第七話 神に操られし、新生ディスポラ帝国皇帝

 太陽も、月も、星も、そして、燃え盛る炎の光さえ見えぬ暗黒の世界に、彼はただ一人その場に存在していた。

 風も、熱も、すべての生けとしものの存在すら感じられぬ空間でただ一人とあれば心が壊れるだろう。だが、このな空間でも、平常心でいられるのは彼の精神が何者よりも強いと言わざるを得ないだろう。


 そのな空間を何処までも落ち続ける感覚のまま、頭の中に直接語り掛けられた。


『さて皇帝の玉座、その座り心地はどうかな?』


 何者とも取れぬその声を聞けば震えるばかりであろう。だが、彼はその声の主とすでに何十回と会話をしており、今更驚く事も無いといつも通りに答えを返す。


よ、貴方の助言により玉座を奪い取れた事には感謝している。ただ、座り心地は良いとは言えん。何をするにももう少し分かり易いと有難いがな」


 神と呼ばれた声の主は楽しそうな笑い声を漏らした。


『判別が付き難かったか?』

「はい。神の御言葉にしてはわかり難いかと……」


 彼の言葉が途切れると、暫くの間、静寂な空間へと変わった。

 その後、神は再び言葉を発した。


『わかった、お前が楽に判別出来る様、なるべく言葉を選ぶとしよう』

「有り難き幸せ」


 何処にいるかもわからぬ神に向かってうやうやしく頭を下げる。


「貴方の申す通りに事は進んでおります」

『そうか、それは良かった。助言をした甲斐があったな』

「はい、今はお言葉通り、末子の捜索にあたらせています」


 皇帝を排し、政権を奪取した今、皇帝の血を受け継ぐ者共をこの地より抹殺していった。皇帝の生みの親は当然のことながら、兄弟や従妹、子供に至るまで全てだ。

 慈悲も無い所業とは正にこの事だと、帝国民からも噂され始めているがそんな事を構うことなく神の言葉を忠実に実施していた。


『我に従えばお前の地位も安泰であろう。これからも良く尽くせよ』

「有り難きお言葉」


 彼は再び恭しく頭を下げて行った。


『一つ、お前には残念な話をしなければならぬ』

「残念と申しますと?」

『お前が進めている皇帝の血を受け継ぐ者の抹殺だが、いまだに一人残っている……とな』

「なっ!!」


 彼の足元に広がる帝国の内からは全て抹殺した筈だと彼は唇を噛んだ。いったい何処に隠れているのかと考えをめぐらすと、とある一人の居場所が思い出されていた。

 彼の足元、帝国領内にはおらず遥か東の国へ出奔した子供が一人いた筈だと。


「しかし神よ、それは遠くにいるのですから脅威にはならないはずでは?」

『そうでも無いぞ』

「そ、そうなのですか?」


 神と問答をするのだが、返ってきた言葉は耳に入れたくない答えを孕んでいた。

 まさかの言葉が口から自然と漏れ出てしまう。

 そして、神からは予想だにせぬ言葉を聞かされる。


『奴はこちらに向かっておる。しかも、強力な味方を傍に置いて……な』

「こちらにですか……」


 寝た子を起こすなと神から散々言われていた筈なのだが、それを破り彼が藪をつついて蛇を出してしまった。

 しかも、神からは送り出すなら信頼出来る程の実力者を送れとさんざん言われていたにもかかわらず、成人もしていない子供と昔に名をはせた足腰が立たぬ老人なら如何とでもなると人数だけはそろえた暗殺者を送り込んだ。

