第四十八話 空から降り注ぐ絶望

 鈍い銀色に染まる雲が空一面に、地平線の彼方まで広がっている。

 どこまで目を凝らしても晴れる気配のない重々しい空に人々は年明けの目出度さを感じられず、忌々しく思ってしまう。


 晴れの特異日である一月一日に曇るなど記憶にない程。新年は分厚く広がる曇天模様から始まってしまった。

 誰もが頭を抱えたくなるような空模様に、絶望を覚え始める。


 だが、それも今までの事。

 鈍い銀色に染まっていた分厚い雲が徐々に明るい色に染まり始める。

 しかもバスハーケンの城の直上を中心としながら。


 その中心が急激に赤く染まり始め、外周部へと徐々に広がって行く。赤い色から白い色にバスハーケンの街の直径と同じだけの同心円状のグラデーションが作られた。

 それは新年に起きた神の奇跡だと、空を見上げていた誰もが感じていただろう。

 今年こそは何かが起こる、そう感じられる現象を彼らは拝み始める。


 しかしながら、その赤と白のグラデーションが作られたと同時に、鈍い銀色から派手な色に染まった雲が瞬時に消え去り、目に突き刺さるような完璧な青に塗りつぶされた空が現れた。

 そして、誰もが疑っただろうその光景を。


 完璧な青に塗りつぶされた空を背景に、空気を真っ赤に燃やしながら帯を引く隕石が降ってきたのである。目測であるが、その大きさは直径にして二十五メートルとみられた。

 上空にあって、その大きさは小さく見えただろうが炎を纏う姿は百メートルにも二百メートルにも感じられただろう。


 曇天模様だったために隕石が落ちてくるなど誰も観測できないでいた。

 その為、隕石を見た瞬間にパニックになり逃げ惑う人々で溢れかえった。

 隕石が降り注ぐとなればどこへ逃げても無事でいられる保証は誰にもないだろう。たとえ、それがディスポラ帝国を統べる皇帝であっても。


 それでも生への願望を捨てることはせず、ある者は頑丈な建物へ、ある者は地下室へと逃げ込んでいった。それが無意味であるとも知らずに。

 そして、神に祈った。


 神よ、我々をお救い下さい、と。


 神が起こした奇跡から、神が与えた罰が現れたと人々は逃げ惑いながら感じた。

 そして、何が神の逆鱗に触れたのだろうか、と。

 誰も彼もが己の行いに懺悔を始める。


 そのように祈っても、降ってくる隕石の速度は衰える筈もなく運命のその時を迎える。


 空を見上げていた魔術師達が神の理不尽な行いに抗おうと次々に魔法を発動させてゆく。尖塔の真上には幾重にも張られた物理防御シールドの魔法が現れ、それで勢いを殺せると思った。


 いや、思いたかった。


 真っ赤な帯を引きながら降り注ぐ隕石にはそれは無駄な抵抗でしかなかった。

 魔術師達の願いを込めた物理防御シールドの魔法であっても隕石は容赦なく破壊してしまった。


 そしてついに、隕石がバスハーケンにそびえ立つ城の尖塔に接触する。


 誰もが耳を破壊されたような轟音が発生し始めた。

 バスハーケンの街で逃げ惑う人々だけでなく、街を包囲するトルニア、スフミ連合軍や援軍として現れたルカンヌ共和国軍の兵士達にもその轟音は届いていた。距離を取って離れていたにもかかわらずだ。


 隕石の直撃により尖塔が破壊されて行く。

 隕石の衝撃波がたった今まで尖塔を形作っていた瓦礫を巻き上げ天高くへ弾き飛ばす。


 それでも隕石は留まる事を知らず城の奥深くへと突き刺さる。

 尖塔を破壊した次は城の上層部、皇帝の仮の居室を破壊する。

 どれだけお金を掛けて集め、贅を尽くした装飾品の数々であっても隕石の衝撃波から逃れられる筈もない。


 瓦礫と共に上空へと舞い上げられ、そして隕石の高熱にさらされて燃え上がる。

 真っ赤な帯を引く隕石がキラキラと輝いて見えたかもしれない。


 最後に真っ赤に燃え上がる隕石は城の基部へと到達する。

 城の中央には皇帝の謁見の間があり、仮の玉座が置かれている。帝都ほどではないにしろ贅を尽くした皇帝にお似合いの玉座だった。


 だが、隕石はそんな物などお構いなしに自らの行く手を阻む物として破壊の限りを尽くす。

 基部に直撃した隕石は自らの重量と速度、そして、大気との摩擦で出来た熱をその場で放出する。それが衝撃波となり同心円状に広がってゆく。


 城を構成していたすべての物質、人に限らず内側から押し出し、周辺部に向かって飛び出ていった。人々も、馬も、全てが等しく飛んで行った。

 そして、衝撃波はバスハーケンの街全体に広がってゆく。


 その威力は計り知れず、燃え盛る隕石一つでまず城が破壊された。

 それから街を構成していた街の建物を。


 さらに、ぐるりと囲っていた城壁をも破壊した。

 内側から外へと崩れ始める城壁。

 十万もの敵に攻められてもびくともしないと設計された高い城壁が一瞬にして灰塵と化す様子は一言では言い表せないだろう。


 もし、皇帝がその光景を見ていたら、いったい何と口にしただろうか?

