第二十一話 道を塞ぐ鬼神
「ミルカ殿、これをご覧ください」
解放軍の姿が見えない、無人の砦へ情報収集に入ってから、わずかしか経っていないにもかかわらず、ミルカの下へこの周辺を描いた地図が届けられた。
赤い矢印が引かれている方向は、聖都とルカンヌ共和国の二方向へ向けられていた。ルカンヌ共和国方面へ向けられている矢印には負傷者と記されている。
その地図をもたらした兵士は、解放軍の進撃路を見つけたとばかりに喜びを露にしていたが、それを一瞥したミルカは顔を赤らめ、頭から湯気を出しながら地団太を踏んだ。
「くそっ!計られた!」
ミルカの側には地図をもたらした兵士だけでなく、騎馬兵の準備を終えたヴェラとファニーもいたが、その二人もミルカが怒りを露にした姿など、ほとんど見た事がなく驚きを隠せないでいた。
二人から見たミルカは沈着冷静で頭脳明晰、非の打ち所の無い男として慕っていたはずだった。そのミルカが”計られた!”と口に出し怒りを露にする様子は想像がつかなかったのだ。
「ミルカ、どうしたの?」
「如何したもこうしたもない!!すべて敵の策略だった!この砦が空なのも、向かう先の地図がこの時間で見つかる事の不自然さも。そして、向かう先を示した事。我らを諦めさせる策略だ」
再びミルカは地を蹴り付け怒りを撒き散らす。
それでは如何するのかと、そこにいる者達がミルカを見ると、赤ら顔で怒りを内包しているミルカは解を出す様に叫んだ。
「直ちに追撃する。ヴェラは残る部隊の指揮を執れ、ファニーは俺と一緒に全ての騎馬兵で出る。他は砦の探索者以外、陣地へ戻り守りを固めろ」
「ちょっとまって、折角準備してたのに私はどうなるのよ」
アドネ領軍の第二隊に配備された騎馬兵は三百五十。その全てを追撃に回す指示を出し、愛馬に跨ろうとしたミルカへ指示を取り消すようにヴェラが口答えをするのだが、それにすらミルカは怒りをぶつけてしまっていた。
「ヴェラ、指示通りに動け!お前だとしても指示を守らなければ首を刎ねる!」
怒りに我を忘れ、その矛先を味方にまで向けるミルカを制止するには、ミルカの首を刎ねるしかないと思われるほどの怒りがミルカを支配している。こうなってはさすがのヴェラも諦めるしかなく、しぶしぶと指示に従うのであった。
「くそ、時間がない。騎馬兵は俺に続け」
「はっ!!」
ファニーは黄色い髪を束ねて紺色に塗られた兜を被ると、ミルカに続けとばかりに愛馬に颯爽とまたがり、追い掛けるのであった。
その後ろ姿を見送るヴェラは、見えなくなるまでミルカの無事を祈り手を合わせる事しか出来なかった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「この場所か。この道はワシが一人で受け持つ。左手の藪の中はアイリーンが弓隊を率いて隠れろ、五十程歩兵を着けておく。右側の狭くなる向こうには残りの歩兵を潜ませる、エゼルが指揮を取れ」
解放軍が砦から全軍で逃げ出し殿の役を受けていたヴルフが、ルーファス伯爵から指示を受けて、森の入り口でアドネ領軍を向かえ討とうと道を塞ぐ。
伯爵は、敵の指揮官がこちらの意図を間違って受ければ、ここに姿を現すまで数十分で到着すると見ていた。午前中いっぱい待って、アドネ領軍が現れなければ、そのまま引き返す様に、との事であった。
ヴルフ達が塞ぐこの場所は、森の入り口で左右が深い森となっている。ただ、砦から見て右側、即ち、後ろを向いているヴルフの左側は木々が迫っており道幅が狭くなっている。逆の場所は開けて騎馬で動き回るには十分な広さを有している。
歩兵が隠れる場所はその前面が狭く、弓兵が隠れる前面は広くなっているのだ。ちなみに今の兵力は歩兵が二百、弓兵が五十の、合計二百五十である。
「さて、もう間もなくだが、本当に来るのか?」
半信半疑で道に立ち、青い空を見上げては太陽の位置を見定め、今の時間を予想する。位置的に十時を過ぎた辺りと予想している。
そして、右手で
