第三十一話 ヴルフ達の出陣と散発的な攻撃の始まり
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「出発するぞ!」
右手で力強く握った
その日はアルビヌムからカタナへ向かうクライヴ将軍の軍を襲った敵が、散々に打ち破られ数名がカタナへ這う這うの体で逃げ帰った日でもあった。
千名を束ねるのは、教国騎士団に所属しているグローリアであるが、年齢がまだ二十歳そこそこであるために階位を持つ貴族を宛がうつもりでいたが、彼女ほど腕の立つ貴族が余っておらず、その考えは霧散してしまったのである。
そして、副将としては騎士経験者のヴルフと、過去の撤退時に味方を守った実績を持つヒポトリュロスである。
ヴルフの役目は、若いグローリアの補佐であり、豊富な経験を買われての事である。そしてヒポトリュロスであるが、攻めるよりも守る事が得意なようで、陣地を守備する事を主任務とされていた。
一隊三百の隊が三つと食料、軍需物資の運搬、護衛として百の隊で構成されている。
何故、グローリアが率いるこの千名の部隊が西門から出発していくかは理由があるのだ。
エトルリア廃砦から、討ち取り対象であるアンテロ=フオールマン侯爵が籠るアドネの街は北門から出て百キロほど北西にある。真っ直ぐ向かうと五日ほどで到着する距離であるが、攻めるには困難な場所にあるのだ。
アドネの街は南側を、北東から南西へと河が流れ、天然の水堀として活用されている事と、河をまたぐ街への入り口が一か所しかないのである。さらに対岸に渡る橋は上流、下流とも五十キロ以上離れているため、大軍を渡すには適さない。
船の渡しもある事はあるが、アドネ領主が運営をしているだけあり、この時点では休止している。当然、渡しの船は全て北側の岸へ上げられ、渡るには困難を要するのだ。
アドネを攻めるには南東側から攻めるしかないが、何とかして兵士を対岸へ渡しておきたいとしたのが、グローリア達の隊を先行させて出発させることになったのだ。
「あ~、暇なのよね~」
馬上で曲芸の様に乗り、毒づくのはアイリーンだ。グローリア率いる部隊の最後尾で見渡す様に眺めつつ、暇を持て余している。
「殿軍では遠くまで気配の分かるあなたが要なのですから、そう腐らないでください」
そんなアイリーンに、杖を握りしめるスイールがにこやかに彼女に話し掛けて来た。殿軍に何故いるのかと首を傾げるところだが、”暇を持て余すから話し相手になってくれ”とヴルフが配置していたのだ。
「だって~、見るからに何処までも見渡せる草原に所々に見える木々の群れ、たまにこちらを覗いてくる狼とかの獣達。ちょっとでも暇つぶしにならないかなって思うんだけどね~」
背中に背負った特注の弓を左手で取り出して構え、確かめる様に弦を引く。鋼鉄製の矢を射る事を目的として開発されたアイリーン専用の弓は、エゼルバルド達がヒュドラの素材を使った防具を作ったと同時に作成された。鋼鉄製の矢を用いれば簡単な作りの鎧など、チーズに棒切れを突き刺す様に敵の命を奪うので使いどころが難しい。
とは言え、機構を少しいじれば木の矢を射る事が出来、通常はこちらで運用しているのだ。
ともあれ、アイリーンが弓を手にしたのであるのは何か理由があるとスイールが注目する。
「暇つぶしですか……。弓を手にしたのは何か見つけたのでしょうか?」
曲芸乗りをしていたアイリーンが前に向き直り、スイールに告げようとする。ゆっくりだがしっかりとリズミカルな蹄の音に負けない程の声でだ。
「なんかさぁ、出発してからずっと後を付いてくる集団がいるんだよね」
偵察が主任務だとヴルフから言付けを貰っているから、怪しいと思えば射って全滅させても簡単なのだが、万が一の事もあると思えばむやみやたらと攻撃は出来ない。
だが、エトルリア廃砦を五百メートル離れた時点から半日も追いかけられていれば疑いようもないのであるが。
