第二話 エルザ、悲鳴を聞く
エルザに袖にされた兼元は、食堂スペースを出て潮の香りが流れる甲板を一人、とぼとぼと歩いていた。船は快調に南に進路を取り速度を上げていた。この速度であれば目的地までは十五日もかからずに到着できると思われるが、進路を変えなければならず、距離のロスが出て大幅に日数が掛かる。
前甲板に出た兼元は胸いっぱいに潮の香りを吸い込み、故郷の海を思い出しながら心行くまで深呼吸をした。潮の匂い、それは海の塩や生物の匂いと同義であると兼元は何となく知っていた。真水であれば匂いはしないが、海の匂いにはその傾向が強い。
それはともかく、広い前甲板はすでに多数の乗船客が所々に陣取り、思い思いに海を見ては話しに花を咲かせていた。
特に、
兼元がそこを見回して思ったのは、華美な服装の男女が多数いるが、執事やメイドを従えている者達は少なく、先程食堂スペースで感じた違和感をここでも感じざるを得なかった。
(何か、今までの街中と人の雰囲気が違うと感じるでござるが……)
何が違うのか、結論を付ける事も出来ず、兼元はそこを後にする。
雑多な前甲板から後甲板へと兼元は移動をしてきた。船がかき分けた白い波が流れ、広がりつつ消えて行く。それが悲しみを思い浮かべるのか、広い甲板には誰の姿も見られなかった。ただ、見上げれば
手すりより身を乗り出してみれば波を二つに分ける巨大な舵と、落下防止の丈夫な網が見えるだけ。手すりを乗り越えるなど馬鹿な真似をするべきではないと思い、落ちたら大変だと甲板へと腰を下ろし手すりの柱に背を預ける。
懐より、直径二センチほどの筒状の入れ物を取り出し、蓋を開けて中からキセルを取り出す。腰の袋から刻んだ煙草の葉を一つまみ取り出し丸めると、キセルの先端に丁寧に詰め込み吸い口を咥えて、生活魔法の
「煙草を吸うにもなかなかに骨が折れるでござるなぁ~」
口に含んだ煙を”ほわっ”と吐きながら文句も吐き出す。そう、船室はおろか、食堂スペースでさえも”火気厳禁”と記されており、乗船客が火を扱う事を禁じている。海上を進む船体が炎に包まれれば逃げ場がなく、ただ死を待つのみとなってしまう。
海上連絡用の小さなボートが積まれているが、乗員乗船客全てを救い出す事は不可能であるし、食料も無ければ助かる確率は少ないだろう。
そう考えれば、船上で火を扱うなど言語道断であろう。まぁ、人の気配も無く、後ろを向けばすぐに海であると考えて、火種を海に投げ捨てられるこの場で煙草を楽しむ事にしたのだ。
煙草の煙を”ほわっ”と再度吐き出し、火種を腰の帯にぶら下げている金属製の灰皿へ”ポンッ!”と移してから、掛け声を出して立ち上がり空を見上げる。太陽は沈み込む時間にかかっているのか、白い雲に太陽の光が投影されオレンジ色に染められ始める。あと数時間もすれば船上で唯一の楽しみである食事だと思うが、その前に船室に戻りひと眠りでもしようと、その場を離れるのであった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「エルザ殿、またお会いしましたな」
ひと眠りした後、船窓から入る光は無く、すでに闇に支配された洋上にいると知った兼元は急ぎ食堂スペースへと足を運んだ。そして、ぐるっと見渡せば昼間に声を掛けたエルザの姿を見つけて話し掛けた。
「”お会いしましたな”、ではありませんわ。あなたと親しくするつもりはありませんから」
黙々と食事を頬張るエルザは、兼元に辛辣な言葉を投げつけ袖にしようとする。
「旅は道連れと申すでござらんか」
「暇つぶしには付き合ってあげるわ。それ以上でもそれ以下でもないわよ」
”それでもかまわん”と告げると、カウンターへと食事を取りに向かった。
船の甲板下第一層は貴族や豪商などの金持ちが入る船室であり、狭いとは言え部屋の中に食事が出来る広さを持ち合わせている。朝食、昼食、夕食の三回は自室へ運ばれ、他の乗船客と顔を合わせて食べる事は無い。
