肝を抜かれたのか、刹那の間だけ身を硬直された白装束がヒルダに、そしてもうアイリーンの手によって二人が瞬時に物言わぬ骸と化した。


「安眠妨害をして許せると思っているの!」

「ふふふ……。ウチらの安眠を妨害したむくい受けるべき……。って、誰これ?」

「ん?……あっ!」


 ちびりちびりとお酒を飲んでうとうとと良い気持ちになり船を漕いでいたヒルダとアイリーン。突如現れた船を包む殺気を全身に浴び、不機嫌で目を覚ました。

 言うなれば、叩き起こされ寝起きが悪い状態である。


 真夜中に叩き起こされ不機嫌な彼女達の目の前に殺気を向ける見知らぬ者達が現れればどうなるかは自明であろう。

 目で捉えるより、脳で何かを考えるより、全身を走る神経が素早く体を動かし敵を排除に動く。その後で脳が状況を把握に走るのであるが……。


 この日は反射で動いた後の状況把握で、二人は思わぬものを見てしまったのである。

 弱々しく明かりを放つ廊下のランタンで照らし出された、自らの流した鮮血で赤く染まった白装束達を。


「何よこいつら!こんな所まで来たの?」


 二人が倒したのはクリクレア島で赤竜と戦った後に現れた敵と同じ服装を着た白装束達だった。彼女達には卑怯な方法を取る下衆な奴らとしか印象になかったりする敵。

 彼らの服装は馬車の中で散々観察していたので間違える筈がなかったから、”こんな所”、停泊中の船内まで何故現れるのかと憤慨したのだ。


「うっさいわい。……何をしておるんだ、か?」


 壁のランタンを手にして倒した白装束達に視線を向けていたヒルダとアイリーンの声に気付いたヴルフがドアを半分だけ開けて顔を出してきた。

 耳に残る声の主に”何時だ”と文句の一つも言おうとした。一瞬だけ目に写った光景では二人が誰かを押し倒して、欲求不満を晴らそうとしているのかとよこしな考えを脳裏に浮かべてしまった。

 しかし、暗い廊下に目を凝らして見れば押し倒しているのが白装束達とわかれば、初めの疑問を別の疑問で上書きして声に出さざるを得なかった。

 見覚えのある白装束が横たわってるとわかった途端、船で起こりつつある事象の原因だとがっくりと肩を落とした。


「部屋にいないと思ったら……。酔ってるね、ヒルダ?あれ、ヴルフの声も聞こえたんだけど」


 さらにもう一人。部屋でぐっすりと寝て目を覚まさぬと思っていたヒルダの愛しの人、エゼルバルドもその場に姿を現した。ヴルフと違い、船で起こりつつあった事柄に対処出来るようにと準備万端、整えてきていた。しかも、彼の持ち物と異なる武器も掴んで。


「そこまで飲んでないわよ~。アイリーンに誘われてちょっと口に入れただけよ~。そうしたら起こされたのよ!

「失礼しちゃうわよね。ウチらがいるのに騒がないでほしいわよ」

「いや、酔ってるだろう。二人して……」


 ほろ酔い気分になってテーブルに突っ伏して気持ち良く寝れそうだと一瞬、気を持っていかれたと同時に五月蠅くされて起こされたのだから気分がに悪いと、ヒルダもアイリーンもぷりぷりと怒っている。ただ、ほろ酔い気分だけにその自覚が無いのが玉に瑕であろう。


「そうそう、ヴルフもいるわよ」


 そして、アイリーンが顎で示す方に目をやれば、暗い廊下に一つのシルエットが浮かび上がる。部屋からがっくりと肩を落としながら出て来たヴルフだ。


「大したことが無いと思ってたが、船員は疲れてて対処できてないようじゃな。この位なら撃退出来ると思ったんだがなぁ……」


 暗がりから出てきたヴルフは頭を”やれやれ面倒だなぁ”と頭を掻いている。

 駄々洩れの殺気に対処できるだろうと高を括っていただけに、当てが外れたとがっくりとしているのが誰の目からもわかる。さらに、安眠を阻害されてイライラした黒い霧が全身から漏れ出ているのだ。


