第四十九話 皇帝の最期

 一月一日。その日は年が明けて目出度い日であると、疑う者は誰もいないだろう。

 ディスポラ帝国でも当然、何もなければお祭り騒ぎとなる日だ。

 古い年から新しい年になり、誰もが未来に希望を見出す日なのだ。

 だがこの年、世界暦二三二九年はそんな目出度いなど微塵も感じられることなく新しい年を迎えてしまった。


 その一つはバスハーケンをぐるりと包囲する、敵対し目の上のタンコブで何代にもわたって争い続けてきた敵、トルニア、スフミ連合軍と攻め落とそうと軍を派遣していたルカンヌ共和国軍の姿だ。

 バスハーケンは大河沿いに建設されており、守りは堅い。十万の軍勢が押し寄せてきてもすぐに陥落する、そんなことは起ころうはずもない堅城だ。

 今も、大河の東側に全ての敵兵が存在し、西の城門は殆ど兵士を配置していなかった。多少の見張りと偵察の兵士がいるだけだ。


 二つ目はバスハーケン上空を覆う、鈍い銀色に染まった厚い雲であろう。

 一月一日は晴れの特異日として知られ、グレンゴリア大陸のどこへ行っても晴れている、そんな日なのである。

 だが、この日は晴れの特異日とは全く異なっていた。


 目出度い日であるが、その二つを目の前に見せられれば気持ちは萎えるのは当然と言えば当然であった。

 青い空を背景にして、目出度い日に演説をする。皇帝としての地位と力を誇示する絶好の機会であったのだが。


 ”ガシャーーン!”


 バスハーケンの城の高まった場所に皇帝の寝所と私室が設けられている。

 帝都の居城から比べれば一段ほど見劣りする内装と調度品。

 皇帝はその調度品の一つ、世界に二番目に座り心地が良いとされる椅子に腰を下ろし朝っぱらから飲んでいたワインの入ったグラスを壁に叩きつけた。


 白く磨かれた石の壁がワインで赤く染まった。皇帝の機嫌の悪さを象徴する赤。

 本来ならこれっぱかりの事で癇癪を起してしまっては為政者として失格なのだが、ここは皇帝の私室であり誰の目に触れる事もないのだが……。


「皇帝陛下、さすがにそれは目に余りますぞ」


 宰相職のリヒャルトがそうやっていさめる。自らが主と仰いだ皇帝が癇癪を起して市民の前に姿を現すことだけは何とか防ぎたい、彼が今、一番の懸案事項であった。

 街をぐるりと包囲する敵軍に空を覆いつくしている曇天模様を考えれば、機嫌が悪くなっても仕方がなかった。


 だからと言って、それを許せるほど皇帝の影響は少なくない。

 何とか機嫌を直してもらわなくてはならぬのだが、それは上手くいかなかった。


「宰相閣下へ報告いたします」


 そう、戦争の真っ最中であり、帝国内だけに気を配ればよい時期とは異なっているのである。敵軍の状況も考えねばならなかった。

 宰相への報告、下から上がってきた兵士が皇帝の私室の外で声を掛けてきた。

 皇帝の私室であるが、廊下と部屋を分けるドアの類は付いていない。そのために部屋の外から声を掛けても聞こえてしまう。


「どうした?何かあったか」

「はい、偵察部隊が緊急で出撃しました」

「偵察?」


 この時、エゼルバルドが魔力を集め始めてからすでに三十五分が過ぎていた。

 報告の兵士によれば、五十騎程が簡素な防具を身に着けて北へと向かっているのだと。


「何かあったのか?」


 リヒャルトは皇帝の私室に設けられた北側の窓に近寄ると、その部屋で皇帝が周囲を観察するために置かれている望遠鏡を目に当てて凝視する。

 約二キロ先で長く伸びた五十騎の騎馬兵が数少ない歩兵に向かって突撃している光景が見えた。


「何をやっているのか!」


 帝国制式の軽鎧を着込んだ騎馬兵が突撃しているが、殆どが返り討ちにあい落馬して戦闘不能に陥っている。間延びした騎馬兵団では集団で待ち受けている歩兵には勝ち難い。とはいえ、なんともふがいない状況に臍を噛むのであった。


「これは訓練のやり直しだな……」


 有利な状況を作り出さなくてはならぬのだがそれすら出来ぬとは帝国兵として恥ずかしい、そう思うほかない。現状はそれが最上の作戦であるのだが、現場からの報告が上がらぬ今はそう思っても仕方がないだろう。

 魔術師達が大騒ぎで早く仕留めろと告げていると報告を聞いていなければ……。


 そして、最後の一人が敵に打ち取られたその時である。


 味方の騎馬兵が向かっていた先の小高い丘から眩いばかりに光る球が空高く飛んで行ったのである。

 いったい何が起こっているのか?