 まさか、ここにきて計画に綻びが生じるなど考えてもみなかった。


『今からでも計画の修正は出来るから安心するがいい』

「あ、ありがとうございます。それで、はいかがいたしましょう?」

『そんなものはお前の失態だろう。われが口を出すなど馬鹿馬鹿しく思えるわ』

「申し訳ございません」


 神の怒りを買ったのか、彼の脳天に稲妻が落ちた痛みを感じるとそのまま意識を失って行った。




    ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




 彼が目を覚ましたのは既に太陽が天高くにあり、輝きを放っていた時であった。

 春の爽やかな日差しだと言うのに、布団を跳ねのけた彼の体はびっしょりと汗を掻いていた。

 その他には脳天が焼ける様に痛みを発し、ズキズキと彼を蝕んでいた。その痛みはそのうち引くと経験上から知ってはいるが、そう何度もされてはたまらないと頭を抱えて悩む。


「皇帝陛下、起きておりますでしょうか?」


 胸に激しい鼓動を感じながら今後の事を考え様とした所で部下の声が寝室に響いた。


「【リヒャルト】か、今起きたところだ。入ってきて良いぞ」


 彼、つまりは皇帝の寝室への入室をリヒャルトに許可を出した。

 皇帝の身の回りを世話する侍女たちでさえ、寝室への入室は在室中に許可されぬのだが、リヒャルトを始めとした数人の配下のみ許可される。


 ベッドの手前五メートルほどで膝を付いて畏まる。


「それでどうした?何か報告でもあるのか」

「はい、まず決裁書類が滞ってますので、目を通して頂きますようお願い致します」

「わかった、朕の仕事だからな」


 国家の方針を決める重要な書類は必ず皇帝への下へと送られる。

 一日の決済量は十から二十、多くても三十程である。だが、皇帝の押印が無ければ決して進める事は出来ぬ重要な仕事である。

 その中には国家機密に属する書類も混ざっているが、これは事前にリヒャルト等が別にしてありそれほど気に病む問題ではない。


「それだけか?」

「はい、もう一つは【レネ】が帰還しました」


 リヒャルトから”レネが帰還した”と聞くと皇帝は”ぱぁっ”と笑顔になり弾んだ声を出して喜んだ。


「そうか!レネが帰ってきたか。後でレネに土産話でも聞くとするか」


 皇帝は喜んでベッドから飛び起きると、侍女が控えるクローゼットへ慌ただしく着替えに向かった。




    ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




 皇帝が着替えを終え食事を澄ませると、執務室へ籠り決済書類へ目を通し始めた。

 この時は緊急時を除き立ち入りを禁止され、側近であってもそれは守らねばならなかった。


 その皇帝が決裁書類に目を通すわずかな時間に、側近三人のが顔を会わすのは大変珍しい光景だった。


 まず、リヒャルトは内政を担当する宰相の地位を受けている。

 次に、【フェルテン】は軍務を担当する元帥の地位を受けている。

 最後に、レネは国内外の諜報機関を統合する秘密諜報機関長の地位を受けている。


 そして、三人を合わせて、”三将長”と呼称している。


「先程起きたばかりだと言うのに、レネが帰還したと伝えると嬉しそうに飛び起きた。全くレネが羨ましい……」


 金髪を後ろに纏めて、ゆったりとした服を好むリヒャルトが帝国への帰還を果たして登城したレネを羨ましそうに眺める。

 だが、視線を向けられた当人は全くのお門違いだと言葉を返す。


「何を言っているのやら。それこそ、リヒャルトやフェルテンは常に陛下の傍にいるではないか?羨ましいのはそちらの方だ」


 レネはそう言うと、ふっくらとした双丘を上下させて溜息を吐いた。


「確かに、我々は陛下の傍にいつもいるが、顔を出してもそれほど嬉しそうな表情をしてくれんでな。時折、城を留守にした方が良いのかもしれんのかな?後はそなたの格好が好みなのかもしれん」


 フェルテンはこの中で紅一点のレネを足先から舐めるように視線を上げて行く。

 体にぴったりと吸い付くような服装を好むレネは、年齢以上に美しく体の線をいつも見せびらかす様にしている。

 フェルテンからすれば、足元まで隠す外套でも羽織っていれば変わるのではないかと常々口にしているのだが、変わる様子は無い。


「そうは言ってもな、動きやすい格好となるとどうしてもこうなってしまうのは致し方ない。服をひっかける草むらにでも入ってみると良い。そなたらの格好では服をすぐに駄目にしてしまうだろう。だが、フェルテンの力強い筋骨隆々の体は嫌いではないがな」