 それを聞くことは永遠に訪れる事は無いのだが。


 濛々と巻き上がる瓦礫と埃。それが完璧な青に塗りつぶされていた空を覆い隠した。

 そして、雨が降るがごとく、ポツポツと埃が、塵が、降り始める。それに加えて人の頭、いや、馬の大きさほどもある瓦礫も降り始める。


 そうなってはもはや生きているなど不可能であろう。


 頑丈だった建物に避難した者達、地下室だった場所に避難した者達。

 そして、建物の中にいて隕石が降り注ぐと知らなかった者達。

 みんな、等しく死んでしまったのだ。




    ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




「あんのやろ~が~!!」


 カルロ将軍は、思わず自らの地位にあるまじき声を上げていた。

 バスハーケンの上空の鈍い銀色に染まった曇天が赤く染まったかと思えば、雲が一瞬で消え去って隕石が降ってきたのである。


 そして、”ちょっと帝国を滅ぼしてくる”と気楽に出て行ったスイールの言葉を思い出して苦々しく思ったのだった


「何が、”ちょっと”だ。あんな隠し玉を持っていたとはな」


 カルロ将軍は直ちに全軍に指示を飛ばした。

 各自、地に伏せて己の身を守れ、と。


 スイールが出掛けに、補給物資を後方に作った空堀に隠して置くようにと告げられたため、それは行っていた。ヴルフからは、”あの魔術師が何の根拠もなく口にするはずもない”と全面的に信頼を寄せてたために、それだけは実施させていた。


 その言葉がまさか、目の前の光景を想像させるなど誰にも思わないだろう。

 半信半疑で行った行動が本当に役に立つなど。


 真っ赤に燃えた隕石はバスハーケンの城を直撃した。

 高台に作られたトルニア、スフミ連合軍の本陣から破壊される様子がよく見えていた。

 それから数秒後、彼らの耳に城が破壊される音が届き始める。


 そのままバスハーケンを見ていれば、阿鼻叫喚の地獄がそこに存在しているのではないかと思えてくるほどだった。しかし、外敵を寄せ付けぬ高い城壁が内側から破壊される光景を見れば地獄を見る前に、一足飛びに天へと召されていった、誰もがそう感じていた。


 それからしばらくして、バスハーケンに降り注いだ隕石が発生させた衝撃波が彼らの下に届いた。

 衝撃波はバスハーケンを廃墟にしたために、ある程度は威力を弱めていたが立っていられぬ程の暴風はまだ内包していた。

 カルロ将軍達も地に伏せて暴風をやり過ごすのであるが、陣を構成していた木柵や部隊目印の旗は抑えられるはずもなく、いずこかへ飛び去ってしまった。







「ったく。参った参った」


 暴風となった衝撃波が去り、身の安全が訪れたと感じると、即座に全軍に被害状況の調査にあたらせた。

 伏せていれば、まず問題ない暴風だったが指示に従わず飛ばされた兵士もいる筈であると。


 それもあるが、カルロ将軍が目を疑ったのは一瞬前まで天高くそびえ、外からの攻撃にびくともしないと手をこまねいていたバスハーケンの姿だ。

 青く塗られていた空まで埃と塵が立ち上り街の完全な姿は見えない。

 だが、うっすらとだが瓦礫の山となっている事だけはわかった。


「こりゃぁ……。戦争じゃねぇな……」


 騒がしく誰の耳にも届かなかっただろう。

 カルロ将軍のその一言は。




    ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




 暴風となった衝撃波が過ぎ去り、枯れた草むらで上体を起こした。

 口元からは血が流れ出て頬を伝っていた。


 何とか死なずに済んだと思ったが、息をするたびに口から血を吐き出していた。


(内臓をやられたか)


 ヴルフと言えども生身の肉体しか持たぬ。あれだけの衝撃を受けてまだ生きていることが不思議でならなかった。

 人生の最後にあの光景を見せるために神が生かしてくれたのかと考えたが、彼が自らの胸を触ればその理由がわかったのだ。


(鎧に助けられたか……)


 ヴルフの鎧はヒュドラの革を使った特別製の鎧。成長しきった三つ首のヒュドラの素材をふんだんに使用した。


 胸元の鎧は強烈な一撃を受けてボロボロになっていた。

 表面に当てられたヒュドラの革は剥がれ落ち、下地一枚しか残っていない。


(ふ、さすがいい仕事をしてくれたもんだ)


