第三十五話 ここは船上。惰眠をむさぼる準備をしよう
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「まさか、船を出してくれるなんて思ってもみなかったよ」
「そうね~。スイールなんて泣いて感謝してたもんね」
「その”泣いて”ってのはちょっと違うのですけどね」
「ですが、こちらとしては感謝してもしきれませんが……」
スイール達が会話をしているのはクリクレア島の北の大海原を進む船の上。
クリンカの港を出発してすでに二日が経過しようとしている。
右手には雄大なクリクレア島の火山の頂上がスイール達に顔を向けている。
この船の船長に、スイール、エゼルバルド、そして、ヒルダが火山や通っている海域の特徴など、先程まで説明を受けていた。
真面目な顔をして説明を聞いていたスイールの顔を見ながら、笑みを向けて茶化すヒルダなどは別の意味で楽しんでいるようだ。
ちなみに、ヴルフとアイリーンはと言えば後部甲板にてビーチベッドに寝そべり優雅に日光浴を楽しんでいる。暇潰しとの意味合いが非常に強いのであるが……。
火山の洞窟を出て白装束の男達と戦った後、レッドレイスを無事に解放出来た事で彼を崇める長老達に何かお礼がしたいと話になり、そのお礼がこの船を出してくれることになったのだ。
スイール達がお礼などしなくても良いと断ろうとしていたのだが、その場に居合わせたレッドレイスの鶴の一声が後押しになったのは言うまでもないだろう。彼の身を洗脳し操ろうとした敵を早めに討伐して欲しい、そんな意味を含めていたのも歪めないのも確かだが。
「それにしても長老には骨を折っていただき感謝しきれませんよ」
「はっはっは!長老自らが先頭に立って準備をしておりましたから、余程嬉しかったのでしょう。ですが、一番は貴方達が無事に目的を果たして帰って来る事ですよ」
慌ただしく出港した後で船長から耳にしたところによれば、彼の口から出て来た通り長老自らが陣頭指揮を執って準備にあたっていた。
スイール達よりも早く馬車を走らせ、到着した次の日までのわずか一日で準備を整えてしまったのだから頭が下がると言うもの。
クリンカの港を出港して帰港するまでの物資を準備するだけでも大変だろうし、船員の予定を組むのも生半可な事では無かっただろう。この船上で働く船員の顔を見ていれば無理難題を押し付けられていないことだけは確かであり、それだけはホッとしてる。
「長老はどんな魔法を使ったのでしょうかね?」
「恐らくは……おっと、これは口にしてはいけませんね。長老に怒られてしまう」
長老からどのように説明を受けたのかいまだに脳裏に残っているのだろうが、それを改めて口にすることは無かった。笑みを浮かべている事だけは事実である。
「ねぇねぇ、スイール」
「ん?どうしたエゼル」
船長が笑みを浮かべ会話がひと段落ついたとみたエゼルバルドはその中に割って入った。
「あの白装束達はどうなったの?」
「あ、わたしも気になる~!」
あわただしく出航したために捕まえた白装束の男達の処遇がどうなったのか、二日も経ったこのタイミングで思い出してしまった。ヒルダもそれには同意で気になっていたのだ。
最終的な処遇は、彼らの崇める竜に敵対する者として首を刎ねられる運命にあるとだけはわかっている。
白装束達の心を折り逃げようと思わせぬまでにした張本人、エゼルバルドだからこそ気になったとも言えるのかもしれない。
「ああ、あれですか……。今頃はどこかの牢に入れられて心を折られている事でしょうね」
「??」
心を折った、牢に入れられた、そこまではエゼルバルドも理解できる。心を折った張本人なのだから。
だからこそ、さらに”心を折られている”とは彼にも理解の及ぶところではなかった。
「
そう答えたのはスイールではなく同席しているこの船の船長だった。
赤竜の住まう洞窟からの帰路の馬車内でできる限りの尋問をしたのだが、必要最低限の事すら聞き出せていなかった。
何処から来たかはレッドレイスが示した場所とわかっているのだが、何時、どのような手段でクリクレア島に来たのか、目的は何なのか、同志の人数などすべてに口を閉ざしていた。
しかも、隙あらば自らの舌を噛んだり、首を折ろうとしたりと必要以上に手間がかかった。