「しばらくは様子見ですね。偵察隊であれば我々が何処へ向かうのかを調べているのでしょう」
付いてくるだけでは脅威にもならないと、馬上から見える遥か先の先頭へとスイールは視線を向けるのであった。
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グローリア率いる千人の部隊がエトルリア廃砦を出発したその日から数えて三日後の事、アーラス神聖教国北部の内戦では事が大きく動いたのである。
まず、その日の早朝、グローリア達がいたエトルリア廃砦からアドネの街を攻める主力部隊、国軍五千とエトルリア廃砦の守りを除いた解放軍三千の合計八千の兵士が北の門より出発したのだ。
聖都アルマダからの援軍、要するに国軍を率いるのはクライヴ将軍の副将をしていたブラスコ将軍である。そして、解放軍は当然であるが旗頭として担ぎ上げられたルーファス=マクバーニ伯爵である。
合計八千の部隊は意気揚々とアドネの街を目指し、自信をみなぎらせて行進をする。残念なのは解放軍の装備が完全ではなく、剣や槍を持てる者が半分ほどで、残りは棍棒や木の棒にナイフを括り付けた簡易的な槍等を持っていた事であろう。
解放軍の財政、要するに貴族たちのポケットマネーで賄える範囲での装備となってしまったので仕方がないのである。装備よりも食料などの購入に多くのお金を割いてしまったのでしょうがないと言えばしょうがない。飢えるよりもマシであった。
そして、もう一つはアルビヌムを出発していた国軍とアルビヌム領軍二万が、ついにカタナの街へ迫った事である。
こちらはクライヴ将軍が率いる部隊で行軍中に奇襲をしてきたたった三百の敵を蹴散らし、意気揚々とカタナへと布陣している。
エトルリア廃砦からの出発と、カタナの街への到着がほぼ同時になったのは偶然でなく、クライヴ将軍の取った作戦によるものである。
数的に劣勢になっているアドネ領主の考えは偵察に重きを置くだろうと予想していた。アルビヌムを堂々と二万の軍勢が出発する姿を偵察隊が見逃す訳が無いと。そして、行く先がカタナであるとすれば、野望を捨てずにいるのであれば必ずカタナへ兵力を集中させるだろうと見ていた。
もっとも、クライヴ将軍にはカタナへ集まった兵力の情報はそこまで入ってはいなかったが、アドネから二千の援軍が出ている事だけは行軍中に報告を受け知っていた。たった二千であるが、二万の軍勢にたった二千の援軍とは本来であればあり得ない。何故二千なのかを考えれば、兵力が
この報告を受けた時、クライヴ将軍は気味悪く口角を上げで笑い、”我が事は成功した”と呟いていたとその場にいた誰かが後に漏らしていた。。
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カタナの防壁上から眺める二万の陣地を見るに、それは”恐怖を覚える”、との一言で尽きるのではないか。端的に言えば、武器を持ち、人を殺す訓練を受けた集団、その数が二万ともあれば恐怖しない者はいないであろう。
そして、防壁上から覗く人々が共通して思う事がある。
--これは無理だ、と。
分厚い防壁が守るとは言え、二万の大軍が門を破ってきたら、防壁を登って来たら、頼みの防壁を力の暴力で破壊されたら、そう考えるだけで守備に就く者達は気を抜く事も出来ず、恐怖に震えるだけの子羊になるのである。
「さて、どうしたものか……」
現状でこのカタナの街を支配している領主代行のジェラルド=ナイト侯爵の口から、一キロ以上向こうに見える国軍とアルビヌムの合同軍を見ていて出た言葉である。
ジェラルド侯爵の周りには護衛の兵士が数人と街を守るための兵士と、この吹きさらしの中、手をこすり合わせながら縮こまる兵士達の姿が目に止まる。
地上数メートルの防壁上で待機するには相当な体力が必要になる事は簡単に想像できる。だが、あの大軍と戦えと言われてどれだけの者達が勇猛果敢に突撃を敢行できるだろうか?