 いや、起こったのか、見当がつかない。

 古代の書物を読み漁っていたとしても、書かれていない事は知る由もなかった。


 リヒャルトはこのまま引き下がるわけにはいかないと報告に来た兵士に指示を出した。


「あの偵察の騎馬隊が向かった丘に千ほど騎馬を向かわせろ。緊急だ!」

「はい、畏まりました」


 兵士は頭を下げて皇帝の私室の前から離れて行った。

 明らかに遅い援軍の指示。だが、その援軍は城門から出る事は無かった。


 兵士に指示を出してすぐの事、皇帝の私室にも届くほどの声が窓の外から入って来た、街からの声が。

 あからさまなその声にリヒャルトは不思議に思いながら、今度はベランダに出て街を見下ろす。

 そこには家々から出て上空を見上げる市民の姿が見られた。その数は一人二人、いや、十人二十人、そんな数ではない。バスハーケンに住むすべての人が見上げているのだと。


 リヒャルトは不思議に思いベランダで市民の視線の先、鈍い銀色に染まっているであろう雲へと視線を向けた……が。


「な、なんだあれは!!」


 鈍い銀色に染まっていたどんよりとした雲が赤い色で染まっていた。外周部に向かえば徐々に白いグラデーションを見せながら。

 それも束の間、色が付いた分厚い雲が一瞬で消え去ると真っ赤に燃え帯を引いた隕石が直上まで迫って見えた。落下の速度は尋常ではない。逃げ出すにはすでに遅かった。


 リヒャルトは皇帝の前に戻ると肩を落として残念な言葉を口にする。


「皇帝陛下。我らの命運、ここで尽き果てました。今まで夢を見させていただきありがとうございました」


 何が起こっているのか、それを告げない事がリヒャルトが思った最後のやさしさだった。

 どうしたのかと首を傾げる皇帝だが、リヒャルトの後ろの外の景色に目をやればそれがわかった。

 空をどんよりした雲に蓋をされて薄暗く白かった景色が、燃えるように真っ赤な色で染まっていた。尋常じゃない光景に戦慄を覚える。それから、リヒャルトに視線を向ければすでに諦めの極致にあるのか、片膝をついて目を瞑っていた。


 ”ドゴーーーン!!”


 足元が揺れ動くとともに轟音が響き渡った。

 天井を構成していた石が崩れ落ち目の前のリヒャルトの頭を直撃し鮮血と脳漿まき散らす。

 天井を見上げれば巨大なシャンデリアがすぐ目の前に迫っていた。


「か、神よーーーーーー!!」


 その声は天高くそびえ立つバスハーケンの城が崩れ落ちる音に掻き消され、誰の耳にも届くことはなかった……。




    ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




「まったく、酷い惨状を起こしてくれたもんだ」


 目の前の光景にカルロ将軍は思わず毒を吐いてしまう。


 あの隕石が目の前で都市一つを瓦礫の山に変えてしまったあの時から二日。

 ようやく舞い上がった埃や塵が静まり視界が確保できたと足を運んでみればその惨状に声すら出なかった。

 やっとの思いで息を絞り出してみれば、思わぬ毒となってしまった。


 バスハーケンの街を形作っていた長大で見上げるような城壁は内側から力を掛けられたらしく、全てが外側へと崩れ散っている。頑丈な岩を重ねていた外周部はもちろん、その内側を埋め尽くしていた砂や石も分け隔てなく綺麗に散っていた。


 そして、人の住まう石やレンガ造りの建物も分け隔てなく形を残していない。

 建物に押しつぶされ、体と分かたれた人の腕や足、人よりも重量がある軍馬など赤く染まりながらそこかしこに散らばっていた。

 さらに、高温で焼かれたような肉塊や球状になったガラスも散らばっている。


 二日も経っていれば当然ながら腐り始め悪臭を放ち始めており、誰もがマスクが必要だと思い始めていた。


 それから、瓦礫の山で悪くなった足元を見ながら中心へと歩いて行くが、ある所で誰もが足を止め固唾を飲み、動きを止めてしまった。


 バスハーケンの城が存在していた場所を中心にして半径五百メートル、深さ数十メートルにわたりむき出しの地面が現れた。

 そう、あの隕石の力によって作り出されたクレーターである。


「お前は何と言う事をしたんだ!これでは虐殺ではないか!」


 カルロ将軍が思わず声を荒げて、彼の後ろをゆっくりと付いてくる魔術師を睨む。

 悪魔の所業、それがぴったりと合うのだと。


「確かにやりすぎたかもしれません。ですが、私は皇帝に仇討ちの為に死んでもらおうと、そして、帝国を滅ぼすと心に決めていました。こればっかりはあなたに何を言われようとも変えるつもりもありません。当然、エゼルに言われても」