 胸元と腰にだけ軽鎧を身に着けたフェルテンは元帥職を受けているだけあり、腕や腹、そして太腿などの筋肉が盛り上がっており、いかにも武将然とした体付きをしている。

 身長も二メートル近くまであり、誰が見ても力強さを感じる。


「無いものねだりは止しましょうや」

「それもそうだな」

「陛下に使えて、同じ目標を目指しているのですからね」


 三人を纏めているリヒャルトが二人にそれとなく言葉を掛けると、すぐに静かになる。


「いつも通りの”三将長”が戻ってきて朕もうれしいぞ」

「朕って柄ですか~?」


 リヒャルト、フェルテン、レネの話しが終わり静かになった途端、見計らったように皇帝が三人の前に姿を現した。小さな部屋に誰もいないと見ると、レネは皇帝を茶化した。


「よせ、昔のままじゃないんだぞ。侍女が見てるかもしれん」

「失礼しました~!」


 それとなく皇帝が注意するも、レネは先程の続きだとばかりにお道化どけて返事をする。


「まぁいいや。報告を聞くから謁見室へ向かうぞ」


 皇帝は三人とは別の通路へと向かい、それぞれが正規の順路から謁見室へと入った。


 謁見室は何処の国でも同じ様な造りで、数段上った場所に君主の玉座がある。そこから真っ直ぐ絨毯が敷かれ謁見室の入り口まで続いている。

 【新生ディスポラ帝国】の謁見室は各国と違う場所が一か所。

 それは、絨毯の横に配下となる元帥や宰相などが腰かける椅子が用意されている事だ。


 皇帝が玉座へと腰かけると、段下にいる宰相ら三人がゆっくりと腰を下ろす。


「さて、レネよ。無事の帰還、大義であった」

「有り難き幸せ!」


 椅子から立ち上がり、胸に手を当てて皇帝に頭を下げる。

 皇帝が腰かける様にと手を振ると、レネはそれに従い再び腰を下ろす。


「リヒャルトもフェルテンも何時もの働きに感謝する。さて、早速だがレネからの報告を聞こうか?」

「はい。では、まず……」


 そうして、レネからの報告が始まった。


 レネの役割は国内と国外の諜報活動を統括する役目だ。秘密諜報機関長と長い名前の地位を受けているが、実のところは実行部隊の長となる。


 そのだが、半年に一度報告に帰国する。しかも、今回で終わりであるが八回、四年に渡って活動してきたのだ。生半可な精神では片づけられぬ事であろう。


 レネが何をして来たかと言えば、簡単に説明すれば各国への内部調略だ。

 手段をと言えば、埋伏の毒、ハニートラップ、洗脳となるだろう。当然、レネ一人で行える筈も無く部下が無数に存在するのだが、その人数を末端まで把握する事は難しい。


 レネが皇帝から受けていた命は大陸にある三国、アルバルト国、ザー・ラマンカ国、そしてトルニア王国の内部分裂、もしくは他国侵略を誘発させる事だ。

 一見、難しそうに見えるが、そこまで難しい事ではない。


 大陸の東、山岳地帯の南に位置するアルバルト国は余り裕福な国ではない。食料は十分に賄えているが平地が少なく産業になるようなものが無い。

 そのために、他国を侵略して産業を手に入れろとレネは工作活動に励んだ。


 その結果、友好国であるザー・ラマンカ国と不可侵条約を結び、山脈の縁を通ってベルグホルム連合公告を掠め取る計略を起こすと約束してくれた。

 その準備が整いつつあり、あとは時期を待つのみとなっている。


 次にザー・ラマンカ国であるが、ここはアルバルト国よりも簡単に事が進む。

 まず、隣国アーラス神聖教国とは仲が非常に悪い。

 それもそのはずで、元々アーラス神聖教国の国土はザー・ラマンカ国が掌握する筈だった場所だ。

 だが、現存するエトルリア廃砦を併呑すれば統一出来るまで進んだにも関わらず、アーラス教の司祭達が教義を前面に出し国を興すとザー・ラマンカ国が切り取り始めた国土を逆に占領してしまった。

 そして、アーラス神聖教国を名乗り、大陸の東側に大国を作り上げてしまった。


 そんな過去を持つために、何時かはアーラス神聖教国を攻め滅ぼすと息巻いていたのだ。そこをレネは上手く飛び回り、アルバルト国と共に挙兵を約束させていた。


 そして、トルニア王国である。

 ディスポラ帝国としては何としてもスフミ王国を占領したかった。スフミ王国の王都スレスコの地下に今も眠る地下迷宮を手に入れるために百五十年に渡って何度も攻め入ったが、結局王都の占領は出来なかった。

 だが、帝国の侵略で南海まであったスフミ王国は国土を三分の一にまで減らされ、トルニア王国と同盟を結ばなくては国土を守れないまでに国力を落としている。


 そのために、ディスポラ帝国としてはスフミ王国を手にれるために超大国のトルニア王国が弱体化してくれなければ困るのだ。


 それが、新生ディスポラ帝国となってからはスフミ王国の地下迷宮ではなく、ルカンヌ共和国の自由商業都市ノルエガを手に入れようと路線を変更した。

 武力も欲しいが、それよりも無限の富を生み出すノルエガを欲したのだ。


 そうなってもトルニア王国は邪魔な存在であり、弱体化させるべき存在であることは変わらない。そこで、レネに指揮を取らせ内戦に持ち込ませようとしたのだ。


 その工作が全て終了し、あとは号令一下動いて貰うだけで事が運びだす算段になっている。その報告をする為にレネが帰還したのである。


「さすがレネである。我々ではこうは上手く行かんだろう」

「適材適所とはまさにこの事であろうな」


 リヒャルトとフェルテンはレネの報告を聞き、深く頷いていた。


「レネよ大義であった。事が起こるまでゆっくりと休むが良い」

「有り難き幸せ」

「では、リヒャルトよ。お主には一年戦えるだけの兵糧等、兵站の準備を怠るな」

「ははっ!」

「フェルテンは兵士の訓練と武器や攻城兵器の準備を怠るな。バスハーケンへ備蓄するのだ」

「畏まりました」


 皇帝は三人に指示を与えると、嬉しそうな笑顔を見せて”さぁ、忙しくなるぞ!”と謁見室を後にした。




※動き出しました、ディスポラ帝国。

 新生ですってよ、奥様。生まれ変わったんですって(笑)

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