貴族の家に生まれた彼には死ぬことを恐ろしいと思う事は無い。だが、まだ生きていればいろいろと経験できる事もあるとわかれば死ぬことは惜しいと思う。
「やはり、アドネに指示を仰ぎましょうか?」
護衛の兵士達の傍らには頼もしいと思えていたイズラエル=パーシヴァル伯爵とネイサン=ミッチェル男爵の二人の副将がいたのだ。三人は指示通りにカタナの街を陥落させ手柄を上げていた。アドネ領主、アンテロ=フオールマン侯爵が国を切り取った暁には重要なポストを要求するはずであった。
だが、蓋を開けてみれば、眼前に二万の大軍が陣地を構築しており、明日にも攻撃が始まろうとしているのだ。アンテロ侯爵の案に乗ってしまった事を今嘆いても仕方ないのだが、それでも敗軍の将とは成りたくはないのだ。
(いっその事、この場で白旗でも掲げるべきか?)
あまりにも早い降伏に、頭を振って拒否をする。実際、カタナを陥落させその勢いをもって南方のアルビヌムまで手中に収める作戦は初期段階で破綻した。
アドネ領主の考えなしに進ませた解放軍の制圧作戦と、カタナ=アルビヌム侵攻作戦の二つを同時に行った両面作戦が甘かったと言わざるを得ないだろう。それに、この平和な時代に群雄割拠などしてどうするのだと。
目の前に存在する大軍に頭を悩ませるのではなく、戦後をどう生きるかにかかるだろうと逆に頭を働かせることにした。
「そうだな、アドネに二万もの大軍が押し寄せて来たと伝えろ。指示があれば必ず実施するので作戦の立案もお願いするとも入れておけよ」
他人の腹の中の色は何色かは知らないが、ジェラルド侯爵自身は真っ黒であろうと思えば、少しくらいの悪役でも良いだろうと思うのであった。
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開けて翌日、早朝より国軍、クライヴ将軍の号令によりカタナの街への”猛攻”と呼ぶには程遠い散発とした攻撃が始まった。
カタナの街の目の前に現れたのは東門、南門、それぞれを目標とした二機ずつの
ギュンと唸りを上げて巨大投石機のバネが力を開放されると、三十キロ程の岩、数個がカタナの防壁めがけて襲い掛かる。一人の力でやっと持てるだけに岩が、数百メートルも空を飛ぶ光景は見慣れぬ姿であり、また、恐怖を煽る象徴でもありうる。
百聞は一見に如かずと言うが、巨大な岩が飛ぶ光景を何度説明されても、真に受ける者は少ないだろう。だが、目の前で守りの要である防壁が揺さぶられる様を見れば本当だと受け取るしかないだろう。
「敵さん、攻撃が早いな。行軍の疲れを取るために今日は休みにするかと思っていたが……」
「願望と予想は違うからな。お前のは願望って言うんだよ」
空から散発的に降る巨大な岩を避けながら、無駄口をたたく兵士達の姿があちこちで見えている。猛攻となれば別であるが、敵からの攻撃は十分ほどの間隔で一回、数個の岩が飛んでくる、そんな攻撃である。
とは言え、攻撃されて平気な顔をしている者はおらず、誰もが不安を抱えていると言ってもいいだろう。不安を抱えているのは、領主代行のジェラルド=ナイト侯爵であっても同様であるのだ。
「こちらが指示を受ける前に攻撃してくるとは」
時折起こる振動にびくびくしながらも、戦局の報告と指示を貰いたいと書いた手紙を高速連絡鳥に巻き付け空高く飛び立たせる。空に二回ほど円を描いた後、託された手紙と共に南西へ向かうと、あっという間に見えなくなってしまったのである。
(とりあえずの姿勢は示した。何とか無事に終わらせるとしよう。まずは……だな)
ジェラルド=ナイト侯爵が向かったのは自らの鎧の置いてある自室であった。降伏するにしても、少しでも有利に事を進められるようにと出陣する事を決めていた。攻撃目標は、今も”ドスンドスン”と時折地響きを起こす原因となっている敵の持つ巨大投石機だ。
狙われると敵も当然ながら理解しているはずのそれを破壊し、使えなくする、それだけでもこちらからの交渉が有利になる、それが狙いである。
どう考えても負け戦になるのであれば、多少でも猫に噛み付いておけば鼠でも有利に食事ができるだろう。成功するかわからんが、出て行くまでよ、と考えながら鎧に身を包むのである。
かくしてジェラルド=ナイト侯爵は負け戦の中でも一縷の望みを手繰り寄せる為、防御一辺倒から敵が予測しているだろう攻撃へと打って出るのであった。
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