「本当に来たのか?」
半信半疑で待っていたヴルフは、頭を切り替えアドネ領軍の来襲に備える。
そして、隠れる弓兵と歩兵に
それから、馬の駆ける音と共に数百の騎馬兵がヴルフの前に現れたのである。
ただ一騎、道の真ん中に陣取るヴルフを見て、何かあるとアドネ領軍はその手前数十メートルで馬の進みを止め、ヴルフと対峙するのである。
「ここから先には進ませぬ!通りたければワシを倒してから行くのだな」
ヴルフが
それを聞いて面白くないのは、数時間前に解放軍の計略に手玉に取られた先頭の馬に跨る男。紺色の軽鎧を身に着け、兜を付けずに長槍を右手で握りしめている。それをヴルフに向け、先程の返事を返した。
「私はアドネ領軍第二隊大将、ミルカ。この場所を通り、解放軍を壊滅させるためにこの場にいる。命が惜しくば私の前から退き、道を開けるがいい」
少し高めの声質を持つミルカは、少し暗めの茶色い髪から汗を滴り落とし、相対する敵に自らの武勇を誇る。だが、その相手をするヴルフは自分より若い敵の大将を前に少しも怯む事無く、それに答えるのであった。
「ふん、若造が。ワシの名前を聞いて怖気づくなよ。我はトルニア王国でその人ありと言われたヴルフ=カーティスである。お前こそ死にたくなければ今すぐ引き返し、布団の中で震えているがいい」
ヴルフが自らの名を高らかに叫んだ時から、アドネ領軍の中で明らかな動揺が起き、ざわざわと騒ぐ声が聞こえだした。
一介の剣士などは知らないだろうが、国や貴族に使える騎士であれば、過去のトルニア=スフミ連合軍とディスポラ帝国での戦いで存在感を示したヴルフの名を知らぬ者はいなかった。
現在のトルニア王国の将軍、カルロを身を挺して守ったとも、敵を片っ端から切り捨てたとも言われている男が目の前にいるのだ。
ミルカはその男を打ち倒し、名声を上げると共に解放軍を追撃しようと、単身前に出てヴルフと対峙をするのであった。
「過去の栄光に
長槍を脇に抱えると、
「その言葉、そっくり返してやろう。後で吠え面をかくなよ」
ヴルフも馬に蹴りを入れると、同じようにミルカに向かい馬を駆けさせる。
ヴルフの名を聞いてもピクリともしなかったミルカはさすがであった。二人がすれ違いざまに繰り出した攻撃はお互いの武器を弾くにとどまり、傷を負わす事は当然なかった。
「フン、言うだけあるじゃないか」
「伊達に歳を取っていない訳か!」
すれ違い数メートル進んだ先で馬を切り返す二人は、相手が思っていた以上の実力を持っていたと認めざるを得ないと、一時、馬を止め言葉を交わす。
本気では無いとは言え、ヴルフの一撃を受け止めたその腕前は、確かだと言わざるを得ないと考えを改める。そして、ミルカも自分の長槍よりも遅くに振り下ろしたにもかかわらず、長槍で受けねば自らの頭が真っ二つになっていたと身震いをするのであった。
「ワシの攻撃を躱し切れるかな?」
「老人はそろそろ引退でも考えるべきだろうな!」
二人は再び馬を駆り、相対する敵にそれぞれの武器を打ち付け合うのであった。
馬の足が止まり、二人は各々の武器が風を切る音が聴こえる程の速度で振り回す。一合、二合、三合と、二人は休むことなくお互いの武器を打ち付け合う。
ヴルフが
ミルカから老人と言われるヴルフであるが、刻んだ歳相応に経験が豊富で、しかも若いエゼルバルドとの訓練を続けているだけあり、体力も現役時以上に有り余る。そこから、軽量とは言えども
そして、ミルカの馬が何かに
「そろそろ終わりにするか!」
馬を少しだけ回す様に駆けさせると、馬の速度に合わせてミルカへ
「そうはさせん!!」
馬を駆るヴルフと地面でやっと体制を整え長槍を構えるミルカとの間に、紺色で少し細身の鎧を身に着けた一騎の騎馬が分け入り、ヴルフの進路を塞ぐのであった。それに驚いたヴルフの馬は急に止まり、そしてバランスを崩すと、その身をその場でねじる。そして、止めを刺そうと
「ちっ、水が入ったか!」
敵の指揮官を打ち倒す寸前まで行ったヴルフは舌打ちをし、