 カルロ将軍の言葉にそう返すと共に、傍を歩いているエゼルバルドへ視線を向ける。

 その視線を向けられたエゼルバルドも内心は揺れ動いていた。魔法が発動する直前に告白された魔法の威力、それが虐殺でにあたると。


 エゼルバルドはスイールに冷たい視線を向け続けていた。だが、ヴルフにスイールの心を受け止めてやれと言われどうすればいいのかと、まだ答えを出していないのである。

 だから、カルロ将軍の言葉を肯定も否定も出来ず、沈黙するしかなか出来なかった。


「だが、ファニーの仇は討てた……。それだけは感謝する」


 さらにエゼルバルドの後ろ、太刀を担いだミルカが感謝の言葉を述べる。

 だが、さすがにこれはやり過ぎであるとの考えは捨てられない。自らの祖国であるディスポラ帝国の兵士、住民の区別無くすべてを地上から消し去ってしまっているのだから。


 三者三様の思いはあるのだが、それでもカルロ将軍は頭が痛くなる問題を抱えた事は確かだと、溜息を吐くのであった。


「これだけ破壊された都市を戻すにはどうすればいいんだよ……」


 中心部は隕石で抉れて巨大なクレーターが出来、埋め戻すだけでもどれだけの人員と予算を掛ける必要があるか、試算出来ぬほどだ。それを考えた今、この場所を元に戻すことを諦め放置するしかない。

 これ以上手を付けない。それがカルロ将軍が下した現在の結論だった。


「それでこれからどうするんですか?」

「これからか……。皇帝が逃げ出したとも情報に入っていないし、主だった配下は全て死んだとみて間違いないな。そうすると、今の帝国は国として成立するかも怪しいな」


 エゼルバルドに尋ねられたカルロ将軍が溜息交じりに現状を語りだした。

 形あるものが隕石により壊れて放置せざるを得なくなった。

 それはまだいい。


 それよりもだ。

 ディスポラ帝国が動員した兵力、およそ十五万。

 バスハーケンで守備に就いていた兵力およそ二万。

 その街にいた市民、最低でも二十万。


 最低でも三十五万人以上がこの世から消えた。しかも、ディスポラ帝国軍の主力が皇帝と共にこの世から消え去ってしまった事で戦争の継続は不可能。

 さらに言えば、皇帝は即位したばかりで後継者が一人もいなかった。


 帝都ディスポラスには皇帝を支えていた貴族などがまだ存在するかもしれない。だが、皇帝の血を引くと言えば、ミルカ達が命を守っていたクリフのみ。

 クリフが何を言おうと、この時点で帝国を纏められる血筋となれば一人しかいない。


 もし、クリフが帝位に就かず貴族達の好きにさせてしまうというのであれば帝国全土が戦乱の世に戻ってしまう。虐げられていた人々がさらに血を流し、広大な土地が荒れ果てる未来が見えている。


 前皇帝の血を引いていると耳にしているカルロ将軍は仕方ないと口に出した。


「だとすると、あの少年を説得して帝位に就いてもらうしかない……。ミルカ殿、どうかな?」

「私としてはクリフの考えを尊重したいと思う。だが、一つ言えることは彼がどう結論を出しても、彼の力になって支えていきたいと考えている」

「そうか……」


 一か月もミルカと一緒にいた訳でもないが、彼の性格は誠実であるだろうとカルロ将軍は見極めていた。彼がクリフの補佐をしてくれるのであれば安心できる。

 このまま帝国が完全に崩壊し、不安定な地域が誕生することだけは何としても避けたい。


「では、私からお願いをする。我がトルニア王国はクリフ殿が帝位に就く事を歓迎する。そして、彼の纏める帝国と友好を結びたいと思う」


 戦争の現場にあっては国王と言えども指揮に口出しは出来ない。

 だが、他国との友好を結ぶかどうかは元首たる国王の意向が反映されねばならない。それを聞くまでもなくカルロ将軍が口にしたのであれば、越権行為とみなされても可笑しくない。


 カルロ将軍の自信満々な態度を見れば、国王を説き伏せられる自信があるのだろうとミルカは見ていた。

 それであれば、クリフの説得を試みてもいかもしれない、と。


「それでは、クリフを説得してみようと思う。だが、あまり期待しないでくれよ」

「ああ、それでいい。頼んだ」


 カルロ将軍とミルカは固く握手を交わしたのであった。




※皇帝がいなくなった世界はどうなってしまうのか?

 それはスイール達の知るところではありません。

 ただ、一つ言えることは、大規模な戦乱が無くなり、落ち着いた世が訪れるであろうと……。


 ちなみに、次の話で第11章は終わりになります。

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