だからこそ、易々と死を与えるよりもだらだらと生を与え続ける、そう結論付けたのだ。
「まぁ、彼らから何も得る事が出来ませんでしたが、逆に考えれば口を閉ざしたことで私達が得た情報が正しいと証明されたことになります。感謝しかありませんね」
「そっか……。レッドレイスが教えてくれた情報が、何一つ否定されなかったんだからそうなるか」
レッドレイスが口にした敵の居場所、そして、無数に存在する白装束の男達。その二つが否定されなかったことが一番大きいだろう。
ただ、レッドレイスの脳に流れ込んできた彼らの目的だけは曖昧な表現が多すぎて断定出来なかったことが痛い。
「どうせ、ヤツの事ですから良からぬ事を計画している、それだけはわかりますよ」
不敵な笑みを浮かべるスイール。
だが、今回だけは彼の笑顔の下に得体の知れぬ表情を隠している。血の繋がりがないとは言え、彼に育てられたエゼルバルドだけが伺い知ることが出来たのである。
”
何度かスイールの口から漏れ聞いた彼自身、人生を賭してでもこの世から消し去りたい存在。血の繋がりのある者が生み出した歴史上稀にみる失態。
「それはともかく、風が冷たくなってきましたね。船室に籠るとしましょうか」
八月の最終日と言うのに、日が傾きだすと北方の海域でも肌に突き刺さるような風が吹き抜け、羽織った外套が風でたなびき誰もが体を露にされ体温を奪い去られて行く。
ベテラン船乗り筆頭の船長もそれには抗えずにいる。
スイール達は背を丸くしながら、ヴルフ達もこの寒さに抗えずに船室に戻ったのだろうかと思いながら、その場を後にするのだった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
スイール達が乗った船がクリンカの港を出発してすでに十一日。西の水平線に太陽が沈み込む頃、目的地の近海に到着した。
すでに暗くなっている中を望遠鏡で覗いてみるのだが、河口が見えるだけでそれ以外は望むことが出来なかった。
当然、上陸しようとしても安全が確保できずこのまま船内で一晩様子を見る事になったのだが……。
「錨を下ろしているとはいえ、不気味に思えますね」
「不気味なほど波が穏やかだからな。しかも、あの先に何が有るのかわからんからな。不気味という言葉がぴったりだわい」
船は河口から少し離れた沖合で錨を下ろし、長い旅の疲れを癒そうとしている。
ヴルフが口にした通り、不気味な程に波がない穏やかな海は休むには最適だろう。しかし、望遠鏡で覗いた上陸予定地にはうっそうとした木々が生い茂り、彼らを拒んでいる様でもある。
波が予想以上に穏やかで、人を拒む木々が生い茂る、二つ不気味さが皆の心に暗雲をもたらしていたのも事実だ。
今は、それを払拭して明日に備える、それが皆に課せられた使命である。
太陽が水平線の下に隠れ、月も見えぬほどに真っ暗な夜が訪れる。
見張りの船員以外は船室に籠り目を瞑り始める時間だ。
だが、不気味さを感じてしまうと、すぐに払拭できぬのが人の心である。特に、穏やかとは言え揺れる船室に籠っていれば、だ。
その不気味さを払拭するにはどんな方法が考えられるだろうか?
一つは何も考えず目を瞑り、夢に身を委ねてしまう事であろう。
何も考えず、何も思わず、ただひたすら目を瞑り頭を休める。それで夢の世界へ旅立つには十分である。
もう一つは眠れぬのであれば起きて気を紛らわす事であろう。
姦しい間柄であればうす暗い天井に視線を向けながら口を動かせばよいだろう。それでも駄目なら思い切って船室から出て、思い切って夜風に体を当てて冷ますのも良いだろう。
眠れぬ二人はそっと寝室を抜け出し、甲板からゆっくりと揺れる波へと視線を落としていった。
「ねぇ、ヒルダ……。眠れそう?」
「わたしはもうちょっとで眠れそうだったんだけどね~」
眠れぬアイリーンは隣室のヒルダを誘い夜風にあたっている。
エゼルバルドとヒルダ、二人の寝室を悪いながらもチラッと覗いた瞬間、欠伸をしたヒルダと視線を合わせてしまった為に誘ってしまったのだ。
ヒルダの隣でスースーと寝息を立てていたエゼルバルドには申し訳ないと思いながらも。
「夜はさすがに冷えるわねぇ……」
「標高の高いブールの街よりも寒いのは当然よ。周りが全部、海なんですもの~」
「そりゃ寒い訳よね~」