 安眠を妨害されたのはエゼルバルドも同じだ。

 上陸を明日に控え、準備万端でベッドで寝息を立てていたのだから。

 駄々洩れの殺気にわざわざ出て行くほどでもないだろうと彼も考えていたのだから。


「まぁいいや。さっさと安眠妨害してきたやつらを排除して寝るか……。ヒルダ、はいっ!」

「あっ、はい!ありがと……う?」


 内心に怒りを孕ませるエゼルバルド、暗がりでわかりにくいが彼の顔からは笑みが消えて冷めた目つきだけが白く浮かび上がっている。エゼルバルドが怒りで手が付けられない、そんな心境に近いと誰もが認識し、行動を止められないだろうと誰もが溜息を吐くしかなかった、これから起こりえるだろう身も知らぬ白装束達に起こる惨劇を思い描きながら。


 そんなエゼルバルドの行動がわかってしまったヒルダは思わず視線を逸らせようとしたが、呼び止められヒョイと何かを投げ渡された。

 掴み取ったのは部屋に置いてあった彼女の装備、軽棍ライトメイスと汚れたボロ布だった。


「えっと……?」

「アイリーンの獲物を使って暴れるつもりか?」

「あれ……?」


 ほろ酔い気分と言いながらも船の揺れもほとんどなく、足取りもしっかりとしているのだからアイリーンと二人して暴れまわる事は見え見えだった。ショートソードを予備の武器としているが、愛用の武器ライトメイスならば気を遣わずに暴れまわれるだろうとエゼルバルドの配慮だった。

 それはともかくとして、軽棍ライトメイスに巻き付けられて一緒に渡されたボロ布。ほどいて見ても見た事のある極々普通のボロ布。はて?何に使っていたのかと首を傾げてしまった。

 いつもだったらそんな事は無いのだろうが、今はアルコールが脳に回っていて”白装束達を排除してぐっすり眠る”、それ以外は頭に無かったのだから……。


「汚れたまま返すのもどうかなと思ったんだけどね」

「あっ!」


 左手で受け取った愛用の軽棍ライトメイス

 右手に握ったアイリーンのショートソード。

 親指と人差し指を器用に使いボロ布を解いて、何となく目の高さに持ち上げる……。

 だが、頭の回らぬ今は何に使うのか考えが及ばないでいた。


 そこに、エゼルバルドに一言がヒルダの耳に届いた途端、思わず声を上げてしまった。

 右手に掴んでいるショートソードに”ツツツ……”と視線を動かして行けば、うっすらと赤い血で汚れた刀身に目を奪われ……。

 ようやくボロ布が何に使えば良いのか、気づくのであった。


 ボロ布を左手の指で摘まんでショートソードを軽く掃除し腰の鞘に納めてからアイリーンへと返した。”ゴメン、後でちゃんと整備する”と言葉を添えて。


「ヒルダはアイリーンと一緒に適当に敵を排除。オレはその他全部、排除する!」

「ワシはどうすれば良い?」

「う~ん……。スイールの護衛?」

「ムッ!それではワシのストレス発散はどうすれば良いのだ?」


 エゼルバルドは”ストレスの発散は後回し!”と自分の事を棚に上げつつ、あきれ顔を見せながらこれ以上構ってられないと踵を返して暗闇に一直線に駆け出して行った。


「そんな訳で、スイールの事よろしくね~」

「よろしく~!」


 ヒルダとアイリーンもエゼルバルドを見習い、シュタッと片手を上げて挨拶をするとこの場を任せて殺意を放つ敵をさがしに船内へと消えていった。


「全く……。老人扱いしおって!後で説教だな」


 辛辣な言葉を口にするヴルフだったが、その表情は口角を上げて何処か嬉しそうにしていた。船内に散らばった三人の気配を追い掛ければ無事、真っ黒い殺気を放つ敵を一つ一つ排除し始めているのだから笑みを浮かべぬ理由も無いだろう。


「さて。ワシはあいつでも起こすとするか……。いや、それも必要ないかもしれんな」


 ぶつくさと呟きを口にしたかと思うと、スイールにあてがわれた部屋の前にドッカと腰を下ろすのであった。



※船に現れた白装束たち。

 彼らは売ってはいけない人たちに喧嘩を売ったのです。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る