そして、その下の第二層はエルザや兼元が入る客室であり、こちらは寝るだけの広さしか設けられていない。その為、食事は三食共にこの食堂スペースで取る事になる。しかも、この場所の利用者はどんな利用客であってもセルフサービスだ。三食は乗船料に含まれているが、それ以外の飲み物については実費となっている。
昼間に兼元が奢ったのはそのためである。
「それで、あなたは何をしているんですか?」
「何って、暇つぶしでござるか。船の中を見回ったり、と」
「そして、煙草も吸うのね」
煙を吐き出したのは大分前で匂いは取れていたはずだと上着をクンクンと嗅ぎ出す。だが、兼元の鼻には煙草の匂いは感じられなかった。
「それよ。その灰皿が決めてよ」
エルザが指したのは帯からぶら下がっている金属製の四角い箱であった。
「東の果てから物見遊山で現れた男が、懐から見えるその丸い筒をチラチラと見せて腰帯に小さな袋をぶら下げている。そして、金属製の箱と来れば煙草を吸っていると推測したのよ」
「ははっ!お見事で御座いますな」
兼元は感心してエルザに頭を下げる。そのエルザは伊達に百五十年も生きてないわよと自慢をする。
「それは、建て前。実際はその灰皿から出る匂いが、私の横に立った時に感じたのよ。そこから逆に見て行っただけよ」
トレイに乗ったパンを小さく千切り、口に運びながら兼元へ種明かしをする。要するに答えを初めに知って、答えに行き着くヒントを兼元の体から見つけただけだった。
「それでも凄いで御座るな。感服いたしましてございます」
頭を下げても嫌味に当たると思ったのか、驚きの表情を向けるだけであった。
「そのエルザ殿に少しお話を聞いてもらいたいのだが、宜しいか?」
「まぁ、暇だからいいわよ」
パンの最後の一切れを口に運んで返事を返す。完全に信用してはいないが、この後もただ寝るだけでは船旅もつまらないと思っていた。海に向かって魔法の練習をしても良いが、不測の事態が海上で起きたときに何も出来ないのでは困るだろうと、魔力の消費を出来るだけ抑え、それがストレスになっていたのだ。
今までは船酔いで船が到着するまで、”早く到着しろ”と船室に籠っていただけなので、余った時間をどの様に潰そうかと思案の最中であったのだ。
そして、兼元から出た言葉にエルザは興味を引かれ飛びついた。
「昼間なんだが、乗船客に違和感を感じたのでござる。服装は華美なのだが、貴族っぽくもないし、これは何であろうと思う?」
「乗船客に違和感?」
エルザは昼間見た乗船客を思い出して、何か違和感が無いかを思い出し始める。この食堂スペースにいた子供連れには違和感を感じられなかったし、隅にいた男達は格好も変わった所は無かった。あえて言えば、スキンヘッドの頭だったというだけ。
だが、記憶を巻き戻してゆくと一つだけ違和感を感じた光景が思い出された。だが、乗船前の桟橋での出来事であり、それが違和感だったと言って良いか、エルザは疑問に思った。そして、この男に話してしまって良いのかと。
「そうね、私は特に感じられなかったわよ」
「そうでござるか……。それは失礼をした」
「話はそれだけ?」
「ですな。いや、話を聞いてくださって感謝しております」
兼元の言葉をきっかけに、エルザは空いた食器の乗ったトレイを持ち立ち上がると片付けにカウンターへと足を向けるのであった。
そして、エルザが去った後で兼元は呟く。
「この恩はいずれ何かで……」
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「どうされました?皆様はすでに就寝中と思いますが」
ノルエガを出港してすでに四日目の深夜を迎えている。前甲板の
「これはどうも。今日はなかなか寝付けなくてね。妻は深い眠りに就いているのに私だけは目が冴えてどうしようもないのですよ」
「それでしたら、良いものがございますよ」
船員は腰の鞄から一つの包みを出し男へと渡した。
「これは?」