カラカラと寒い中でも笑みを浮かべるアイリーン。外套を羽織り手で合わせ目をしっかりと押さえているにもかかわらず、寒さが身に染みてきている。ブルブルと足を震わせているのがちょっと可愛らしいとヒルダは思ってしまう。
そんなヒルダも体を冷やさぬうちにさっさとベッドに戻りたいと思っているのも確かだ。
「それにしても、ロマンチックね~」
「えっ?アイリーンからそんな言葉を聞くとは思わなかったわ」
「失礼しちゃうわね。ウチだって、あんたと同じ人妻なのよ!」
「人妻ってのも、アイリーンの口からきくと卑猥よね」
「卑猥って……何よ、それ?」
姦しい女性二人の言葉には多少
そんなことを口にしながらもアイリーンが”ロマンチック”と口にした意味もヒルダはわかっていた。
船上で灯されている幾つものランタンから漏れるオレンジ色の光。穏やかな水面に反射して幻想的に見えるのだから。もし、霧が船を覆っていたならば、もっと幻想的であると二人は思ったに違いないだろう。
だが、この日は霧が出ることも無く、真っ暗な闇夜にうっすらと浮かび上がるオレンジ色の光に目を奪われて満足するのであった……。
……が。
「ヒルダ、そろそろ戻りましょうか?」
「うん。ちょっと寒くなっちゃったかな?暖かい飲み物が欲しくなるわね~」
「そうね。でも今日は希望を叶えそうにないわね~。でも、これならね」
体の前で合わせた外套がはだけるのも気にせず、アイリーンとヒルダの姦しい二人は口をしっかりと閉じて船室へ足を向けた。
暖かい飲み物を欲しているが、厨房も締まっているので残念だと肩を落とした。しかし、ちびちびとたしなむ程度のお酒は部屋に用意してあると、ヒルダに目くばせをしていた。
「そう言えばさ、スイールって食事以外じゃ姿を見せないけど、何をしてるん?」
「さぁ?」
「”さぁ?”って……。あいつも可哀想に……。とうとう息子夫婦にも見捨てられたか」
船室の関係で五人の中で唯一、夫婦であるからとしてヒルダはエゼルバルドと二人部屋をあてがわれている。
別の三人、スイール、ヴルフ、そして、アイリーンは小さいながらも一つの部屋をあれがわれ部屋を出るにも籠るも自由だ。
アイリーンは航海中、ヴルフといつも通り”勝負!”と称して魚釣りや日光浴などで暇を潰していた。稀にエゼルバルドとヒルダが加わり、四人で勝負する事もあった。
だが、スイールだけは唯一、何を考えたのかすぐに部屋に籠り食事以外に顔を見せなくなってしまった。
ブールの屋敷でも籠っていた事もあり、その時の様に体が
「見捨てるって……。こっちに気付かないんだもん、仕方ないじゃない。それに広げたノートにびっしりと何か訳の分からない図や数式を書いているのよ、唸りながらね」
「唸りながらって……。あいつが頭を抱えるって、たまかよ」
「ちょっと失礼じゃない?」
アイリーンの言葉に頬をぷくっと膨らませて、”そんな事無いもん”と怒ってみせた。エゼルバルドとヒルダが気に掛けているだけでなく、ヴルフやアイリーン当然、気に掛けているのだから、彼女の言葉も本来は正確では無かった。
「失礼だった?ま、それだけ没頭するって事はこれから必要なんだろうね」
「そうよ。たまに失敗するけど、外した事の方が少ないわね」
二人もわかっている様に、スイールが集中しているのは何かを準備しているのであり、必要に迫られているのだ。アイリーンやヒルダにはピンとこないがそれで助けられたことが多々あるのだから、先見の明には頭が下がる。
「噂をすればスイールの部屋の前よ。まだやってるよ」
二人がこそこそと話をしていると、話題にしているスイールの部屋の前に差し掛かった。ドアの隙間から伸びるオレンジ色の光が廊下に伸びていた。
まだ終わらぬのだろうかと二人は心配の表情を浮かべる。
「明日には上陸するのに、大丈夫なのかしら?」
「それはわたし達も同じじゃない?」
「だわね。ウチの部屋でちょっと楽しんだら、すぐベッドね」
上陸を明日に控え、既に休んでいても良い時間だと眉を潜める。
だが、二人にも言える事でありそれ以上、スイールに対する言葉を噤むことにした。
その代わり早く眠れるようにと祈りながらアイリーンの部屋に二人で向かうのであった。
※場面は変りまして船上です。話が飛びすぎましたか?
最終局面まであと少し?
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