 笑みをこぼすと同時に口元から血があふれ出てくる。

 ”このままだと死ぬな”そう思いながら再び草むらへと倒れ、そして、気を失っていった。







「……ルフ、ヴルフ。しっかりして!」


 誰からがヴルフを呼んでいる、聞き覚えのある声で。

 胸元が温かくなる。

 そして、幻聴も聞こえ始めた。

 ここは天国なのか?そう思えても仕方がないだろう。


「……ワ、ワシは死んだ……のか?」

「馬鹿なこと言ってないで!」


 胸元の温かさがさらに強くなる。

 これはいつか感じた魔法の温かさ、そう思うとゆっくりと瞼を開け始めた。


「え、エゼルか。終わったのか?」

「何とかね。ヴルフが一番酷い怪我だったんだ。オレも魔力が無いから最小の回復しかできないけどね。でも、とりあえず大丈夫な筈だよ」


 ヴルフに声を掛けていたのは、彼の胸に手を当てて回復魔法ヒーリングを掛けていたエゼルバルドである。

 減っていた魔力を限界まで使い、ヴルフの治療に当てていた。


 もう少し遅くなっていたら手遅れになっていただろうがぎりぎりで間に合った。


「と、ところであいつはどうした?」

「スイールならすべての魔力を放出して気を失ってるよ。あの分だと明日も寝てるかもしれないね」


 小高い丘の上で隕石落としメテオ=ストライクを放ったスイールは魔力をすべて出し切って結果を見定める前に気絶してしまった。それがわかっていたのか、エゼルバルドをずっと傍らに置いて、戦いに参加させないでいた。


「そうか……。あと、一緒に来た兵士達は、敵はどうなった」

「魔術師は無事だけど、半分近くが命を落としたよ。怪我をしてない人はいないけど、一番の重傷はヴルフだから・・・・・・。自分を一番大切に思ってよね」

「ああ、そうするわい」


 あれだけの衝撃を受けて生きているのが不思議であると再び考える。

 とりあえず、生き延びたのだから、治す事だけを考えようと。


「それにしても凄かったな。あれはスイールがやったのか?」

「そう、スイールがやった……。あれは戦争じゃない、虐殺だよ」

「確かに……そうだな。ワシからは優しい言葉の一つもかけてやれん。すまんな」


 エゼルバルドが魔力枯渇限界まで回復魔法ヒーリングを掛けたのだがそれだけですべての怪我を治せるはずもない。それだけの大怪我だったヴルフは痛みに顔をゆがめながらもエゼルバルドへ声を掛け続けた。


「だが、スイールを許してやってくれないか?あれも何かを抱えていたんだろう」

「許せるかどうかはわからない。でも、抱えていた心の内の一端は聞かせてくれたよ」

「そうか。お前がどうするかはお前が決める事だ。ワシが口出すこともできんしな」


 ヴルフの考えは、他人がどうこう言っても自分の心で納得の出来る答えを出せるかどうかだった。他人が許せなくても、自らの信念で許せるならそれでいい。その逆も然り、だろう。


「でも、ヴルフだったら許せる?」

「ワシか?許すも何も、ただ受け止めるそれだけじゃな」

「受け止める……か」


 答えは既に決まっていた。それを告げることも簡単だ。

 だが、その前にヴルフだったらどんな答えを出してくるか、そこに関心があった。

 エゼルバルドの倍以上も生きて、死地で戦友のために武器を振るっていたこともあるヴルフだったらどんな答えを出してくるのかと。


 そのヴルフの答えは予想とは異なり、許すとも許さないとも違う第三の答えだった。


 おそらく、ヴルフもあれだけの光景に眉をひそめただろう。直前までそびえ立っていた敵の城が跡かたもなく瓦礫の山と姿を変えていたのだ。その事は許せないだろう。

 だが、スイールの考え、そして、行動に彼が責任を取る、その気持ちで魔法を使ったのであれば、彼の気持ちを受け止める必要があるのだと。


 その役目をヴルフが行うことは容易い。

 しかし、スイールが望んでいるかと言えばそうはならないだろう。

 彼が望んでいるのは血の繋がりが無いがたった一人、この世に存在する義理の息子エゼルバルドからの言葉だろうと。


「……そうか。虐殺になってしまったとオレに謝ったと思ったけど違ったのか。あれはこれから死を迎える、あの街にいたすべてに向けてだったんだ……」

「スイールは謝っていたのか?なら、エゼルの言う通りかもしれんな……」


 ヴルフはそこまで話をすると、疲れ果ててしまったのか眼を瞑り眠りについてしまった。




    ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




※ちょっと重い話となりました。

 隕石が降ってくる表現……。難しいです。

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