「睡眠薬でございます。今からお飲みになれば朝までぐっすりと眠れるでしょう」
手に乗ったその包みを不思議そうに眺める男。船員は睡眠薬と伝え、水と一緒に飲む事を推奨した。
「この様な薬を船員はお持ちなのか?」
「そうですね、眠りに就けない乗船客にお渡しできるようにと多めに持っております」
「そうか、礼を言うぞ。早速船室に帰って、寝る事にするよ」
「それが宜しいかと存じます」
簡単に礼を告げると、男はそそくさと自らの船室へと足を向けるのであった。その姿を見送る船員の口元は、口角が上がり何やら不敵な笑みをこぼしている様であった。だが、暗闇ではその顔を認識できる者はおらず、当人船員だけが知っている事実であった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
ノルエガを出航して五日目の朝、エルザは船室のベッドの中で布団にくるまり、
コノハがお腹が空いたとベッドに飛び降りても、微睡の中にいるエルザには聞こえていない様であった。
お腹が空いて腹の立ったコノハはエルザが掛けている毛布に飛び乗り、小さな体で飛び跳ねたのである。
「あ!痛い痛いってばぁ!!」
薄手の布団はコノハの爪を防ぐ事は出来ずにエルザの胸にその爪を突き立てていた。この時の傷は、数日後の着替えの時に、小さなかさぶたが無数に付いていると気付くのである。
「わかったから退いてよ!」
上体を起こし、ベッド横のテーブルに置いた袋から干し肉を数枚取り出し、コノハの前に置くと、嬉しそうに声を出して干し肉にかぶりついた。上手に嘴と爪を使うコノハを見ているだけでエルザの顔はほころんでゆくのである。
船窓から外を見れば、太陽が水面に反射し”チカチカ”とエルザの顔を眩しく照らす。
寝間着を脱いで白い綺麗な肌を露出させると、一度体を拭いていつもの服へと着替えを始める。
そして、エルザが銀髪にブラシを通し終わった時にそれが起こったのである。
『きゃあぁぁぁぁぁーーーーーー!!』
女性の叫び声がドアを通ってエルザの耳にまで届いたのだ。声の大きさからすれば、別のフロアからと感じ、彼女の予想だと一つ上のお金持ちフロアから聞こえたと感じた。
この時のエルザは叫び声に興味を示す事も無く、ナイフか何かを手に刺してしまい声を上げてしまったのだろうと考えていた。
「まったく、大げさなんだから……」
エルザの考えが間違いだと知ったのは、コノハを連れて朝食を取るべく食堂スペースへ入った時であった。
「エルザ殿、おはようでござる」
「あら、兼元も朝食?」
「拙者はもう済ませた。先ほどの叫び声に付いてだが良いか?」
「朝食を貰って来るから少し待ってて」
エルザにしてみれば毎日の光景である。朝食を食べに食堂スペースへと入ると、決まって兼元がストーカーの様にそこにいるのだ。基本、食事時だけの話し相手であり、船内の情報交換と暇つぶしの相手であり、それ以上の関係にはなっていない。
エルザがカウンターから朝食を取り、兼元のいるテーブルへと戻り腰を下ろすと、エルザが朝食に手を付ける前に兼元は話し始める。
「旦那さんが目の前で亡くなってたそうだ」
朝食のサラダを食べようとフォークを持った手がサラダの上で止まった。人が死んでいたと聞き、さすがのエルザも驚きを隠せなかった。
そう言えば聞いた叫び声も自らを痛めつけたよりも驚きの声に近かったかも、と記憶を引き寄せた。
「そう、それでどうなったの?死因は」
「そこまでは拙者もしらなんだよ。通りかかった時に船員に聞いただけでな。ただ、外傷は無かったそうだ」
「ふ~ん……」
それ以上は興味無いとの振りをして、エルザは止まっていた手を動かし、サラダを口に運んで空腹の体に食べ物を補給するのである。
※朝食のサラダ:根菜類の茹で野菜にオリーブオイルとワインビネガー、塩コショウの合わせドレッシング
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