「早く馬へ!!」
「すまん、ファニー」
ミルカを守るようにヴルフとの間に馬を入れ、その場から微動だにせずヴルフを自らの長槍を向け牽制をする。
ミルカはなんとか馬に跨る事が出来た。相対するヴルフは牽制されている為にその場から動けずそして、馬にも乗れず、間にいる騎馬の後ろで馬に跨る男に視線を向けるのみであった。
「一騎打ちなどせずに、このまま騎馬兵を進ませてはいかがですか?」
「馬鹿者、良く周りを見てから話すのだな」
ヴルフを牽制しつつ周り、即ち、木々の間に生えている草や木立を見つめると、不自然になびくのが見えるのである。ミルカが一騎打ちをあえてしていた理由がそこにあった。
「ふ、伏兵ですか?」
「そうだ。ヴルフの腕があれば俺は通るのは難しい。かと言って騎馬をそのまま進ませれば伏兵から攻撃を受ける。敵の指揮官が何者か気になるな」
ミルカとファニーはお互いに聞こえるだけの声量で言葉を交わす。敵の策略に劣勢になりつつ、怒りを露にしていたのだが、ここまで見事に乗せられてしまえばあっぱれと言う他は無いだろう。だが、このまま指をくわえて撤退するには行かないと馬上からヴルフを見下ろすのであった。
「エゼル!!」
ミルカの考えを察知したのか馬に跨れず、今だに地に足を付けているヴルフが突然の声を上げる。すると、ヴルフの左方面から一人の男が姿を現しヴルフの下へと急いで駆けて来た。
「スマンが牽制をお願いする」
「わかった」
腰に差したブロードソードでは騎馬相手に不利な間合いになると思ったのか、背中の両手剣を引き抜き、ヴルフの前で先端から柄の先まで二メートル近い両手剣を構える。
「”血濡れの狼牙”か!」
エゼルバルドが両手剣を構えると、その姿に聞き覚えがあるのかファニーが声を上げる。
「あれが”血濡れの狼牙”だと、まだ子供じゃないか!」
前日の野戦のおり、アドネ領軍の右翼部隊が撤退する場で散々に殿の兵士を血祭りに上げられ、這う這うの体で逃げ帰ってきた。その時に生き残った兵士からの、血に濡れても動きを止めず、まるで噛み付いたら放さない狼の様だったと報告があった。そして、ミルカ達が名付けたのが”血濡れの狼牙”であった。
散々蹴散らされただけでなく、腕自慢の数人が打ち合う事さえ出来ずに一刀の元に首を刎ねられている事から、勢いだけでなく腕も相当あるとしていたのだ。
ミルカが一騎打ちで劣勢になっているヴルフだけでなく、厄介な”血濡れの狼牙”までもが目の前に現れたのである。ミルカの計画は完全に破綻したと言っても過言では無くなってしまった。
「何じゃそれは。ワシの仲間にその二つ名はどうかと思うがのぉ」
ミルカ達が驚いている際に、馬に跨ったヴルフは、敵の二人に向かって声を上げる。ヴルフも不満であるが、言われた当人もそれは不満であった。
「付けられるんだったら、もっと格好良い二つ名が良かったなぁ」
”血濡れの狼牙”にはエゼルバルドも不満であり、改名を要求するのであった。
エゼルバルドの登場で、二人を一騎打ちで破り兵を進ませることは諦めざるを得なかったミルカは、敵の伏兵を承知で突撃するか考えていた。いまだに体力が戻らないミルカが相手にするには今は不利である。
「仕方ない。目の前の二人を騎馬の突撃で倒し、敵を追いかけるしかないか?」
「道を塞ぐのはたったの二人です。わざわざ一騎打ちをする事はありません」
ミルカの呟きを聞き、ファニーは突撃する意見に真顔で賛成を表明する。どれだけの伏兵がいるかわからないが、これだけの兵力があれば問題ないだろうと思ったのだ。
そして、ファニーの賛成を機に、敵の策略だと知りながらも兵士達を進ませることを決断するのであった。
※張飛の長坂坡の戦いに憧れたものです。まぁ、横山光輝三国志(三国志演義)の話ですけどね。狭い道をたった一人で大軍を追い返す、素敵です。
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